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私の大学での査読についての質問とは?
- 大学での査読について、私は多くの困惑を抱えています。査読結果が異常に低く、また査読者との関係が険悪な状況になっています。査読の点数が低くなる理由や大学側への交渉方法についてアドバイスをいただきたいです。
- 私は文系の博士の院生ですが、私の大学では査読は十段階評価で行われています。しかし私は査読に通過したことがありません。しかも、査読の点数が回を重ねるごとに低くなっているのです。この異常な状況について大学側への交渉方法を相談したいです。
- 私は大学院で紀要の査読を受けていますが、査読結果が異常に低くなっています。学年が上がるにつれて点数が低くなるのはおかしいと思います。また、査読者との関係も険悪で、拒否権を発動する点数が頻繁につけられています。大学側への交渉方法を教えていただきたいです。
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質問者が選んだベストアンサー
色々大変ですね。 面倒な話ですが、私は査読者Aに悪意はないと思います。 理由としては、 1)研究もする気がないような人なら、昔のあなたの論文の評価をいちいち覚えて 評価を変えるというような几帳面な事ができない。 2)質問者さんの指摘の通り、身内が低い点数をつけるという慣習はありがち (私の大学院の修論審査がそうだったはず) 3)あなたが嫌い、もしくは主観的に研究に問題があると考えているのなら、学内 という立場を利用してもう少し具体的な圧力をかける 4)査読で色々とドラマが出来るのはよくある話(※) というような事が挙げられます。 重要なのは3でしょうか、私は経済学が専門の人間なので、質問者さん、指導教 官(あるいは貴方の見方の学内教員)、査読者Aそれぞれの利得関数と最適な戦略を あれこれ考えてしまうのですが、貴方に何か敵意があるとして、査読で嫌がらせと いうのは査読者Aにとってメリットのない行動のような気がします。彼に学内で力が あれば、もう少し具体的な実力行使ができますし、力がないのであれば査読者を変 えられるだけなので、あまり意味のない嫌がらせのように考えられます。質問者さ んの大学の紀要の編集方針はわかりませんが、紀要は院生に対してはハードルを厳 しくする事も多いので、それもあって初見で掲載レベルに達しないものに関しては、 質問者さんが書かれているように省エネで低い点数(「お客さん」要素の強い修士 では甘い点数付けをして、「研究者仲間」に近くなる博士では厳しいというのもあ りうる)をつけて「次回に期待」としているだけでは、と思ったりもします。 ところで、 A)紀要に出されている論文と学会誌に出している論文と比べた場合、どちらが自信 作ですか? B)指導教員は論文についてどう評価していますか? (厳しい?/好意的/研究自体への関心低い?) このあたり、コメントしていただけるとより的確な回答ができるような気もする のですが、いかがでしょう。 あと、※に書いた通りで、査読者の変更はよくある話なので、そういう話が通り そうな雰囲気であれば申し出るのも良いのでは、と思ったりもします。 ※)私はポスドク研究員ですが、異分野にあれこれ首を突っ込む関係で、目上 の先生方から色々査読の苦労話を聞かされることが結構あります(あまり専門 が近くないんで話しやすいんでしょう・・お前もどんどん論文出せとどやされ ますが)。曰く、あまりにも査読が厳しいので、その説得や査読者を穏便に行 うのに苦労した、とか、分析に問題のある論文をリジェクトしたら問答無用で 査読者から外されたとか、本文は(水準はともかくとして)問題ないものの、 本文執筆で力尽きたのか、要約の英文が意味不明(文章が稚拙とかいうもので はなく、単語カードをシャッフルして並べたの?という感じの文として成り立 たない単語の羅列・・・)で、これってコメントすべきなの?という話とか・ ・・。
