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寿命の長短と現世での生き方の充実度、どちらが大事?
- 50代の男性が、寿命の長短と現世での生き方の充実度について考えています。退職後はのんびり過ごしていたが、何かしないという強迫観念もあるようです。両親も高齢で不安があり、いつか親を見送ることが順当なのかを考えています。また、霊界や輪廻転生を信じており、現世での善行が必要な修行の場だと考えています。
- 友人の早すぎる死や親からの連絡に触れ、寿命の決まりと生き方の重要性を感じていると述べています。また、弱肉強食やエリート主義についても否定的で、他人を思いやり平和を愛し、静かに生きる人も存在すると述べています。
- 一度きりの人生なので、自分の望むように生きればいいとも述べています。ただし、自らの意志ではなく神の意思によって生まれることが決まるため、生まれてこないことは仕方がないと考えているようです。
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50歳、男子です。 いやあ、驚きました。カルマの法則をここまでしっかり掴んでいらっしゃる同世代とここで逢えたとは。 私は、特別な宗教には入っておりませんし、これ等の事は、全て独学と経験則で学び、確信しました。 霊界や輪廻の法則、この世での全ての環境は、又一生を通じて出合う人々は、一言で言えば全て「魂の修行」の為のものです。この法則を知らずに世を去る方が残念ながら多いのですが、少なくとも質問者さんや私は、きっかけは何であれこの法則に「気づかされて」います。 こちらで修行している間に「気づいた」(信じるに至った)という事が、実に重大な事で、そうであれば残された人生の時間の過ごし方は、殆ど答えを得たようなものです。不自由な肉体を持って生きなくてはならないこの世は、欲望に溢れ返っています。食欲、睡眠欲、性欲などの肉体的な欲望に加え、経済欲、名誉欲があり、欲望が支配する世の中ですから、弱肉強食などといった世の中になるわけです。 我々は、この世に生まれる以前は、『自分の所有物』は一切無かったのですし、この世を去るときは、全て『置いて行かなくては』なりません。一切のものは、たかだか長くても数十年間の借り物です。成功とか、勝ち負けといった現世的な評価は、実は魂にとってはあまり深い意味は無く、年齢とともに、欲望をどんどん小さく、軽くしていき、適度な欲で生きられるようになれば、私達の修行段階は向上したといえます。 世の中の無駄な争いは、皆無にはならないとしても、こうした法則に気づく人が多くなれば、確実に減るでしょう。 >他人のことを思いやり平和を愛し、静かに生きる人もいます。 そうした人の多くは、深い精神世界を持って、現在の経済力や社会的地位に関係なく、心に余裕が生まれている人々です。 これを書いている私は、一般の企業に勤めるサラリーマン、年老いた両親を抱え、人生がやや安定期に入ったのは40代になってからの事です。日本赤十字特別社員として、微力ながらの貢献をさせて頂いていますが、『この人生』が果たして、これで『合格』なのか、やり直しなのか、自分では全く採点出来ません。多分、後者でしょうね。笑) 何かをしなくてはという脅迫観念のようなものをお持ちだそうですが、気づく事が多くなればなるほど、宿題は、与えられてきますから、焦って探さなくとも偶然を装って、目前にやるべきことは出現するでしょう。 私の父は79歳になりますが、病身であるにも関わらず、この法則に気づく事無く、世を去りそうな一人です。 肉体的には血縁のある親子ですが、霊的には全く他人ですから、いたしかたない事であると存じます。 仰るように、今回の人生は一回限りであって、『私と貴殿』でいられる時間も少なくなって来ました。今日、ここでお目にかかれた事を感謝したいと思います。心静かに、少欲知足、温和にて柔軟、和顔にて愛語で生きれば良いのではと思います。 ご質問への答えが最後になってしまいましたが、言うまでも無く、人生は全て中身、つまりは生き方です。ご健勝を祈ります。
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- strbegger-po
