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キリスト教の神は、何が造ったのですか。

キリスト教では、人間は神が造ったといわれています。 ではその神を造ったのは、いったい何なんでしょうか。 神がゼロから急に発生したというのは、どうも不自然と思えます。 神も始めは居なかったと思うのが自然だと思えます。

みんなの回答

  • 0fool0
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回答No.18

No.16/17です、すいません、しつこくて。 >あえてそうした神なんですね。 そうしたと言うより、そうなったでしょう。 おそらくご質問者様の考えでは、現在の新興宗教の様に、でっち上げられた『神』を想定しておられるのでは無いでしょうか? 無神論から考えればそういった発想もありますが、そもそも古代には神ありきの発想ですから、生まれた時からいますし、世の現象を科学的に分析も出来ません。 原因と結果の因果関係を科学的に説明する為のスキルが存在していないのです。 ですので『そうした』のではなく『そうなっていた』ので『神がそうした』です。 現実に神と呼べる存在が何処かにあるかを私は知りませんが、少なくとも個人の都合に合わせた神は存在しません。

kogoefuyu
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.17

No.16です。 >神も人間を造れたのであれば、初めからそうした欲が起きないように作ればよかったのではないのかと思います。 そうですね。 私は不勉強なので正解は知りませんが、それが『知恵の実を食べてはいけない』という教えだったのではないでしょうか? 結果、イブが蛇にそそのかされ、さらにアダムに勧め、そして二人してエデンの園を追われると言う流れになっていますから。 ちなみに蛇(他に狐等)が悪者の文化は家畜で生計を立てる、遊牧民や放牧を行う民族です。 農耕民族ではネズミを捕る蛇は財産を守る守り神です。

kogoefuyu
質問者

お礼

あえてそうした神なんですね。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.16

神は『不可知』ですので、この論はキリスト教信者からは永遠に得られません。 何故ならば知ろうとする『知識欲』こそが人が楽園を追われた罰を受けた原因だからです。 ちなみに私の勝手な想像ならいくらでも言えますw キリスト教的神とは現象そのものです。 右に螺子を切ってある螺子を右に回せば入っていく様な現象を保障している存在です。 つまり『発生』したのではなく、この世が出来た事により『確認』に至った存在です。 (物理)法則性は物が無ければ現象は起きませんが、そこに確実にあります。 これが私が考える神です。 以上!無知な愚か者(fool)の戯言でしたw

kogoefuyu
質問者

お礼

知ろうとする『知識欲』こそが人が楽園を追われた罰を受けた原因だったのですね。 神も人間を造れたのであれば、初めからそうした欲が起きないように作ればよかったのではないのかと思います。

