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エルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?
エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。 あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。 世俗的には、エレサレムの街自体は、たとえば交通の要所とかではなく、たいして重要な街とは思えません。 それなのに、、なぜ3宗教は、エルサレムに聖地を持っているのですか? たまたまエルサレムに3聖地が混在するだけなのですか? あるいは、歴史上や宗教上で、何か慨依性を持っているのですか?
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まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。 この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。 この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。 ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。 そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。 さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。 ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。 ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。 そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ? それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。 その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。 当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。 そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。 これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。 時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。 ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。 イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。 そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。 かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。
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- masa2211
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>ユダヤ教の流れからキリスト教やイスラム教が生まれる これの補足になりますが、イスラム教の聖典は、 コーラン+新約聖書+旧約聖書(の部分)です。 したがって、たとえば旧約聖書のモーセ関連などは3宗教共通のエピソードに当ります。 ※アラーの神とヤハウェの神は、呼び名が違うだけで全く同じ神様です。
お礼
ご回答ありがとうございました。 <共通のエピソード> があるそうですね。たとえば、キリスト教では、救世主とされているイエスは、イスラム教では、預言者の一人とされているのですね。3宗教は、同族だけど、(大きな)違いがあるのですね。 エレサレムに3宗教の聖地が在るのですが、たまたま在るのか、そこには必然性(たとえば地理的に)が存在しているのか、知りたいところです。
- tanuki4u
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<ユダヤ教という特異な一神教となり、その流れからキリスト教やイスラム教が生まれるということになります。> 思考の似た3宗教ができたのですね。 ↓ ユダヤ教イエス派が「オイラたちはユダヤ教ではないよ」として出来たのがキリスト教 人生どうやって生きていこうかとムハンマドが悩んだ時に、アラブ人の信仰と違う信仰を持っている集団がいた、それがユダヤ人である。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%89%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84 622年7月16日のヒジュラ(聖遷)以降、当時メディナで対立していたユダヤ人とアラブ人の仲介となるメディナ憲章の締結により影響力を得てウンマ(イスラーム共同体)を組織したムハンマド ムハンマドはメッカからメディナに逃亡したという面もあるが、メディナサイドで見ると、アラブ人でありユダヤ教を理解できる人物としてムハンマドがメディナに仲介者として招聘されたという側面もある。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、(私が)思ってたよりお互いに親和性を持っているのですね。それは、3宗教の誕生の経緯によるのですね。 ある面では、エルサレムに代表される紛争は、その悪い親和性(近親憎悪)が強く働いているのでしょうね。
- Nebu3
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(1) 西アジアの厳しい自然環境の中でゾロアスター教を含めた一神教が誕生します。 恐らくは生死さへ危ぶまれる乾燥地帯で人々は真剣に唯一絶対の神を見いだしたの でしょう。それがエルサレム・イスラエル・パレスチナの地ではユダヤ教だったのです。 (2) ご存じの通り、ユダヤ教の偏狭さと厳しすぎる律法を批判してキリスト教がうまれ キリストを偉大な預言者の一人としてイスラム教がうまれます(詳細は省略)。 (3) エルサレムはユダヤ教を信仰するユダヤ人の中心都市。そしてキリストが処刑された 所。イスラム教を起こしたマホメットがメッカから1日(?)でやってきた奇跡の土地と いうことで隣接して神殿があります。 (4) だって元々あの地域はユダヤ人とアラブ人が混住していた所だし、ユダヤ民族と アラブ民族は兄弟のような血のつながりだしね。早く対立を煽る勢力がなくなります ように
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 エルサレム周辺は 三つの宗教が <隣接して> いるところですね。人も <混住していた所> ですね。 ところで、この回答を読ませて頂いているうちに思いついたことですが、かの地周辺は、ある特定の人や民族や宗教が、圧倒的優位に立って他をせん滅することはなく(またはできず)、互いにほぼ均衡していたのですね。そのため、紛争の種が残り、今だにくすぶっているのですね。これが幸いだったのか、不幸なのか、私には分かりませんが。
- tanuki4u
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古代における超大国は二つ メソポタミア地方 ナイル川流域地方 その中間にあるのがパレスティナ地方です。 勢力の中心部にある人間というのはあんまり悩まない。満足度が高いから。 ちょっとハズレくらいにあると悩みます。 ということで、悩んだ結果がユダヤ教という特異な一神教となり、その流れからキリスト教やイスラム教が生まれるということになります。 儒教も中原の外れ、魯国だったり 仏教もヒンドスタン平原の外れ、現在の国でいえばネパールだったり 中心からちょっと外れているところから生まれるようです
お礼
早速のご回答ありがとうございました。 <中心からちょっと外れているところから生まれる> に興味を惹かされました。 <ユダヤ教という特異な一神教となり、その流れからキリスト教やイスラム教が生まれるということになります。> 思考の似た3宗教ができたのですね。 脱線しますが、古来からの中国文明に対して、陸続きである朝鮮半島ではあまり価値ある文化が発生しなかったようですね。一方、海を隔て、つかず離れずの日本島には、特異な文化が育ったようですね。
- あずき なな(@azuki-7)
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イスラエルはイエスキリストの生誕地だからです(ガラリアのナザレ地方) だからそれに起因する3宗教はエルサレムを聖地としているのです
お礼
早速のご回答ありがとうございました。 まず、キリスト教では、教祖の生誕地がナザレ地方ですね。何かの理由で、エレサレムを聖地にしたのですね。 後発のイスラム教も、キリスト教を踏襲して、エレサレムを神聖な土地にしたのですね。 そして、既設のユダヤ教も、振り返ってみて、かの地を聖地にしたのですね。
- trytobe
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すべて、エルサレムの地から起こったユダヤ教から、キリストを経て当時は異教とされたキリスト教が起こりヨーロッパ方面に広まり、ムハンマドを経たものは中東の乾燥地域などでの生活の知恵が入ったイスラム教として腐敗しやすい肉を避けるとか酒を飲まないとか断食月を設けるとか、各地方ごとに適合させていったからではないですか。 その権威付けをさかのぼると、結局かのエルサレムでの伝説なりユダヤ人の受難の歴史に来てしまうわけで。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 ユダヤ教において、 <エルサレムの地から起こったユダヤ教> <エルサレムでの伝説なりユダヤ人の受難> が大本なのですね。後発の二つの宗教は、その地に権威付けを求めたのですね。
お礼
早速のご回答ありがとうございました。 3宗教の経緯について、ダイナミックな説明をして頂きました。 3つの宗教は、一神教と言うこともあり、代々緊密につながっているのですね。 まず、出発点が、 <ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。> ですね。首都に神殿を建立したのですね。(今、まだ理解できていないのは、地理的にはあまり要所とは思われないエルサレムが、なぜ首都とされたか、ですが) その地を、何千年後のユダヤ教徒は、聖地としているのですね。 ユダヤ教から発生した <キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」です。> ですね。おそらイエスは、エレサレム周辺を主な活動の地にしていたのですね。 そして、ムハマンドは、 <偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」。 ということで、 <エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。> ですね。 <もともとの根っこであるユダヤ教の聖地は、当然そこから発展した同じ神をあがめる一神教の聖地> になったのですね。