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GHQ廃止後、日本がアメリカで取った特許。

GHQが廃止されるまで、敗戦後の日本はアメリカに特許を申請できなかったのですか。 戦争中は当然、他国に特許の出願などできませんから、日本は発明・発見を特許で守ることができず、莫大な損失を被ったことになると思います。 GHQ廃止後のなるべく早い時期(1950年代)に、日本がアメリカで得た特許の代表的な例を教えて下さい。 よろしくお願いします。

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  • dayone
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回答No.1

前回御質問では(訂正を含め)中途半端な投稿で終わり大変失礼致しました。 逆に寺請状の実例をお教えいただきまして、御陰様で大変勉強になりました。 誠にありがとうございます^^ 今回は世間ではそれを「シラミツブシ」と呼ぶ方法によりまして、 時期の一つの目安のとして、 サンフランシスコ講和条約発効(1952年4月28日)の前後頃から、 連合国人工業所有権戦後措置令施行(1949年9月1日)に伴い、 同時に工業所有権戦時法が廃止された約2年8ヵ月の期間を遡ることから 開始したいと思いますが…現在継続と休止の繰り返し… 僅か2年8ヵ月と申しましても、膨大な量のため、 残念ながら今回も現時点では中途半端な投稿に過ぎませんので、 (追加投稿に至るか否かは?ですが) あくまでも情報の一部と捉えていただければ幸いですm(_"_)m >GHQが廃止されるまで、敗戦後の日本はアメリカに特許を申請できなかったのですか。 いわゆるサンフランシスコ講和条約調印日=1951年9月8日、 発効日=1952年4月28日=GHQ占領終了の頃を目安にキヤノンのレンズなどを Google Patent 検索にて確認してみますと… http://www.google.com/advanced_patent_search (なお、日本では特許と実用新案とは区別されていますが、 米国では全て特許に包含されているようです。) 米国特許の通し番号[Patent]US2645973、US2645974、US2645975 など下記3例では 何れもサンフランシスコ講和条約調印以前の1951年6月29日に米国特許出願、 サンフランシスコ講和条約発効後の1953年7月21日公開=米国特許取得に至ったようです。 〇High aperture four component objective of the gauss type ガウス型高開4コンポーネント http://www.google.com/patents/US2645973 http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=en&u=http://www.google.com/patents/US2645973&prev=/search%3Fq%3DUS2645973%26biw%3D1366%26bih%3D580 〇High aperture wide angle six element gauss type objective lens system 高開口広角6素子ガウス型対物レンズ http://www.google.com/patents/US2645974 http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=en&u=http://www.google.com/patents/US2645974&prev=/search%3Fq%3DUS2645974%26biw%3D1366%26bih%3D580 〇High aperture wide angle four component gauss type objective 高開口広角4コンポーネントガウス型対物レンズ http://www.google.com/patents/US2645975 http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=en&u=http://www.google.com/patents/US2645975&prev=/search%3Fq%3DUS2645975%26biw%3D1366%26bih%3D580 1950年代の内に米国特許取得に至ったキャノン関連では、ほかにも [Patent]US2826117、US2826118、US2836103、US2854890、US2874558、US2888867、 US2896500、US2906469 などがありますが、何れも前記3例より後の事例につき省略。 さて、単純にGoogle検索欄に[US2645973]または[patent US2645973]と打ち込みクリック、 通常1番目ヒット分をクリックして発明者、出願人の確認、 次に検索欄数字を一つ減らしての繰り返しの地道な作業ではありますが、 ここまで来て個人参戦の「シラミツブシ」作戦に少し限界を感じ始めております(><) ならば「Google Patent 検索」にて http://www.google.com/advanced_patent_search キーワード検索や年月の期間指定等を上手く使えばとの 御指摘もあるかとは思いますが、残念ながら初心者ゆえ上手く遣いこなせません(><) 以上 現時点で明らかなのは、サンフランシスコ講和条約調印以前の1951年6月29日に 米国特許出願が可能であった事だけです。 米国特許取得がサンフランシスコ講和条約発効後なのが、 たまたまの審査期間なのか否かはハッキリしません。 相互主義(相手国が与える相当の保証・給付や、同種の行為の程度に応じて等価の 権利・利益の許与、義務・負担の引受けを保証する関係に立つこと)の観点で捉えますと、 工業所有権戦時法が廃止された1949年9月1日からであれば日本から米国特許の出願・取得が 可能とも考えられますが、現時点では推測の域を出ません。 その推論を検証するためには、「サンフランシスコ講和条約発効(1952年4月28日)」の前後、 [US2594271](公開日1952年4月29日)と[US2594270](公開日1952年4月22日)が分岐点なので、 [US2594270]より少ない数字の通し番号の中に日本人・日本法人などを見出せれば 一歩前進なのですが… あと、気になるネタとしましては、 〇BRIDGESTONE>会社情報>歴史>ブリヂストン物語 第3章 第二次世界大戦下の経営と戦後経営の基盤 第3節 敗戦による混乱と戦後の新体制 第1話 戦争による被害と生産再開 自転車産業への進出 http://www.bridgestone.co.jp/corporate/history/story/03_03.html 1950年、当社は自転車工業では初めてとなるダイカストを利用したフレーム組立てに成功し、この組立法で国内外の特許を取得しています。 上記の情報に基づいて「Google Patent 検索」におきまして 出願人[bridgestone]などとして日付指定なしや期間指定なども試みましたが 現状では未解決のままです。 以上 現状報告まで^^

