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教科書体とは漢字の形の基準ですか?
- 小学校における文字の指導は、教科書体が基本となると聞きました。自分が小学生の時は、とめ、はねの指導をしつこくされて、バツがついた記憶があります。
- 最近気になっていることですが、パソコンのフォントで、教科書体と楷書体には差異があることです。教科書体通り、「はらい」で書くことが推奨されているのでしょうか。それとも、どちらでもいいのでしょうか。そもそも、教科書体というのは日本という国において、基準となる漢字の形を示したものなのでしょうか。
- 似たような事例では、小学校の時は「きへん」の縦棒ははねるな。「てへん」の縦棒ははねろ、と習いました。「きへん」の字ははねるとバツになりました。ですが、先生によっては、「きへん」のはねは許容である、と仰る人もいます。確かに毛筆では(「てへん」ほどではないにせよ)はねることもあると思うのですが、「きへん」ははねない、というのが、小学校の指導では絶対的なものだと考えている先生も多いようです。
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手書き文字の書体は基本、篆書・隷書・楷書・行書・草書の五つしかありません。 これに対し「パソコンフォントの書体」は元々は写植をベースとする印刷活字メーカーが独自に作成した性質の存在です。 ですから同じ明朝体の活字一つをとってみても教科書明朝もあれば石井明朝・リュウミン・ホソミン・チュウミン・フトミンなどのバリエーションがあります。等幅明朝もあります。 元々は明治以降の学校制度の創設による教育の普及を目的として「取り敢えずの標準的な書体」として誰もが書きやすく読みやすいことを意図して基準となったのが「楷書」です。いってみれば「正体(せいたい)」です。 漢字の「てん・とめ・はらい」に関してはとても悩ましい部分です。人それぞれによる書き癖もあり、一概にその人の癖を否定することもできません。 水という文字の立て棒の部分にははらいがありますが、現在の子供達ははらいをつけない子供もいます。つけていてもそれが明らかに付けられているものか書き癖でついてしまったものかは本人に聴いてみなければわからない。こうした意味で「許容範囲」が設けられていることになります。絶対的に正しいなどの基準はありません。 ご質問の「きへんのハネ」は「ハライ」がデフォルメされた形です。次の筆順へ進むために一筆書きする形で「はねてしまった形」です。従って許容範囲とはなります。 学校で教える漢字の要素は「読み」「意味」「画数」そして「筆順」があります。つまり正しく書くためには「筆順」を理解し、読みやすい文字を書くには一筆書きよりも一画一画を丁寧に書くことを身に着けさせることが大切です。どちらかといえば小学校の先生は「自らが正しいと思える依って立つ根拠や裏付け」を欲しがります。それも権威との怪しげな存在に自らを委ねがちです。 本来なら自らが調べ(勉強し)それによって自らの教えた内容に誤りがあったならは素直に「この間、話したことに誤りがありました、ごめんなさい」と頭を下げればそれで済むだけの話です。中学校や高校にも似たり寄ったりの部分はありますがそれでもまだマシな方で、これが大学に至ったら逆に教員が胡座をかいて学生からの質問に真摯な対応を拒絶する者などもみられます。 話は横道に少し逸れますが、学校の教材で採り上げられる文学作品とそれに対する「理解」の問題があります。一先ずのガイドラインとしての「読み方」はありますが、その読み方が決定的に正しいなどとは限らない。その作品が著者の手を離れた時点で「言葉」は一人歩きを始めます。著者の意図とは異なる解釈が次々に生まれてくることとなります。言葉はその人が持って生まれた才覚やらによって育まれた感性と理性によって紡がれる。だからそこには「このように読みたい、読んで欲しい」はあっても「こう読まねばならない」との制約もありません。取り敢えずのガイドラインはあってもそれが「正しい」などとは恐ろしくていえない。言葉は時代によって変化することも早に知られています。「全然」との形容があった場合の語尾が「~ではない」と否定の要素を伴うとの解釈に基づき「全然すばらしい」などの表現に眉をひそめる方もいらっしゃいます。けれども明治時代の文豪達が遺した作品などを読みますと、否定を伴わない表現があることも確かでその当時には一般的な言葉遣いだったこともわかってきます。 「一つの枠を基準」を設けそこに鋳型に流し込まれる熱した金属のような形で流し込み均質なものを造ることが果たして文化や教育の世界に適用して良いものかと問われれば、僕は少なからず疑問を感じてしまいます。失礼しました。