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>学説の方向性の問題ですか。しかしそうしたことで、教育社としての義務を放棄し、院生を発狂せんばかりに追い込んでくるものでしょうか。 ぼくは人文,社会,自然科学のすべての卒論,修論,博論の発表会・合評会に顔をだしてきましたが,なかには「その筋ではずいぶん評価が高いらしいが,的はずれ(ないし机上の空論)で全然だめじゃん」と思うものもあります。もしそれがぼくの指導学生ならば,不合格にするでしょう。 合評会では,わざわざ他分野にケンカを売りたくはないので,ぼくは沈黙しています。だから,もしその「全然だめじゃん」の査読依頼が自分のところに来たら,「私の理解をこえていて評価できないので,レフェリーを降りる」と返答するでしょう。査読者Aは,そういう気くばりができない,社会的アホかもしれませんね。 >ちなみに査読者Aはここ十年以上、論文とよべる長さのものを発表しておらず、研究の立ち位置さえ表明していない状態です あはは。ぼくも近年は管理職としてバカみたいに忙しくて,勉強してないよ。だからわずかな休憩時間に,この質問コーナーでひまつぶししているわけ。
お礼
ありがとうございます。私のお礼欄に誤字がありました。教育社ではなく、教育者です。申し訳ありません。 >「私の理解をこえていて評価できないので,レフェリーを降りる」と返答するでしょう。 査読者Aにも、そうあってもらいたいものだと思います。できない事は判断保留にするという態度は、逃げというより、学術的な誠意なのだと私は思います。 査読者Aは全能感に酔いしれているのだと思います(確かに頭は悪くない人です)。なまじ頭が良いという自負がある人だけに、査読者Aご本人が、自己を律する事は期待できません。私は絶対にああなりたくないと他山の石にしています。 >ぼくも近年は管理職としてバカみたいに忙しくて お忙しい中、どうもありがとうございます。それにしても、色合いといい、模様といい、素晴らしい猫ですね。
補足
考えてみたのですが、今後も査読に落ちた場合、同じ論文を上位ランクの学会誌に投稿してみようと思います。これを査読者Aが知れば、さすがにまずいと感じると思うのです。 実際、私の方からも攻撃を加える手札が手に入ります。例えば次のような事です。まず私が吹聴して歩きでもしたら、査読者Aの学会内の評判はガタ落ちします。また、ここでの査読結果をもとに、紀要の審査はなんなのか?と私に訴えを起こされる危険もあります。いくら鈍感な彼でも、身の危険を感じると思うのです。 学会誌に方で落ちるなら、これは掲載されても、掲載されなくても、大差ない論文だったと思い、諦めようと思います。査読者Aの物言いが無礼だったとしても、そういう対応しかしてもらえないクオリティという事でしょうから。 このアイディアはどうでしょうか? 難点は、紀要に落第するので1年、学会誌の投稿の機会待って半年と時間がかかるという事です・・・全然、業績の助けにならない事は確かです。
- kgu-2
- ベストアンサー率49% (787/1592)
文系では、紀要があるそうですが、理系では『価値はゼロ』で、完全に無視。論文の数稼ぎ』としか考えていません。身内には甘くなるからです。 学会誌に掲載されるのなら、紀要ではなく、学会に投稿すべし。井の中ではなく、大海で勝負して下さい。
お礼
おっしゃる意味は分かります。訳の分からない人に関わっているのは馬鹿みたいだとおっしゃるのでしょう。しかし、そういう問題と違うのです。理由は3つです。 まず私が紀要に載せたいのです。自分が学部生の頃に読んだものに載っているという事が、一つの夢なのです。次に年間に二つ以上の業績を作るためには、紀要を看過できないのです。最後に学内に論文を読ませたい人がいるのです。それも「私の論文を読んでください」と送るのではなく、「おや?」っという自然な形で。
No.1の補筆。 >文系の博士の院生 >学会誌の方は、私はよい点で査読に通る >「論旨には概ね納得する」と述べておきながら、査読の点数に2点 あたりをつなげて >査読者Aのような状態が発生しうる 可能性について回答すると: 人文・社会系(とくに社会系)では,立脚する学説,問題のとらえかた,方法論などが異なると,「論旨には概ね納得」しつつも,「根本がまったく自分とは相容れない」という人(査読者A)がいるかもしれません。学会誌のほうでは,<その系統>の査読者をあてているので,評価が高いのかもしれません。
お礼
ありがとうございます。分野を申し上げたいのですが、見る人が見れば、分かってしまうかもしれず、文系としかお伝えできない事をお許しください。 学説の方向性の問題ですか。しかしそうしたことで、教育社としての義務を放棄し、院生を発狂せんばかりに追い込んでくるものでしょうか。それが信じられないのです。ちなみに査読者Aはここ十年以上、論文とよべる長さのものを発表しておらず、研究の立ち位置さえ表明していない状態です。
