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中3です。国語について相談です。
自分の県では、中3は年度に7回、県実施の実力テストを受けます。 その成績なのですが、国語が安定していません。 国語は小説または随筆(文学的文章)が一題(14点満点くらい)、古典が一題(10点満点くらい) 論説文が一題(14点満点くらい)、作文が一題(8点満点)あります。 もう年度も終わりですから、そのテストもあと一回しかないのですが、 1回~4回までは順調に上がっていき、常に40点台をキープしていました。(因みに50点満点) しかし、5回目では30点台後半に落ちてしまいました。と思ったら、6回目は47点も取れました。 取れたり取れなかったりするのが凄く嫌なんです。出来るなら40点台後半で安定させたいのです。 やはり問題を解きまくるしかないのでしょうか?因みに、使っている問題集は出口の現代文です。 また、古典についてなのですが、自分は古典になれるために問題集に乗っている古典の文章を現代語訳してノートに書いています。この勉強法はどうなのでしょうか? 長文ですが、アドバイスお願いいたします。
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No.1・4です 補足を頂戴しましたので、追加で説明をさせて下さい。 >受験まで1ヶ月ちょっとしか時間がないのですが、問題集を毎日解くという方法には間違いは無いのでしょうか? 受験の直前と一般論は別です!!!! 受験の最大の敵は自信消失です。 この時期になって勉強方法を変えてもロクなことになりません。 6回の内1回30点代を取ったからと言って焦らないことです。 50点満点で30点であれば6割です。 6割取れれば間違いなく合格です。 8割も9割も取る必要はありません。 結果は合格か不合格かの二つです。6割でも9割でも同じことです。 この時期は受験生全員が焦りまくっています。 試験当日パニックになってOUTという人間は掃いて捨てるほどいます。 オリンピックで金メダルがとれるかどうかは、技術ではなく、如何に平静さを保持し続けられたかの違いです。 パソコンを閉じて、問題集を開いて下さい。
No.1です 補足を頂戴しましたので、説明させて頂きます。 >どのテストでも、9割後半を取れるようにしたいという事であります。 他の回答者の方々が国語の学力をつける要領を詳細にご説明されておられますので、具体的な方法を提案させて頂きます (1)新聞を毎日欠かさず最低1時間は読む。 経済や政治欄は馴染めないでしょうから、文芸欄や社会面から始めて下さい。 新聞記事の文章というのは、何人もの文章に熟達した人達のチェックを経て掲載されています。 無駄のない文章のお手本です。 社説は必ず読んで下さい。社内でもベテランの方が書いています。 (2)できるだけ沢山小説やエッセイを読む エッセイというのは、文章に熟達していないと書けません。 慣れ親しんでいると、自ずと文章能力が身に着きます >古典を現代語訳することの目的とは、古文解釈の力をつけることでございます。 古典も古文も、書かれたその時代の言葉で理解する必要があります。 現代語に訳してしまったのでは、古文を解釈したことにはなりません。 使われている単語の、辞書に掲載されている意味だけを理解しても、文章を理解したことにはなりません。 言葉には、ニアンスというものがあります。 「行間を読む」「言外の意を知る」ということを聞かれたことはありませんか? 以上を総括しますと、国語の点数がバラツクのは、読み書きしている言葉について、辞書に書かれている個々の意味を理解しているだけのレベルに留まっているためです。 言葉というものは、使う場所、使う時、使う人、によってニアンスが変わります。 「読書百篇自ずから意通ず」と言われるように、個々の単語の意味を知らなくても、繰り返し読んでいると、自然に文章全体が伝えようとしていることを読み取れるようになります。 このような力を身に着ける為には、慣れ親しむ以外に方法はありません。 ○がついたOK、×がついたOUT、点数が取れた良かった、では国語の力は永久に着きません。 蛇足 ございます、ます、を同一文章に混用するのを駄文悪文と言います。 語調は揃えて書く癖をつけて下さい。 当サイトのような公の場での丁寧語の乱用は、他人に不快感を与えるだけですのでご注意下さい。 第三者も読まれていることを御理解願います。