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- Postizos
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まず印刷書体の「楷書体」は毛筆手書きの楷書体とは字形の違う物があります。つまり手書きの字形に忠実ではなくて印刷に適するようなデザインをされているということです。 そのため小学校の教科書では印刷した時に多少カッコ悪くてもなるべく忠実に手描きの楷書体に近いデザインの「教科書体」というフォントを使うように指定しているわけです。 http://www.morisawa.co.jp/font/fontlist/details/fontfamily033.html 手書きの字形には必ずゆらぎ・揺れがあるのであまり字形を統一することにこだわるとおかしなことになると思います。 しかし印刷を行う上では字形を統一して行かないと機材側が膨大になり、また読む側でも紛れが多くなってしまいます。なので明治以降活版印刷が導入されてからは統一化してシンプルにして行く方向で来ているわけです。特に平仮名などは手書きや整版(木版印刷)の時代には何種類もあった字形が、一音一種類にされています。 整版印刷↓ http://matome.naver.jp/odai/2128399679794743101/2128399721894760203 ですのでいろいろ字形があるということをわかっている大人の方ならば、印刷書体に引っ張られてわざわざ書きにくい字形を真似る必要も無いと思います。 http://www.nagamura.jp/moji/minchou/cat4/ http://www.screen.co.jp/ga_product/sento/pro/typography/02typo/02typo.html 公文書や印刷では字形や使える漢字を制限しようとかいう官側主導の流れは明治以降はあるように思いますが、手書きの字まで細かく統一されるべきかというとそうでもないのではないですか? 様の木偏のたて画は行書草書でもはねないのが半々でしょうか。最終画の払いは次につながる文字が無いのなら払うほうが多いですかね。 http://r-jiten.nabunken.go.jp/ichiran.php 学校を卒業されて、採点されたりすることが無いのでしたら、大きな要素の違いでないかぎりそれほど神経質になる必要は無いと私は思います。
お礼
回答ありがとうございます。 色々なリンクを提示してくださって感謝いたします。 色々な意味で大いに勉強になりました。 手書きの文字は、当然一人一人の個性が出ますし、大勢が全く同じ書き方を するなんていうことはあり得ません。そのために「許容範囲」というものが 設定されているのでしょうね。であれば「許容範囲」の外に少しでも出たら その字は間違いなのか、と聞かれると、そこはよくわかりません。 どこまで自由でどこまで制限があるのか、なかなか難しい話ですね。 私は小学校の教員ではありませんが、子供の字をみる機会が多いものですから 特に最近疑問が次々と沸いてきて、このような場がとてもありがたいです。
- TANUHACHI
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一番大切なことが読み難くなっていた可能性がありますので、その部分だけを端的に書きます。 「教科書体」はフォントです。活字の一種です。書体ではありません。この点をご理解いただくことがこの問題の要点です。 毛筆フォントも書家が書いたものを画像として分析しているため、そのオリジナルによって文字の解釈も異なります。王義之の蘭亭序と藤原佐理の作品に同じ文字が使われていても細かい点は異なります。基準は殊にない、というのが正解です。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 仰る通り、教科書体は書体ではありませんね。ただ、小学校では、恐らくはパソコンの 教科書体フォントを利用して、透かして写させる練習をさせている学校もあります。 教科書体が、字の究極のお手本であり、その通り書ければ良い、という指導を している先生がいるという話を聞くと、複雑な気持ちになります。 それがいいのか悪いのか、私には断言できません。 私も、蘭亭序を思い出しました。あれは行書ですが、字の形が全て違うとは 言っても、どれかが間違い、というわけではないわけですよね。
連投いたしまして申し訳ございません。 文部省活字が造られる(1937年)前は,習字の手本は井上千圃(いのうえ・せんぽ)が書いていました。
お礼
