- 締切済み
世界の平和について
人種・国籍・宗教・性別の差別の無い世界はとてもいいと思いますが、なぜ人は人種・国籍・宗教・性別の違いを受け入れる事が出来ないのでしょうか?
- みんなの回答 (12)
- 専門家の回答
みんなの回答
- simonmagus
- ベストアンサー率30% (210/689)
差別が許されないのは主に制度的なもので個人の 差別というより嫌悪や無理解は仕方なものです。 無理解というより無関心かな。 遠い国にどんな都市があり、どんな民族がいて、どんな 文化なんて何か縁がなけりゃ一生知らないもの。 同じ国内でも関西人は東北の県の配置を知らなかった り、東京の人は山陰・山陽方面うといです。 一度も行かない県ってあるでしょ。関心持ちようがない。 宗教は一神教(特に原理主義)が意固地で勝手に争って ろって思います。 神道の寛大さ(適当さ)に惹かれたイスラムの人に改宗し たいと言われた神社が困ったという。 アラーもヤハウェもイエスも私にはどうでも良い。 人種って白人・黒人・黄色人種の区別以上は何系と言われ もピンとこない。 黒人=アメリカ人とアフリカ以外ないと思っていました。 欧州にも多くいて驚いた。 つまり身近か否かで対応が変わるだけでは?
一言でいえばいろんな人間が存在するから いじめも同じ事。 2-6-2の法則っていうのを見た方がいいよ。 人には2-6-2というのがあって 100人の人間がいれば20人は気があう、60人は合いもしないがうざくもない、残りの20人は生理的に合わない。 異性みてもそうでしょ クラスに20人の異性がいれば 2割の4人ぐらいはタイプ、6割の12人ぐらいは好きでも嫌いでもない、残りの2割はブスやブサイクと感じる。 会社でもこの法則があって 100人の社員がいれば 20人は会社に利益をもたらす、60人は会社に利益もあまりもたらさないけど、損失もあまりださない、20人は 会社に損失をもたらすお荷物社員。 2-6-2というのはよくあてはまるらしいですよ。 無理に好きでもない人と関わる必要もないので、特に今のままでも不便に感じません。
- majimemaru
- ベストアンサー率25% (32/128)
自分に置き換えると良いですよ。 突然、二世帯住宅で、ある家族と同居する事になりました。その一家は聞いた事もない言語と、毎晩に念仏のような言動を叫ぶ奇行とも思える習慣(宗教?)があります。 その奇行のせいで夜も眠れません。 しかも、彼らは低所得らしく、高所得の自分に無意味な妬みを抱いているらしいです。そして時折、財布からお金が消えているのですが、彼らに問い正そうとしても言葉が分かりません。 毎晩の奇行やお金の問題。話し合いで解決したいのですが、言葉が通じません。 そう言う人をあなたは受け入れますか? 上手く一緒に同じ屋根の下で、平和に暮らしていけますか? これは極端な例ではありません。 人種問題の根底は、宗教の互いの無理解。貧富の格差による社会問題。言語が通じないための余計なトラブルが大きな原因です。 別居するのが解決法です。 現実の国際社会も同じです。
お礼
お金が無くなっている時点で窃盗という犯罪です。 私が犯罪の被害にあった場合はまず物的証拠を残し、警察に通報して逮捕してもらい、裁判所で罪を裁いてもらうようにします。 例え話は実際の生活では無理だと思います。
- r5305
- ベストアンサー率28% (34/118)
本能という回答がいくつかありますが、私もそれに同感です。 (宗教はちょっと違いますが) 差別のない世界・・・それは私も望みます。 しかし、差別をある程度減らすことはできても、なくすことは現実的に不可能と感じます。 差別意識は人間を含めた動物の基本本能だからです。 学校のテストや運動会などでいい成績をあげる目的は、「優越感」を得るためです。 優越感と言うのは、相対的に他者より勝ることで得られます。 これはつまり、他者と自分を差別する意識であり、目標実現の大きな動機にもなります。 差別することが、さまざまな生きる原動力につながっているわけです。 秘密のケンミンショーなどの番組で互いの県を罵倒して盛り上がりますが、自分の属する集団が他の集団より勝ればいい気分になるのも、同じ意識です。 人種差別の意識も根本的には同じですが、意識そのものを防ぐことはできません。 問題は、その意識が発展しすぎ、相手を低く見下して不当に扱ってしまうことです。 そして、それをどうやって防ぐかです。 けっきょく、教育で抑制するしかないんでしょうが、限界があります。 理屈で否定できることは、理屈で正当化することもできるからです。 何を正義とするかは、ちょっとした影響で変化するものですから。 大事なことは、平和的な良識派が少しでも多数となるよう、社会ぐるみの努力を怠らないことだと思います。 それが、非良識派の横暴を防ぐ最も効果的な方法と思います。
お礼
平和的な良識派が多くなるような教育が大事ですね。
- kohichiro
