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奇襲? 知っていた? 真珠湾攻撃

真珠湾攻撃で事前にアメリカが知っていたかどうか、意見が分かれるところですが、 そもそも日本をでて2週間アメリカに発見されずに、移動する事自体無理だと思いますがどうでしょうか? 軍関係以外でも、貨物船、漁船、沢山いたでしょうに。

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  • DieMeute
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回答No.15

>そもそも日本をでて2週間アメリカに発見されずに、移動する事自体無理だと思いますがどうでしょうか? ●回答・・・可能でした。 南雲機動部隊以前に「大洋丸」という船が他国の船に1隻も遭遇する事なく日本からハワイ近海まで航行しています。 日本海軍も質問者さまの仰るような、 >軍関係以外でも、貨物船、漁船、沢山いたでしょうに。 について懸念を抱いていました。 そのため、船の往来が最も少ないだろうと思われる海の荒れる北方を航路に選びます。 そして、南雲機動部隊が出撃する約一ヶ月前に航路の事前調査も行われました。 これはハワイ在住の日本人と日本在住の米国人を交換輸送する事になった貨客船「大洋丸」がハワイに行く予定だったので、この船に海軍士官三人を船員に仕立てて乗せ、船の航路も南雲機動部隊が航行する予定付近の航路を進ませ、他の船との遭遇状況、洋上での燃料補給が可能かどうか、航路上の気象や海象の状況を調べさせました。 この時、「大洋丸」はハワイ北方200浬の地点で米軍哨戒機に発見されるまで1隻の船にも遭遇しませんでした。これにより日本海軍では、南雲機動部隊によるハワイ奇襲の可能性について自信を強めます。 なお、「大洋丸」の航行では海上はシケていて強い風が吹き船体は10度も傾いたそうです。 そうした気象・海象条件の悪さがやはり、北太平洋の船の航行を少なくしていたのでしょう。 また、米本土の日本領事館から米本土を出航する船舶の情報が日本海軍に送られており、これも南雲機動部隊に伝えられていました。 そうした事から、南雲機動部隊は殆ど他国の船舶に遭遇する事なくハワイ近海にまで進出できました。 ただ、12月6日に南雲機動部隊において船舶を一度視認したという記録がありますが、相手が南雲機動部隊を視認したかは不明で、この船が無電を使った形跡も無かったそうです。この船がサンフランシスコから出航したソ連の船だったという説もあるようですが、出航した日、速度、距離を考えて、その説を否定する人もいて詳細は不明です。 >奇襲? 知っていた? 真珠湾攻撃 ●回答・・・米国は知らなかったと考えるのが妥当だと思います。 まず、日本の暗号についてですが、 日本の外務省の暗号は開戦前に米国に解読されていました。 ただし、外務省は日本海軍が真珠湾を奇襲する事を知りませんでしたから、外務省の暗号を解読したからと言って、真珠湾攻撃をそこから知りえる事はできないと思います。 実際、歴史家で防衛大学講師をも務める秦郁彦氏が米国において日本外務省の解読された暗号文ファイルを調査していますが、そこには真珠湾攻撃のヒントになる材料さえ見つからなかったそうです。 日本海軍が使用していたJN-25b暗号ですが、これはこれまで1942年春頃まで米国には解読されていなかったという定説がありましたが、2年ほど前に新説がでました。 戦史研究家の原勝洋氏が米国立公文書館において、日本海軍の暗号方式が真珠湾攻撃の前に解読されていたという文書を発見、公表しています。 ただし、暗号方式を解読し暗号文が解読できるようになったものの、当時はドイツの情報収集に忙しく、日本海軍の暗号解読に十分にな人員をあてる事ができなかったようです。米国の文書には、十分な人員さえあれば真珠湾は奇襲にならなかったろうとあるそうです。 つまり、暗号は解読できるようになったものの人員不足で暗号文を全て解読する事はできず、真珠湾奇襲を許してしまったという事です。 これを裏付けるものとしては既に90年代に米国立公文書館で発見されている日本海軍の解読された暗号文があります。 一例を挙げると真珠湾奇襲の20日前に米国に傍受された日本海軍の暗号文が、戦後の1946年4月になって解読されている文書が発見されています。 開戦後、開戦前に解読できなかった日本海軍の暗号は一時棚上げされ、米国では新たに傍受した日本海軍の暗号解読に力を注ぎました。そして棚上げされていた暗号文は戦後になってから解読されました。そうした暗号文が多数、米国立公文書館で発見されています。 つまり、2年前の新説登場は、米国が真珠湾奇襲を知らなかった事を裏付ける新たな材料となります。 英国情報部が日本海軍の暗号を解読していたという説もありますが・・・。 