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なぜ日本ではキリスト教布教が行われなかったのか?
- 日本では何故キリスト教の布教が広く深く行われなかったのでしょうか?過去の欧米諸国が他国にキリスト教を広めた一方で、日本では布教が進まなかった理由を探ります。
- 韓国やフィリピンなどの国ではキリスト教が急速に広まった一方で、なぜ日本では布教が進まなかったのでしょうか?日本が独自の文化を確立し、国民の精神の支柱である天皇を持っていたためにキリスト教の受け入れが難しかったのかを考察します。
- キリスト教が日本で広く受け入れられなかった背景には、室町時代以前からの長い独自の文化と精神的な結びつきが関係していると言われています。これにより、日本の人々はキリスト教を他の宗教と異なる存在として捉え、独自の信仰体系を守ろうとしたのでしょう。
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1,多神教である神道が浸透していた。 キリスト教は、人間は特別な存在として、 万物は総て人間の為に利用すべきと考えます。 しかし、神道では人間は特別な存在では ありません。 人間は自然の一部であり、他の生命体は 人間の仲間と考えます。 こういう考え方はキリスト教とは相容れない のでしょう。 2,イエズス会と、日本人の問答を記録した 文書が残っています。それによると,次の 質問にイエズス会は答えられなかった、と あります。 (1)信ずれば、入信すれば救われ天国に行けると いうが、それなら既に死んでいる祖先は救われず 地獄に行くしかないのか。 そんな宗教では困る。 (2)絶対悪として悪魔なるモノを説明しているが 善悪など時代や立ち位置により変化するだろう。 それはどうなんだ? 3,新井白石は、こう述べています。 万物は神が創造した? なら神は誰が創造したのだ。 アダムとイブ? キリスト教は形而下学は素晴らしいが、形而上学 は子供みたいだ。 そんなおとぎ話を誰が信じる。 4,韓国にキリスト教が普及した原因ですが、独自の 文化がない、ということの他に、儒教が挙げられて います。 儒教による縛りがきつい女性の多くが、キリスト教に 逃げた、ということです。
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- kawasemi60
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答え。日本には老若男女親子兄弟が同じ浴槽に 浸かるという混浴風呂文化が長く続いていたから。 キリスト教を阻止したのは万民平等の風呂文化。 風呂文化興隆とキリスト教は両立しないのです。 牧師とシスターが同じ浴槽に浸かる事をキリスト 教では認めない。洗礼を考えても認めるはず無い。 異教徒との混浴風呂もキリスト教上は許されない。 つまりキリスト教に帰依する事は混浴風呂文化の 否定であり日本文明の否定なので普及しない。 赤の他人の老若男女混浴風呂が平等と平和を築く。 日本の穏やかさは混浴風呂文化によるのです。 近年は廃れてきたので凶悪行為に走るのです・・・
お礼
日本人の精神世界からのアプローチし分析は とてもよく理解できました。 納得しました ありがとうございました。
- nishikasai
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私の意見では二つの理由です。 1.徳川幕府が徹底的に弾圧した。 2.明治になって布教が許されたときにはすでに日本には高度の文明が根付いていた。 キリスト教の布教は文明を伝えると共に為されました。南米では原住民に大した文化はありませんでしたから宣教師は素晴らしい文明を伝えに来た先生だったのです。 信長の時代にポルトガルの宣教師が長崎で布教し始めた頃は、宗教以外にたくさんの文化を伝えました。伝えた文化は、ポルトガル語の単語がそのまま日本語になりました。 ピストル、かるた、ビードロ、こんぺいとう、パン、カッパ、カステラ、天ぷら、等など。これらは全部ポルトガル語です。 宗教だけでは無理があります。なにか同時に魅力的なことががないと広まりません。明治にはすでに多くの文化が入っていたのでキリストの教えだけでは広まりませんでした。
お礼
その回答で納得しました。 そうだと思うとります。 ありがとうございました。
- fertile
- ベストアンサー率7% (12/166)