kouki-koureisya
質問者

お礼

いつも大変お世話になっております。 “悪戦苦闘、奮励努力”しているのですが、dayone様のご回答以上の例を見つけ出せずにいます。 特許庁のサイトはよく利用していますので少しは慣れているはずですが、昭和2,30年代の特許から国際特許を申請している例を探し出すのはきわめて困難だ、ということが分かりました。 タームにしてもIPC分類にしても分類が細か過ぎるのですね。 自動車や電機に関しては大体ポイントを押さえて調査できるのですが、他分野のモノは全く手に負えません。 GHQ占領時代からキャノンが輸出志向であったことは、いろいろ調べていくうちに分かりました。 輸出中心の技術立国を目指した日本のトップバッターがキャノンの可能性が高いですね。 折角、よいヒントを頂いたのですからもう少し根気よく調べてみます。

kouki-koureisya
質問者

補足

dayone様 いつも懇切丁寧に教えて下さってありがとうございます。 「現時点で明らかなのは、サンフランシスコ講和条約調印以前の1951年6月29日に 米国特許出願が可能であった事だけです」 このご回答で十分です。キャノン、ブリジストンの例を参考に追いかけてみます。 「しらみつぶし」は対象が膨大で大変な作業です。 もうこれ以上調べて頂くのは恐縮です。 お礼欄には後日記入します。

その他の回答 (3)

  • dayone
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回答No.4

その後、技術輸出関連の一部を<Espacenet>で調べてみますと、 詳細は省きますが、1950年代公開分では「倉敷レイヨン」が 現地法人らしき「Omni Products Corp」分3件と 「Kurashiki Rayon Co, Air Reduction」共同出願分4件。 同様に「旭硝子」(Asahi Garasu)分5件など健闘も伺えますが、 いわゆる重厚長大型産業で1950年代の米国特許となりますと …網羅的には調べていませんが…下記の「八幡製鐵」くらいかもしれませんね。 〇Method of treating iron ores containing chromium クロム含鉄鉱石処理方法/1953年11月5日→1957年3月5日/Yawata Iron & Steel Co http://www.google.com/patents/US2784074 http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=en&u=http://www.google.com/patents/US2784074&prev=/search%3Fq%3DUS2784074%26biw%3D1366%26bih%3D580 〇Casting of ferrous ingots 鉄インゴット鋳造/1955年10月21日→1958年6月10日/Yawata Iron & Steel Co http://www.google.com/patents/US2837800 http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=en&u=http://www.google.com/patents/US2837800&prev=/search%3Fq%3DUS2837800%26biw%3D1366%26bih%3D580 〇Method for controlling the bath temperature in a blast furnace 高炉浴温度制御方法/1954年1月15日→1958年7月29日/Yawata Seitetsu K K http://www.google.com/patents/US2845343 http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=en&u=http://www.google.com/patents/US2845343&prev=/search%3Fq%3DUS2845343%26biw%3D1366%26bih%3D580 〇Method for controlling compositions of molten pig iron and slag in a blast furnace 高炉溶融銑鉄・スラグ組成制御方法/1954年8月9日→1959年12月22日/Yawata Seitetsu KK http://www.google.com/patents/US2918365 http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=en&u=http://www.google.com/patents/US2918365&prev=/search%3Fq%3DUS2918365%26biw%3D1366%26bih%3D580 (何とはなしに佐賀藩を連想してしまいました^^) >敗戦国は、敗戦と同時に技術は停滞(というよりは後退)してしまうということを改めて確認できました。 同感です。他国が前進している間、研究禁止等も含め停止するということは、 正に相対的には後退しているわけですからね。 あと、全くの余談ですが、今は昔、実は私、 フィルム・カメラ時代には[EOS1-HS][EOS-RT]等のカメラとか、 [EF50mmF1.0][EF300mmF2.8]等のレンズを駆使して(実際には[CONTAX]も併用ですが)、 週末・GW・夏季休暇・年末年始などには地元を離れ某政令指定都市の写友の方々と 撮影三昧で多い日はネガ・ポジ併せ36枚撮りフィルム50本以上消費、 なんてトンデモ・ヘビーなCanonユーザーでした^^ 余談の本題はここからですが、 そんなCanon愛用者にもかかわらず、今回の初回投稿に至るまで知らなかったのですが、 「Canon=キヤノン(×キャノン)」、ふつう促音を表すのは小文字ですが、 Canonでは途中に空白、穴が開くのを嫌って大文字の「ヤ」で表記との情報を得、 改めて電子辞書で確認しますと、あっ!!なるほど「キヤノン」は大文字。 雑学系の本では周知のことなのかもしれませんが、私にとっては初耳、 御質問の御陰で(私にとっては)有意義な情報を得ることが出来ました^^ 誠にありがとうございました、感謝申し上げますm(_"_)m

