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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:健常者が車椅子に乗って介助を受けるということ)

健常者が車椅子に乗って介助を受けるということ

このQ&Aのポイント
  • 健常者が車椅子に乗って介助を受けることについて、実際の経験を通じて不便や恐怖を理解したいという希望があります。
  • 介助を必要としながらも健常者が介助を受けることについて、法律上の問題や詐欺の疑いがあるという姉の指摘があります。
  • 申請なしで車椅子の生活を体験することに抵抗があり、他の手段はないか検討しています。また、自分が嫌悪感を感じることについても気になっています。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#181117
noname#181117
回答No.4

ヘルパー2級の養成講座では、実習があります。 私達は、車椅子が必要な障害者と、視覚障害者の介護を実習しました。 障害者も、講座を受ける人たちで交代です。 これは、介護を受ける人たちを少しでも理解する、という目的もあります。 車椅子で街中を歩きました。 信号を渡ったり、陸橋を渡ったり、平和公園もひと回りしました。 援助を申し出てくれる観光客もいました。 一人は目が見えない状態になって、二人一組で地下道を歩き、近くのデパートで買い物もしました。 障害者の立場になって、まだまだ不備なことの多さを知りました。 大きな体験でした。 ただ、この体験は、人には迷惑にならない範囲ででした。 それが難しくなった時は、一時中止です。 バスや電車では、難しいと思います。 そうした体験の必要性を、肯定的に受け入れる人は少ないからです。 体験のために、人に迷惑をかけることは、障害者にとっても迷惑かと思います。 これが現状では? あくまでも、今のところはですが。

noname#147919
質問者

お礼

おっしゃるとおりですね。 できる範囲内なんですよね。 ありがとうございました。

noname#147919
質問者

補足

すいません。補足ということではないのですが、最後に、皆さんにご理解いただきたいことがあります。 実験やリサーチには、あらかじめ実験内容を説明しなかったり、違う内容の説明をしたりしてデータを得なければならないものあります。たとえばプラセボとか。 また、本人の了解を得ずにサンプルとしてデータを取られていることもあります。マーケティングなど、本人の了承を得てから行ったのでは正確なデータが取れないものもあります。 ときに、研究者や企業が行うリサーチには、人の善意を利用するものもあります。実験だって知った時は(知らせないけど)ショックで不愉快になるだろうものもあります。 でも、居直りかもしれませんが、社会の発展のためには、必要なプロセスなのだろうと、私は解釈しています。もちろん、正当性があれば何やってもいいとは言いません。そのあたりはとても慎重に進めなければなりません。 今回、私が得たい内容は、了解を得てからでは、役に立たないのです。 どう役立たせたいのかは、大変申し訳ないことに、公表できないのですが、公益性があると信じています。 ですが、私は良心の呵責に苦しみました。 それに、私は公益性があると信じていても、それは思い上がりにすぎないかもしれない場合もあります。私利私欲という見方をされる方もいらっしゃるかもしれません。 hime14様の「そうした体験の必要性を、肯定的に受け入れる人は少ないからです。 これが現状では?」という言葉が一番納得いきました。 友人が研究論文で3年半かけて、一人の障害のある子のデータを集めていました。決して失礼はないやり方でした(私から見れば)。毎日、保育所に通って、その子と仲良くなって、その子の、その日の様子を丁寧に家に帰ってからまとめていました。そして、ようやく考察の段階になったときに、親御さんが研究のことを知り、大変ご立腹になったそうで、データをすべて渡すことになってしまいました。 そういうこともあります。(友人は研究ができなくなったことよりも、その子に会わせてもらえなくなったことにショックが大きかったそうですが。) どこまで許されて、どこからがアウトかって、人それぞれ主観の違いかあるでしょう。プラセボはOKでも、買い物かごの中こっそりのぞかれるのは許せない・・・など。(リサーチ会社の調査員のアルバイトをして、こっぴどく怒鳴られた経験もあります。) 情報が欲しい側の理想や理念は、知らず知らずのうちに勝手に協力させられていた人間にとっては「くそくらえ」ですよね。それでも、実験やリサーチをある意味ずるい方法ででも行わねばならないこともあるです。そして、その正当性や真価は結果を出さない限り認められない。もちろん、結果出したから、騙された人ごめんね、許してねなんて気易い問題ではありません。 でも、ここまで世の中が便利になった背景には、必ず研究があり、研究に必要なデータを集める方法の中には被験者を騙すタイプのものもあったし、被験者にされているとは知らせずにデータを取るタイプのものもありました。これが事実であることは否定しようがありません。 研究を行う側の人間は、ずるいタイプの調査を行うとき、騙した相手に心の中で手を合わせてお詫びしています。全員かどうかはわからないけど、私の知ってる人はみな、申し訳ないという気持ちで、だからこと、ちゃんとした研究にしなければ、何らかの成果を出さねばと、頑張っています。 長文すいませんでした。

