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日本の建国について
歴史の講義を受けているのですが、直接講師の先生に質問する機会がないのでご教授願います。 日本の建国記念日は2月11日で、神武天皇が即位された時が日本の建国で始まりだと考えて来ましたが、それは一つの区切りであって、教育勅語に「國ヲ肇ルコト宏遠二」とあり、「すめらみこと」を中心に和が出来ていって、国家の本が出来たのはもっと古いのではと考えてまいりました。 しかし、講師の先生方は皆、7世紀末に「日本が出来た」「日本が独立した」と言います。 何を根拠に「日本が出来た」「日本が独立した」とするのでしょうか。 宜しくお願いいたします。
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結局、国と国家という理解が出来ていないためにごっちゃになるのだと思います。 国、というのは民族が主体的に「自分たちの領地である」と認識し、その民族の風俗や文化がその地域の環境とマッチしていることで、国という概念が生まれます。 たとえば、イギリスは日本と同じ島国ですが、ローマ時代の境界線や流入民族などによりスコットランド・イングランドなどのいくつかの国にわかれています。日本人が「イギリス」として認知している国家は「4つの国の国の連合国家」である、とされているからです。 日本の場合、島国で紀元前には多くの豪族が統治する国がたくさんありました。ただ、縄文土器や弥生文化など日本独自の文化習俗や古代日本語はこの時代にはすであったとされいますので、国としての日本は紀元前までさかのぼってもいいのかもしれません。 しかし国家としての日本が成立するには、日本国内の制度だけでなく、外国からも「国家」として認められる必要があります。 この国家としての日本の成立が7世紀であり、その理由は ・白村江の戦いで倭の連合軍は唐に敗れたこと ・戦いの後、唐に習って律令国家になる必要が生じたこと ・壬申の乱でその制度改革が確定的になったこと ・大宝律令が定められ、国号を「日本」としたこと ・この国号をもって、国家「日本」が唐などとの外交通商を再開したこと これにより、唐の外交文書にも「倭国は日本に改名したらしい」「律令国家になったらしい」という記述が見受けられるようになります。 そして、ご存知のとおり、日本はその後国号の変化も国体の変化も経験していませんから、現在でも日本の建国は7世紀であり、建国記念日は7世紀に編纂された日本書紀に神武天皇が即位した日がその日(旧暦の庚午年1月1日 が新暦で計算すると2月11日である、とされた)で日本の建国の日(多分にクニとしての日本という意味の既成事実化)とされ、長い間紀元節として祝ってきたので、現代でも2月11日を建国記念日としているわけです。 まあ、日本ほど古い国家も国もないので、いいのではないでしょうか。
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- TANUHACHI
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これは単純に「国家をどう定義するか」との問題であり、人物とは全く関係のない話です。国家を国家として存在させるために必要なものは、先ず法制度です。 仮に「十七条憲法」がそれにあたると仰っても、あの文言は役人の服務規程や道徳が中心であり、国家基本法としての性質を持っているとはいえません。 「国家」を規定するならば、政治権力の及ぶ空間領域、人身支配を実現するための徴税システム、それらを運用する官僚システム等々が必要です。 5世紀段階ではそうしたシステムが未だ日本にはありませんので、国家と呼びうる存在を認めることにはつながりません。 更に神武ならば当然、歴史学の範疇から外れることにもなります。あれは神話にのみ登場する人物であり、実際に存在したなどの根拠はどこにもありません。専ら神社や神道が自らの存在を否定されないために意地になって守り続けてきただけの根拠レスな話です。 現在の「建国記念の日」はそうした記紀神話に基づき、1966年に法的に国民の祝日とされた極めて胡散臭く政治的な存在といえます。
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- hekiyu
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"講師の先生方は皆、7世紀末に「日本が出来た」「日本が独立した」と言います。 何を根拠に「日本が出来た」「日本が独立した」とするのでしょうか。" ↑ 白村江の戦いで大敗した日本は、中央集権国家 樹立の必要性に迫られ、壬申の乱を経て、 天皇中心の国家体制へと向かいました。 この壬申の乱が672年ですから、7世紀末に 日本が、というのはそういうことだと思います。
