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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:ニーチェを読んで)

ニーチェを読んで、衝撃的な哲学の世界へ

このQ&Aのポイント
  • ニーチェの本をはじめて読み、衝撃を受けた。
  • 生きる意味がないとされるニーチェの言葉について考えてしまい、人生のつまらなさを感じるようになった。
  • 結婚や仕事の成功にもかかわらず、人生に意味がないと感じ、死に対して怖さや悔いのなさを感じるようになってしまった。ニーチェの本をもう一度読んで元の思考に戻りたい。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.17

なにごとも批判的に読むことが肝心かと。 ニーチェの思想と彼自身の行動・人生とは一致しているだろうか? 特に健康という面。 人生に意味がない思想は、ニーチェの重視する健康面ではマイナスになるものではないだろうか: ある心理学者によれば、極限状況で、個人的な人生の意味を見出した者は、見出さなかった者より、より多く生き残ったとする研究結果を残しています。 当時はキリスト教の外的権威や欺瞞を批判するために、ニーチェは自由やルサンチマン(恨みが動機)をかかげてはいるものの、こういう批判を改良しとりこむだけの力がキリスト教には存在しています。アメリカのキリスト教は自由をとりこんでいるものが多いし、恨みがあれば心理学でも仏教修行でもとりくんでいるキリスト教宗派もあります。「神は死んだ」などどいっていても、2000年を生き残ってきたキリスト教は強固です。 >元の思考に戻りたいです 広く様々な思想にふれられると、ニーチェの主張を相対化してとらえられるのではないでしょうか?

kato12344578
質問者

お礼

皆さんのたくさんのご意見のお陰でとても気持ちが楽になりました。 一つの意見に共感しても固執してはダメ(+_+) 共感しても、どこかで批判する気持ちをもってなあと自分を保てないです。 今回は、とても勉強になりました!

その他の回答 (16)

noname#210533
noname#210533
回答No.16

哲学書ではないけれど。 「プラネテス」という作品を読んで見て下さい。 主人公の人格が変わっていく過程がリアルです。 舞台は宇宙、というSFですが、人間の普遍的な 成長の形が判り易く描かれた一作です。 大切なヒントになると思いますよ。 ニーチェの超人思想は我々の尻を叩きますが、 その裏にネクラオタクが一方的に女に熱を上げ フラれた腹いせが潜んでいると聞かされれば、 正直真に受け過ぎるのもどうか、と思ってしまいます。 私個人は、生きる意味や価値、というものは 個人的価値と各種社会における価値とを 混同して使う所がサギだと思っています。 価値とは、意味とは、背景と相対的な視点、尺度と 目的意図という範疇の中でこそ取り扱えるものだと 思います。 自分なりの価値観、世界観、死生観、宇宙観。 そういうものを創り上げて置けば、他人に意味無しと 言われようがなんだろうが、「うるさいよ、人をダシに 自分は崇高とか、ギャグかましてんじゃねえ!」と タンカ切るだけの事です。 例えば、家族の為に殺人を犯して刑務所に入り、 必死で家族を想い、ツトメを果たすヤクザ者の方が ニーチェよりリアルで判り易く、実存する手応えが 感じられます。 そういう尺度だって、ある訳です。 万能の尺度、究極の価値を自分に求める心理と言うのは、 結局他人と自分を見比べてどっちが上だ下だと喜んだり 落ち込んだりする気持ちから来るものだし、他人より自分が 得したらいい、出来るだけ楽して良い目を見たい、そういう エゴから来る気持ちです。 失敗を恐れて確実に成功したい。苦労なんかしたくないし 先がどうなるかわからない不安なんてまっぴらごめん。 そういう単なる個人的利害観で超人思想なんか見れば そりゃ落ち込みたくもなるでしょう。 ニーチェは、個人的な見解ですが、ニーチェの思想を 鼻で笑い飛ばして否定する位でないと、それこそ 意味が無いように思います。 ニーチェを読んでニーチェの思想の上に自分を評価する。 これじゃ、超人どころか本末転倒ではありませんか。 批判、ではなくて、否定する。 何故なら、自分はこう思う、故に我あり。 ただそれだけの事ですから。 否定もまた、自分の価値を同列になぞらえる武器です。 ニーチェに、打ち勝て。 甲斐なき人生より、悔いなき人生。 ねえ?

kato12344578
質問者

お礼

ありがとうございます(^-^)/ マンガとても興味があります!今度TSUTAYAで借りて読んでみます。 あまり、流されないように努力してみます。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.15

