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瀬戸内寂○さんの法話について
こんばんは。 タイトルについて。開催されると毎回大盛況なそうですね。しかし私はどう考えても、あの方が世にもありふれた一般論をこんこんと説いておられるだけで、そんなにありがたい事を喋っておられるとは思えないのです。 とは言っても私自身、あの方の小説家としての手腕は高く評価おります。また、評判を聞いてネット古書店で購入までした『美○伝』という本は、期待を裏切らず非常に読み応えのある内容となっておりました。ただ、あの法話や人生論に関しては、どうしてあんなに受けているのかが今ひとつ腑に落ちないのです。(ファンの方すみません‥) しかし‥ あれだけ多くの人の心をつかんでおられる以上、もしかしたら私には理解できない、何か非常に含蓄のある要素が含まれているのかもしれないと最近思うようにもなりました。それを知らずにいるよりは、もしかしたら知った方が、自分のためになる事もあるのではないのかと思いました。ずばり、何が魅力なのでしょうか?特に、法話によって救われたという方に質問させていただきます。
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こんばんは。 学生時代に寂庵近くの寺に下宿していましたので、 なんだか懐かしくなって投稿してしまいました。 といっても、私のいた時代にはまだその施設はなかったように思いますけど。 もちろん私自身も瀬戸内さんの法話を聴いた事はありません。 でも、ご質問者の言われる 「世にもありふれた一般論をこんこんと説いておられるだけ」で 救われる人も少なからず居る、というのが事実かと思います。 世の中にはそれだけ言葉による救いを求めている人が多いのでしょうね。 「ありふれた一般論」が、実は誰にとってもすごく大切な事なのですが それが自分にとっていったいどのような意味をもっているのか、ということを 聴く人の理解レベルに合わせて話すのが「法話」なのだと思います。 思想、信条といった堅苦しいものでなく、雲を掴むようなありがたい話でもなく 自分と等身大の話の中から共感できる部分を見つけだすことで 人は自分の目で社会の有り様を見る事ができるようになるのだと思います。 私は寺に下宿して芸大で彫刻の勉強をしていましたので、 折に触れて住職の法話を聴く機会がありました。 その時にも、やはり話はいつも「ありふれた話」だったように思います。 私なりの勝手な解釈では、 既に出来上がった“ありがたい話”を持ち帰らせるのではなく “ありふれた話”の中に大切なものをひとつふたつ混ぜて持ち帰らせて それがいつかその人の中で大きく育つのを待つ、というようなものかと思います。 瀬戸内さんの法話を聴いた訳ではありませんので もしかしたらとんでもない勘違いの回答になっているかもしれませんが それでしたら無視してください。
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- yukarikihara
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一流のエンターテイナーです。
お礼
ご回答有難うございます。 エンターテイナーという事では、本当に「美○伝」は素晴らしい読み物でした。 しかし、yukarikiharaさんにとっての瀬戸内氏の法話の魅力をお聞かせ頂ければ、もっと幸いでした。
- blitter02
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こんにちは。 私は法話を聞いて心を楽にすることができた一人です。 ちなみに私は30代前半の独身男性です。 苦しい恋愛をしていて、自分自身の存在自体が疎ましく思えたときに瀬戸内さんの法話に出会いました。 法話の中で感銘を受けた言葉があります。 「切に生きなさい」 (未来のことを思い煩わずに、今を一生懸命生きなさい) 「渇愛(相手を求める愛)は、この世で一番苦しいもの」 「愛はもらうものではない、相手に与えるもの」 確かにご指摘のとおり、一般論に近いものだと思います。瀬戸内さんは難しい言葉を使わずに、分かりやすく仏教の教えを(しかも面白おかしく)伝えてくれるのです。 そこが一番受ける理由だと思います。 聴衆は、いかにそれが正しい論理だとしても、小難しい話をする人の説法は聞きたがりません。 私は一度、天台寺に法話を聞きに行ったことがあります。法話は聴衆の大爆笑の連続。しかし話のひとつひとつに「うんうん、なるほど」と思わせる説得力がありました。でも、それが「ありがたーい」お話か、と聞かれれば、ちょっと違う気がする。 つまり、聴衆は瀬戸内さんに<ありがたい話>を求めているわけではないのだと思います。
お礼