歴史家のラスブリッシャーという人物が、大戦中、英国軍情報部の暗号解読機関に勤務していたネイヴという人物との共著で出した本なのですが・・・日本の歴史家、今野勉氏が、このネイヴという人に実際に会って取材すると、ラスブリリッシャーには色々話したけれど暗号を解読した話など知らないと言われたそうです。ラスブリッシャーに話を聞くと、言葉を濁すと・・・売名か、本の売り上げ伸ばすために偽ったのか、非常に真偽の怪しい話です。 ○日本の暗号が事前に解読され真珠湾奇襲を米国が知っていたという可能性は非常に低いでしょう。 また、ルーズベルト大統領が知っていて日本軍にわざと真珠湾を奇襲させたという事もないと思います。 何故なら、ハル・ノートが日本に渡された後に、ワシントンからハワイに警報が出されているからです。 ハル・ノートを日本側に渡した翌日の11月27日に、米海軍のスターク海軍作戦部長は、ハワイのキンメル太平洋艦隊司令官にあてて警報を発しています。「本電を戦争の警報とみなせ。日米交渉は終わりを告げ、日本の攻撃的行動がここ数日中に予想される。・・・」と。 米陸軍のマーシャル陸軍参謀総長も同じ11月27日に、ハワイのショート陸軍部隊司令官に警報を発しています。「日米交渉は日本政府から継続の申し入れが無い限り終わったように思われる。日本の今後の行動は予測できないが、すぐにも敵対行動が始まる可能性がある。・・・」と。 ○日本軍にハワイを奇襲させたいのなら、このような警報は出さないでしょう。 では何故、ハワイが奇襲を許したかというと・・・、 ワシントンから警報を受けとったハワイでは、その日のうちに陸海軍合同の幹部会議が開かれます。 しかし、そこでの判断は日本軍によるハワイ攻撃はありえないと判断するものでした。 ハワイ周辺の哨戒については平日は行われましたが、日曜日は、殆どの哨戒機を整備とパイロットの休日にあてていました。 そして、ハワイの現地時間で12月7日の日曜日に、日本軍による真珠湾奇襲を受けます。 このハワイに奇襲を受けた事について米国は原因を究明するために調査委員会を設置しますが、キンメル太平洋艦隊司令官とショート陸軍部隊司令官に誤りがあったと結論が出ました。 警報を受け取っていたにも関わらず、警戒を強化するどころか日本軍を侮って奇襲を受けたキンメル、ショートの両人は、大きな判断ミスをしたと言えるでしょうし、両人が責任をとらされ解任されたのも当然かと思います。 ちなみにキンメル太平洋艦隊司令官は「私はあのような遠距離の渡洋作戦は無理だと思った。日本の空母は足が短い。ハワイを奇襲する事など不可能に近い。だから真珠湾攻撃の結果と方法を見た時、目を疑ったものだ」と言っています。 太平洋艦隊作戦参謀だったマクモリス大佐は「我々、米海軍自身が日本本土に対して効果的な渡洋奇襲を決行できるとは思えないから、日本ができるわけがないと考えた」と言っています。 ○米国の太平洋艦隊司令官とその作戦参謀は日本の空母部隊による渡洋攻撃はありえないと判断し、日本を侮り油断していた・・・それが真珠湾奇襲の成功に繋がりました。ルーズベルトのおかげではありません。 △ただ、ルーズベルト大統領が日本に最初の一発を撃たせようとしていたのは事実であり、それなりの策を弄していたとは考えられます。 それがルーズベルト大統領がフィリピンのアジア艦隊司令官トーマス・ハート提督へ出した命令です。 12月2日、ルーズベルト大統領はハート提督に3隻の小型船に武装を施し、その各艦に米国人士官1人と他はフィリピン人からなる乗組員を乗せ、タイ、仏印沖に偵察に出すよう命令を出しています。 イザベラ号、ラニカイ号、モーリームーア号の3隻ですが、偵察なら飛行機で十分なのに、なぜわざわざ小型船なのか?しかも乗組員の構成まで指定して? これについては、ルーズベルト大統領の策謀であり、この小型船を日本軍に攻撃、撃沈させ、それを口実に日本との戦争に突入する気だったのではないかという説があります。それを否定する材料は今のところ発見されていません。 米国人の犠牲を最小限に、米国資産の被害を最小限にしつつ、日本からの攻撃を受け被害を出すための、開戦の口実としての囮としての3隻だったのではないかというわけです。 ○ルーズベルト大統領は真珠湾奇襲作戦を知らなかったからこそ、こうした囮船を使おうとした可能性があります。12月2日と言えば、既に南雲機動部隊は既にハワイに向け航行しているのです。 なお、米空母がハワイにいなかった理由ですが、空母サラトガは本土で修理中、空母レキシントンはミッドウェー島へ飛行機を輸送中、空母エンタープライズもウェーキ島に飛行機を輸送中でした。 ミッドゥエー島、ウェーキ島はハワイから日本に向けて前線基地の役割を果たし、また日本と開戦になった場合、両島が日本軍に攻撃される可能性が以前よりあるとされていました。そのため航空兵力強化のため空母が飛行機の輸送任務についていました。 ■前述した日本の暗号の状況、ハワイが奇襲を許した事情、ルーズベルト大統領がフィリピンから囮船らしき船を出す命令を出していた事実、こうした事を勘案すると、米国は真珠湾奇襲を知らなかったと考えるのが妥当かと思います。