「永劫回帰」とは。 >「今、病気や事故で死んでも怖くないと言うか、悔いがないような気持ちです。」 なるほどね。

kato12344578
質問者

お礼

そうですね☆

回答No.14

ニイチェの主著「力への意志」を読みましたか? ニイチェというとたいてい「ツァラトゥストラはかく語りき」を思い浮かべる人が多いけど、あれは散文詩か神話みたいな本でニイチェの思想が知りたかったら、主著を読むしかありません。 私はニイチェの偉大さをハイデガーの「ニイチェ」という本とニイチェの主著を読むことで教わりました。 ニイチェは古代ギリシャ以来の「形而上学」、プラトンの「イデア論」に基づく「形而上学」を近代にひっくり返した、おそらく西欧思想史に一人いるか、いないかの偉大な哲学者です。 プラトンは私たちのいう現実、個物の対立の上に最高で普遍的な概念があり、それを「イデア」といい、「イデア」こそが真の実在で、私たちのいう現実、つまり感覚知覚によって見たり、触れたりできるものは真の実在ではない、仮象だと言って、私たちのいう現実と概念の関係をひっくり返しました。 つまり、抽象的な概念の方が実在で、感覚できるもの、見たり触れたりできるものは実在ではないと考えていました。 このプラトンの「イデア」が、私たちの感性を越えた、超・感性的な世界とすれば、それに対して私たちの感性的な世界は実在ではない、仮象だと言ったことになります。 西欧の中世になるとプラトンの「イデア」は神に言い換えられ、その神が人間や自然を創造したと言われ、人間は神の被造物になりました。 中世は私たちの頭の上に神が君臨し、人間はその神を崇拝し、膝まづいて、神の恩寵を期待し、願う存在でしかありませんでした。 このように西欧の哲学の歴史は人間の上に神とか超・感性的なものが君臨する「形而上学」と神学の歴史でしかありませんでした。 人びとは聖書の言葉を信じて人生には意味がある、生きるに値すると教えられてきました。 あたかも自分も聖書の中の登場人物のように思いなして、人生の真実から目を背けてきました。 キリスト教は人生が本当はなんの意味もないのに、意味があるかのように「隠ぺい」してきたのです。 だからニイチェに言わせればキリスト教は「ニヒリズム」の宗教です。 ニイチェは主著の「力への意志」の冒頭で、「ヨーロッパのニヒリズム」を論じています。 ニヒルとは人生の意味がない、無意味だということです。 キリスト教が衰退したから、人生に意味が無くなったのではなく、もともと人生に何の意味もないのに、それをキリスト教はあたかも意味があるように「隠ぺい」してたきたのです。 それがキリスト教の衰退とともに、本質が露呈してきた、人生が無意味だということが露呈してきた、ということ。 そしてニイチェによれば「ニヒリズム」は否定すべきことではなく、むしろ歓迎されるべきものです。 なぜならばキリスト教のベールがとれて、人生の本質が見えてきたからです。 ニイチェに言わせれば、人生や世界そのものには何の意味もありません。 人類が生き続けることにも何の意味もありません。 だからニイチェはこれからの時代は「力への意志」でなければならないと言います。 「力への意志」とは、目的も持たず、意味も求めず、ただ力の増大と強化だけを目指します。 キリスト教は他人に対する同情を言うから、同情は意志を弱体化する。 そんなキリスト教は奴隷の道徳、畜群の道徳に他ならないから、そんなにキリスト教は撲滅しなければならない。 「ニヒリズム」の頂点が、「永遠回帰」です。 無が永遠に繰り返す。無意味がいつまでも続く。 そしてそれを否定するのではなく、絶対的に肯定する、何度も肯定する。 それがニイチェのいう「積極的ニヒリズム」です。 人生に意味を求める人間は病人だ、健康な人間、「超人」は意味の代わりにむしろ無意味を求める。 己の生命、己の「力への意志」の強化と増大だけを求める。 新しい時代はそれのまでの最高価値を転換しなければならない。 最高価値とは、神のこと。 今では「神は死んだ」のだから、私たちの頭の上に君臨していた超・感性的世界は存在せず、ただ感性だけの世界が訪れたのだ、だから人生のことを考えるのなら、世界に意味があるかとか、人生に意味があるかとか考えずに、人生の意味は自分が作って行けばよいのだ、……そうニイチェは言います。 私たちは自分の人生を自己選択して作り上げる。 そして人生の意味はその自己選択の中にしか存在しない。 世界の中に客観的に意味があるのではない、また人生の中に客観的に意味があるのでもない、ただ自分の心の中に意味がある。 それがニイチェの思想です。

