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否定されるのが怖い~異常な恐怖心への対処法とは?~
- 私は否定されることに異常に恐怖を感じ、その恐怖心が仕事に支障をきたしています。
- 否定されたと感じると頭の中が真っ白になり、思考と行動がバラバラになります。
- "否定される事"に異常に反応してしまう原因や対処法について知りたいです。
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多分、同じような人に仕事を教えていた事があります。 >過ちを指摘されるなど(本当に自分が悪くても、悪くなくても)、ささいな事でも 「これじゃ駄目だからこうして」「そういう時は聞いて」てな感じでもそう思いますか? 常にたくさんの銃口が自分に向けられているように感じている。 常に銃殺刑寸前の目隠しをされたような状態なので、咳払い程度を非常に怯える。 常にギリギリなので、咳なのか引き金を引く音なのか区別がつかない。 指導・指摘・注意・叱責・否定 と区別、選別をせずに否定されたとひとまとめにするから、 否定と言う名のコップをいつもいっぱいにしてしまって、1滴垂れたらもう溢れる。 しかもコップがこれ一つしかない。注意と言う名のコップすらない。 私が教えていた後輩はそういう度に泣いていました。当然仕事になりません。 どうかすると否定されるかもというのが全ての思考のメインらしく 教えても自己を否定されたという記憶しか残らないようで、同じ間違いを繰り返していました。 相当な被害者意識も持っていたようで、泣く上に言い訳や自虐もかなりのものでした。 あなたはここまで性質が悪いわけではなさそうですね? フリーズするだけなら、どうしたら良いか分からないだけなら 「どうしたらいいですか?」と他の者に頼ってしまいましょう。 これ一つだけなら出来るでしょう? どうしたら良いか聞くと、単なるアドバイスになると思います。 相手の言い方がどんなものかは知らないが。 さすがにアドバイスを否定とは受け取らないでしょう? それを繰り返していると、多分区別も選別も出来るかと思います。 極力否定されないように ではなく、どれが否定でどれがそうでないのか ですね。 原因にしても、お母様との関係ではないかと分析し始めている辺り 考え続ける限り、考えようとする限り、答えは出ると思います。
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- forever520
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40代既婚者男です。 否定されると苦しいのは、あなただけではありません。 全ての人の中に、そうした心の動きがあります。 ただ、そうした状況になった時に、どう対処するかだけの ことなのです。 多くの人は、自分が正しいと思っています。 そして、否定されることで、自分の存在価値さえも否定 されたかのように受け取ってしまいます。 >なぜ「否定される事」に異常に反応してしまうのか、 >自分では原因が全くわかりません。 人が、誰かに言われた言葉や、態度などで湧き上がる 感情があります。 それは、悲しい・悔しい・むかつく・寂しい等の感情 です。 そして、人によってそうした感情が出るタイミングが 違うのです。 なぜ違うのか?それは、それぞれが産まれてからこれまで の人生で、ひどく傷ついた経験をした時、あなたの場合は 誰かに否定されたという体験であり、他の人は、信じて いた人に裏切られたという体験であった場合、人間関係で 同じようなシーンが訪れる度に、悲しい、むかつくという 感情が湧きあがります。 何度も何度も、同じパターンで苦しむことを続けてしまい ます。 それはなぜか?そうした苦しみを通して、あなたが気付く べき事が隠れているからです。 だから何度でも同じ苦しみがあなたにやってきます。 あなたが気付かない限り、何度でも。 そこで、そうした苦しみに遭遇した時は、そのモヤモヤ する苦しみをそのまま受け容れるのです。 そのまま苦しみの中にいるという感じです。 苦しいからと、排除したり、逃げたりしないで、そのまま 味わうのです。 人は自分の中(心)で起きていることは、中々見えない ものなのです。 分かり易い例えでは、あなたの顔にご飯粒が付いていると します。 あなたはそのご飯粒が顔に付いていると気付くには、鏡が 必要です。 その鏡というのが、第三者(友人・家族・会社の同僚など) にあたります。 つまり、人間関係を通してじゃないと、あなたは自分の 顔に付いたご飯粒(あなたの苦しみ)に気付けないという ことです。 でも、周りの人はあなたの顔にご飯粒が付いているのは、 一目瞭然ですから、何で気付かないの?おかしいのでは? って思うのです。 でもあなたには見えないから、??????になって しまうのです。 