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デジタル的に生きるべきか、アナログ的に生きるべきか
人の寿命は限られており、いつかは必ず死にます。 最もデジタル的な生死 ある工場の労働者であった彼は毎日フォークリフトを運転し、一年のうち数日を除いて毎日15時間働いていたとゆー。 ある日彼は仕事を終えて、家に帰り晩飯を食って風呂に入り寝入ったのであった。 次の朝彼の妻が彼の寝床に行くと彼は布団の中で死んでいたとゆー。37歳であった。 あまりに完璧な死に様、あまりに完璧なデジタル的終結。 一方、 最もアナログ的な生死 ある町役場の戸籍係をしていた彼は60歳にて定年退職し、そのあと趣味の盆栽をしながら20年を暮らした。 続く5年ほどは何をするでもなく好きな酒を飲んで暮らしていたが、酒が祟って腎不全から多機能内蔵不全となり病院に入院する羽目になった。しかしもともと心臓は丈夫であったので直ぐに死ぬことはなく病院のベッドの上で点滴を受けながら続く5年を細々と生き続け90歳を超えたある日病院のベッドの上で息絶えた。 あまりに細々とした死に様、あまりにアナログ的生き様。 さてさてこの両者のうちどちらが美しいと言えよーか。 もし選ぶとすれば皆はどちらの生死を選ぶことになろーか。
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質問者が選んだベストアンサー
いや、いや、久しぶりに大笑いしちゃいました。 ここ哲学カテで、時々ニヤッとする質問や、回答に出会えて面白いですが、今日は笑っちゃいました。 デジタル人生もアナログ人生も、ここで取り上げた人の人生はどちらも“細々”とした死にざまだと思います。 いくらなんでも十五時間も働かなければならない、という事が本来不自然なのです。“人間”だからだよね。 他の動物が笑っていると思います。 と、ここまで書いてふと笑えなくなりました。 客観的には前者は気の毒。後者はうらやましい。 といった感じですが、肝心なことは当人がどう受け止めているか、だと思うので答えは人によりけりでしょう。 どちらも美しさは感じません。色でいえばグレーだね。
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- kurinal
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「生まれ変ったら、こーでありたい」、 好きに言ってなさい。
- NemurinekoNya
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こんばんはです。 わたしは、もっともアナログ的生死(苦痛なし)がいいです。これといった大きな病気をすることなく、眠るように老衰死をしたい。これがわたしの考える理想的な死に方です。できることならば、その死の瞬間まで、体が自由に動くようであって欲しい、と思っています。 生を絶対視するわたしは、「最もデジタル的な生死」は断固拒絶します。これを肯定すると、積極的安楽死や自殺を肯定することになってしまう。戦前のカミカゼや江戸時代の切腹への美化や讃美につながる危険性がある。さらに、「社会の役に立たないお年寄りは姥捨山に。。。。」になってしまう。生命軽視の思想につながる危険性がある。 人間には生きる権利がある。しかし、自らの(積極的)死を選択する権利はない。人間は、与えられた条件下の中で、生きられる限り、精一杯、懸命に生きつづけなければならない。 眠り猫は、このように考えております。 最もアナログ的な生死でも、何らかの楽しみや生きる希望を見つけることはできるでしょう。毎朝、やってくる看護師さんがかける「おはようございます」や、見舞いにきてくれる家族や友人の顔を見ること、それが今日と明日を生きる希望や生きつづける意味であったとしても、何故、それを笑う権利が我々にあるのか!! わたくしは、生意気ながら、かく考えます。 たとえ、死刑囚であっても、その命はひとしく尊いんです。憎むべきは、死刑囚の命ではなく、その行動、犯罪行為なんです。この世の中に、死んでいい人なんか、一人たりともいない!!です。
- kfer_oope
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いえいえ、ムリして生きる必要はありません。妄言を吐いて便を垂れ流すだけの 無能で有害な存在だし、死んだら仏になれると主張している(今よりも価値的な 存在になる)のだから、ムリをして生きる必要は全くありません。 石原慎太郎、鳩山由紀夫、田中真紀子と同等に、有害なだけの存在なので、 しっかり考えて、迅速に質問者はその生涯を終えましょう。それが誰にとっても 有益になります。質問者は賢明な方なので、しっかり考えましょう。