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「お礼」を頂きありがとうございます。 そして、お礼文の中にとても興味深いものがありました。 >>・・・人間を主に社会的な地位の高さや財産の多さだけで評価する点です。~~~ただ、みんながその方向で頑張るべきだと主張する一部の人の考え方は受け入れられません。 そうしたお考えには同感いたしますね。人、それぞれ考え方/物事の捉え方/の違いが当然ある訳ですから自分がそうだから(そう成った)と言って、お前もそうあるべき的なことは大きなお世話と言うものだと思いますね。 >>・・・一方で努力の方向を違う方へ向け、人助けや動物愛護、環境保全などに奔走する人もいます。そういう人の基本理念は、愛や優しさということでしょうか。 確かに『優しい心』を持ち合わせていないと出来ない様に思いますね。そして、正義感や世の中の不条理さといった決して、平等では無い世の中に対して、ある意味“怒り”だったり、“情熱”が無いとやれるものではないと思われますね。 ※人間の身勝手さで、毎日、毎日「大切な命」を奪われていく動物達の事を思うと、なんて人間は残酷なのかと思わざるを得ませんね。保健所に犬を持っていくという事は、「殺してください。」と言う事ですよね・・・どんな事情があったのかは分からないけど、本当に憤りを覚えます。 (口が利けないだけで、感情は人間以上に深く、そしてどんなに辛いおもいをしているのか判るか。!って一日、一日、「死」が迫っていく動物たちの気持ちを思うと・・・言葉にならない。お前も必ず同じ思いをするからな。って・・・そうした感情的にさせられてしまう。) >>ただ、病弱で働きたくても働けないなど事情のある人も少なくありません。本当に困ってる人は社会全体で援助することがやはり必要だし、金が有り余ってる人は少しでも分けてあげる度量の広さがあればいいですね。 >>・・・食うや食わずの給料しか払わず自分たちだけ莫大な利益をためこんで恬として恥じない今の社会は明らかにおかしいです。 確かに、それは言えますよね。強欲な者達は仰っておられる『カルマ』の存在すら知らないと思う。 「現世こそがすべて。」としているものと思われますね。(面白おかしく、贅沢三昧、順風満帆)等が生きがい。とし、死後「あの世」に行った時に幾通りもの「裁き」が待っている。なんて考えてもみないでしようね。(考えてもみない。と言うよりも「あの世の存在」などある訳は無く、現世のみ。以外、何物でも無いとしていると思う。 一人、一人が助け合う気持ちがあれば世の中もう少し変わると思いますよね。しかし、残念なことにいつの世も余り変わりない様にも感じられますがどうでしようね。? こんな思いが致しますね。そして、余計な事でしたらごめんなさい。一つ、お訊ねしたいのですが、『私は、霊界や輪廻転生を信じる立場なので、』と仰っておられましたが、そうしたご関係の活動か何かをされているということでしょうか。? 無理にお尋ねしている訳ではないのでこの事に関しては“スルー”されても構いませんよ。 もし、宜しければということです。 また、ウダウダと語ってしまいました。
お礼
再度の御回答ありがとうございます。 結論から言いますと、特に活動はしておりません。ただ、周りの人とそういう話になった時には、押し付けがましくならない程度に自分の考えを述べることはしてます。 反応は様々ですが、やはりいまだに否定する人も中にはいます。まあ、証明できる問題ではないので最終的には信じるか否かになってしまうと思いますが。 ただ、否定の考えの人たちはおっしゃるとおりこの世が全てと考えてるから、生きてる間やりたい放題やったほうが得だ、どうせ死んだら無になるんだから・・・と思い実行する方が多いでしょう。でもそれも、まだその人の精神レベルがその程度ということだと思います。 >>一人、一人が助け合う気持ちがあれば世の中もう少し変わると思いますよね。しかし、残念なことにいつの世も余り変わりない様にも感じられますがどうでしようね 本当ですね。長い人類の歴史を考えても常に、戦争、争い、圧政などが続きお互いが尊重しあい仲良くやっていく社会が実現したためしがないと、感じます。 カルマの法則ではこの世は修行の場といわれてますが、魂の向上のために本当にこんな現世が役に立つのかいな・・と思うこともあります。この点は、神の意志なのか、人間が勝手にやってるのか私もよくわからないですね。 人生で行き逢う人は全て偶然ではなく、必然的に出会うといいます。回答者様を含めて、ここでやりとりしてる方々もご縁があるからこそだと感じます。