  • k16399638
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回答No.14

当時の一般船舶にレーダーは搭載されていません。そして、12月の北海道北端より北の太平洋は、非常に荒れた航路です。 日本側は途中、タンカーから給油を受けることが、作戦を成功させる絶対条件でしたが、そのタンカーと無事にランデブーできるかどうか非常に気にしていました。日本近海は世界的にも荒い海ですが、それに慣れた立場の日本海軍をもってしても困難な海域を通って行ったのです。 なので、艦隊の存在を察知し、艦隊の存在を通報するような船舶そのものがいません。航行する必要のない海域だからです。 また、ここが重要ですが、何かが日本艦隊を発見したとしても、まだ戦争状態でもないのに、だれがどこに通報する必要があるのかという問題に、みなさん気づいておられません。で、艦隊は第三国船舶と実際に遭遇しています(ソ連船舶の可能性が指摘されています)。無電を打ったりしなかったので、日本側は当初計画のとおりに航行し続けました。 なので、北方航路で日本艦隊が発見され、アメリカが全てを知っていた、ということは、非常に無理のある話でしょう。 次に、日本の暗号解読に成功したから知っていた、という説ですが、外務省暗号は確かにアメリカ、解読していました。しかし、海軍のD暗号は解読していません。そして、日本の外務省は真珠湾作戦のことを、全く知らされていません。 さらに、日本側は真珠湾作戦について具体的内容を無電で流すようなこともしていません。作戦に関する命令、特に出撃命令は書類で手渡しで艦隊に交付され、赤城の金庫にしまわれていました。アメリカ側が知るのはむずかしいでしょう。 もちろん、日本側は本土から多くの無線をこの時期も放っています。ただ、これらの無電で艦隊に関係することは、放送系といわれる、流しっぱなしで聞くだけのもので、アメリカ側が受信することも考えた上で流されています。 有名な、新高山登レ一二〇八、も放送系無電で、艦隊は聞くだけです。しかも内容は「X日を12月8日午前0時と定める」というだけで、ここが重要なのですが、艦隊と日本本国が「新高山登レ」の意味を互いに前もってうちあわせて知っているから成立する電文です。第三者が解読したとしても、意味が通じません。 艦隊が真珠湾に向かう途中で、電波のやりとりからアメリカに企図を察知された、というのも考えがたい話なのです。 さらに、日本側は日本の空母が日本近海にいるように思わせる、偽電工作をしており、アメリカは日本空母が西日本から九州南部方面の海域にいると思っていました。 あと、一番重要なことですが、アメリカが知っていて、日本に先手をわざととらせた、という「アメリカの」陰謀が成立するには、日本が確実に北太平洋をこえてハワイ近海に空母をすすめ、航空機を予定通りに事故なく発進させてくれなくてはなりません。 つまり、何かの都合で日本側が「やめた」となった瞬間、陰謀は成立しなくなってしまうので、アメリカの指導部が事前に知っていた、という論は、今日では否定的にとらえられています。 それに、真珠湾奇襲の1時間半前に、日本の陸軍がマレーのコタバルに上陸してシンガポール攻略作戦をはじめています。 この陸軍を輸送していたコンヴォイは、真珠湾の3日前、12月5日には連合国に発見されていました。 