学内紀要での院生の扱いは,「学位請求論文(D論)を提出するためには,一定数の公表論文が必要だ。学会誌投稿してたんじゃ間に合わない(あるいは永久に受理されない)から,内輪で形式だけのいんちき査読をして,本数稼ぎをさせてやろう」というものだと,ぼくは認識しています。もしことさらに落とすのであれば,この大原則に反しますね。 あなたの質問文に書かれていないのは,<指導教員が>この一件をどう判断しているかです。投稿論文のできぐあいをいちばん理解できるのは指導教員であり,その見解でもおなじく「リジェクトは不当」なのか。そういう同意が得られたら,紀要編集委員会になにか働きかけてくれるんじゃないですか。
お礼
ありがとうございます。 >内輪で形式だけのいんちき査読をして,本数稼ぎをさせてやろう >もしことさらに落とすのであれば,この大原則に反しますね。 悔しい事ですが、私もそう思います。実際、私の落ちた回の紀要をめくると、信じられない事に、一ページ丸々が引用という論文が掲載されています。資料として珍しくもなく、どこの本屋でも簡単に手に入る日本の現代作家の小説です。その程度の媒体です。 こういうものに落ちるのだから、私は他大の院生に「信じられない」と言われ、仲間内では、よほど出来が悪い院生であると看做されているに至っています。負け犬の遠吠えなんじゃないの?と思われるわけですから、誰にもまともに相談できません。 指導教官は、微妙な態度を取っています。査読者Aは指導教官の上司に当たりますし、事を構えたいはずはありません。また私の論文は、是が非でも掲載したいなどというレヴェルに及んでいません。凡庸な先行研究のいくつかを覆す事は出来ます。しかし六十歳くらいの第一人者が書くような、最前線の研究には遥かに及びません。またこういう不幸に見舞われているのは、一部の院生だけです。上述したように、適当な論文も載っているのです。指導教官が動く事は考えられません。 私がアカハラの査問会議を開けと騒ぎ出せば、何か考えてくれるかもしれません。でも私としても、将来、もっとよい論文を書ける気もします。ここで査問委員会を平気で開く院生だと評判が立てば、就職できなくなる危険もあります。査読者Aに一矢報いるために、研究者としての評判を落とせないのです。
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お礼
論理的に書いてくださり、どうもありがとうございます。列挙してくださった理由、納得いくものでした。おそらく末尾に書いてくださったように、先生方から聞いた裏話を反映して整理してくださったものなのでしょう。 >貴方に何か敵意があるとして、査読で嫌がらせと いうのは査読者Aにとってメリットのない行動のような気がします。 おっしゃる通りだと私も思います。だから何なのか訳が分からないのでした。査読者Aは奇想天外なところがある人ですが、猫がネズミで遊んでいる感覚なのかもしれない?とも思いました。しかし相手は大人で身分がある人ですから、イジメを安易に行うとも思えません。そこで私の思考はストップしたきりです。 >ところで、 A)紀要に出されている論文と学会誌に出している論文と比べた場合、どちらが自信 作ですか? 紀要論文です。文体は学会誌の方が難しいのですが、中身は紀要論文の方が充実しているのです。平易な文体である上、要点が整理されており、何も知らない人が読んでも当該分野の概要が分かるように書かれています。学会誌の方は投稿した私が言うのものよくないですが、文体やレトリックで話を誤魔化したところがあります。論文を建築物として構造を計算すると、より強靭なのは実は紀要論文です。 >B)指導教員は論文についてどう評価していますか? (厳しい?/好意的/研究自体への関心低い?) 微妙なニュアンスがあるので一概に言えませんが、こういう場なので単純化して書こうと思います。細部を書くと匿名ではなくなりますし、読んでいただく側も意味が了解しづらくなると思いますから。 まず研究テーマは指導教官の関心の埒外で、それを読むにはゼロから調べないとならないと思います。もっとも事前に了解を得ていますし、興味が無いのなら先生の提示するテーマに変更します、とも申し出ています。私がプランを持っていって、話し合って決めたので、これについては異論はないはずなのです。 論文の評価ですが、パースペクティヴは明らかであり、その方向性も良好だそうです。実際、私もダメ出しをされてからかなり苦労して修正したり、研究を放棄してやり直したりしています。ただし研究の細部で問題を感じることが何度かあり、一人立ちできるレヴェルではないという感じです。資料の扱いに甘い点があるそうです。 抽象化して言えば、次のことです。とある一つの資料から解釈できることが、ABCDと四つあったとします。この四つの可能性がある中で、 私は突然、Bのみに注目してしまいます。