- strbegger-po
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こんにちわ。 >>短命、長命ではなく、やはりこの世にいる間の生き方が大切だと思いますがどう思いますか? 全く、仰る通りだと思いますね。 頭が“ボケ”てしまったらどうにもならないかも知れないですが、自覚があり、そうでないうちはやはり生きて行くとした「姿勢」(思考性。?)にあると思いますね。 一日、一日を一生懸命に生きることではないですかね。(なかなか、口で言うのは簡単ですが、出来る限りとした意味で・・・。) そして、「定命」というものがあり、仰られるように産まれたときに既に決まっているらしいですよね。? 生きていたくても、それができなかった人。 もう、辛くて死んでもいいと思っていてもそれができなかった人。 (因みに私の祖母は97歳で亡くなりました。祖父は103歳で亡くなりました。) 祖父の場合は、頭はしっかりしていましたね。ただ、体力的(103歳とした。)に持たなくて亡くなってしまったんだと思いますね。学ぶものがたくさんありました。一つは「好奇心」が旺盛で、何か面白い事は無いかした興味深々で、どこへでも行きたがる人でしたね。そして、「前向き」な性格でクヨクヨしない人でしたね・・・。(こちら事ですみません。) >>弱肉強食で他人を押しのけても出世して金儲けていい思いしたものが勝ち組、努力しない頭悪いやつは一生貧乏でかまわないという考えは全く共感できません。 個人的な発想ですが、前者は価値観の違いを感じますね。 他者がどう捉えようが、そんな事はお構いなし・・・物欲?を満たした達成感で満足しているとも限らないようにも思われます。そうした人達はそれなりに「リスク」を背負っているわけですから、心中は如何にというところでしょうか。(なので虚しさの欠片も無いとは言い切れない感も・・・。) 問題は後者ですよね。これは少し、情けない感じが致しますよね。 そして、「貧乏」・・・これにも幅がありますよね。質問者さまが仰っておられるのは何の「努力」もなく自分はこれでいいや。と言った本来あるべき/向上心/挑戦心/野心/のようなものを失っている状態を言われているのかと思われますがどうでしょうね。? >>一方、あまり学校の勉強的なものは苦手で経済的には恵まれなくても、他人のことを思いやり平和を愛し、静かに生きる人もいます。 確かに、“十人十色”で「生き方」は様々ですよね。それで社会(世の中)が上手く「調和」と言えば耳障りは良いですが、貧富の差がありで「帳尻」があっているんでしょうかね。? なかなか、奥深いものがあると感じさせられましたね。 最後に、仰っておられるように「人生一回限り」の限定ものですよね。 或る、お年寄りばかりの病院で、患者さんにDrがなにかやりたかった事・やり残した事・は何ですか。?と訊いてみたところ、みんな口をそろえて『冒険』がしたかった。と言ったそうですよ。(確か、アメリカだったと思いますが。?ご存知でしたらすみません。) これも参考になりますよね。私も、決して若くはないので修正を図らなくてはなんて思いましたね。
お礼
ありがとうございます。 お祖父様とお祖母様、天寿を全うされましたね。やはり、前向きでいろんなことに興味をもつ人が長生きする傾向にあるようですが、生きることを楽しいと思うかつまらないと思うかも生命力に関係するのかもしれませんね。 勝ち組負け組という言葉自体があまり好きでないのですが、その理由は、人間を主に社会的な地位の高さや財産の多さだけで評価する点です。もちろん、そういうものを努力の結果手に入れたのならそれはそれでいいと思います。ただ、みんながその方向で頑張るべきだと主張する一部の人の考え方は受け入れられません。 人の価値観は様々で、地位や名誉、お金に重きを置く人もいれば一方で努力の方向を違う方へ向け、人助けや動物愛護、環境保全などに奔走する人もいます。