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全体の平均点がやや気になります。 80点90点取る人なら10点程度の差は気になりません。 >自分は古典になれるために問題集に乗っている古典の文章を現代語訳してノートに書いています。 ノートに書く?私の判断では最低、書き方の練習にもなりません、また訳さないと理解できません、訳さずに理解できるようになるのが最善なんですけど、書くことに大きく時間取られますね。 昔英語でそれをやって、教室で先生に怒られた人がいました。 つまり、前日の予習?英文を書き写し、その下に日本語訳を記入、授業で当てられると、教科書を見ず、ノートを見て読み上げる。 思い出します。 「いまわのきわ」山上億良の「おくららは、いまはまからむ、みまからむ」を連想して死の直前と理解したことを、実は、忌のきわ、忌まわしいことのきわ、だから死の直前だったりして。
お礼
御回答感謝致します。 学校側が偏差値を出してくれないのですが、順位で言えば毎回十番以内には入っています。(集団のレベルが説明できないのでどうにもなりませんが... 古典の訳はあまり役に立たないのですね。残念ですが... 有難う御座いました。
現代文について説明させていただきます。 結論から言いますと、必要なのは入試国語頻出の背景知識です。 よって、勉強法は以下のようになります。 (1)過去問があるなら過去問、なければ同レベルの問題を用意します。ただし、必ずちゃんとした解説がついているものです。 (2)その文章を読み、自分の言葉でその内容が説明できる程度には繰り返し読んで理解します。 (3)ちゃんと理解できているかのチェックのため問題を解き、解説を読み、なぜそうなるのか説明できる程度には理解します。 (4)上記を一日大問1つでもいいので毎日繰り返します。他科目とのペースを考えて小問数個というのもアリです。 ※以下に書いてあることを頭に入れて上記をやるとより効果は高くなります。 理由について説明します。 国語において点数が上下する最大の理由は何だと思いますか? それは、入試国語頻出の背景知識量です。 背景知識というのは、その文章を理解する上でサポートとなる知識です。 言葉の知識もそうですが、自然がテーマなら自然についてどれだけ知っているか、どんな意見があるかなども含みます。 私達が文章を読むとき、私達の脳は勝手に自分の知っている知識と結びつけながら読み、理解しようとします。 ですから、よく知っているテーマや内容であれば理解は簡単ですし、逆によく知らないものだと理解に時間がかかるのです。 お友達にサッカーは好きだけど科学は大嫌いなんて人はいますか? 彼は、サッカーがテーマの文章ならば容易にその状況を想像できるでしょうし、プレイヤーあるいは観客の心理についても考えやすいはずです。 ですが、科学がテーマの文章だとどうでしょうか? どんなに読んでもイメージすらわかないでしょう。それに関する設問を解くなんて夢のまた夢です。というよりも文章を読むのを諦めるでしょう。 別の例で言うと、学校や塾の国語の先生はどんな文章も理解できると思っていませんか? 彼らは入試国語は満点が取れますが、科学論文を読まされても完全には理解はできません。 知らないことが多すぎるからですね。 背景知識をインプットするのは良いとして、いったいどれだけインプットすればいいんだよという話になりますね。 世界中全ての書物でしょうか? もちろん違います。 そこが入試国語の肝です。 入試国語では出題される文章のテーマや内容に限りがあることはご存知でしょうか? 質問者様は中学生ですよね? であれば尚更なのですが、たとえば入試国語では人を殺してもOKとか、日本の国家戦略とかそんなのは出てきません。 というのも入試国語というのはその学校や教育委員会が受験生たちに理解していてほしい、あるいは知っていてほしいものが出題されるのです。 さっき挙げたものであれば、前者は非道徳的ですからOUTですね。 後者は内容が学者が議論するレベルですからOUTですね。 