「X日を12月8日午前0時と定める」という暗号は、陸軍では「ヒノデハヤマガタ」というものでした。 で、連合国はコンヴォイがシャムに向かっていると判断し、放置していました。 日本の作戦開始についてよく知っているアメリカが、さかのぼること3月に武器貸与法によって武器援助していた英国に、何も伝えない、というのもヘンです。というか、これが英国戦艦2隻の喪失と、極東の拠点であるシンガポール失陥となるのですから、もしアメリカが「知っていた」ことが英国にバレたら、英国の立場がありません。 アメリカは知らなかったし、気づかなかったのです。ただ、だれかが個人レベルで知っていた、気づいていた可能性はゼロではないでしょう。しかし、国としてはやはり、知らなかったし、気づかなかったのです。 以下蛇足 1944年6月に連合軍がノルマンディーに上陸し、ナチス・ドイツの負けが決定的になります。このオーバー・ロード作戦を秘匿するために連合国は非常に苦労しました が、ある米軍将校が上官に 「われわれは6月上旬に、ノルマンディーに上陸する計画たてているのでしょうか?」 と聞いて、騒動になりました。その将校は新聞の記事と、自分が接している電報の内容、長期気象予報、そして噂から推測し、結論をだしたそうです。 そういう人も世にはいるわけですね。

  • zep19
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回答No.13

はじめまして アメリカは日本が本気で武力行使に出るとは考えていなかったと思われます 日本に対しては軍縮条約で足枷し、それでも足りぬなら種々の経済的制裁で事足りると考えてみたいです 実際、アメリカの工作機械の対日輸出禁止により日本の重工業は大ダメージを受けましたから 日本の戦前の重工業、特に機械工業はアメリカの工作機械等中間財に全面的に頼ってました 90年代の韓国自動車工業が日本の中間財、パーツに頼っていたのと同じです エンジンの高出力ピストンは工作機械でなければ大量生産や高精度、高品質な物は生産できません 日本はそれを熟練工のヤスリがけで、つまりハンドメイドで生産しようとして失敗するのです 高橋和夫氏が指摘していらしゃるようにアメリカが想定していたのは対独戦です ナチスが欧州を武力統一しスーパーパワーになるのを恐れていました 一方、対日では フィリピンにアメリカは軽戦車2個大隊を配備していましたが 実弾がアメリカ本土から配備されたのはいつだと思われますか? 1941年12月初旬、開戦直前です 日本軍はハワイ奇襲後、ウェーク島を攻撃しましたが そこにいたウェーク島の部隊は基地業務を行う部隊で歩兵訓練も殆んど受けておらず、小銃も旧式でした しかし空母、巡洋艦など圧倒的戦力、物量で攻撃してきた日本軍に対し 米軍は貧弱な部隊とたった2機の戦闘機で善戦し 日本側は海軍陸戦隊2個中隊を壊滅させられ、2隻の駆逐艦も撃沈されました つまりアメリカ人の純粋な国防意識以外、対日には何の準備もしていませんでした 現代の北朝鮮同様、戦前の日本は何を仕出かすかわからない国であるが 経済的制裁でどうにかなると考えていた ただ実際の経済的現状を無視する日本の軍部の狂気的な無謀さは当時のアメリカの想定外だったということです