そういう人の基本理念は、愛や優しさということでしょうか。 おっしゃるように、怠惰で貧乏なのは自業自得で仕方ないと思います。ただ、病弱で働きたくても働けないなど事情のある人も少なくありません。本当に困ってる人は社会全体で援助することがやはり必要だし、金が有り余ってる人は少しでも分けてあげる度量の広さがあればいいですね。 持てる人(資本家)が持たざる人を搾取して上前を掠め取り、食うや食わずの給料しか払わず自分たちだけ莫大な利益をためこんで恬として恥じない今の社会は明らかにおかしいです。カルマの法則がわかっていれば、そんなまねは絶対できないはずですが 残念ながら死後になってはじめてわかるということでしょうかね。もっと早く気がついて、この世にいる間に修正できれば救いもあるでしょうけど。
両方でしょう。 比べられるものではありません。 充実してても速く死んだら意味ないし、 寝たきりで長生きするのも苦しいだけです。 松下幸之助さんやドラッカーのように頭脳明晰で元気なまま、 生涯現役で長生きしたいです。 来世や輪廻転生については一応あると推測していますが、わかりません。 ぼくは経験した覚えがまったくないからです。 それとも事実としてないのかわかりませんが。 そして、「絶対ある」とか、「絶対ない」とか思った時点で成長は止まります。 「自分は正解にたどりついた」という人はすでに心が老衰しています。 大事なのは考え続けること。 停滞しないことです。
お礼
ありがとうございます。 おっしゃるとおり、霊界、輪廻転生等の存在は証明できないので最終的には「死んで見ないとわからない」ということになるでしょう。 考え方としては、完全否定、肯定、中間派(あるかもしれないがわからない)に分けられるでしょうか。現実には中間派の人が一番多いのかもしれません。 私があると思う理由も、論理的に説明しろと言われるとむずかしいです。いままでの人生経験から自分なりに思索して、理屈でなく感情でそう感じるということなので。 長生きの是非は全く人それぞれですから、その人の現在の境遇や人生に対する考え方の違いで180度異なるでしょうね。私は家族もいないし、あちらのほうがいい世界らしいので早めにいかしてもらえるとありがたいと思ってます。といっても、寿命が来るまでは精一杯生きるつもりですが。
- ni_si_ki
- ベストアンサー率19% (302/1586)
若い時は短くとも太い人生を良しとしていました。 しかし50を目前にした今、細々でも長い人生の方が良いと考えています。 10代の頃に生死を彷徨う経験をし、いつ死ぬか分らないんだから、今出来ることを精一杯しておこうと、まるで死に急ぐような生活を送っていたツケが、40代半ばにやってきました。 現在病により身体障害者です。 不思議なもので自分のことすら満足に出来ない体になってようやく、幸せだと心から思えるようになりました。 もっと早くに気付けば良かったのでしょうが、まあ、病気にならないと分らない運命を課してこの世に生まれてきたのでしょう。
お礼
ありがとうございます。 お体を不自由にされてる由、ご苦労お察しします。そういうお体になられて、幸せと思えるようになったというのは含蓄のある言葉と思います。健康体ではわからないことが見えるようになるのかもしれませんね。 作家の遠藤周作でしたか、著作のなかで「その時は不幸だと思うことでも、長い目で見ると人生の役に立ってることが多い」と言う主旨の文章がありました。彼はキリスト教徒でしたから、人生の途中で起きる様々な出来事もそれぞれ意味があり、そこから何かを学ばせるための神の行いだという理解だったと思います。そうはいっても、不幸な目に遭うとなかなか普通は納得できないものですけど。 つくづく、人は自分で生きているのではなく大きな存在に生かされていると感じます。
- mtjgkt
- ベストアンサー率17% (9/51)
