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アメリカ映画と国民性
- アメリカ映画を見ると、ヒステリーを起こしたと思われる人が頻繁に登場します。それは国民性を反映しているのか、演出の一環なのか、それとも制作スタッフの問題なのか疑問です。
- アメリカ映画での車の衝突シーンでは、大爆発やひっくり返る場面がよくあります。これは迫力を出すために爆薬を使っているのでしょうが、実際の車の仕組みから考えると現実離れしています。このような描写はアメリカ車の特徴を表しているのか、脚本や演出の問題なのか興味深いです。
- アメリカ映画では、よく主役の周りにとぼけた人が存在します。このようなキャラクターはハリウッドの好みなのでしょうか?
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1.特別なものではありません。 昔の映画ではしょっちゅう見ました。最初の「エイリアン」でもあるように、本来やっては行けないことを平気でやってしまうのは、そうしないと物語が止まってしまうからです。アメリカ映画でも、白黒映画では金切り声をあげる馬鹿女がよく出てきます。こういうの見るたびに締め殺したくなります。 2、スポンサー次第です。 お金があれば爆発させます。無駄遣いはやめてくというのであれば、崖から落ちるだけです。 3.物語の構造です。 詳しい原理には思いいたりませんが、シェークスビアの時代から、王の脇にはピエロ(知恵者の意味)がいるように、主人公のキャラを高めるための厳しい状況や信頼できるパートナーが必要です。もし気になるようでしたら、その脇がいなければどういう風に物語りがすすむか想像してみてください。おそらくおもしろくなくなる。 4.60年代初期のノー天気な映画の登場人物の数と、設備の大掛かりがよきアメリカを彷彿とさせます。TVシリーズの「アンタッチャブルズ」のエンドにWalterWinchellの名前が出てきますが、有名なキャスターの一人です。そしてギャングと食事をともにする場面が出てきます。この辺、法律とマスコミとギャングたちの立場がごちゃごちゃになっている状況が分かります。 分析的に見るのであれば、本などから知識を補って見てみれば、現代にいたるまでどの映画からでもたくさん読み取れます。 過去作品からの例、殴り合いで、一発でケリがつく。 銃器で撃たれても血が流れない。 ヒーローは弾数は気にしない。 登場人物の数が昔は多い。(猿の惑星;征服ではたった機動隊1個で暴動をおさえようとしている。) スポンサーに嫌われる映画の多くは監督が「アラン・スミシー」 アメリカ映画では未開の人民を「教え導いて」文明化させようという癖が抜けない。 現代のアメリカ映画での日本は、ただのお隣さんになってきている。(インセプションでのキャラの配置など) 現代に近づくほど爺さん婆さんの登場が増えてきている。 「無線が聞こえません」とかいって命令を無視するシーンが減ってきている。 ゲームでさえ映画に出来るシナリオ化の力はハリウッドならではのもの。(数年前にあったシナリオ作家たちのデモの成果か?) ネタ探しに苦労している状況が伺える。(カウボーイとエイリアン)
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- others44
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恐れ入ります。映画、架空の物語をベースとした独自の世界。を、表現している映画=物語に何をお求めなんでしょうか。 リアルティー。 それとも、ドキュメント風の映像。 それとも、完全完璧現実主義の映画。 だとしたら、娯楽としての楽しみは二の次ですか。 それがわからないのなら、映画は見ないことをお勧めします。 アメリカ映画だろうが、フランス映画だろうが、イタリア映画だろうが、それぞれ、作り手によって個性は出ますし、当然、ストーリー展開もその国の感性によっても異なるのは当たり前だと思います。 アメリカだから特別。 と、言う事はないはずです。 でも、ただ一つだけ言えることは、娯楽として見ていて楽しむためには、より派手に、よりハードに。そして、より、破壊的に表現する方が、楽しいと思いませんか。 また、それぞれの国の個性があるからこそ、色々な映画。娯楽を楽しめるのでは。 理屈抜きで、楽しむ時は楽しみましょうね。 面白いものも、面白くなくなるから。 率直な感性で、楽しいと感じる子供みたいな気持ちを持ちましょうよ是非とも。