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戦争犯罪の追及と陸海軍の認識
- 戦後、宮内庁の宮内公文書館には敗戦直後の宮内省による機密書類の焼却指示が残されていた。
- 陸海軍は戦争犯罪の追及を恐れて機密書類を焼いたが、政府機関の中枢が焼却を指示した公文書の発見は稀である。
- 当時、陸海軍は国際法に抵触する行為をした場合を戦争犯罪と認識しており、それが最も問題視される点である。
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戦時下のルールについて,当時既に「ハーグ陸戦条約」という国際法が定められていました。 条約では,「非戦闘員(民間人んど)を攻撃しないこと」「毒・ガスなどの化学兵器の禁止」「捕虜の人道的な扱いをすること」等などのルールが決められました。 http://www1.doshisha.ac.jp/~karai/intlaw/docs/hr.htm ところが,実際の戦争にはルールなんて存在しません。 実際に第二次世界大戦では民間人なんて何人も殺されてますし,捕虜の扱いだって人間扱いされていなかった事などが分かっています。 贔屓目に見ても,日本も条約違反を沢山行ってます。 当然,敗戦すればそういった条約違反が上層部の指示で組織的に行われていたことが公文書などでバレてしまいます。 そうなれば,責任追及され処刑されてしまいます。 それを恐れた上層部が,焼却処分をするよう指示した文書が記事にある史料です。 >当時、何らかの国際法があって、その法に抵触することを日本軍がしていたということであれば、何が一番問題なのですか。 色々ありますよ。 例えば,宣戦布告をしてから開戦するのが決められていますが,真珠湾攻撃において攻撃後に宣戦布告となっています。 どういった事情でそうなったのかはまだよく分かっていません。 また,731部隊というのがあって,そこでは非人道的な研究が行われていたと言われています。 毒ガスや細菌兵器の製造や,人体実験などが行われていたとされています。 上記二つは,有名な事柄ですが,史実は今現在も謎とされています。 もし,公文書が焼却処分されなかったら,色々と明らかになっていたでしょうね。 ではでは、参考になれば幸いです。
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- uen_sap
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具体的に何が戦争犯罪と認識していたかではなく、証拠書類となりそうなものはすべて焼却処分しようとした。 戦争犯罪云々は、これを後世の人が文章にしようとしたことにより加わった修飾語とでも考えておけばよいでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- heisenberg
- ベストアンサー率23% (591/2556)
戦争は、巨大な人間活動です。 さまざまなことが行われています。 勝てばいいのですが、負ければ、いろいろと、批判されたり、断罪されたりします。 「勝てば官軍、負ければ賊軍」です。 負けた方としては、残しておきたくない文書は、沢山、在ったでしょう。 先の戦争では、日本でそういうことが起きた、というだけのことです。 アメリカが負けていれば、同じようなことがワシントンで起きたでしょう。 ソ連が負ければモスクワで、イギリスが負ければロンドンで・・・。 戦争とは、そういうものです。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- TooManyBugs
- ベストアンサー率27% (1472/5321)
戦争裁判が公正な裁判ではなく戦勝国による報復行為であることは常識だから。 国際法など関係有りません。 文書を残さず曖昧にした方が有利だしこちらの手の内を見せる必要などどこにもない。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- 佐藤 志緒(@g4330)
- ベストアンサー率18% (840/4653)
戦争なんだから違法行為は沢山してますよ 二次大戦の米軍の東京大空襲も一般市民を対象にした明確な国際法違反です
お礼
ご回答ありがとうございます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 開戦時の外相・東郷茂徳の手記によれば、終戦間際の御前会議で国体護持と叫んでいた連中が会議が終われば真っ先に東郷の元にやってきて、自分は戦犯になるのかどうか、という相談が引きも切らずあったそうです。 そこで「何が一番問題なのか」という疑問を持ち、質問しました。 ニュルンベルク裁判が開かれる前なので、「戦争犯罪とは何なのか」がまだ不透明な頃だったと思っています。 宣戦布告なき開戦(真珠湾、コタバル攻撃)と731部隊の存在が、日本軍の戦争犯罪として特筆できるということですね。分かりました。 731部隊の実験データをアメリカに渡すことで、その引き換えとして731部隊の関係者は、戦犯になるのを免れた、と何かの本で読んだ覚えがあります。 陸海軍は、機密書類を焼却したそうですが、外務省は多くの重要書類を残してくれているように思います。