kato12344578
質問者

お礼

凄く詳しい解説ありがとうございます(^-^)/ 私には難しいですが参考にさせて頂きます☆

  • ext1219
  • ベストアンサー率21% (27/128)
回答No.13

良い悪いではない気がします。あなたの今いる世界に優劣はないのでは。臨済宗や曹洞宗に出家なさいとはさすがに言いませんが、調べてみてはいかがでしょう。良寛という御仁は感心する生き方されてますよ。

kato12344578
質問者

お礼

何か論点が違う気がします。 しかし、せっかく紹介していただいたので時間ある時に調べてみます☆ ありがとうございました(^-^)/

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.12

>「書いてあった→影響を受けたです」 それだけです。

kato12344578
質問者

お礼

そうですか(^-^)/

回答No.11

 生きる意味、って・・・  “生きる理由”と云う事?  人間以外の“生き物”は“意味”が判っているから生きているの?  katoさんが今日まで生きてきたのは“意味”を感じていたから?  違うよね。  ☆ 要するに「どのように生きるか」を問うているのではないでしょうか。    使われている“言葉”に拘らなくてもよいと思います。  もし、ニーチェに拘るのなら、もう一度と云わず二度でも三度でも読み直してみてください。  その結果が“意”に反したとしても、それがkatoさんの“心”なのです。  自身の心を信じましょう。

kato12344578
質問者

お礼

はじめて哲学を読んで、生きる意味や、色々な物の考え方を専門に考えている人が昔からいたのを知りました。 哲学をしるまでは生きる意味を真剣に考えたことはなかったです。(軽く考えたことは普通にあると思います。) もちろん、自分の考え方が一番ではあるのですが迷いながら生きるそれって楽しいですね♪ 回答ありがとうございました(^-^)/

回答No.10

 くりなるさん 何を書いてるんですか。  うらみでもあるのですか? 質問者に。  ショック療法でもないでしょうに。

kato12344578
質問者

お礼

(^-^)/♪

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.9

衝撃を受けた分、ニーチェの話しを鵜呑みにされたようですね。 ニーチェはニーチェの素晴らしい部分があると思います。 しかしそれは自身ではなく、他者の思いなのです。 相手の思いや意見・考えを、自身で精査しないで丸呑みすれば そのまま他者を自分の中に住まわせることになります。 ニーチェにおいては狂気をも孕んでいるので それも含めて自身の中に住まわせることとなり得ます。 人生は楽しめば楽しいですし、つまらないと決めればつまらなくなります。 どういう人生を歩みたいかの選択で、人生は決まります。 たとえば斜に構えたり見下せば、そういう人生になるだけです。 一つ一つの喜びの感動を味わい尽くすつもりで生きることで 人生はいくらでも感動的でドラマチックになります。 ご自分が生きたい人生を今一度見直し 本当に望むものを手にされると良いかと思います。

kato12344578
質問者

お礼

人生設計や、なりたい自分への目標みたいなものは持っています。 しかし、この世自体は無駄であり、意味はない。宇宙自体がなかったらその方が良かったのではとか思います。 そう確信させてくれた、考えを後押ししてくれてのがニーチェの哲学ですね♪

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.8

kato12344578様、こんばんは。 >「最近、結婚もして、かなり熱中している趣味もあります。仕事も順調ですが 人生に何も意味がないと思うと 今、病気や事故で死んでも怖くないと言うか、悔いがないような気持ちです。」 それは、それは。 (言う事ないですね)

kato12344578
質問者

お礼

そうです、人生は楽しいのですが 意味を考えると?と思ってしまいます。 あまり、考えすぎないようにします(^-^)/

  • ext1219
  • ベストアンサー率21% (27/128)
回答No.7

申し訳ありませんが、直接的な回答を差し上げられません。 あなたの書かれた現状に、僕は改善の余地を見出だせません。ニーチェ論への反論もありますが、あなたが自ら読み、感化され、自らそのような境地に至ったのなら、それでよいでしょう。 どうして元の思考に戻りたいのでしょうか。以前ある質問でもありました、'All things must pass.'ですよ。

kato12344578
質問者

お礼

もともと私自身人生に意味がないと思っていたからニーチェの言葉に引っ張られていったと思います。 元の思考と今の思考のまだ狭間にいる感じ(いいとこ取り)なのでよい方に思考なるといいなと思ってます。

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