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昭和の時代背景 資料

演劇の題材に用いることになりました。 さしあたって昭和中~後期の言葉遣いや景観についての資料を探しています。 舞台は高校ですのでそれを中心に、資料たなりそうなHPをご存じないでしょうか? また同じく映画で参考になりそうなものがあれば合わせて紹介いただければと思います。 メンバーは全員平成生まれですので一から勉強するというような状態です。 よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • SPS700
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回答No.12

    #2です。補足です。     今日からNHKの朝8時(月ー土)に『ごちそうさん』が放送され、その第一話は昭和20年の(質問者さんの昭和中期のはじまり)夏だそうです。      放送は、総合で月~土の午前8時、再放送は同日午後0時45分。BSプレミアムで月~土の午前7時30分、再放送は同日午後11時、毎週土曜に1週間分連続放送(前9:30~11:00)とか。     残念ながら、僕は在米なので見られませんが、ご参考になるかも知れません。

-ruin-
質問者

お礼

解説ありがとうございました。 いただいた情報を参考にもう少し調べてみようと思います。

その他の回答 (11)

  • SPS700
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回答No.11

    #2です。忘れ物です。 >>旧制と新制のの件、とても参考になりました。自分ありに詳しく調べてみようと思います。        忘れていましたが大きな違いの一つは、旧制では男女別学、新制高校では男女共学になった事でしょう。      言葉遣いは、旧制中学では軍事訓練などの影響で、多少軍隊的(例えば一人称を「自分」と言うなど)な言い回しを強要した場所はありますが、大した違いはありません。     旧制高校では、仕事を「アルバイト」、若い女性を「メッチェン」、お金を「ゲル」、食事を「エッセン」と言うなどドイツ語の語彙や、驚きを「驚異」キョーイというなど、巷と変わった表現がありました。     景観の例として、一旧制中学の写真を添加します。僕は4回転校したのでその一つです。     時と場所をお決めになったら、そこの高校の卒業生名簿の最初に大抵ある「我が校の沿革」みたいなところに昔の写真があるのではないでしょうか。

  • SPS700
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回答No.10

    #2です。訂正です。 >>成績欄の実業科が空白になっているので進学校である事が分かります。    と書きましたが、点がありますね。何をやったのか分かりませんが、「そろばん」あたりではないでしょうか、でも殆どみんな進学したようです。

  • SPS700
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回答No.9

    #2です。補足です。     旧制中学の昭和20年(終戦直前)の通知表を見る機会がありましたのでお目にかけます。この学校は今は高校です。成績欄の実業科が空白になっているので進学校である事が分かります。     全体は細長いので、字が読めるように左半分にしました。右半分は太い線の上が出席日数、病気、事故、遅刻、早退、欠課、などの数字が、下は、目、耳、など身体検査の結果が記入されています。     成績表     国民科:修身、国語、歴史、地理     理数科:数学、物象、生物     体練科:教練、体操、武道     芸能科:音楽、書道、図画、工作     実業科     外国語科(英語)     修練     大抵の内容は想像がつくと思います「物象」は、物理と化学です。「修練」は未だに何の事だか分かりません。下級生を殴ったら、点が下がったそうです。上から、秀、優、良、可、不可の5段階だそうです。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.8

    #2です。補足です。 >>1、世代     各自親世代には話を聞いたりしているのですが、やはり聴覚的な情報では具体的なイメージを作るのは難しいようです。     #7さんもご指摘ですが、昭和中期は、1946年あたりからです。そうすると中期初年にオギャアと産まれた赤ちゃんが今年60代の終わり、もの心ついて記憶があるのは70代以上の方で、「親世代」というよりは、祖父母に聞かなければ、又聞きの又聞きでしかないと思います。 >>2。高校   高校には旧制と、新制があり、1940年代から50年代の初め(昭和中期)にかけて、前者が無くなり後者が産まれます。旧制高校では、医者ならドイツ語、法律の分野によってはフランス語、など今の大学の教養部に匹敵する内容で、性格が違います。今の高校は内容的には旧制中学です。 >>3。映画     下記で戦後日本映画が世界に知られるようになりますが、『時獄門』、『宮本武蔵』、『羅生門』など外国の賞を貰った物には、時代物が多く、質問者さんの参考になる物は少ないのですが、http://unijapan.org/co-production/japan/topics01.html    『青い山脈』(1949年版)、『二十四の瞳』(1954)、などは参考になるかも知れません。ちなみに山田洋次監督のお好きな作品は『馬鹿が戦車(タンク)でやってくる』(1964)だそうです。

-ruin-
質問者

お礼

再度ありがとうございます。 旧制と新制のの件、とても参考になりました。 自分ありに詳しく調べてみようと思います。 二十四の瞳は一度見たことがあるのでこれを機に見直してみようと思います。