そう考えて今まで読んだ入試国語の文章を読み返してもらうと、意外と内容が似通っていたりします。 特に自分が解ける文章、あるいは解けない文章には必ず共通点があるはずです。 自分にどんな背景知識が足りてないか分かれば、後はやることは単純です。 そのテーマの入試国語の問題を読み、理解し、その背景知識を覚えてしまえばいいのです。 そして理解しているかのチェックには「自分の言葉で説明する」のが最もわかりやすいです。 自分の言葉で説明できれば理解できているでしょう。 ただし、英単語の暗記ではないですから、完璧を目指す必要はありません。 話の流れが説明できればOKです。 勉強法という抽象的な話なのでわかりにかったかもしれないですがいかがでしょうか? 長々と話しましたが、学生である内にやる勉強のほぼ全ては知識勝負です。 数学だろうが英語だろうが国語だろうが関係ありません。 質問者様がおっしゃっていた「やはり問題を解きまくるしかないのでしょうか?」はある意味では正しいです。 ただ、1つの問題をとってもそこにある情報量は他科目に比べ膨大なので、ただ漫然とダラダラ解きまくっても何の意味はないのです。 この文章を頭に叩き込むぞ、というつもりでやることに意味があります。 学生である内は天才ではなく秀才が勝つようにできています。 そして秀才はとにかく知識をインプットするのです。 がんばってください。 ちなみに、小さい頃から読書をしていると国語が得意になりやすいのは、頭が良くなるとかではなく、知識量が増えるからとか文字の処理能力、まあ文章慣れとかが大きな理由です。 読書嫌いでも国語が出来る人はいっぱいいますしね。
ご質問された主旨が良く理解できません。 年度に7回テストがあって既に6回まで終わっている。 6回の内1回だけ30点台で、後の5回は40点台だった。 残りは1回だけ。 この様な状況下で >取れたり取れなかったりするのが凄く嫌なんです。出来るなら40点台後半で安定させたいのです。 既に6回のテストが終了してしまっているにもかかわず「安定化」とはどのような状況をお考えでしょうか? 終わってしまっているテストの成績をどのようにして「安定化」させるお積りでしょうか? 補足でご説明願います。 >自分は古典になれるために問題集に乗っている古典の文章を現代語訳してノートに書いています。この勉強法はどうなのでしょうか? 「古典になれる」ということをどのようなこととお考えでしょうか? 古典の文章になれるのであれば、現代語訳をいくら書いても意味がないのではありませんか? ただ、現代語の文章を書く練習をされているだけではありませんか? なぜ、現代語訳をセッセと書いておられるのか、その目的を教えて下さい。 どのような効果があると期待されたのでしょうか? 蛇足 中国地方にお住まいでしょうか? 一人称や二人称を自分と表現するのは方言です。 「自分の県」ではなく「私が住んでいる県」と書く癖をつけて下さい。 県はあなたの私有物ではありません。 「問題集に乗っている」では問題集という本の上に、自転車に乗るように、乗っていることになります。 掲載されていることを意味されるのであれば「問題集に載っている」です。
補足
説明不足だったことをお詫び申し上げます。 つまり、安定化というのはこれから高校でのテストも視野に入れてという事でございます。どのテストでも、9割後半を取れるようにしたいという事であります。 古典を現代語訳することの目的とは、古文解釈の力をつけることでございます。「この文は結局こういう事を言っているのか」というあらかたの主旨をつかむ練習というわけであります。 残念ながら四国地方に住むものでございます。何せ世間知らずのど阿呆でございますから日本語すら碌に書けないのであります。お許し下さい。
お礼
二度にわたるご親切な回答に感謝致します。 やはり現代文においても古典においても、文章を読みまくって慣れる事が大事なのですね。ありがとうございました。 どうも敬語というのはよく分からないものですねぇ、まだまだ日本語を上手く使えてないようです。蛇足なんてとんでもありません、非常にありがたく思います。
補足
最後に一つだけお聞きしたいのです。 受験まで1ヶ月ちょっとしか時間がないのですが、問題集を毎日解くという方法には間違いは無いのでしょうか? 貴方の意見を是非教えて下さい。