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市販品を組み合わせて作るお菓子も「手作り」?
- 主婦雑誌などで「愛情たっぷり手作りお菓子」「手作りお菓子は安心安全」「節約お菓子」などの名目でレシピ特集などがある際市販品を使ったお菓子が紹介されていることがあります。
- ホットケーキミックスを材料にしたり、食パンやパン耳をアレンジしてお菓子を作る、チーズケーキの土台作りを簡略化するために砕いたビスケットを利用するなど、市販品を組み合わせてお菓子を作るアイディアがあります。
- 市販品を組み合わせて作るお菓子は、子どもと一緒に作る楽しさや節約の面でもメリットがある一方、「安心安全」「愛情たっぷり手作り」「節約」というフレーズに違和感を感じる人もいます。
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質問者が選んだベストアンサー
仰ること、なにからなにまで同意します。 けれども、きっと質問者さんは論理的思考がお好きな方なのだと思います。 そして、唐突に申し訳ないんですが、経済学の授業で教授が「人は理屈では動かない。そのときの感情で動く」と繰り返し、すごく強い、あまりポジティブでない感情を込めて言っていたことをぱっと思い出しました。 世の中、手作りお菓子に限らないと思います。 人は矛盾する感情に挟まれていて、同時に一番強い感情は「だけど楽をしたい」で、 それを上手くごまかせるようなうたい文句で人を丸め込むような商品は少なくないと思います。 安売りのチラシに釣られて隣町まで高騰してるガソリン代を意識せずに車で出かけちゃうような。 心理学の先生だったかな、人間は「深く考える」ことをしないようにできている生き物なのだと言っていました。 表面のつじつまが合えば、あとはほったらかしちゃうんだとか。 批判したいわけではありません。 山積するすべての問題について「深く考える」をやっていたら体がいくつあっても足りないって、論理学の先生も言ってましたしw お菓子の場合、材料を吟味して手作りなら、街のケーキ屋でパティシエが手作りしたものを買っても「手作り」だし、 むしろプロの技術と衛生観念で家庭のものより数段良いものであるはずです。 …が、「表面的なものしか見ない」人間の感情が、なんとなく手作りじゃない、と感じさせるんでしょうね。 「子供に自分で買った材料でお菓子を手作りしてあげることが愛情深いこと」には、 意地悪な見方をすれば、 日本に昔からなんの根拠もなくあるむやみな手仕事礼賛、 手作りお菓子を作れば自分のほうが優位に立っていると確認したい優越感、 作らなければ周りの母たちは子供に手作りお菓子をあげているかもという焦りと劣等感、 そして現代人なら誰もが感じているだろう、 環境破壊や2011年からの放射能、理解不能にまで高度化した科学技術に対する漠然とした、対処のしようがない不安と不信、 そこから子供を守りたい、守らなければならないという使命感、 けどそこからお菓子作りに話が小さくなるとハードルが高いし面倒くさいという感情の狭間で、ラクな方向に流れているという感じがします。 きちんとしたお菓子を作れるようになるのには、相応の努力を傾注しなければなりません。 そういう努力をいやがりながら「手作りお菓子を作った」名誉だけほしがるのって、 ズルいという気がしないでもありません。 が、こういうことの背景には現代の女性が作り上げた理想像が、おそろしく非現実的なほど高いことが一つにあると思います。 女性の場合、美しく、おしゃれに手を抜かず、人が感心するような気の利いた物に囲まれ、 社交的でいつも慕ってくる人々の笑顔につつまれていて、お菓子も料理もプロ級、 しょっちゅう完璧なテーブルコーディネートと料理で招いた友人をおもてなし、 選ぶ食材はもちろんマンガリッツァだとか知る人ぞ知る幻のワイン、 妻としても夫を立てて夫婦ずっと仲良し、素敵なインテリアのきちんとしたお家で日々「ていねいなくらし」を送っていて 仕事でも取材がくるようなキャリアウーマン、なのに自慢の子を持つ母として子の世話をよくし、洋服やお菓子を手作りし、合間に書いていた人気ブログが書籍化される… みたいな。 