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.12

acdcacdc73 さん、こんにちわ。 アメリカ海軍の通信傍受部隊もそれらしい前兆の暗号通信文を傍受したそうです。海軍省に報告したのですが、どうやら握りつぶされたようですね。私もたぶん無理だと思います。 また、真珠湾の手前でアメリカの駆逐艦が日本の潜水艦と思しきものに爆雷攻撃をかけた事件もありました。これだけ怪しいことが起きると真珠湾でも警戒するのがふつうでしょうが、なぜか警戒していませんでした。 幸か不幸かアメリカの空母3隻は演習中でいませんでした。アメリカが本格的に空母運用を考えるのは真珠湾攻撃の後です。なんていったって戦艦が全部使い物にならなくなったからです。

  • Sasakik
  • ベストアンサー率34% (1695/4880)
回答No.11

アメリカの孤立主義の世論を転換させ、第2次世界大戦に参戦さるために、日本に奇襲攻撃をさせる必要があった と言われてますね。 で、日本に奇襲攻撃を成功させるためには、”知らなかったふり”をする必要があったわけで・・・ イギリスが真珠湾攻撃に関する暗号を傍受・解読していたと言う説がある。 更に、イギリスは、真珠湾攻撃に向かうために単冠湾に集結した帝国海軍機動艦隊を発見したオランダ海軍の潜水艦からの極秘通報を握りつぶしたうえ、情報漏れを防ぐために、諜報部員を送り、乗組員もろとも潜水艦を沈めた との説もある。 一部で有名な話しだけど、オランダ海軍潜水艦に爆弾入りのクリスマスプレゼントを持って行ったのは、安全保障調整局所属のフレミング大尉(後に作家になり、007シリーズのヒット作を生んだイアン・フレミング)で、戦後、公式に、オランダ女王に対しエリザベス女王から謝罪があったそうな・・・

回答No.10

アメリカはもちろん事前に日本が真珠湾を攻撃することは知ってました しかしアメリカは日本は南太平洋から来ると予想して主力部隊を南洋海上に展開させていました 当時は12月 北方のアリューシャン海域は霧と寒さでまともに船は動かせないとアメリカ側は見ていたようです 日本はそれを逆手に取ったわけです で北方海域から進入して真珠湾を攻撃 しかし前述のように主力空母艦隊は南洋に出ていたため真珠湾にはおらず 結局日本は米機動部隊の主力にダメージを与えることは出来なかったのです 進軍途中で貨物船や漁船に会わなかったのはただ運が良かっただけです もちろん日本の海域では遠洋漁業の漁船などに真珠湾へ向かう連合艦隊の様子が目撃されています しかし米海域に入って見つからなかったのは本当に運が良かった と言うしかないでしょう たまたまだったと思います

  • Yelm
  • ベストアンサー率19% (63/324)
回答No.9

戦後に公表された資料では確かに米側には「日本が真珠湾を攻撃する」という情報が入っていました。 そしてそれだけを見ると米国は真珠湾攻撃を知っていたと言う事になるわけですが、同時に「日本軍が米西海岸に奇襲上陸する」「日系人が暴動を起こす」などなど無数のデマ情報も入っているのです。 つまり「真珠湾攻撃」の情報はそのような無数のデマの中に埋もれてしまったのです。 大戦末期にナチスドイツ軍が最期に行った大攻勢である「ラインの守り作戦(いわゆる「バルジの戦い」)」について連合軍でも色々な情報から「ドイツ軍の大攻勢が近い」という警告を発した人間はいましたが、連合軍上層部は「今のドイツ軍にそんな攻勢に出る余力があるはずが無い」という先入観に捕らわれて、その貴重な警告を握りつぶしてしまったこともあります。 情報というものは入手する事も大事ですが、その入手した情報を取捨選択し有益な情報を探り出し、それを実際に活かすのは極めて難しい事であり、真珠湾攻撃もその一つの先例に過ぎないといえます。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.8