まず、設問がおかしい。 布教されなかったかという事ならば、それはいつの時代の話かを限定しなければならない。 おそらく中世以降のことかと推定されるが、韓国なんて国家ができたのは大戦後であり、 時代考証と時系列が支離滅裂と言わざるを得ない。ご都合主義でまとめ上げるところは、 在日韓国人に多い精神的病癖と言わざるを得ないが、どうでしょうか? >>過去欧米人は、国家の侵略と覇権のために先兵として~ そう考えるならば、侵略して占領するだけの戦略的価値が当時の日本には 無かっただけの話です。中世の欧米が用いていた世界地図において、日本は 極東の離れ小島でした。もし日本侵略のためにキリスト教を布教するならば、 当時の中国を占領して運営できるだけの国力が必要条件の一つと言えます。 補給線だけを長くするなんて愚か者のする事ですから。 次に、当時の日本側の自衛手段と言えたでしょう。キリスト教の布教と共に 海外の文化が取り入れられてきました。しかし、それと共に戦争の火種も持ち込まれ そうになり、トラブルも多発したので日本は鎖国を断行しました。地理的条件と 渡航技術が乏しかったから、江戸幕府の体制は260年も続きました。ただ、この年月の 経過が技術の差を生み、日本の戦略的価値をさらに低くする事に成功しました。 ガラパゴス進化の原因の一つとも言えます。 いちいち妄想と混同して質問投稿するのはどうかと思います。現状と願望をミックス させるのは、第二次大戦をやらかした旧日本軍と同じ精神的構造です。 下記リンクを読み直して、勉強しなおす事を強く奨めます。最後に、キリスト教の 現状から、質問者の言う「活発なアジア論」がどうすれば結びつくのか。 質問投稿する前に関連文書を読む事を奨めます。ggrksというレベルですよ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E5%8F%B2#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.A7.E3.81.AE.E5.B8.83.E6.95.99.E6.B4.BB.E5.8B.95
お礼
回答者さんは、歴史をご存じではないご様子♪ 当時の日本は、世界でも最先端の国だったのですよ。 それに引き替え韓国は中国人の属国の歴史しかないところだったのですよ。
- ok2775
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キリスト凶は日本人には馴染みませんでしたね。 もともと日本は神の国 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が発祥ですから それを守ってきたわけですね。 更に明治政府は神すなわち神道を国の宗教と定め、天皇を神と位置づけることにより 国民は天皇すなわち神を崇拝するように指導していったといわれている。 そのときに神道と相対したのが仏教(仏の道)であったが、明治政府はこの二つをはっきりと 区分けするように全国に発した。 しかし国民は心の支えとなっていた仏教を捨てることなく崇拝してきたのである。 こうしてみるとキリスト凶は日本人の中には入り込む余地がなかったと思えます。
お礼
最近キリスト教の戸別勧誘が多いのです。 その多くは在日○○人だと思うとります。 なにせあの国は、自国のオリジナル文化不毛の地であり。 日本の素晴らしいものへの嫉妬心だけが生きがいの国ですからね。 つまりは日本の破壊工作の一環だと思うとります。
- 風車の 弥七(@t87300)
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キリスト教は一神教で「エホバの神」が絶対ですが、日本は多神教の国です。 日本では岩や古木や滝に温泉までもが神として崇め奉られます。 この差は大きいです。 多神教+仏教の日本が一神教を受け入れる要件は限りなく低いです。 それにキリシタン大名の領地(特に九州)ではキリスト教徒による寺社打ち壊しが多発し、これらも勘案し後にキリスト教の禁令に繋がったそうです。 今でも九州に行くと打ち壊された寺社の残骸と思しきものが残っているそうですよ。 八百万の神の国で一神教は広く布教されるはずがありません。
お礼
日本人の強みは多神教ですね。 道端の石ころや草木にまで神が宿ると考えるのは 世界広しと言えども日本人だけでしょう。 その考え方が平和で穏やかで神を敬い 文化や文明を進化させてこられたのだと思うとります。 とても誠実な回答ありがとうございます。
お礼
どれも素晴らしい回答文ですね。 特に2の(2)が素晴らしい 日本人が昔からこれだけの知性があったのに 驚きます同時にだからこそキリストが広く深く多く布教しなかったのでしょうね。 とても参考になりました、ありがとうございます。