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心霊現象を頭から否定する人は、なぜ狭い科学感に取り付かれるのか?
- 心霊現象に対して頭から否定する人は、科学的な根拠を持たずに強い拒絶反応を示すことがあります。
- 心霊現象を全否定する前に、検証や自己体験に基づいた判断を行うべきです。
- 心霊スポットと呼ばれる場所には、否定し切れない何かが存在している可能性があります。
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私は神や霊を信じていますが、むやみに霊の所為にして何かしらの意味があると考えるのはよくないと考えています。 科学というのは理論的な検証を尽くす事を言いますが、実際に科学で確証を得ている事象等、この世界の1%にも至りません。私達に地球どころか人間自身の事ですら、おそらくその程度です。 科学というものでは、まず検証する対象を特定しなければなりません。つまり霊に関して検証するためには霊を定義しなければならないんです。 先ごろナントカという理論物理学者が「神は存在しない」とワザワザローマ法王に向けてメッセージを出したそうですが、科学において神というものも定義されていません。つまりこれは私見ではあってもなんらかの根拠も持つ仮説ではないんです。しかも彼が否定したのはローマカトリックにおける神であり、世界中の別の特性を持つ神を信じている人々は「我々の神とは違う」というでしょう。 定義するということは世界中、少なくとも歴史ある信仰の神の特性を例外なく表現しなければなりません。そしてその全てを否定しなければ否定できないんです。 しかし科学が霊を定義したことはコレまでにありません。つまり霊に関しては定義すらできていない状態ですから研究など何もしていないのです。 科学書とやらが定義すら出来ていない霊を、番組用の娯楽的な検証で否定し、それを信じるとすれば、それは心霊番組を見て霊を信じるのと同じレベルというものです。 私は貴方を肯定するわけでもありません。 霊感というものは個人差があるし、貴方がどんなレベルなのか私は知らないからです。 信じるか否かは是非の問題ではありません。霊を肯定する者も否定する者も、ベクトルが正反対なだけで、主張している内容は同じということです。 但し信じない者より信じている者の方が世界は広い、これは確かです。
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- kyo-mogu
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私は中立的な立場で見ています。むやみに否定しない。むやみに肯定もしない。 あるマンガでオバカルトという表現をしているのですが、これは中立的な感じで使っておられるようです。 まず、普通は知らない事に対して不安を感じます。それが科学としてとりあえず説明して納得出来れば良いのです。心霊その物が明確に出来ない以上科学的に説明出来る事例が採用されるのです。 それと心霊スポットも、本来なら静かにしていれば良いのですが、おもしろ半分に来るので、なんらかのダメージを受ける。誰しも静かにしていたいときに、大騒ぎで来たら腹が立つだろうし、なんか悪戯とかしたくなるでしょう?人として見れば迷惑をかけているのですから仕返しは当然でしょうね。 日本は昔は結構妖怪なども含めて身近な物でしたが、次第に古い物として切り捨てていった事も有り、否定する流れが生まれました。しかし海外ではむしろ、それを受け止める文化もあります。幽霊屋敷が観光名所になったりもしますからね。 心霊スポットはもともと危険な個所などもありますから、下手に係わると損しますよ。私有地も多いから不法侵入になるし。 それと、心霊スポットでも、普通は何ともないけど、霊能者だけが感じるものがあるようで、見える。感じられる。だから頼られるという事に成っているようです。
昔ある霊媒師がある心霊スポット数カ所で写った数枚の心霊写真を見て怨霊だの生き霊だのと大がかりにお祓いをした番組がありました。 そして数年後にある番組がその心霊写真が写された心霊スポットに出向いて検証してみようという企画がありました。 そしたら、頭が消えている写真はただたんに下にある川をのぞいていただけ。足下に恐ろしい顔が写っている写真は、実はその後ろには階段があり顔が写っていた場所には穴が開いていて、のぞいて写真を撮ったら恐ろしい顔をしたように見える写真ができました。 とどまりその霊媒師は嘘っぱちだったという結果でした。 心霊写真も裏を返せばもしかしたら偶然撮れた霊らしきものかもしれないということです。 とか言いながらも私の家は代々霊感があり、たまに本当におかしいと思う写真があります。何故か私だけわかるのですが、やばいと思っても何も写っていないこともあります。写ってないけど何かがある。そういうのは知り合いの住職にお任せします。 そんなんで私はテレビはともかく個人で心霊スポットに行ってみました系の動画は苦手です…画面から出てきそうでいや。 ただこれだけはいえます。 信じていない人間は鈍感で安全な人間です。心霊目当てでふざけて行く人間よりはマシだと思います。 以上心霊を信じて精進している者からでした。
- capuran
- ベストアンサー率14% (18/124)
科学が全てではないと 思います だけど 見えないもの 触れないものは 無いものといえます 何か感じる というのは 感じているだけで そこに何かあるからという証明にはならないと 思います そこからは わかるひとにはわかる といった ある意味 趣味の領域になると 思います 霊の存在を否定する人は 見たことも さわったことも 感じたこともないものが 「有る」と言えない ということなんじゃないでしょうか? よく 霊の存在を信じますか? というフレーズを見ますが その言葉が表しているように 信じる 信じない という 不確かな領域なんだと 思います 信じたところで 見えるわけでもないですし… わたしは 10代の頃 京都の将軍塚という場所で霊をみましたが 霊が存在するかときかれれば わからない と 答えるでしょう なぜだか わかりませんが 否定はしないですが 肯定もできない 不思議な感覚です いるわけないやん と 否定されても いや 居るよ! とは なぜだか思わないのです 霊は居るといったところで また 居ないといったところで どちらでもいいような 大差ないような そんな気がするのです