これが、人間関係のメカニズムなのです。 つまりは、今あなたが抱えている苦しみ、否定されると 苦しいというご飯粒をあなたは顔につけたまま、分からない と、もがいていることになるのです。 でも、鏡を使ってご飯粒が付いていることに気付けば、 なんだそういう事かと、そのご飯粒を取り去る事ができて 問題解決となります。 そうしたご飯粒を見つける、気付くというのは、苦しみを ただとことん味わうという意味です。 否定されて苦しい、怖い、悲しいという感情を味わうのです。 何で否定されると苦しいの?何が原因なの?こうした思考が 更にあなたを苦しめます。 原因や理由などどうでもいいのです。 ただ、事実として今自分は否定されて苦しいのだという ことを体験しているのだと、覚悟を持って味わうだけです。 そんな事をしているうちに、ある時、ひらめきのように 感覚が来ます。 「そっか、そういうことだったんだ。私は○○だって思って いたけど、そうじゃないんだ」という感じです。 そうすれば、今度はいつもと同じ場面に遭遇しても、苦しく ないのです。 最後にもう一つ分かり易い例えをお話します。 あなたは、ある日、ある真っ暗闇の部屋に懐中電灯を持たされ て閉じ込められました。 あなたは中に入ると、怖くて怖くて部屋の隅で小さくうずく まっていました。 手に持っている懐中電灯を付ける勇気もありません。 するとだんだんと暗闇に目が慣れてきて、恐る恐る部屋の 中を見渡すと、反対側の部屋の隅に、何か長いひも状のものが あるのに気付きました。 あなたはとっさに、それがきっとヘビなのだと思いました。 そして、更なる恐怖があなたを襲います。 怖くて、怖くて、へびがこっちに来ない事を祈りながらまた 部屋の隅で怯えて何日も過ごします。 でもある時、勇気を出して、手に持っていた懐中電灯でその ヘビであろう物体に光を当ててみれば、それがただの長い ロープだという事が分かりました。 そこであなたの苦しみは消えました。というお話しです。 例えの中での怖くて懐中電灯を付ける勇気が無いというのは、 あなたの中での苦しみを見たくないという意味です。 そして、ヘビだと思ったのはあなたの妄想であり事実では 無いということ。 ヘビだと思っていた物体こそ、あなたの中にある苦しみです。 そして懐中電灯で光を当てるというのは、苦しみを見るという こと。味わうということです。 ただのロープであったと安心した事は、あなたが自分の苦しみ を勇気を出して見たということです。 だから、それまで苦しかった事が消えてしまったのです。 苦しいからと、怖いからと見ないでフタをしたり、逃げて いれば、益々苦しみが大きくなるのです。 あなたも勇気を出して、その苦しみに光を当ててみて下さい。 そうすれば、きっともう苦しむことは無くなりますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 わかりやすい例えですね。 2つ目の例えで言うなら私は、暗闇を恐れるあまり頭の中がパニックになり懐中電灯の使い方さえわからなくなっている状態です。 しかも使い方を思い出す事ができても、、電灯で照らしてしまったら、もしかしたらヘビだけでなくムカデやサソリやスズメバチなどがいるかもしれない。そんな不安に心が奪われてしまって、暗闇で動けなくなっているような、そんな気がします。 大きな苦しみを受け入れようと試みた事は何度かありますが、その度に涙が止まらなくなってしまい、中断してしまいます…。 なかなか自分をコントロール出来なくて情けない思いがします。 苦しみを直視する練習を重ねていけば、いつかひらめきのように分かる時がくるのでしょうか。 まずは、勇気を出す事ですかね… 恐る恐る、踏み出して行こうと思います。
- okei49
- ベストアンサー率48% (72/147)
35歳の女性です。 そもそも、ミスなどの指摘を受けたことを『自分を否定された』と受け止めるのが問題ではないでしょうか。 それは否定ではないのではないかと、私は思います。 ミスの指摘の際に『だから君はダメなんだ』とか付け加えられてれば否定ですけれど。 要は質問者さんの受け止め方ひとつではないでしょうか。 指摘をするのにも、私の場合は勇気が要ることなので、ありがたいことだと私は思うようにしています。 ミスを改めて、成長していけたらと思います。 まぁ、私も『ほめられて伸びるタイプ』の人間なので、叩かれるのは嫌いです。 でも、ミスの指摘は早ければ早いほどありがたく受け止めています。 『感謝の心』で、指摘は受け止めてみてはいかがですか? 誰でも…否定されるのが好きな人は居ないと思いますから、質問者さんは普通です。 心穏やかに過ごせる日が来ますように、お祈りしています。
お礼