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>何を根拠に「日本が出来た」「日本が独立した」とするのでしょうか。 成立時期をいつとするのかについては、議論が多々あります。 お受けになられた講演会に出席されていた講師の方々が根拠としたのは次の点でしょう。 421年倭王讃、宋の武帝より除授 423年倭王珍 宗に朝貢して安東将軍の称号を得る 479年斉の高帝が倭国王を鎮東大将軍とす 502年梁の武帝倭王を征東大将軍とす という記述が中国の古文書に記載されています。 これを、所謂、中国王朝の冊封体制に組み込まれていたと考えます。 これから約100年の間記録が途絶えています。 600年推古天皇が隋に使節を派遣しています。 このときの、中国の史料には、使節の言葉として 俀王は天を以て兄と為し、日を以て弟と為す。天未(いま)だ明けざる時、出でて政(まつりごと)を聴く跏趺(かふ)して座す と記されていて、5・6世紀の時とは違い称号の下賜に触れていません。 607年小野妹子が隋に派遣されますが、この時に持っていった親書が有名な 日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々 という書状です。 明らかに、日本側の為政者(天皇)と隋の為政者(煬帝)は対等な関係にある、という主旨の文書です。 講師の方々は、これを以って、冊封体制から離脱していた証拠としておられるのでしょう。 中国の冊封体制外であるから独立した国だ、と見做しておられるのでしょう。 但し、冊封体制と独立国家との関係は如何に、ということになると議論が別れます。 特に朝鮮王朝は日本の統治下に入るまでは、冊封体制に組み込まれていましたから、話しがややこしくなります。 ベトナムという国はいつから独立国家だったのか、というとマタマタややこしくなります。 更に、室町時代に、足利義満が書いた書状は、ありゃなんじゃ、その後の日明貿易はどういう名目でやられたのか、ということになります。 中国の歴史家などは、この書状を持ち出してきます。 5・6世紀の日本は古墳時代で、倭の五王と呼ばれている時代ですが、これが、後の推古朝のような中央集権国家といえる状態だったのか。 一方中国も、北部に北魏があり、南部は南宗→斉→梁→陳と目まぐるしく変わっています。 このような政治グループごとの交流の中での称号の下賜とはどのように考えるべきか、ということになります。 検証するのにも、この時期の日本に関する史料が見当たりません。 以上がざっとした説明です。 そもそも国家とは何ぞやという言葉の定義までが絡んできます。 現在は、国家とは、国土、国民、統治機構の三つを満足するもの、とされていますが、古代にこれを当てはめることが可能なのか否かという問題があります。 大和朝廷の統治が奥州のどこまで及んでいたのか、蝦夷(北海道)はどうなるのか、ということです。 日本のように、自然発生的に出来上がり、外部からの侵略もなかった国の建国記念日なるものを決めること自体、無理があるのかもしれません。 縄文時代も立派に日本国だ、と言えば1万年やそこら遡って決める必要が出てきます。
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- tanuki4u
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国号としての日本 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC#.E5.9B.BD.E5.8F.B7 天武天皇の時代あるいは大宝律令の段階 この意味で「7世紀末ごろ」となります。 それまでの「倭」は中国サイドからみての命名です。 あるいは、倭の五王の時代は、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E3%81%AE%E4%BA%94%E7%8E%8B 梁の武帝、王朝樹立に伴い、倭王武を征東大将軍に進号する。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%A5%E9%BA%97 中国中央王朝に臣属し、高句麗侯・高句麗王・征東大将軍・営州刺史・楽浪郡公などの官職を授けられていた。 というように、中国から見れば、独立度は高い地方の部族長の一人でしか無い。
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- FEX2053
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歴史で言う「日本が出来た」のは、 1.日本全国に命令などを伝達できる仕組みが出来あがって、 それが機能している証拠となる事物(書類など)が残っている こと。 2.日本以外の国の記述に、日本が単一の政治組織のもとに 存在していることが記述されていること。 この2点が必要なんです。ですので、卑弥呼の時期や日本書紀 などの時期は、「単一の政治組織が存在することが、外国の 記録に残ってない」ので、日本が成立したとは言えないんです。 国内の記録だけだと、のちの政治組織(政府など)がいくらでも 改ざんできますからね。 ただ、戦国期の日本が果たして「単一の政治組織の元にあった か」というと疑問ですから、この定義によれば、日本は一度瓦解 している・・・とも言えますよ。
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