お礼
回答ありがとうございます。確かに霊がいても、いなくても 大した問題ではないと思う人なら、それはそれで良いと思い ます。 しかしそういう所へわざと近づいたりすれば霊障を受ける こともあります。また知らずに近づけばとんでもないことに なることもあります。 特に強力な霊気を発している処に何も感じない人が入れば 精神が錯乱し、廃人になることもあるんですよ。
- sutorama
- ベストアンサー率35% (1689/4748)
簡単に言っちゃうと >おそらく肉体ごとどこかへ連れて行かれてしまうでしょう。 この「おそらく」が、胡散臭いんですよ 科学・化学や数学などの世界では、おそらくという「仮定」や「想定」をしたあと、実験などにより「検証」や「実証」をして、その後、「確証」を得ますよね? 「おそらく」という言葉つけて、相手の言うことや考えを否定する行為を >頭から否定する人 ですから、 >ただの世間知らず と言います つまり、 「心霊現象を頭から否定する人」 「心霊現象を否定する人を頭から否定する人」 は、同じです >そういう処も知らずに頭から否定する人をどう思いますか。 そういう処(ところ)に連れて行ってあげてください >ただの世間知らずとは言えないと思いますが うん お二人とも、お互い様です
>どう思いますか。 科学的でないことを根拠に 否定するのは非科学的ですね。 現代科学で解明できないことなんて まだまだこの世にごまんとありますよ。 深海、地球の内側、宇宙の果て 好奇心をなくしたら、探求の術すら でてこないんですから。
お礼
そうですね、この世の全てを知っている人間なんて いません。そんな傲慢を生んだのも中途半端な 科学と知識なのでしょう。 深海の中には2トンもある巨大な魚がいると言います。 それは決して人の目には映らない神秘な存在なので しょう。 そして南洋には名前の無い魚は約6割もいるとといい ます。それも魚類学者の頭を悩ます問題ですね。
- senbei99
- ベストアンサー率55% (876/1588)
ただ「科学的に根拠が無い」と頭から否定する人は「科学的」では無いですね。 本当に科学的に考察する人は、その現象の現場に行き調査をして現象が発生する理由を科学的に説明できる人です。 その桃尻川とか言うところも、そう言った人を連れて行って調べてもらうのが良いのでしょうが、それができる人は限られているので難しいかもしれませんね。
お礼
回答ありがとうございます。そうですね、ただ机に向かって 本を読んでいるだけでは地動説を唱えていた宗教家と 変わりませんね。 科学はそんな底の浅い物なのかと思ってしまいます。 そういう人は心霊スポットなどには足を向けませんね。 そういう意味では科学を盾に取っているのでしょう。 何も見ない、何もしないで科学が立証できるのなら、こんな に楽なことはありません。 それから訂正があります。桃尻川は誤りで正しくは桃沢川 でした。すみませんでした。
- doolelle1
- ベストアンサー率20% (77/381)
お早うございます。こういう人は結構いますね。すぐ科学的根拠がないとか言います。案外現実に起こったら、怖いと思っているのかも知れません。だから否定しているのかも知れません。私は実際に体験した事はありません。でも霊に守られていると思っています。40年以上も大病も大怪我もせず、普通に生活を送れるのも守護霊のおかげだと思っています。まあこの世の中、「信じる者は救われる」という事ではないですか。
- hekiyu
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科学的とは、次のことを言います。 1,客観性があること 2,再現性があること 3,論理性があること 1, 心霊現象には、客観性がありません。 見える人、感じる人は見えるし感じるが 見えない、感じない人も多い訳です。 つまり人によって異なります。 2, また、心霊現象には再現性がありません。 同じ条件でやっても、認識できる場合も 出来ない場合もあります。 3, 更に、心霊現象には論理性がありません。 何か白いモノが見えた。 何か感じた。 ここから、一足飛びに、これは霊魂だ、という 結論を導いてしまいます。 他の可能性は一切考えません。 他の可能性を、徹底的に考え、検証し研究する、 という真摯な態度がありません。 それで非科学的だと言われるのです。 心霊現象が本当に存在するのかは判りません。 しかし、非科学的であることだけは確かです。 そして、そこには現象に対する真摯な態度が 無いことも確かです。 あるのはそうに違いない、という根拠の無い 思い込みだけです。
- toiawasedesuyo
- ベストアンサー率15% (733/4702)
53歳 男性 霊感は個人差があり、感じない人は全く何とも思わないようです 逆に霊のの方も霊感を感じない人には何もしないかも知れませんね 反応が無いですから 科学では説明出来ない虫の知らせ この虫のしらせも一種の霊感だと私は思います 家内もこの虫のしらせを体験しており、その話を聞いた時に これは本当だったなと思う事がありました。 考え方は人それぞれですので、個人差と思うしかないと思います。
お礼
第二次世界大戦前にアインシュタイン博士がウランの エネルギー利用に関しての理論を確立し、それを当時の ドイツの軍事関係者が兵器として開発することをヒトラー に進言した。しかしヒトラーはそれを却下した。 アインシュタインはその後アメリカに渡り、アメリカでの 軍事利用が成功し、日本への原爆投下が為された。 これはとても複雑なものが絡み合っていて、検証すれば いろんなものが見えてきます。 当時の科学では放射能の人体への影響が、さして問題 にならなかったが、ヒトラーは自国民が放射能にやられる ことを最も怖れたと考えられます。 放射能や放射線は目に見えません。無味無臭で実際に あるのかないのかさえも分かりませんね。 それも人間が生み出した妖怪なのでしょう。