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不快な関係を避けられない意志
これもひとつの自傷行為だと思うのですが、私の場合、自分を傷つける人間や、苦手な人間関係でも断れないのです。 仕事の関係では、それが避けられないのですが、自由に取捨選択できる関係でもです。 誘いに対して断れる立場でも、なかなかできない。 不快な場面や、平然と人を傷つける人間は避けることができないので、自傷行為だと思ってるわけです。 世間では嫌なものはイヤ、嫌いな人とは口もきかないという強い意思をもって実行している方々がいますが、とてもうらやましいです。 意志がないというのではありません。人間関係においてだけ抑制がきかないので、不思議です。 心理的な原因や対処法を教えてください。
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しつこくてごめんなさい、ただ多くの例に漏れず 親子関係という言葉が出てきてしまったのでもう 書かずにはいられませんでした。 あなたの自由を奪っているものは、 「固定観念」です。 たとえば 「子供は親を敬うものだ」 この言葉があまりにも年上の人間優位に 働きすぎても困るって話なんです。 育ててもらったことには感謝の気持ちが必要ですが、 だからといって親の人格すべてを肯定しなければならないとは 誰も言うておりませんし、考えるべきではありません。 生まれたときから対等な人間なんですから。 ここからは極端な話ですが… 「ころしてやる」 なんて子供に言ってしまえる親が世の中には ゴロゴロしてる上に、そのケースに直面した多くの 子供は悲鳴を上げることさえ出来ないんですよ。 おまけに 悲鳴を上げない=自分は正しい などという自分勝手な解釈をして、反省もしない。 それでも敬えと?無理な話です。 上下関係と、心の健康の問題を一緒くたにして 弱い人間を操ろうという風潮が社会にはいまだ 色濃く残っています。それを利用したり、 そこに寄りかかったりして我侭ばかり言っている だらしない連中もうじゃうじゃいます。 さて、そんな腐った世の中に負けないためには、 自信を持て・・・というのはいささか言葉が乱暴で、 「自分を許してあげる」ことが臨まれる姿勢のようにも思います。 社会的に力のある人たちから色々きついことを言われた こともあったかもしれません、でも、 あなたは生まれたときから誰とも対等な人間であり、 その価値は不変であり普遍です。 生まれた瞬間はそれだけで周りの人間を幸せにしたでしょう。 親御さんが大きく育ててくれた代わりに しっかりと学校の勉強もしたでしょう。 そしていまや自活する力まで身につけました。 自由なんですよ。あなたの価値は誰にも限定できるものではなく、 よってあなたがあなた自身を尊重することで 最大限に生きることになります。 そして、貴方が真にこころの自立を果たすこと、 それが最大の孝行です。 それを忘れないで下さい。 色々と書いてしまいましたが、 ゆっくりでいいから自分を大事にする癖を 身に着けましょう。 このままでは駄目になる、あなたがそう思ってここへ書き込みしただけでも、 大きな進歩のように私には思えてなりません。
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補足見せてもらいました。 ひとつの目的を共有するグループだからのびのびと表現出来ないんでしょうね。 目的が同じ仲間の間でいざこざが嫌なんじゃないですか。 和を崩したくないからだと思います。 あなたは協調性もあるんじゃないですか。 だから少しぐらい嫌な思いしても、もしあなたが黙っていればみんなうまくいくって考えるんだと思いますよ。 現に自分でも意志は強い方だと思うわけですよね。 あなたはみんな仲良く がいいんじゃないでしょうか。 自分で和を崩したくないだけだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >少しぐらい嫌な思いしても、もしあなたが黙っていればみんなうまくいくって考えるんだと思いますよ。 いや、まったく逆です。黙ってしまう自分が耐えられません。
- 沼田 紫鐡(@DARKREDGEAR)
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私の勘ですが、質問者様はとてもお優しいですが、 不愉快な感覚も無視できなくなってしまった、良い意味で 繊細な感性をお持ちなのかと思います。でも、これからは 過剰な優しさは自分を傷つける負のループにつながりかねないことも 覚えておいたほうがよいかと思い、少し追加で説明しなくてはと 感じましたので、書きます。話が重過ぎると感じたらスルーして 下さって結構です。 >真に強い人は表層的な怒りや拒絶、孤独を恐れません。 私は会ったことがないですが、会ってみたいものです。 しかしそういう人はお坊さんか、ある意味、ペシミストでも ありある意味「悪い孤独」を守ってるのではないでしょうか。 では、「良い孤独」というものを貴方はご存知なのでしょうか? 貴方がおっしゃるような「世間では嫌なものはイヤ、 嫌いな人とは口もきかないという強い意思をもって実行している方々」 がこれに当てはまる、場合もあります。