- ベストアンサー率21% (306/1447)
やはりその根本は個人が持っているプライド(自分をまず認めてほしい)にあると思われます。 人間は自分が一番大事だし、他人に自分の優越を認めてほしい、そればかりがあたまにあるのでしょう。 しかし、人間は自分ひとりでは生きられない生物です。ともかく他人も認めなければよりよく生きるのは難しいのです。 その矛盾、二律背反に引き裂かれて悩まざるを得ないのが人間という生き物の宿命である、といえます。 人間がともかくすんなりと生活できるようにするには、他人に依存すること、他人には勝てないと認めることです。同じような能力の、どんぐりの背比べのような人間ばかりの社会では比較的それが可能です。また、「そのほうがエネルギーが少なくて済むから楽が出来る」という合理的な考えが出来る比較的賢い人間たちであることも条件かもしれません。つまり、いまの日本社会が比較的うまくいっているのは、そういったことが作用しているのではないでしょうか。 違いをうけいれるということを、序列を受け入れることと同様の意味に捉える人間が多いということです。これが知性で乗り越えられたら世界は平和になるでしょう。 プライドが高く、どうしても自分中心でなければいられないという民族、人種はとかくうまくいっていません。近所の半島民族、中原民族がそうですし、アラブのひとたちも、実は非常にプライドの高い民族なのです。 性別の問題もそうですよ。女性が誇りを取り戻したことが大きなトラブル要因になっています。
お礼
人間の自尊心ですね
- inochi_bf
- ベストアンサー率7% (10/127)
ご指摘の項目以外にもこの世の中には様々な差別が存在していると思います。 その原因は、「自分」が何者なのかわかっていないことに尽きます。 「自分」が自身の中だけの存在だと勘違いしているから、周りと敵対してしまうのです。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
性別については別に考える必要があるでしょう。 ”なぜ人は人種・国籍・宗教の違いを受け入れる事が出来ないのでしょうか? ” ↑ 防衛本能が働くからです。 家族や友人なら、彼らがどう行動するか、 どういう考え方を持っているか、が予想できますし、 予想できる、と考えます。 しかし、赤の他人なら、やはり緊張しますね。 家族や友人と同じに扱う、ということは 出来ません。 人種などが違うと、更に何を考えているか 判らない、どう行動するか予想できない、 だから警戒する、 ということになります。 つまり、何時どんな危害を加えられるか、予想つかない 安心が出来ない、ということです。 だからそう簡単には受け入れない、ということに なるのです。 こう考えると、性別は異質だ、ということが判るでしょう。
お礼
個人的には女性も何を考えているのかわかりませんが・・・ 特に好きな女性は緊張しますよ。
- 9eqlc19131
- ベストアンサー率14% (27/190)
実は人間の本能の中には 「自分と違うタイプ」に拒否反応が自然と起きてしまうのです。 普通と言えばそこまでですが、 そこを乗り越える柔軟さを、世界中の人に求めます。
補足
なぜ、「自分と違うタイプ」に拒否反応が自然と起きてしまうのですか??
- wakaranyo2
- ベストアンサー率8% (81/940)
海賊や山賊を受け入れると殺されるから受け入れ無いのです。そこを分別なく受け入れる事が出来無いだけです。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
>なぜ人は人種・国籍・宗教・性別の違いを受け入れる事が出来ないのでしょうか? 人と言っても、色々ですよ。 キリスト教途は、異教徒の大都市に原子爆弾を投下して、非戦闘員の女子供を無差別に殺戮することを「正しかった」と言って、一向に反省しません。 このような、異教徒に対して暴力的で野蛮や宗教を野放しにして良いのでしょうか? 仏教徒は、異教徒であるからといって、原子爆弾を投下して、非戦闘員を無差別に殺戮する事を認めません。 世界が、仏教徒や無宗教者で埋め尽くされれば、原爆の投下も、無差別な非戦闘員殺戮も無くなって行くと思います。
お礼
世界を仏教徒と無宗教者で埋め尽くす方法は現実には世界の戦争で勝って、徹底的に洗脳するしかありませんね・・・ でも、それって回答者さんの考え方だと仏教徒には出来ないことですね これってもしかして、遠まわしに「解決出来ない事で悩んでも意味が無い」って事を言いたかったのですね。 なるほど、それなら納得です。
- 1
- 2
お礼
その話は聞いた事はあります。 物事を決めつけるのが人間って好きなんですね。 ご指導していただき非常にありがたいのですが、自分は「2-6-2の法則」を気にしないで生きていきたいと思っています。 私の実生活に不便は感じたことはありませんが、ニュースを見ていて残念に思う時があります。