回答No.7

質問文に、昭和「中~後期」という言葉が出てくるので、それを基にして、昭和63年間を3区分すれば、前期・中期・後期の3区分で、各21年となります。 そうすると、昭和1年から21年までが前期、さらにその21年後は昭和42年となり、その間が中期(20年代・30年代)、同様に、さらにその21年後の昭和63年までが後期(40年代・50年代+3年)ということになります。 その中で、質問文の演劇の時代背景の設定は、「中~後期」=「昭和20年代~63年まで」ということですので、これは、あまりにも幅が広過ぎる設定になりますね。 つまり、この間、世の全面にわたって<激変度>が、凄過ぎるのです。 昭和何年の高校が舞台・背景なのか、「年次」を決めた設定にして、資料を求めた方が、良い、と思います。

-ruin-
質問者

お礼

ご指摘ありがとうございます。 正直その時代を生きていない者にとっては想像の外でした。 再度設定を練り直してみようと思います。

  • SPS700
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回答No.6

    #2です。補足です。 >>各自親世代には話を聞いたりしているのですが、やはり聴覚的な情報では具体的なイメージを作るのは難しいようです。具体的な立地というのは決めていなかったのですが、とうじ田舎と都会では大違いですね。     昭和は約60年、その「中~後期」と言えば昭和20年から終わりまでの40年、経済的には、敗戦のどん底から、バブルの最高潮まで、田舎と都会の文化習慣の差、を見れば膨大な資料が必要です。    『寅さん』の第1作は昭和44年、当時花形職業のさくらさんはキーパンチャー(コンピュータ入力のパンチカード作り)で、お見合いの場所はホテルオークラ、既に昭和後期に入って4年も経っています。     こんなことから時と場所を決めなければ、笑い物しか出来ません。昭和中期の初めは資料を書き残すような悠長な時代ではないので、あってもニュース映画ぐらいでしょう。頑張ってください。

-ruin-
質問者

お礼

再度ご指摘ありがとうございます。 あまりに漠然としすぎていましたので、まだ時間はありますのでメンバーとも話し合って設定を絞ったのち再度質問させていただこうと思います

noname#224207
noname#224207
回答No.5

演劇部ですか? 山田洋次監督の映画がいいでしょう。 山田監督は、庶民の情景や背景となる風景に拘る方なので、本を見るよりも手っ取り早いでしょう。 「ふうてんの寅」さんシリーズも話の筋よりも、風景や出て来る俳優の仕草、言葉使いは昭和そのものです。 お近くのレンタル屋さんで探してみて下さい。 あと、「キュウポラのある町」や「下町の太陽」などは、テーマとは別に当時の若者のものの考え方がよく理解できるでしょう。 飛び飛びでよければ、You Tube に沢山映像が投稿されています。 昭和のポップスや流行歌(演歌)などに、当時の映像がよく使われています。

-ruin-
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 部ではなくサークルになります。 具体的な作品を紹介いただきとても助かります。 さっそく一度You Tube で確認してみようと思います。

回答No.4

 昭和も60年以上ですので、単純に3分割するとおよそ昭和20年以降。いわゆる「戦後」からです。空襲での廃墟から高層ビルの建ち並ぶ時代まで全部含まれちゃいますので「昭和の中・後期の風景はこうだ」なんて単純なイメージでまとめられるほど統一されていないでしょう。  また、まだTVが普及していない時代からのことになりますので映画は今以上にたくさんつくられていました。今みたいに全部が「期待の大作」なんてのでなくもっと気楽に今のTVドラマみたいな位置で。ですからやはり「昭和といえばこれ」という一本というのでなくたくさん存在します。  あと、昭和でも中期以前では高校進学率が5割いかないほど。8割以上が高校進学するようになったのも昭和で45年ぐらいから。金銭的な事情で進学を諦める人も多く、高校卒が高学歴であった時代でもあります。 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3927.html

-ruin-
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 時代背景についてもまだ勉強不足でした。 そういうところもきちんと詰めていく必要がありそうですね。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.3

当時の新聞を見てみることをお勧めします。たいてい図書館に「縮刷版」として置いてあります。戦時中の新聞なんかを読んだことがありますが、2面しかないなど興味深いです。 私は40年生まれなので親の世帯より上ですが、昭和56年から趣味の鉄道スクラップをとっています。東北新幹線開業など今見直しても懐かしいです。

-ruin-
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 今度図書館に赴いた際には本だけでなくそちらもチェックしてみようと思います。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.2

   僕が見たテレビ番組や映画では、考証が愉快なものが少なくありません。日本のは遠慮しても、『マッカーサー』の中で焼け跡を八月に白足袋で片付けている東京市民の姿など、笑ってしまいます。     書いたものを調べても大切な事が抜けていたりするので、具体的な質問を準備して、そのころを実際に生きた、今では老人ホームのお年寄りに聞いたりしては如何でしょう。     場所を東京にしぼっても、浅草と山の手、○大教授と火消しの親分では、違います。景観なら、模型を作ってみてもらう。     元気なお年寄りなら車の都合をして、舞台稽古を見てもらう、などと言う方法の方が成果が上がるように思います。

-ruin-
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 各自親世代には話を聞いたりしているのですが、やはり聴覚的な情報では具体的なイメージを作るのは難しいようです。 具体的な立地というのは決めていなかったのですが、とうじ田舎と都会では大違いですね。

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