実現するのは到底無理なのに、すべての場面から理想像をつぎはぎして、結果すごいことになってる。 ちなみに私がこういう「スーパーウーマンなんかいやしないのに」って指摘を最初に読んだのはアメリカの記者が書いていた記事です。 あんまり日本と変わらないなと思いました。 最初からハードルを高く設定しすぎると、人はあきらめてしまい、超えるのではなく下をくぐるかごまかすことを考え出すそうです。 それにどこからが「手作り」と言えるのかな、と感じることもあります。 自分の中でここからが手作り、という線引きはあるのですが…。 たとえば、私個人の感覚としては、スーパーで売っている「○○の素」、たとえば「麻婆豆腐の素」なんかを使うのは手作りとは感じません。 仰るような「市販のお菓子とお菓子の組み合わせ」も手作りとは感じません。 が、 >食パンやパン耳をアレンジしてお菓子を作る は手作りと感じなくても、パンをパンプティングにしたらそれなりに手作りと感じますし、 もし、私より数段上で線を引く人、たとえば 「ケーキを作るのなら、小麦を挽き、イチゴは自家栽培、生クリームは契約酪農家から自分で搾乳しないと」 って人に「あなたのは手作りじゃない」と言われたら…。 長くなって申し訳ありません。 ご質問を読んで感じたことは、どこからどこまでなら現実的で、どこからが非現実的なのか、考えてみたい、ということです。 確かに仰ることには賛同します。 ご質問にあるような感覚が私のなかにもあるからで、質問者さんと私の線引きが似たようなところにあるのだと思います。 けれど、安心安全も、突き詰めると「無農薬・有機栽培をした小麦を…」、さらに「土地も安心・安全か検査し、肥料まで手作りし、肥料を作るために家畜を育て」というふうに拡大していくこともできなくはありませんか。 当然、現代人がそれを「子どものおやつ」のためにこなすことは不可能です。 そしてたぶん、安心・安全の基準がどこにあるのか突き詰めるよりも、 そうした「ズルをしたい」に見える人々に対する自分の感情が、非難とか、「私ならもっとできるのに、この人はこんな低レベルで…」という密かな優越感だということのほうが、突き詰めやすいし、考えた方がいいのかもということです。 本当に長くなって申し訳ありません。 新年の豊富は、今年は読む方のことをもっと考えて肝要を目指そう、ですね…。
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あくまで、個人の意見ですが、、、 「愛情たっぷり手作り」「節約」はうたってもいいかと。まぁ、節約は物によりますが。。。 ただ、「安心安全」は言いすぎかな。 ってか、売ってるものですら言い切るのは難しいかと。。 でもこれってお菓子に限りませんよね。 ミートソースのパスタ、カレーライス、マーボー豆腐などの中華系、いったいどこから作れば手作りなんでしょう? 新たな疑問を残してすみません(笑)
お礼
ご回答ありがとうございます。 no2の方へのお礼にも書きましたが、 手作り材料の線引きって難しい(ほぼ不可能)と 常日頃感じています。 カレーライスなどの料理についても 前々から不思議に思っていました。 料理本などでは 「ルウから手作りすべし」とあったり「ここで市販品を投入」とあったり、いずれも「手作り」を謡っている。 じゃあ、レトルトカレーを温めてご飯にかけるのでは「手作り」とは言っちゃいけないの? 買ってきたカレー弁当をお皿に移し変えて供するのは?? …など、キリがありませんね(^^;)。
- cooci
- ベストアンサー率29% (1394/4779)
