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秀吉と親の関係
豊臣秀吉が天下を取った際、自分の親への待遇はどのようなものだったのでしょうか? やはり厚遇したのでしょうか? それより前に亡くなっていたのであれば、出世街道を走っていた時の関係でも良いです
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大政所(仲[なか])は、厚遇していたと思いますよ。従一位を送られていますし…。 一応、天正2年(1574年)、近江国長浜12万石の主となった時に高台院(ねね)と共に転居したとの記録があります。←その後、常に身近で孝行に励んだとか。 (ただ、秀吉の立場なら尾張や岐阜時代でも十分母親を面倒を見る甲斐性位あったはず。妾は居たみたいですし…。) まあ大政所は秀吉が天下人になっても慎ましい生活を送っていたみたいですが…。 なお、朝鮮出兵の最中の天正20年(1592年)に聚楽第で死去。享年80(もしくは77)。 (連絡を聞いて秀吉は卒倒したとか) 秀吉の実父、木下弥右衛門は秀吉が7才の時に亡くなっています。 養父の竹阿弥との仲はあまり良くなく、秀吉の家出の原因に成ったとも言われています。 ただ、秀吉の父の情報が何故か殆ど無く竹阿弥の没年すら不明であり、何か有るのかも知れません…。 (実子の秀長の厄介に成っていてもおかしくないのに…。)
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- kawagutinozomi
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回答No.1
お母さんとお姉さんを、城に迎えたという話は聞いたことがあります。 時期は分かりませんが…… お父さんはそのころはすでに亡くなっていたんでしょうかね。
お礼
詳しくありがとうございました 分かりやすかったです!