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祈願を行う場所は、神社?寺?
- 祈願とは神社で行うもので、自らの行いから成就を求める誓いを立てることです。
- 一方、寺では欲を捨て自己を見つめ直し、悟りを開いて仏陀を目指すことが目的です。
- しかし、神仏習合によって寺でも神社を持つ場合もあります。
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そうですね、実際、仏陀の教えと言うものがなんであるかを定めるのは難しいです。仏教の多くは釈迦の弟子たちが説いたものですし、しかしかと言ってそれが間違っている、捨てるべきだということも出来ません。 ところで日本に仏教が入ったのは基本的に古代の中国からです。 日本に大きな影響を与えたのは空海が持ち帰った密教です。 密教は現世利益を求めているので、この中で祈願、祈祷という行為がなされます。 それに仏教はヒトの病苦の原因は“迷い”だと考えていて、迷いをなくすことが悟りへの路だとも考えています。現世利益を得ることも迷いをなくす手段だとも説いています(もちろん宗派によって異なります) それに衆生救済は仏の重要な修行の一つです。これも「願い」と言えないでしょうか? 救済を願い仏に祈るつまり祈願でしょ。 願いはヒトの自然に心が発するものです。未来へ向けたものです。 慾や迷いを捨てたいという思いも願いであり、その成就を願う事も祈願です。 祈願祈祷は神道。仏教の区別無くあるのではありませんか?
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- Lenova2012
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これは非常に難しい問題ですね、神社で結婚式をしても、キリスト教でも回教でも、お寺で結婚式をしても違和感は有りません。共に宇宙を認識しているいるのではないでしょうか、しょせんこの世の中は分子で構成されていますので、宗教などは関係ありません。私利私欲のために生きているのが現実です、この事を考えると宗教など存在価値がありません。千の風乗って吹き渡っているだけだと思われます、いずれ地球は爆発するのですから。
お礼
回答ありがとうございます。 確かにその通りです。 人間だけが神を持ちます。 最近黒点の出現周期に乱れが起きていますが、光星である太陽もあと数億年は持つでしょうし、 地球は人間が核や環境破壊で壊さない限りまだまだ大丈夫だと思いますが、 マントルや核の動きは注意を払わないと行けないのでしょうね。 それから、私はお寺での結婚式は違和感がありますね。 神前は神に、キリスト教では最終的にはデウスに誓うのでしょうが、お寺では仏に?誓うのは違和感があります。そもそも仏に自力も他力も救われるのでしょうか。それにこの世は苦ばかり、生きることは苦だというような教えだったと思いますし、日本仏教では宗派の開祖の問答で癒やされるのが特異点でしょうし。 なんだか、仏教だけは苦から逃れる教えであり、結婚式とは無縁の宗教に思えてなりません。
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お礼
いつも回答ありがとうございます。