kouki-koureisya
質問者

お礼

新情報ありがとうございます。 八幡製鐵の特許は私も気づいていました。 ただ、その価値を判断できる知識がないので、「米国の鉄鋼産業」で調べてみました。 http://iiaoki.jugem.jp/?eid=253 鉄鋼業 国の基幹産業 「第二次大戦後、日本はこのアメリカの製鉄業を受け継ぐ形で日本の復興に貢献してきた。米国の鉄鋼業との技術交流は長い歴史があり、当初は米国からの技術指導の導入であったが、1975年頃からは、立場が逆転して、日本側が米国の製鉄業を技術指導することになっていった。」 とのことなので、日本の特許の価値を判断しました。 それにしても戦後の日本は“化学”が強かったのですね。 「日本の技術貿易をその産業別の構成比率から見よう。技術輸出は,71年で化学(25.3%),鉄鋼,電気機械の順。」という記述をメモしているのですが、どこのサイトだったか今、探しても見つかりません。 「キヤノン」とは知りませんでした。 CANONは高価でちょっと手が出ませんでしたが、廉価版の「CANON P」が発売されたとき思い切って買いました。50年ほど前だったと思いますが、今も所有しています。

  • dayone
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回答No.3

<Espacenet>につきまして、微に入り細に入り御教示いただき、 誠にありがとうございますm(_"_)m 早速、幾つか検索を試みましたところ、とても遣い易くなおかつ見易いですね。 「Google Patent 検索」期間指定と違って、 <Espacenet>での「Canon 1949」ヒット0件なら納得出来ます。 ところで、やはり、御質問の本来のテーマは後半部でしたか^^ タイトルが「GHQ廃止後、日本がアメリカで取った特許。」であることを 何度も見ているはずなのに今の今まで見過ごしていました!! >GHQが廃止されるまで、敗戦後の日本はアメリカに特許を申請できなかったのですか。 の方が先ず気になりまして、 >GHQ廃止後のなるべく早い時期(1950年代)に、 >日本がアメリカで得た特許の代表的な例を教えて下さい。 の方は全くの手付かず、初動段階で逆方向を向いてしまいました。 (なおかつ、途中からは、…未だ結果は出ていませんが… 日本(法)人による米国特許戦後初の出願・公開は何?誰?という、 私個人の浅はかな疑問も浮かび、公私混同?状態に陥り御迷惑をおかけしております) 結果真逆の方向に突き進みピンボケてしまいました(><) 毎度毎度申し訳ありませんm(_"_)m それにもかかわらず、過分なお言葉を賜り恐縮至極でございます。 なお、戦後米国はドイツなど敗戦国の戦前・戦中の技術等を取り込んだ上で、 軍事に繋がると判断した分野は特許どころか研究自体禁止措置、 そんな間口の狭いGHQ占領時代にあって、 米国特許出願・公開に至った日本(法)人は幸運なのは確かですが、 果たして「価値」の観点で捉えますと何とも・・・ですかね。 さて、そうなりますと…私個人の浅はかな疑問は棚に上げ… GHQ占領終了後に軌道修正すべきなのが本筋ではございますが、 如何せん特許庁サイトに御縁がお有りの kouki-koureisya 様におかれましてすら「どの程度の価値のあるものか」と仰るとすれば、 門外漢の私に「代表的な例」を判断出来る術など持ち合わせていませんので、 後は閲覧数(OKWAVE表示)60数回の中の賢者の方々の登場に期待しつつ、 門外漢の私としましては、少しアプローチ方法を変え、 …一旦特許から離れますのでヒントにすらならないかもしれませんが… 戦後の欧米に対する技術輸出に焦点を絞ってみましたので、 下記URLを軽く読み流して頂ければ幸いです。 