その他の回答 (4)

  • mimazoku_2
  • ベストアンサー率20% (1905/9108)
回答No.5

そういう事ならば、まず、車いすを準備してください。 で、車いすの後ろに「車いす体験中」などの張り紙をしておくことです。 歩道を走行してみてください。 腕がだるくなった地点で、後ろを振り返ってください。 意外に距離が短い事に気づきます。 次に、住宅街の歩道や公園などに行ってみましょう。 すると、わずかな段差で、登れなくなることに気づきます。 歩くと解らない部分が、「自分を差別している」と錯覚するほどです。 公共交通機関で試すならば、せめて1本の電話を入れましょう。 利用する際は、ラッシュの時間帯を外しましょう。 但し、バスでの実験は止めましょう。 利用者に席を譲ってもらわなければならないケースもあり、迷惑行為になるかもしれません。

noname#147919
質問者

お礼

ありがとうございました。 車椅子は購入済みです。 ご意見参考になりました。

noname#148582
noname#148582
回答No.3

言ってる事は立派だけど、やっぱり賛成しかねるなぁ。 そんな事をやられたら、今度身障者を見かけた時、手伝うのをためらうかもしれない。その弊害の方が、あなたの崇高な目的よりも大きい気がする。 善意には敬意を払うべきかと。 おっしゃる「抵抗」は理解できますね。まぁでも、それは、誰でも最初は感じる許容範囲内ではありませんか?

noname#147919
質問者

お礼

その通りですね。ありがとうございます。 それと、回答者様が「身障者を見かけた時、手伝う」方で、嬉しかったです。 見習います。

  • suzuko
  • ベストアンサー率38% (1112/2922)
回答No.2

ご自分だけで体験されるのは何ら問題はないと思います。車いすを用意し数人の友人に介助を依頼して、行うのは。もちろん、バスや電車には事前に言います。(ちなみに、普通の車いすの方も事前に利用時間を知らせたりはします) ただし、全くの他人に介助を求めるのは行き過ぎでしょう。 あなたが逆の立場ならばどうですか? 例えば、白杖の黒メガネの人に声をかけられ、目が悪いと思って遠いところまで案内した時に、最後に「実は実験でした」と言われたら。善意を踏みにじられたと思いませんか? そして、他の機会に白杖の黒メガネの人に声をかけられても「まただ」と思ってしまいませんか? あなたのされようとしている行為は、これと同じではありませんか?

noname#147919
質問者

お礼

そうですね。ありがとうございます。 ただ、逆の立場だったら不快ということはありません。 私は、その方がドッキリだったり、私をからかう目的で実験をしたとはとても思えないです。 黒メガネの下にテープを張るなりして、本当に目の見えない状態を作っていたなら、かなりの覚悟の上に強い意志を持って挑戦したのだと思います。 そういう「人の気持ちを理解したい」という信念のお手伝いができたらなら嬉しいです。 そして、その方が、何らかの形で、社会に貢献してくれたら、私もそれに一役買ったみたいな誇らしい気持ちになれます。 でも、きっとたぶん、私はすこし、考え方のおかしい所があるのだと思います。ごめんなさい。 回答者様のご意見のほうが一般論なのだと思います。ありがとうございました。

  • rimurokku
  • ベストアンサー率36% (2407/6660)
回答No.1

身内や知り合いに、訳を話して介助してもらう事です。 それで十分に体験できるでしょう。 行政や、介護を職業としている人に嘘をついてお願いしてはいけません。

noname#147919
質問者

お礼

そうですね。ありがとうございました。 こちらから積極的に「お願い」をするつもりはなかったんですけど、結果そうなってしまったときのとき、やはり非難されることなのか、ご意見を伺いたかったのです。 そして、そのことはわかりました。ありがとうございました。

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