回答No.15

かつて江戸時代の6代将軍・家宣の儒者・新井白石はキリシタン宣教師・シドチを江戸城に呼んで問答をした時に問いました。 「もし神がこの世界を作ったのならば、その神はいったい誰が作ったのか」 それに対し、シドチは答えに詰まって沈黙したということです。 白石の「西洋紀聞」にその話が載っています。 そこで、もし神が世界を創造したとすると、その神はいったい誰が作ったのかという問いが避けられなくなります。 キリスト教を信じている人は、そんな問いはナンセンスだといいます。 そうでしょうか? もし何ものかが世界を作ったのならば、その何ものかを作った者がいなければならず、さらにその何ものかを作った者を作った者のさらに作った者がいなければならず、さらに何ものかを作った者のさらに作ったもの、またさらに作った者へと無限遡行してゆかねばなりません。 トマス・アクイナスは「神学大全」で、動いているものがあれば、それを動かしたものがあるはずで、さらに動かしたものがあればそれを動かしたもののさらに動かしたものがなければならず、こうして原因はずっとさかのぼってゆき、最終的に第一原因に突き当たる、そしてその第一原因こそ神であるといいました。 とんでもない、原因をさかのぼってゆけば、それは無限にわたってさかのぼって行かねばならず、第一原因なんかに突き当たりません。 トマスは間違っているのです。 もし、この世界の創造者がいたとすると、それは無限に原因をさかのぼってゆくことになり、結局、なにも原因がないところに行き着きます。 したがって、この世界の創造者なんていないということになります。 また、もし神がこの世界を創造したとするなら、神はこの世界を創造する前は一体何をしていたのか? おそらく、無限の大昔から神はなにもすることがなくて退屈していたから、気まぐれに、暇つぶしのために世界を作ったのでしようか? 一般にキリスト教を信じている人は神による無からの創造という教義を信じている人が多いと思います。 神が世界を無から創造したとすれば、時間・空間も一緒に創造したことになります。 しかるに時間・空間は何ものかが存在するための絶対条件です。 もし、時間・空間がなかったならば、神さえも存在しえません。 だとすると神は時間・空間と同時に存在したことになります。 しかし、何ものかを作る原因は作られた結果よりも時間的に先行しなければなりません。 神が時間・空間と同時に存在するようになったのならば、神はこの世界を創造することはできません。 したがって、神がこの世界を創造するためには時間・空間と同時に存在したのではなく、それ以前に存在しなければなりません。 ということは神は時間・空間が存在する前から存在しなければなりませんが、時間・空間が存在しないと何者も、神さえも存在しえないのですから、神が時間・空間が存在する前に存在することはありえません。 以上の論理からして、神がこの世界を無から創造することは出来ないという結論になります。 また、神がこの世界を作ったとすれば、始まりがあることになり、歴史の特定の時点に創造したことになります。 たとえば今から1万年前に創造したとか。 しかし、そうなるとなぜ5千年前でなく、また2万年前でなく、まさしく1万年前でなければならなかったのかという充足理由がありません。 充足理由律はライプニッツが、同一律・矛盾律・排中律とならぶ論理学の根本法則として作ったものです。 何ものかは存在する以上、必ず存在する理由を持つ、というもの。 もし、神が歴史のある一定の時点で世界を作ったのならば、必ずその充足理由がなければならない。 しかし、どう見ても神が歴史のある一定の時点に世界を創造する理由がない、別の時点でも良かったはずです。 したがって、神は歴史のある一定の時点に世界を創造することは不可能とみなさないわけには行きません。 「神がゼロから急に発生したというのは、どうも不自然と思えます。神も初めは居なかったと思うのが自然だと思います」 と、仰います。 急に発生する理由がないとしたならば、一体どんな理由で存在するようになったのか、それが分りません。 そして初めは神が居なかったとすれば、時間・空間がそれ以前にあり、神はすでにある時間・空間の中に誕生したことになります。 だとすると、神は歴史のある一定の時点に登場したことになりますが、これもなぜ別の時点でなく、まさしくその時点でなければならなかったのかという充足理由がありません。 ということは神は最初から存在しなかったし、今も神は存在しないと考えるのがもっとも自然です。

kogoefuyu
質問者

お礼

何ものかが世界を作ったのなら、その何ものかを作った者がいて、さらにその何ものかを作った者を作った者がいて・・・・と、おかしなことになりますね。 神はそれだけの複雑な事ができる方とすると、複雑な事には、それを構成する素が先に存在しないとやはり生まれ難いと思います。 神が世界を無から創造したとすれば、神自身もそれ以前は存在していなかったとしないと変ですね。

回答No.14

そもそも人間を作ったのは神ではありません。 造ったのは『「神」になりたかった存在』です。 「神」というのは、全てを含む存在ですから、初めから存在しています。 造られたのなら、「神」とは呼ぶことが出来ません。 ビッグバンの始まる前からあったもの、宇宙が終わって消えた後に残るもの。 時間と空間の概念の及ばない世界。 それが神の領域だと考えます。 始まりがあり、終わりがあるこの世界。 その世界に縛られている者には分かりえない概念なんですね。 相対性理論と量子力学の数式を組み合わせると、時間と空間は相対的であり、いつ終わってもおかしくないそうです。 この世の終わりは、実はリアルな現実なんですね。 遅いか速いかだけ。 仏教の諸行無常と全くおなじです。 視点がまったく逆なんです。 この世界が不完全。神の領域こそが本来の場所。 それに気付いていないひとが圧倒的大多数で占めているんです。

kogoefuyu
質問者

お礼

ビッグバンの始まる前からあったものというとそれはエネルギーでしょうね。 この世界に縛られている者には分かりえない概念とうのは、あり得ますね。 すると神と呼ばれる存在は、それ以前の状態や、人間では推し量れない概念を隠してる事も考えられます。

回答No.13

>神も始めは居なかったと思うのが自然だと思えます。 その通り。それが自然です。 でも、宗教は自然ではありません。 人為です。 人為だからこそ不自然なストーリーを掲げ、それを「信じる」ことで宗教が成立するのです。 「神だけは始めから居た。」と考えるのが宗教だと言えます。

kogoefuyu
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • koiprin
  • ベストアンサー率23% (72/306)
回答No.12

神は人間が造りました。 人間が「言うことを聞く人間」を造るために神を作ったんです。 ほら、みんな良く言うことを聞くでしょ?