〇昭和33年版科学技術白書(※第1回) 第1部 総説/第3章 わが国科学技術の諸問題/2 源泉としての研究/(2) 研究と技術導入 http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpaa195801/hpaa195801_2_020.html …昭和25年から昭和31年度末までに、…技術導入の相手国である欧米に対しては、 ビタミンB1、ロイコマイシン、ナイトロミン、尿素、MT磁石などの製造に関するものがあるが、 合計10件にも達していない。… 〇昭和37年版科学技術白書 総論/第I部 わが国における科学技術の一般動向/第4章 技術貿易の活発化/II 技術輸出 http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpaa196201/hpaa196201_2_017.html ・表I-4-11 昭和35年末までの欧米先進国への技術輸出 http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/image/hpaa196201/tb1.1.4.11.12.gif ・附表I-4-1 昭和36年以降の欧米先進国向けの主る技術輸出の動向 http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/image/hpaa196201/tb1.1.4.1.13a.gif 上記から、対米技術輸出には化学系が目立ちますので、 例えば「ロイコマイシン」をキーワードにあちこち当たって見ますと http://www.lib.kobe-u.ac.jp/infolib/meta_pub/G0000003kernel_81004200 <11/20> …日本人の手によるバイオ・ベースの医薬品開発も見られるようになった。 戦前からペニシリン研究に携わっていた梅沢濱夫が率いるグループによる 1948年のフラジオマイシンの発見や1957年のカナマイシンの発見、 同じく東京大学の細谷省吾のグループによる1952年のトリコマイシンの発見、 北里研究所の秦藤樹のグループによる1953年のロイコマイシンの発見と 1956年のマイトマイシンの発見、 科薬抗生物質研究所の小山康夫による1950年のコリスチンの発見など、 1950年代前後には日本でもバイオ・ベースの技術軌道が根づいたといえる。 ウゥ~ン!?このアプローチでは裾野を拡げるだけで、特許との関連付けが面倒ですかね? 以上 過分なお言葉を賜ったにもかかわらず、無反応も失礼かと思いまして 少ないネタで投稿してみましたので またまたヒントにもならない場合は御容赦下さい。 追加投稿に至るか否かは?ですが、ではまた^^

kouki-koureisya
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございます。 「科学技術白書」もこのような機会がなければ、なかなか読む気にならないですね。 昭和33年版によれば、 「昭和25年から昭和31年度末までに,わが国から輸出された技術は合計69件で金額にして,同期間の技術導入対価支払額の1%強,4億円程度にすぎない。しかもその大半は後進国向のもので,技術導入の相手国である欧米に対しては,ビタミンB1 ,ロイコマイシン,ナイトロミン,尿素,MT磁石などの製造に関するものがあるが,合計10件にも達していない。」 とのこと。 この事実から言えることは、 戦争は工業・技術を発展させるとよく言いますが、それは戦勝国の場合のみに言えることだ、ということが解りました。 戦後いち早く、化学や光学の分野で特許を得ていますが、機械・電機の製造業や重工業では皆無ですね。 戦艦大和やゼロ戦で培ったであろう技術も敗戦後振り返ると、ほんの一瞬の線香花火に過ぎず、何も残さなかったようです。 敗戦国は、敗戦と同時に技術は停滞(というよりは後退)してしまうということを改めて確認できました。 私も「日本(法)人による米国特許戦後初の出願・公開は何?誰?」という疑問の方に引っ張れていました。 結局は、これだと断定できる解答を得ることはできませんでしたが、調べる過程でいろんな事実を知って楽しかったです。 情報のご提供に感謝申し上げます。