するとACDはどうなっちゃうんだろう?と思う人が当然いるわけです。しかし私も馬鹿ではありませんから、先行研究を調べて、残りの三つのうちの一つくらいは潰しておき、Bの解釈でならねばならない理由を論述しています。 しかし依然として、二つの解釈の可能性が宙に浮いたまま残っています。二つについて、私は予期していないことが多いのです。「先行研究の誰も書いていないし、そこまで考えないでもよいことなんじゃないか? そういうことを言い出していたら論文が書けない」くらいに思う細部です。こういう次第なので、仮に二つを重要視する研究者が出現すると説得できません。そして相手は「こいつ、自分の論旨のために資料をちゃんと解釈していないな」などと思うことでしょう。指導教官からは、総合的に見てどの水準にあるかは、言明がありません。
補足
○締めるにあたって 議論が宙づりですが、締める事にしました。No14を見て、正直、悲しくて、嫌で嫌で仕方がありません。時間が経つと、効いてきました。再投稿を待つといいました。しかしその投稿がまともな投稿である保証はどこにもありません。更に人の心を抉ろうと手ぐすね引いているのかもしれません。待っていられないという気になりました。彼の心を私から破壊するようなことをやってもいいですが、私はそれはしないと自分で約束しました。しかし以下の問題点だけは言っておきます。 (1)少ない情報で判断を下している(憶測の域を抜けない)。 (2)総合的判断が下せない状況で断定する。 (3)相手の心情に配慮などしない。 (4)悪意がないと言明しているが、何が意図か明記しない。 (5)説得的に書く気がない(能力がないとはいわない)。 (6)自分自身で良く知りもしない比喩を持ち出し、相手を不快にする(文体が「ゲーム本」(ライトノベルの意か?)などと言い出す)。 (1)と(2)で学術研究者としておかしいでしょう。次に(3)(4)(5)で教育者としておかしい。人間としてもおかしい。正直、論述のレヴェルとして最低とはいわないが、私より低いと見ています。教授だと思って権威に配慮するとか、この人は信頼に値すると思って前提的に信頼を置かない限り、意見を聞く気になりません。 さらに(6)については、あまりにひどい。本題とそれますが、私としては話を聞きたくなくなる大きな要因です。ハンドルネームが八十八夜ということはおそらくは日本文学の研究者ではないまでも、古典文学が好きなのでしょう。ハイカルチャーを気取ってサブカルチャーを見下しているのでしょう。だからライトノベルなどと言い出すわけです。私はサブカルチャーを擁護するものではないが、見下す態度には嫌気がさします。 井の中の蛙という言葉が頭をよぎりました。日本の文化を私は愛していますが、諸外国のそれを見れば、ハイとかローという観念が崩れます。有り体に言うと、私はハイカルチャーの研究者です。こういう野蛮な考えを見ると、ムカムカして来て仕方がありません。お前の文体は大体なんなのだ、私より優れているかのように語る自負はどこから来るのか、と言ってやりたいところです。 ともあれ心を落ち着けたいと思っていたのに、余計心に傷を負わされて不愉快です。正直、かなりのトラウマであり、No14の投稿者には道義的な意味での責任を求めます。どこかで騒ぎになっているような民事訴訟などはしませんが、胸に手を当てて、自分が何をやったか考えてみてください。それでも何も感じないというのなら、悪いことはいわないから、本当にカウンセリングを受けていただきたいと思います。それだけのことをやっています。 カウンセリングを受けろというのは私の捨て台詞ですが、真面目に考える価値があると思います。私はこうやって逃げますし、ウェブだからさっさと逃げれますが、No14の投稿者は身の回りの人にも同じことをやっているでしょう。特に善悪の判断が停止しており、相手の心情に配慮できないというのが危険きわまりないことです。いわゆるサイコパスになりかかっているのかもしれません。案外、話し相手がいないから、このウェブで暇つぶししているんじゃないでしょうか。しかし周囲の人が可哀想です。話してみると案外いい人だったということはあるかもしれませんが(というのも一度はちゃんとした回答が来た)、いきなり背負い投げを食らわされるのはたまりません。 心を許した瞬間、その隙にズブッと遠慮なく来るわけですから。相手が弱味を見せるのを狙って、自分を優位に立たせたいのでしょうね(これでも私は手加減して書いています。私の方こそ、鬱の結果、サイコパスになりかかっているのですから用心しないとなりません)。 ベストアンサーは整理して論理的に記述してくださったという意味で、選ばせていただきました。