単純にその人が我侭なだけなのか、 「どうがんばってもこの集団は無理があるな」と判断を下して距離を置く人なのかにも よりますが、まぁ孤独というのも所詮は限られたコミュニティの範囲内でのお話で、 たちの悪い連中との付き合いはほどほどにして、真に良い人との出会いを 求める心があれば自然とよい仲間とめぐり合うことになります。 世の中悪い人もいっぱいおりますが、良い人もいっぱいおります。 >拒絶を恐れる心があるからです。 また人を傷つける人も、拒絶を恐れる弱い人だと思います。 そのような人間に対する対処ではなく、拒絶を恐れる心を どう克服したらよいのか?と思っているのです。 拒絶を恐れる心を克服したら、その人と距離を置くという選択肢を必然と取る 可能性が高いということでもあります。ましてや、質問者様が ご自分の自傷行為じみた心持を治したいとおっしゃるなら、 なおのこと不愉快な局面からは距離を置いたほうがよいと思います。 不愉快な状況を前に足がすくんでしまうのは、 (どれほどの程度かわかりませんが)、貴方が貴方自身の評価を 自分で下げてしまっていることで、自分の自由意志によって 回りの流れに反する行動を取ることから、不利益をこうむるの ではないかという恐怖感が先行するからです。 そのような状態が続きますと相手は増長するし自分はどうしたら いいかわからないしで、そんな人の反応を見て楽しんでいるのが 人を傷つける人間なんで、余計状況がエスカレートする可能性が高い。 ((近くにいて平気なもんなら話はするまでもないのですが、 もしやよほどしんどいのではと思って書いています。 自分の心の弱さを克服したいなら、まず貴方の心が 落ち着いていなければなりません。 だって、それなりにはつらいんですよ。自分の弱さと向き合うのは。 風邪だろうと難病だろうと、病気を直したいならまず どんな医者でも原因を探るでしょう?その原因、診断結果が貴方に とって少なからず不愉快なものである可能性だってある。 それを理解すればいくばくか気持ちは楽になるのですけど、 さらに少しずつ悪い癖を直すように日々の生活に反映していかないといけない。 細心の注意を払うべきオペレーションやリハビリを 周囲の雑音の中でやるのはかなり無理があります。 距離を置くというのは対処法ではありません。あくまでも 貴方のおっしゃるとおり、自分の心を見つめなおす ためのファーストステップとお考えください。 間違っても、今の状態をキープしようなどとは思わないように。 暴れ馬(嫌な人、嫌な状況)と正面切って戦うには、 不屈の意思と圧倒的な智慧、それなりのアドリヴが 利く対人スキルを必要としますから。でもまぁそこまでいくと、 ヘタな連中は寄ってこなくなりますし、自分も変な場所に 迷い込んだりはしなくなりますけど。 とにかく、貴方の心の安寧を第一に考えてください! ということです!
補足
再度のご回答ありがとうございます。ご回答者様がすごい洞察力なので驚いております。 >「良い孤独」というものを貴方はご存知なのでしょうか? まず、これについてですが、例えば日本人が特にそうですが、人は一人でいなさすぎる悪い点があります。集団主義ですね。孤独の長所は、まず自由であることです。次に自分を客観的に見つめられることです。瞑想状態といってもよいのではないでしょうか? 悪い孤独は、良い孤独で養ったエネルギーを、悪い集団に吸収されてしまうことです。 >たちの悪い連中との付き合いはほどほどにして、真に良い人との出会いを求める心があれば しかしその良い人の中にもたちが悪い人がいて、その逆もあり、集団、しかも一人一人複雑に違う人間なのですから、やはりやっていかなければならない。生きている限りコミュニティを避けるということは不可能です。ですが、 >過剰な優しさは自分を傷つける負のループにつながりかねない >貴方が貴方自身の評価を自分で下げてしまっている これが問題なんです。おっしゃるように、これこそ私の最大の劣等感です。人に配慮しすぎて、気持ちを与えすぎて自分が傷つくということは日常的です。 甘えられるかもしれない、許してくれるのではないか、と言われますが、一応、私は相手にとって良くないと思う場合、きっぱりと伝え、できないことはできないと言っているのですが…。結果的には自分に自信がないため、許してしまう。関係の過程で、自らその関係から距離を置くいうことができないのですね。ああ、この関係はよくない、長続きしない、何もプラスにならない関係だと気づく直観、洞察力はあると思うのですが、結局人の優しさを食う人間ばかりいたような気がします。 実行に移すための行動力、それこそ意志だと思うのですが、何かに負ける。その何かは私は親との関係からきているということは分かっているのですが。 >自分の心の弱さを克服したいなら、まず貴方の心が落ち着いていなければなりません。 近道は、たぶんこれなのかもしれません。落着きですね。その場の雰囲気に惑わされそうになったら、客観的に考えてみる。この人たちと同行したら、どのような会話や展開が待っているか…。 仲良くしたいなんて本心ではないです。ケンカがしてみたいんですね、たぶん。 >細心の注意を払うべきオペレーションやリハビリを周囲の雑音の中でやるのはかなり無理があります。 なるほど。弱さは分かっていますが、私その雑音の中に自分を流すことを許してしまっているんです。まずその態度を改めるべきかもしれません。 >ヘタな連中は寄ってこなくなりますし 後光が見えるといったら大げさですが(笑)、少なくとも威厳がある人にはヘタなことはいえないですよね。私もそうなりたいです。