現実には、この手の情報は無数にある訳です。 事実、漁師などが目撃した、という数多くの 情報が米国政府にもたらされております。 それを一つ一つ調査確認するのは、実際には 困難です。 全く気がつかなかったというのは確かに不自然ですが、 そういう意味で気がつかなかったということは あり得ることです。 尚、相手を挑発し、先に手を出させて民意を煽り それから戦争を始める、というのは米国得意の 常套手段でもあります。 米国は大衆民主制の国ですから、国民を煽らないと 戦争が出来ない国です。 ○例えばです。 旧くは、テキサス独立戦争があります。 あそこではアラモの砦が全滅して、それで国民に 火がつきました。 スペインとの戦争では、米国の艦船メイン号が 謎の沈没を遂げ、これがスペインの仕業だという ことになり、戦争のきっかけになりました。 米国は後になってあれは事故だった、と公表して いますが、怪しいですな。 フイリピンとの戦争では、米国軍配下のフイリピン人が 殺害されたのがきっかけとなり これで米国は60万のフイリピン人を殺害しています。 第一次大戦では米国船ルシタニア号がドイツの 潜水艦に沈没させられたのが、参戦の理由の一つに なっています。 第二次大戦では、真珠湾攻撃です。 31代大統領フーバーは、ルーズベルトはあの攻撃を 知っていた、という書見を残しています。 ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。 1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の哨戒艇がアメリカ海軍の 駆逐艦に2発の魚雷を発射したとされる事件です。 これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが 後になって、これが米国のやらせであったことが判明しました。 リビア爆撃 (1986年)もまだ記憶に新しいです。 1985年12月にウィーンとローマの空港で爆破事件が起こり、翌1月にアメリカは リビアが事件の背後にあるとして、リビアに対する爆撃を行いました。 湾岸戦争 1990年 1,1990年7月25日にイラクがクウェートの併合を示唆した際、アメリカの駐イラク特命全権大使 のエイプリル・グラスピーは「国境問題に介入するつもりはない」と発言。 これを信じたフセインはクエートを侵略したが多国籍軍に撃退されました。 イラクは約束が違う、と騒ぎましたが、米国はそんな覚えはないととぼけました。 しかし、それ以降、当事者であるグラスピーは公の場には一切姿をみせなくなりました。 2,1990年10月、クウェートの少女がアメリカ議会において、クウェート市内のイラク兵が 病院で乳児を保育器から出し床にたたきつけたなどと涙ながらに惨状を証言。 戦争に疑問を抱いていたアメリカ世論は一挙に反イラク色に染まったが、 後に少女は駐米クウェート大使の娘で、現場にさえおらず、証言は虚偽であった事が発覚した。 さらにその後、その殺害された乳児を埋葬したと主張するクウェート人医師も証言を行ったが、 こちらも同様に虚偽であった。 クウェートが占領された後の話で、戦争勃発原因とは関係ないが、アメリカの世論を反イラクに傾けることになった。 911とイラク戦争、アフガン戦争との関連も噂されています。 なぜなら、911発生前にアフガン侵攻が計画されていたことが 英国BBCの調査で判明したからです。

  • rokometto
  • ベストアンサー率14% (853/5988)
回答No.7

暗号は全部解読されていたから知ってたはずですよ。 しかし勝てば官軍、ぜんぶアメリカの都合のいいように歴史は作られます。

  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.6

まあ、アメリカ軍の真珠湾攻撃直前の対応を見ていれば、アメリカは真珠湾攻撃を知っていたし、その情報をわざと真珠湾のアメリカの部隊に知らせず、日本軍の奇襲を成功させたということのようです。 ただし、アメリカは虎の子ともいえる空母は、しっかりと湾外に逃がしていましたね。

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