kogoefuyu
質問者

お礼

人間が「言うことを聞く人間」を造るために神を作ったとうのは、あり得ますね。 人間の欲の為に、予めそれを活用することを目的として、造られた架空の存在。

  • veradico
  • ベストアンサー率44% (11/25)
回答No.11

「神の言葉」が何といっているか,自然界は何を明らかにしているかの2つが答えを見出す証拠になり得ると思います。 「神の言葉」といわれている聖書では,一例として,次のように書かれています。 「 山がまだ生れず、あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、あなたは神でいらせられる。」(詩編90:2) 「あなたの位はいにしえより堅く立ち、あなたはとこしえよりいらせられます。」(詩編93:2) 「…主はとこしえの神、地の果の創造者であって、弱ることなく、また疲れることなく、その知恵ははかりがたい。」 (イザヤ40:28)  なお,「キリスト教」と申しますが,上記のいわゆる「旧約聖書」を含む聖書全体を根拠として受け入れています。それで,聖書によれば,端的に言って「神は永遠の存在であり,絶対的な存在である」ということです。 (もっとも,その「神」はどんな方か,という点は残ります) 次に,「神は何が造ったのか」というご質問ですので,自然界に見られる状況が証拠になります。 例えば, (1)自然界は,明らかに「法則」が支配している。(法則性) (2)自然界には,調和が見られる。(調和性) (※確かに「災害」はおきますが,地球が意味を成さなくなるほどの破壊は起きたことはありません。宇宙も同じだと思います。) (3)自然界には,設計が見られる。(設計性) 例えば,人間の「眼球」のようなものは,一部だけでは「見る」という点で意味を持ちません。角膜,瞳孔,水晶体,網膜,視神経などは,全てが同時にそろって組み合わされて初めて「見る」ことができます。“下等”な生物もいるし,“高等”な生き物もいます。要するに,高度な設計をうかがわせるに足る眼球を持つものが,現に存在するのです。この原因は何でしょうか。 ごく一部の点だけですが,これら3つの点だけでも,「本当にあることで,だれも否定できないこと」ではないでしょうか。やはり,自然界に見られる状況は,創造者の存在を裏付けています。要するに,自然界を造った方が存在すると信じるに足る証拠があるのです。もっとも,その「状況」をどのように「評価」するかは,個人により,さまざまでしょうけれども。 以上,ささやかながら,本当の答えを見出す何かの助けになれば幸いです。

kogoefuyu
質問者

お礼

神がいたとした場合、実のところ神自身もどうして自分が存在しているかを知らないわからないのではないかと思いました。 そもそも神は人間より物事を良く知っている存在ですから、人間に説明してもわからないことも知っているので人間に対しては体面的にそうした言い回し的アプローチで説明しているのかもと思いました。

回答No.10

 こんにちは。  ★ キリスト教では、人間は神が造ったといわれています。  ☆ というとき それは ほんとうですか? と問うところから始めなければ 哲学は始まりません。  誰か見たんか? と言ってやれば済むことではないですか。  そう考えるなら その命題は あくまで仮りの考えを表わしたに過ぎないとなります。  あるいはタトエです。  なぜなら 《絶対者》という捉え方をするからです。  なぜそう捉えるかと言えば いちおう仮りの表現として 《神》を何とか人間に分かる概念に置きかえようというとき 《絶対・無限・不可変性》を仮りに表象して代理表現としたからです。  《絶対》なる概念から 擬人化して《絶対者》をみちびいた。それだけの話です。  《絶対者》なら 全知全能であろうと見なしました。ならばというので 《創造主》だと展開しました。そこからは タトエであるという大前提のもとに 天地創造等々の物語にして 何とか《神とひととの関係のあり方》を示そうとして 描き出した。こういうからくりです。   《絶対・無限・不可変性》には  ★ ゼロ・発生・初め  ☆ といった観念は 無縁です。もしくは それらの観念をすべて超えていますので・つまり次元がちがっているはずですから それらのものごとを包摂していると言っても――タトエとしての話において―― マチガイではありません。

kogoefuyu
質問者

お礼

ありがとうございました。

回答No.9

No8の回答者です。失礼しました。続きを書きます。 しかしチャンスはあります。イエスは心の清い者は神を見るであろう、と言われました。求める者は得るであろう、とも言われました。事実、今日まで世界の各地において神に出会った人達がいました。宗教の教祖や霊能者と呼ばれている方は神に出会った確率が高いです。ただ神は霊であられるので、人間も霊的能力が必要です。 科学も追究していくと神を認めざるをえない世界に突入するようですよ。大宇宙の秩序を観ると、意志が働いているとしか理解のしようがないですからね。人間世界でもバカな子ほどかわいいといいますから、親である神は全ての人を愛して下さっています。夜空を見上げて祈ったら神様から心に語りかけて下さると思います。神様がわかったら多くの疑問が氷解します。大好きな異性ができたら嬉しさの余り、悩みがなくなるように!!

kogoefuyu
質問者

お礼

夜空を見上げて祈ったら神様から心に語りかけてくれたならば、その存在をもしかしたらと感じられるのですけれどもね。

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