生きたい様に生きられる人は本当に幸せです。 家族に縛られ 生活費や仕事に追われ、大人になればなるほど ストレスが増える。 結婚するしないというものではなく 結婚も寿命と同じようにできるできないが決まっていたと 思います。したいと思っても出来なかった人、要するに相手の合意がなければ結婚はできないのです。 結婚したから幸せではなく 離婚する人もたくさんいるし、結婚しているから成功者ではありません。 質問者様はたぶん50~60代の方かと思われますが、例え結婚していたとしても お子さんが成人している年齢なので どちらにしても同じ心境になったtことと思います。 >>>あまり学校の勉強的なものは苦手で経済的には恵まれなくても、他人のことを思いやり平和を >>>愛し、静かに生きる人もいます。
お礼
ありがとうございます。 おっしゃるように、大人になるといろいろストレスが多く 天真爛漫に毎日生きられた子供のころが懐かしくなることがあります。 結婚については、やはり生まれる前からできるできないは決まってるみたいですね。異性を求めるということは寂しさをまぎらしたり、性欲を満たす等の意味があるかと思いますが、実際一つ屋根の下で暮らすと、もともと他人ですから当然ぶつかることもあるし、場合によってはお互い顔も見たくない状態になることもあります。離婚が激増してますが、昔のように我慢しなくなったということでしょうね。それくらい、結婚生活はいいこともあるけど、忍耐が必要なんでしょう。私もまあ、もてないですがそうでなくても経済面や束縛されることを考えると、若いころからあまり結婚願望はなかったです。 その人の霊格の向上のために結婚したほうがいい場合は 神が自然にお相手と引き合わせるといいます。 私の場合は、独身のままのほうが向上になるということのようですが、結果として気楽に生きさせてもらってるので感謝ですね。
お礼
大変わかりやすいご回答ありがとうございます。 私も久々に、カルマの法則を十分理解されてる方とお逢いできて うれしく思います。回答者さんと同じで、関係本など読み自分なりにいろいろ考え、大学のころからこれが人生の本質だと思うに至りました。現在もネットなどで情報収集し内容を深めています。 書かれていることがほとんどそのとおりですので、私が改めて付け加えることもないです。本当に、この事実を理解してる人がもっと増えて多数派になれば、もう少し平和で素晴らしい世の中になるのに・・・と思います。 ただ、日本でも一昔前よりは霊界や輪廻転生を信じる人が増えてきてるとのことで、物質中心主義に疑問を持つ風潮は少しずつ広がってるのかなと、こんな社会ですが、かすかな希望も感じてます。 日本赤十字特別社員さんとのことですが、赤十字はたまに寄付しますが公益に関するお仕事なのでしょうね。アンリ・デュナンが創立者くらいしか知らず詳しい活動は知らないのですが。 私はもう退職しましたが、かつて税金関係の部署にいまして正直人様のお金を強制的に取り上げるという仕事に嫌気が差して、早期退職しました。これは自分の本来の職分ではないと違和感が強かったですし。 人生最後に、一生の採点をされてあの世の行き先が決まると言います。これは本当になかなか自分では評価が難しいです。 でも、おっしゃるように心穏やかに、欲は少なく足るを知る、温和な態度、にこにこして優しい言葉で話すなどが大切なのでしょうね。特に難しいことでなく当たり前のことが大事ですね。 退職直後は何かせねばという強迫観念がありましたが、今は全くなくなりました。無趣味ですが旅行が好きで、国内特に九州・北海道によく行きます。普段は暇をもてあましてる感じもあるので 何か世の中の役に立つことを始めたい気もしています。やるべきことを見つけるということでしょうね。 お父様はこの法則をわからずに、あちらへ行きそうとのことですが私の両親も同じです。親子といえども霊的には他人ですから、 理解のレベルは違っても仕方ないですね。でも、死後親兄弟や親しかった人とは、あちらで会えるそうなのでその時は「こういうことだったんだね」とお互い、話せますね。 友人とも飲みながらよくこの種の話をします。相手は半信半疑で全く否定するわけじゃないですが、霊的なことも科学で証明できるはずだというので、それは無理だという私と口論することもあります。科学万能主義とは相容れないですから。そんな人とも死後会えばすべて解決ですが。 最後に、私のほうこそ感謝したいです。普段は現在の荒れた世の中の波動もあり、つい心が乱れることもありますが、そんな世に生きるのも修行の一環と捉えここでのやり取りを思い出して身を引き締める所存です。