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神様達に質問です
はじめましてこんばんみ。 いきなりですが質問です。 スピリチュアルや霊能など所謂自己啓発の本を読むのが好きです。 その分野に関して全くの素人ですし、学力や知識もありません。 悪しからず(´・з・`) 人間は学ぶ為にこの世に生まれてきた 辛い事は学ぶチャンスであり、それを学ぶ為に… などの文章をよく目にしますが では学び終わった魂さんとやらは 天界へ行ったあとどうなるのですか? もし学びきれていなかった魂はまた転生して生まれてくるんでしょうが、 学び終わった魂さんは上で何をしているのでしょうか? そして神様は魂さん達に学ばせて何をしたいのでしょうか? この世の修行が終わり完全攻略した魂さんたちは上の天界でもまたこの世と同じ様に修行しなくてはいけなくなるとか? どの本を読んでも天界に行けた完全攻略エリート魂さんの話をしていません。 まぁ死ななくてはわからないと言われたらそれまでですがその類の方々ならわかるのでは?と思ってしまいます。 単純に疑問に思っただけですので、ご意見お聞かせ下さいませ! 私たちは神様の分身らしいので…。 神様!教えてください!
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- 18OSX
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>人間は学ぶ為にこの世に生まれてきた >辛い事は学ぶチャンスであり、それを学ぶ為に… それらはすべて答えを出すことのできない質問への逃げの回答です。 神様じゃなくたってそれくらいのことは言ってます。 予備校でさんざん勉強した気になって、最後に「頑張る」と言うのと同じです。 「答えは自分自身の中にある」だなんて、 何も答えを出せない、あるいは、答えたことに責任をとりたくない人の常套句です。 その代表が「神様」なんでしょう。
- lv4u
- ベストアンサー率27% (1862/6715)
以前、似た内容の回答をしましたけど、再度書いてみます。 >>もし学びきれていなかった魂はまた転生して生まれてくるんでしょうが、 そうです。 >>学び終わった魂さんは上で何をしているのでしょうか? 「学び終わった」「悟った」といえる魂は、とても少ないそうです。でも、その魂たちにはさらに「学ぶべき課題」があります。 それは、「学んでいる最中の魂を、どう指導してゆくか」「できるだけ多くの魂を指導するにはどうすればいいか」という指導者としての学びです。 救世主といわれるイエスでも、十字架にかかるとき、主要な弟子は散り散りになって逃げた。(マクダラのマリアなど、一部の女性信者は逃げなかった) 生きている間の伝道という意味では、彼は失敗したのです。でも、死後の復活という奇跡を見せることで、逃げた弟子たちも改心し、信仰を得たんですよね。 でも、やっぱりお釈迦さんのように、最後のシーンでは、主要な弟子達に囲まれて、遺言をテレパシーで主要な弟子に伝えるってほうが指導者としては「成功した」といえるでしょう。 なので、結局は「学び終わった」といえないのです。 そして、そういう魂は、強制的に転生させられることはありません。自分の意志で、自分の思う地域に、自分がもっとも良いと思うタイミングで転生します。 >>そして神様は魂さん達に学ばせて何をしたいのでしょうか? 神は、文明実験しているのです。 「魂を高度に進化させる」という文明実験は、前回の金星文明で成功しました。 でも、「星に住むほとんどの魂が高度に進化した世界」ってのは、戦争もなく美しい、でもある意味で進歩がない退屈な世界です。 (今は無き丹波さんの作った霊界映画では、天国よりも地獄のシーンのほうが、楽しいように見えたりしました・・・) なので、神は、金星文明を滅ぼしました。(星が滅びるってのは分かったので、金星人は、いくつかの星に移住し、一部は地球に来た。) この地球文明は、「進化速度の違う魂が混在する世界での進化実験」がテーマです。なので、さまざまな星から魂群団を移住させたり、いわゆる動物の魂とも見えるものを人間にしています。 現時点でも、他の星からやってきて「初めて地球に生まれる」という魂が沢山いるそうです。 だから、いろんな国どうし、人間どうしがお互いに理解できず、戦争やいがみ合いを続けているのも、当然の結果なんです。 なにしろ、元の星では、その人のような考え方・生き方が常識であり、当然だったのですから。 そして、その地球の存在テーマに従えば、どんなに極悪非道なことを行った魂も、死後に地獄に行き、そこで徒党を組んで地上の魂に悪影響を与えようとも、神は彼らを殲滅しません。 そういう彼らの魂がいかに進化するかを実験するのも、この地球文明のテーマなんですから。 ですから、悪い言い方をすれば、「魂は、創造主によってのオモチャであり、弄ばれている」とも言えるでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど。 学び終わった魂はまた違う試練があるのですね。 お勉強になりました。 回答ありがとうございました。
神、魂、霊性等々といったものは、実用的な虚構です。あたかもあるかのように感じていると、うまくやれることがあるだけです。あるいは、死んだら消え去るということが認められない(怖いとか、嫌だとかいう感覚)場合には、いい方便にもなります。 聖書(特に新約)や仏教の経典などでは、神仏の力よりも、その場での人生相談のようなことに重きが置かれています。街角の占い師も、ベテランだと占い結果の解釈よりも、悩みを聞いてのアドバイスに長けています。 人間の意思決定や行動は、余程のことが無い限り、なんとなく「自分は死なない」という感覚に基づいて決めています。たとえば個人での地震対策について、最初の一撃を生き延びるよりも、その後のことの準備に重きを置きがちです(家具の固定より非常食常備とか)。 人間は予測したがるし、ある程度できる生き物らしく、いつかは死ぬとは知っています。そうなると、死んだ後のことを準備せずにはいられない気持ちが起こるようです。 あるいは、万が一、生きている間にいいことがなさそうと感じても、頑張って生きられる限り生き抜けば、いつかは報われると信じることができれば、そう信じた瞬間に救われることもよくあります。 一方、一切の根拠を示せないため、スピリチュアル、あるいは超常現象的なことは、悪用もされます。たとえば、思い込みを含めた不治の病に悩む人に、高額な壺を売りつけるとかですね。それで、医療を受けるチャンスを失って、本当に死んでしまう人すらいます。 あるいは自分で自分に知らずに悪用してしまうこともあります。天才になれると信じて、ずっと呪文を唱え続ける毎日を送る。念力で木に火をつけるべく、日がな一日、マッチ棒を睨みつけている。そうしたものは、もったいぶった作法や、それらしい道具があったりもします。そうして、長い人生を棒に振ってしまう。 そうではなく、自他を害せずに自分をいい方向に向けられるなら、スピリチュアルでも何でも、信じたいように信じるのがいいでしょうね。 それでも、自分がいいと感じた方法を、他人に勧めるかどうかは、非常に慎重である必要はあります。価値観は人それぞれですから。
お礼
回答ありがとうございます。 えっと…信じる信じない、勧める勧めないなどではなく… 魂の最終地点を聞きたかったのですが…ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 あらま。神様アンチ派ですか。 悩んだときなどはそう思います。 綺麗事じゃないかぁぁぁぁ。と。 回答ありがとうございました。