回答ありがとうございます。 受け止め方の問題ですよね…必ずしも自分の否定につながるわけではないのに、自意識過剰なところがあるのかもしれません。指摘していただけるだけ、ありがたいことですよね。(時々あなたの感覚はおかしいとか、付け加えて言われてしまうけれど) 指摘する方も別に私を否定したいのではなく、きちんとした理由があって指摘しているのですものね。 言う側の方のご意見、大変参考になります。言われたら、そこを直せばいいんですよね…。 感謝の心を大切にして、日々を過ごしていきたいです。
- fujitapari
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リタイヤした普通の親父です。 自分の経験から、少しはお役にたてばと思い回答します。 自分の過ちを指摘されるのが怖いという事ですが、過ちは改善すれば良いことなので、気にすることは有りません。 私のモットーは「過ちて改めざる、これ過ちなり」です。 これには、「過ちは改めなければいけません」という意味と、「過った場合は、改めればいいのだ」という意味も含んでいると解釈しています。 そして、「勇気をもって事に当たり、失敗しても次はそれを改善して成功させると」考えると、生きるのが楽になります。 失敗や過ちをして責められても、自分を責められてると考えるのではなく、失敗した内容を問題にしてるのであって、それを改善するためのアドバイスと受け取るべきです。 貴方も、常に目標と問題意識をもっていれば、つまずいた時には人の意見や励ましがほしいはずです。 もうひとつ、モットーが有ります。 「我逆らう故、我あり」という「我思う故、我あり」をモジッタもので、誰の言葉かわかりませんが意識の中に常にあります。 「逆らう」というのは強烈ですが、人と同じことをしていては、自分というものが無い。 存在価値が無いともいえると思います。 その為には、失敗は恐れず、自分の考えを上手くアピールすることが大切と思います。 自分の行動に自信をもって、「間違ったら素直に改善すればよい」と思うことです。 みんな失敗を沢山して、それを克服して一人前になって行ったんです。
お礼
回答ありがとうございます。 「過ちて改めざる、これ過ちなり」、素敵な言葉ですね。 すぐに自分を否定されているという反応するのを直していくことは時間がかかりそうですが、指摘されたことをアドバイスとして受け取れるように意識して仕事に取り組んでいこうと思います。 逆らう、自分の考えをアピールするのは今まで結構避けてきました…そうすると母親に怒られ、最終的に母親に従うようにされてきたからです。自分を出す=反抗?は当たり前で誰もが通る道なのかもしれませんが、わたしは反抗を押し通すことができません。自分を出すと怒られ、否定されるという思考回路が出来上がってしまっているのかもしれません。 すみません、途中から何を言いたいのかわからなくなってますね。 とにかく失敗を恐れずに…ですよね!素直に自分の過ちを改善できるよう、頑張って行きたいです。
- runesannsu
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対処法になるか分かりませんが・・・ 時間があるのであれば、自分の好きな事をして、リフレッシュすることをオススメします。 少し、お疲れなのではないでしょうか? 私も、ちょっと注意されると、いつもできていたことを失敗したり、自分の判断に自信がなくなったりします。 心に余裕があるときは、気にしない気にしない!と言い聞かせるだけで済むのですが、心が疲れているときは、相談者の方と同じような状態になります。 女性であれば、ホルモン周期の関係で、気持ちが沈みやすい時期がありますが、男性でも、ストレスなどの関係でそのようになることが考えられます。 言われた事に対して、否定されたと受け取るのではなくて、相手は、そんな風に考えているのだなぁ~というように感じ取れると良いですね^^
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね、気にしすぎて少し疲れているのかもしれません。リラックスを図ってみます。 受け取り方次第…ですよね。 参考になりました。ありがとうございます。
お礼
回答ありがとうございます。 そうです、まさにそれなんです。自分に向けられる注意の言葉はほとんどが私を「否定する」事である…という思い込み。 分別がついていないのです。 銃口は常に耳元についてまわります。 大きな音を立てられただけでびくびくして動きが止まってしまいます。 回答者様の後輩の方に、自分と似たような空気を感じます…その方ほどは症状は激しくないですが。回答者様も、大変な思いをしたのですね。 はっきりとアドバイスと分かる言葉なら否定とは受け取らないのですが、人に頼る事が苦手で…と言っていてはいつまでたっても解決の方向に向かいませんよね…。 どうしたらよいかと聞いたらなぜそんな事を聞くのかとさらに否定されるのではないか。 という思考が先立ってしまうのです。 否定されていると感じたら、それのどの辺りが否定なのか、考えてみる癖をつけていきたいものです。