- 沼田 紫鐡(@DARKREDGEAR)
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ハッキリと言ったほうがいいと思ったので ハッキリ書きます。ご了承を。 避けられないと思っているのは、 あなたの中に信念が無く、 拒絶を恐れる心があるからです。 真に強い人は表層的な怒りや拒絶、孤独を 恐れません。 厳しい言い方になりますが、意志の強さは 悪いものは悪いと見て、 良いものは良いと認められる確固たる倫理観と それを適切な形で表現できる軸の強さを あわせて初めて成立します。 迎合しているだけと言うのは強さではありません。 平然と人を傷つける人間は、かまう必要の無い人です。 病んでます。それを抑えるような土壌が無いなら、 その土壌自体に未来がありません。 あなたがそれに汚染されるくらいだったら いかなる形であれ、とっととオサラバしたほうが良い。 誤解を解きたい、あなたが仲良くしたい人に 聞いてみてはどうでしょうか? 「あいつ、ぶっちゃけどうよ?」って。 その人からあなたの納得のいく意見が聞かれなければ、 その人も大してあなたの力にはなりえないでしょうね。 あと、貴方の治したいと思う部分にかかる体験談が 書かれていないので、ここでは回答を見送らせてもらいます。 以上です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 おっしゃることはご最もですが、 >真に強い人は表層的な怒りや拒絶、孤独を恐れません。 私は会ったことがないですが、会ってみたいものです。 しかしそういう人はお坊さんか、ある意味、ペシミストでもありある意味「悪い孤独」を守ってるのではないでしょうか。 >拒絶を恐れる心があるからです。 また人を傷つける人も、拒絶を恐れる弱い人だと思います。 そのような人間に対する対処ではなく、拒絶を恐れる心をどう克服したらよいのか?と思っているのです。
- suzutuki-konoha
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>私の場合、自分を傷つける人間や、 >苦手な人間関係でも断れないのです。 >自由に取捨選択できる関係でもです。 >誘いに対して断れる立場でも、なかなかできない。 断ることが中々できなくて、 大変ツライ思いをされているのですね。 あなたを傷つける人間はもちろん、 あなたが苦手な人間に対しても、また、 あなたが自由に取捨選択できる関係でも あなたが誘いに対して断れる立場でも 自分は断ることのできる人間でありたいと 感じていらっしゃるのかもしれませんね。 できることなら,そのようにして不快な関係を避けたいのだと。 あなたは、きっと、ご自分で、 なりたい自分の姿が、分かっているのではないかと思います。 >世間では嫌なものはイヤ、嫌いな人とは口もきかないという >強い意思をもって実行している方々がいますが、 >とてもうらやましいです。 おそらく、あなたは、嫌なものはイヤだとハッキリ言いたいし、 嫌いな人とは口もききたくないというくらいの 強い意志を持ちたいのかもしれないですね。 例えば、そのように強い意思を持ちたいのだけれど、 それが中々出来ないでいるということが、 グルグル回っていて、それが、 今のあなたを苦しめているのかもしれません。
補足
ご回答ありがとうございます。 自分の意志は強い方だと思いますし、断らなければならないときもきちんと断れますが …たぶん…嫌いな人もいるのは確かなのですが、ひとつの目的を共有するグループの中でもさらに価値観が同じ人たちが集まりますよね。 その中にも誤解を解きたい相手、思い入れがある相手もいるわけです。 ですが、そこでのびのびと表現できてないことも苦痛なのです。ですが、やはり騒いだり飲んだりは好きなので、結局行ってしまう。またそこで嫌な思いをする。でもまた何かあれば行ってしまう…誘われるというよりも、自ら好んで行っている方です。 今日は行かない、とか、あの人がいるのなら行かないとかできないのです…。皆と仲良くできればよいという理想論が隠されてるかもしれません。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 理想的な親というのはほとんどいないと思ってます。 私も完全な機能不全家族で育ちました。 潜在的、顕在的にパワハラが横行している世の中です。 中でも、躾や愛情と勘違いし、口実に用いての親から子どもに対するパワー関係がもっとも成り立ちやすいのだと思います。 「自分を愛すること」がキーワード的にうたわれてますが、長い時間をかけて自他を憎むようにさせられてきたのですから、まず自分の気づきと意志が前提で、「自分を愛する」ということよりも、おっしゃるように「自分を許すこと」からまず始めてみようかと思います。