手作りでよいと思いますが。 市販品を使ったものが手作りでないなら、バターや塩、砂糖、小麦粉などすべて自分で作らなければないと手作りではないとなります。 「安全安心」はそもそも手作りかどうか以前に原料の時点でどうなのか話にもなってきます。 「愛情」については手作りかどうかは無関係ですね。 関係が完全に冷え切った夫婦の妻が夫に惰性で作った手作りの料理を食べさせているなどというケースは腐るほどあります。 手作りと言うだけで愛情がこもっているかどうか判断できるほど単純ではないでしょう。 節約はケースバイケースでしょう。 「時は金なり」という言葉もありますし、時間が節約できるということも節約を意味することもありますので。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ケースバイケース というお言葉がしっくりきました。 おっしゃる通り どこから手作り?という件に関しては、 以前から難しいなぁと考えていました。 バター→突き詰めれば、牛を飼って~?などからやらないと「手作り」ではない?!→きりがない(無理)。 線引きはできないから、それぞれの考え方次第でOKということですかね…。 安心安全の件は、 手作りだからといって安心安全とは言い切れないし、 だいたい、危険な物が堂々と市販されているわけないよね…と気になっていました。 このての議論はたまにあるようで、 「ケーキ作りで安心安全を追求しようとすると、材料費がばか高くなる(節約にはならない)」 「市販品で原材料を見て安心できるようなお菓子よりは、材料を厳選して作る手作りお菓子のほうが安くすむ」 などの意見が交わされていました。 愛情が手作りとは無関係という件、同感です。 子どもが喜ぶからキャラクターのお菓子を買うとか、 記念日に奮発して買ってあげるケーキ屋さんの名入りケーキを注文するとか、 外食のお楽しみとか… 愛が詰まっていると感じます。
- 川村 成樹(@gillle)
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こんばんは。パティシィエです。 まずご質問にお答えするなら「手作り」で構わないです。 あくまでボクの個人的感想ですが。 別ないい方をするなら「プロのパティシィエが作りお客さんからお金を払って買ってもらうお菓子でなければ」それイコール手作りではないかと思います。 少し強引な例えかもしれませんが。 つけ加えるとアマチュアの方たちのお菓子作りってもっと自由でいいと思うのです。 「こうでないといけない」 「何々しなければいけない」などの制約が増えると楽しくないと思います。 食べた子供たちが「おいしい」と言ってくれて大きくなったときに「お母さんが作ってくれた手作りお菓子」として忘れられない素晴らしい記憶になればそれが全てのような気がします。 ご質問者様の疑問もわからなくはないですが そんな風に感じます。 もしご参考になったなら幸いです。 ジルより
お礼
ご回答ありがとうございます。 プロのパティシィエさんからのご意見 大変参考になりました。 子どもたちにとっては、おいしい思い出が何よりですね(^^)!
お礼
大変詳しいご回答をありがとうございます。 人間だれしも矛盾をもっているものですし、 その時の感情で深くは考えず動いてしまうものですよね。 今回疑問だったのは 実際お菓子を作る人びとの感情はともかく 雑誌記事にのフレーズについてでした。 記事を書く人自身の感情 そして 読者から期待されているであろう記事 がそのようなフレーズを踊らせた その背景にはご回答者さまがおっしゃったような社会的風潮がある と考えることができそうですね。 そうなんですよね なまじ素人が手作りするより 衛生管理された場所でプロが作っているお菓子のほうが 安心安全とも言えるんですよね。 また、 有機や無農薬、堆肥を用いた農法がなどが安心安全かというと 必ずしもそうではない かえって危険性があると 科学的見地から述べられる方もいらっしゃいます。 私も有機無農薬.自然食品信仰に関しては一歩距離を取って考える派だったりします。。 市販品の組合せお菓子を手作りと称する行為がズルいとまでは思えないし 優越感も抱けませんが(粉や卵を使って手作りすることもありますが 買ってきたお菓子をそのまま食べることだって少なくない) それぞれの考え方次第&自己満足でよし と捉えるのが良さそうですね。 雑誌記事を書く人だって一個人の感情があってしかり 言論の自由がありますものね。 大変参考になりました(^^)