  • dayone
  • ベストアンサー率79% (360/452)
回答No.2

お心遣いのお言葉をいいただき誠にありがとうございますm(_"_)m 恥ずかしながら、いまだに「Google Patent 検索」の仕組みが理解出来かねている次第で、 日付なしならば多数ヒットする反面、期間指定では期間の範囲を広げても ヒットすべきはずの事例も無視されヒット件数0のトホホな有様、 結局は通常のGoogle検索画面に「(patent)US2594270」など数字を打ち込む方が無難で 地道な作業に逆戻り。 さて、余り進展はしませんが僅かばかりの追加報告。 ・US2594270(公開日1952年4月22日)~US2593396(公開日1952年4月22日) 発明者・出願人に日本(法)人該当なし、 ただし不具合なのか非公開なのか数件確認不能事例あり。 あと、公開日は1週間毎のようです。 ・US2593395(公開日1952年4月15日)~の一部 サンフランシスコ講和条約調印前に出願、調印後・発効前に公開の2例。 〇Thiothiazolone derivatives (化学薬品系?) http://www.google.com/patents/US2592931 http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=en&u=http://www.google.com/patents/US2592931&prev=/search%3Fq%3DUS2592931 「出願日 1859年8月29日」箇所は、後記事例のほか、 「株式会社武田長兵衛商店」から「武田薬品工業株式会社」に商号変更したのが1943年で、 本文の出願人は武田薬品工業であることと、 本文内容から出願日は1950年8月29日が正しいようです。 〇Method for preparing vitamin b ビタミンB http://www.google.com/patents/US2592930 http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=en&u=http://www.google.com/patents/US2592930&prev=/search%3Fq%3DUS2592930 実は、御質問者 kouki-koureisya 様への回答投稿とは別に、 私自身が「知りたい!!」欲求が浮かんだりもしている今日この頃でございます。 追加投稿に至るか否かは?ですが、ではまた^^

kouki-koureisya
質問者

お礼

再度のご丁寧な回答ありがとうございます。 お陰さまで疑問の一部は解消しました。 一つは、サンフランシスコ講和条約調印(1951.9.8)以前に出願された例があるということです。また、講和条約発効(1952.4.28)以前に公開された例もあるということです。 被占領国の日本が米国に特許申請することをGHQが認めたのですね。 残る疑問は、日本が出願した特許の価値ですが、これは質問したものの、特許の内容を読んでも理解できないので、どの程度の価値のあるものか、いつか科学カテで質問してみようと思います。 戦争中、日本は連合国の特許などお構いなく利用していましたが、戦後、「工業所有権の損害」を補償させられています。敗戦国の悲哀というしかないですが。 敗戦で国土が焦土化したことは目で見て分かりますが、目に見えない大きな損失として技術の停滞・後退があります。このような視点で質問したのですが、いい勉強になりました。 キャノンのレンズに注目されたdayone さんの着目が素晴らしかったです。 武田薬品もトップランナーだったのですね。 化学系は、戦時中の“代用品”の研究が実を結んだのかも知れません。 ご教示に感謝します。 週末に締め切りたいと思います。

kouki-koureisya
質問者

補足

再度のご丁寧な回答ありがとうございます。 EUのデータベースからある程度の情報を得ましたのでお知らせします。 Espacenet http://worldwide.espacenet.com/ 右上のChange country で Japan を選択します。 http://worldwide.espacenet.com/?locale=jp_JP ここで 「canon 1952」を入力すれば http://worldwide.espacenet.com/publicationDetails/biblio?DB=worldwide.espacenet.com&II=0&ND=3&adjacent=true&locale=jp_JP&FT=D&date=19520318&CC=US&NR=2589892A&KC=A ここでUSパテント US2589892A が見つかりますから、Google特許でサーチすると。 https://www.google.com/patents/US2589892?dq=US2589892&hl=en&sa=X&ei=Y_p2Up2rD8aYkgXco4HYDw&ved=0CDkQ6AEwAA 「camera holder」 公開 1952,3,18  出願 1950,9,5 この方法では出願者または発明者が分からなければサーチできないので不便です。 しかし、dayoneさんがご指摘のように「サンフランシスコ講和条約調印以前の1951年6月29日に米国特許出願が可能であった」ことは事実であって、これは何でも規制したGHQの占領政策を見直すきっかけになりました。 Espacenet は、国立国会図書館「戦前の日本特許の調べ方」で見つけました。 http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/theme-honbun-400387.php