いえいえ、何度もありがたいです。 井上千圃という方は、名前だけは聞いたことがありました。 現在でも、その方の字がお手本として使われることが多いようですね。
具体的には戦前,教科書体の前身たる文部省活字では木および木偏の縦画の最後ははねてありませんが,習字の手本でははねてある方が多うございました。
お礼
再度ありがとうございます。 毛筆の場合、字画の流れを考えると、はねてはいけないという方が不自然ですよね。 お話参考になります。
>「様」という字の最終画ですが、教科書体では「はらい」になっています。フォントの毛筆の楷書体では「とめ」ているものもあれば「はらい」になっているものもあります。自分自身は毛筆であろうと硬筆であろうと「とめ」で書いていました。 手書きではあなたのおっしゃるように止めて書くのが普通です。教科書体は読むための書体であって書くための書体ではありません。 >教科書体通り、「はらい」で書くことが推奨されているのでしょうか。それとも、どちらでもいいのでしょうか。 上で述べたように,どちらでもかまいません。むしろ止めた方が書きやすい。 >小学校の時は「きへん」の縦棒ははねるな。「てへん」の縦棒ははねろ、と習いました。「きへん」の字ははねるとバツ になりました。ですが、先生によっては、「きへん」のはねは許容である、と仰る人もいます。確かに毛筆では(「てへん」ほどではないにせよ)はねることもあると思うのですが、「きへん」ははねない、というのが、小学校の指導では絶対的なものだと考えている先生も多いようです。 木偏の縦画の最後ははねるのが普通です。一方,手偏の縦画の最後ははねないと×になります。 以上のことから,小学校における漢字指導は杓子定規といわざるを得ないと思います。このような教師の言うことは無視することです。
お礼
回答ありがとうございます。 >>教科書体は読むための書体であって書くための書体ではありません。 ということは、明朝体やゴシック体と同じようなことになるのでしょうか。 つまりは、書く時の手本とはならないということになりますか。 >>以上のことから,小学校における漢字指導は杓子定規といわざるを得ないと思います。 恐らくは、じっくり勉強して認識の深い先生も大勢いらっしゃるとは思うんですけどね。 ただ、そのあたりは、くわしく勉強していなくても教員免許が取れてしまうので 思い込みの強い先生もいらっしゃるのでしょう。
お礼
リンクの提示ありがとうございます。 教科書体が各社独自のものを使っているとは初めて知りました。 色々なバージョンがあるとして、とめはねはらい等は違うこと もあるのでしょうか。基本的には同じなのでしょうかねぇ。
文部省の学習指導要領(その中でも漢字の学年別配当表)で提示されている字体が教科書体です 「手書き文字に近い書体を教科書にしよう」ということで教科書体が生まれました 小学校低学年では手書き文字から離れた活字体(明朝体、ゴシック体等)では同じ字形と認識することは難しいと思います そこで小学校の教科書では教科書体が使われています。
お礼
回答ありがとうございます。 仰る通り、教科書体の存在意義はわかります。 文字を覚え始めたばかりの子供に明朝体と、書き文字の違いを説明 しても理解はできないでしょう。ただ、教科書体が絶対に守るべき 字の形と考えていらっしゃる先生もいることに疑問を感じた次第です。
お礼
とても詳しく解説いただいてありがとうございます。 「許容範囲」のこと、よくわかりました。恐らく、学校の先生でも、 この「許容範囲」のことはよく知らない方が多いのでしょうね。 この字の書き方はこうだ、少しでも違ったらバツだ、ということを 自信たっぷりに言う先生は少なくない気がします。 私の名字の漢字ですが、本来どのフォントであっても「はらい」と なっていますが、戸籍上の自体は「とめ」になっています。娘には そう教え、そう書かせるようにしていましたが、学校の先生に 「はらいで教えてるのだからはらわないとバツだ」と言われて きたそうです。いちいち学校にクレームをつけるのも嫌ですし、 名前は「とめ」で、名前以外でその字を書くときは「はらい」で、 などと娘に説明するのも可哀想なので、とりあえず娘がもう少し 大きくなるまで、学校で教わったように書きなさい、と言って あります。このあたりも、どうもしっくりこない部分でもあります。 >> 「一つの枠を基準」を設けそこに鋳型に流し込まれる熱した金属のような形で流し込み均質なものを造ることが果たして文化や教育の世界に適用して良いものかと問われれば、僕は少なからず疑問を感じてしまいます。 仰る通りだと思います。ただ、なかなか難しい問題ではありますね。 子供への指導にはやはり何らかのガイドラインは必要でしょう。そこを強要されたくは ないですが、色々な解釈もあるということは子供には理解できないでしょう。 そういうジレンマはあるでしょうね。