皆さん、瀬戸内氏に「ありがたい」お話を求めているのではないのですね。小難しい話を解かりやすく伝えているところに魅力があるという事でしょうか? nes_さんへのお礼と少し重なってしまうのですが、あのキャラクターが、話しに説得力を帯びさせるのに一役買っているというのはあるのでしょう。それはでもいい事ですね。どんなに素晴らしい事をこんこんと述べていても、言う人によってはまるで見向きもされませんから。むしろ、かえってうそ臭く感じてしまう事もありますよね。 その法話によって救われている人が、現に沢山存在する以上、死ぬまで続けて頂きたいな(ご高齢ですので、お体が許す限りは)、と思ってしまいました。bitter02さんが瀬戸内氏の法話に救われたというお話を聞いて、今素直にそう思いました。 質問して良かったと思います。有難うございました。
補足
blitter02さんでしたね。すみません‥下のお礼の箇所でお名前間違えてました‥(ーー;)
- nes_
- ベストアンサー率25% (161/643)
「言葉は生き物である」という話を聞いたことありませんか? これは言葉自体にある種の命が宿っているという意味ではなく、言葉を発する人が、言葉に命を宿すという意味です。ですから、発せられた瞬間から、言葉は言葉以上の何者かになり、人の心に届くのです。この人でなければ説得力がない、って思うことありませんか? 私は、瀬戸内氏の半生を振り返るドキュメントをテレビで見たことがありますが、非常に感銘を受けた記憶があります。そのときから、私の中で「瀬戸内寂聴という権威」が出来上がり、その人の言葉に魅力を感じるようになりました。 ですので、瀬戸内氏の「説法」というのは、瀬戸内氏の権威とかキャラクターによって魅力を付与されている側面が強く、言われていることは単純明快で、少し気の利いた人ならば誰にでも言えることだと思います。じっさい、ちょろっと聞いたことがありますが、「話し方」が優しいし、うまいんですよね。瀬戸内氏は謙虚な方だと思うので、「自分でなくても」と思っているところがあるかもしれませんが、やっぱり瀬戸内氏でなければダメなんです。そもそも、瀬戸内氏に限らず、「説法」というのはお坊さんがするから意味があるんです。しかし、これでいいではないですか。 もちろん「評価」となると話は別で、質問者さんの言われるとおり、瀬戸内氏は小説家でもあるので、小説の中でこそ本領が発揮されるのだと思います。瀬戸内氏の言論人としての魅力について評価しようとするならば、説法だけでなく、文面からも総合的に判断しなければならないでしょう。評価ということになると、なるべく客観性をもたせる努力を怠ってはならないですね。バランスが大切です。 また、イエス・キリストは「誰がそういったかではなく、言われていることは何か、に心を用いなさい」と言われました。これも忘れてはならないことですね。実際には難しいことですけど、その心でいれば、説法を聞いた人も、説法を聞いてない人に伝えてあげることが可能になると思います。そのときは、瀬戸内氏の言葉ではなく、その人の言葉となるわけです。瀬戸内氏は、それを願っているのではないでしょうか。
お礼
>この人でなければ説得力がない、って思うことありませんか? あります! そういう人になる事が、自分の目標でもあります。 ちなみに私が「この人の言う事なら!」という感じで説得力を感じるのは、脚本家の内○牧子さんですが。 >「瀬戸内寂聴という権威」 うーん、ものすごく俗っぽい言い方をしてしまえば、「ブランド」のようなものなのでしょうか‥? あれだけの大人物が、自分を含む一般大衆に向かって直接語りかけてくれる、その事が重要だという事でしょうか。 >「話し方」が優しいし、うまいんですよね。 確かに今考えてみれば、TVで拝見したのを思い出すと、話し方は非常に上手かったなあ、と思います。 あと、今発見しましたが、表情が非常に素敵でした! 聴衆の心を捉えているのは、もしかしたらあの表情なのかもしれないと思えてきました。 少しですが何かわかったような気がします。 お答え頂けて幸いでした。有難うございます。
お礼
いえ、無視しません。 思った以上に早い再会となりました(笑)。 こういう世知辛い世の中で、言葉による救いを求めている人は本当に多いです。それが瀬戸内氏の法話が一般大衆にあれだけ受ける要因のひとつというのは、確かにそうですね。 他の回答者の方へのお礼を書きながら今思ったのですが、大衆というのは「雲をつかむようなありがたい話」はいつまでも覚えているけれど、「ありふれた話」は結構すぐに忘れてしまうものなんですよね。 でも、akiyutakaさんの仰るように、その「ありふれた話」の中にこそ、実はこの世知辛い世の中で生きていく上で、大切なエッセンスがつまっているとしたら‥。瀬戸内氏はそれをみんなに忘れてほしくないから、もうかなりの長きに渡って聴衆の前に立ち(TVでは座ってたかな?)続けておられるのかな、と思いました。 「ありふれている事」は、ともすれば忘れられがちだけれど、実はこの世で一番大切な事。氏はそれを熟知しておられるからこそ、優れたストーリーテラーでいられるのかもしれないですね。 >大切なものをひとつふたつ混ぜて持ち帰らせて、それがいつかその人の中で大きく育つのを待つ、というような 私達がそれを上手く育てるためには、自分を感性をどれだけ上手く磨いていく事ができるか、がかかっているのでしょうね。何を混ぜるかも、その人自身にかかっていますね。瀬戸内氏も、みんながその作業を上手にしてくれる事を願って、ご自身が種まきの役をしておられるのでしょうか。 いい週末になりそうです。本当に有難うございました!