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日本人は統合を選ぶのか、それとも同化を強制するのか
・「多様性」の時代をむかえた日本社会において、日本人はさまざまなバックグラウンドをもつ人々の「統合」を目指すのでしょうか、あるいは、「単一民族」という<神話>を前提とした「同化の強制」を目指すのでしょうか? 日本国憲法の第1条には、このようなことが書かれています。 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」 この文章には、「日本国民統合の象徴」という言葉が使われています。「多様化」がさらに進んだ現代の日本社会においては、さまざまなバックグラウンドをもつ人々の「連携」が必要とされています。そして、「連携」のためには、おたがいのアイデンティティを「尊重」しあうことが重要とされます。 「連携」のために奔走する日本人がいる一方で、ここ最近の<右傾化>の影響などから、「同化の強制」を強調する日本人少なくありません。さまざまなバックグラウンドをもつ人々のアイデンティティを尊重することよりも、「単一民族」にかかわる諸言説にもとづいた<同化>を強制することこそ、社会正義にのっとったことであると信じて疑わない日本人がいます。
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- blackhill224
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回答No.1
同化と対比されるのは(異文化)共生でしょう。統合というのは、同化と共生を含む上位概念なので、統合と同化の2択はあまり意味がないのでは。 右翼の主張は同化ではなく排除ですから、もともと統合とは無縁だと思われます。
お礼
コメントありがとうございます。 統合と同化の「違い」については、さまざまな議論があると思います。そして、統合を同化と「ほぼ同一のもの」と受けとめる人々もいると思います。 日本社会の現状を考え、まずは統合の「概念」について、どのような考えかたを日本人がしているのか、統合という言葉をどのように受けとめているのかを、質問しました。 これからの日本社会においては、多文化の共生が重要になることは明々白々ですが、その一方で、多文化そのものを否定したがる日本人は、少なくありません。 さらには、右派による多様性の「排除」の動きも、非常に気になるものです。このような「排除」の動きは、外国に「つながり」をもつ立場としては、脅威であると同時に、何をすれば、「解決」するのか、悩むところです。