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雑談が出来ない原因を教えて下さい。
ご相談させて下さい。 僕は雑談が出来ず困っており、その原因を知りたいと思い、今回ご相談させて頂きました。 仕事上の事務的な会話は問題なく行え、むしろ対応が上手いといわれることもあります。 しかし、これが飲み会の席や普段の雑談になると、全く出来ません。 皆が冗談を喋っている中、何を喋ればいいか分からず、 そして頭に浮かびもしないので、いつも愛想笑いと作り笑いで誤魔化しています。 本当に何も頭に浮かんでこないんです。 相手が話している内容に、自分がどう反応すればいいか皆目見当がつかないんです。 そしてそんな自分を話相手は馬鹿にしていると感じ緊張してしまい、 余計に話せないという悪循環に陥っています。 今では人との会話、接触を積極的に避けています。 自分の中で、会話は自分を傷つけるものでしかなくなってきています。 他の人が会話を楽しめるというのが、不思議でしょうがありません。 別の生き物のように感じます。 前置きが長くなりましたが、僕が知りたいのは以下のことです。 何故、僕は事務的な会話は出来るのに、雑談のような何気ない会話が出来ないのでしょうか。 分かりづらい点ありましたら申し訳ございません。 しかし、本当に上手くいかず、途方にくれています。 すみませんが、よろしくお願い致します。
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- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
#12です。再度の詳細なお礼、ありがとうございます。 >凄く不公平を感じてしまうんです。 >もちろん、人間皆平等でないから、最終的には、 >それを自分の責任として負わなければならないと覚悟しなければならないのでしょうが、 >何故俺がという感情が湧き、受け入れがたいんです。 お気持ちお察しします。 わたし自身、不公平な環境で育ったと思っています。(集団いじめ、虐待、ネグレクト) マイナスからのスタートですから、 努力をしても認められるどころかダメ出しばかりをくらうので、やはり苦しい時期を通ってきました。 これについては、他人にふりまわされると雪だるま式に不幸になりますね。 たとえば私にとっては、聖書をよむことが回復の支えの一つになりました。 カウンセリングにもかかり、人間不信も少しずつ癒されました。 また、心理の勉強をして、実践と失敗をくり返して学んできました。 でも、決定的に助けになったのは、自分の根っこを強化したことです。(グラウンディング) グラウンディングについては、他の方への回答に書きましたので貼付けておきますね。よかったらお読みください。 http://okwave.jp/qa/q7217802.html (回答13の後半) それまで飢餓的に欲していた他人からの理解・同情が、私はほとんど必要なくなってしまいました。 他人のネガティブな感情から悪影響を受けることも格段に減りました。 >会話って、親や生育環境という自分以外の外的な要素が、多分に影響を及ぼす能力だと思うんです。 >でも世間では、会話が出来ないのは本人の努力が足りないという風潮があるように思います。 まったくそのとおりです。 それを理解している人は多くはないですが、分かっている人は分かっていますよ。 口には出さなくても分かっている人もけっこういるものです。 残念ですが、世界を変えることはできないので、 他人の同情、理解を得つつ、それが必要なくなるように自分を変えることから、はじめるのが現実的です。 あなたがあなたを愛すること、認めること、それができるようになります。 まずは、自分の根っこを強化することです。(グラウンディング) すると、他人に認めてもらう、自分の心を支えてもらう必要が、本当に自然にうすれてしまいます。 これは、頭で理解して頑張って努力するのではなく、 たんにそうなってしまう、必要が満たされるからいらなくなるのです。 お役に立てば幸いです。
- ukoygwonim
- ベストアンサー率26% (286/1095)
No.2です。 いま読み返して、自分の回答がキツイのに恥じ入りました。 質問者様はそれぞれに丁寧なお礼を書かれており、尊敬します。 言葉遣いといい物の例え方といい、何ら問題はなさそうですが… 対面では言葉が出てこない、あとから考えたらああ言えば良かった、 というのなら多くの人が経験あると思います。 >今振り返ると、子供の頃から自意識過剰気味で、他人の一挙一動に怯え、 積極的に人とコミュニケートする機会に乏しく、 興味を持つこと自体少なかった気がします。 これは私も経験があります。病気を患い子供社会へのデビューが遅れた ためかもしれませんが、それまで大人の中(家庭)で過ごしていたので 論理的でない子供の会話や予測できない行動が苦痛で仕方なく、 兄や妹とも満足にコミュニケート出来ませんでした。 15歳くらいまで「私はどうしてこうなんだろう…」と悩みました。 改善できたのは高校で美術科に進んだことによると思います。 3年間一クラス全員が同じことに興味を持っている訳ですから。 「変わっていてもよし それが個性 それが才能」という方針でしたし。 >対応として、自分が好きなことを気楽にとありますが、 この気楽に喋ることが出来ません。 というか、感覚的に人に気楽に喋るという感覚が今いちピンときません。 今は反射的に緊張して相手の反応が気になり、気楽どころではない状態です。 どうすれば気楽に構えることができるでしょうか? 緊張するから気楽になれない、気楽になれないから緊張するの悪循環ですね。 私は学生の時でしたから「嫌われてもいい 恥をかいてもいい」という ある意味捨て鉢な覚悟で軌道修正できましたが、社会人になってからは 勇気がいる行動…というより蛮勇ですよね。 難しいかも知れませんが、職場の方などにご相談されてみてはいかがでしょうか。 「僕、雑談が苦手で、何を話していいかわからないんですよね… 受け答え変かもしれませんけど、普通に仲良く話したいんですよ」って。 理解してもらえるかもしれないし、アドバイスやコツを伝授してもらえるかも。 これも立派な雑談ですよ。
- kinkan66
- ベストアンサー率20% (93/458)
人はもともと、コミニュニケーションしたがる生き物だと思います。 それなのに、成長する間に、家族によって、その能力をなくされてしまうことが あると思います。 私は幼少のころ、すごくおしゃべりで、近所でも人気者??でしたが、 親がそれを嫌がり、おしゃべりなのをとことん否定してきました。 それで、どんどん人間不信になっていきました。 質問者さんも、何か思い当たることはありませんか? その後、今でも親からは、否定、否定です。 それだから、生きた心地はしたことがありませんでした。 雑談もいろいろですが、一方的に自分の生活のことを話してくる人もいますが、 そういうのもありかもしれませんね。 「僕、雑談ができないので、どうしたらできるようになるの?」とか、 素直にいうのもありだと思います。 あとは、相手のいいところを見つけて、ちょっとほめるのもいいかも? 相手は気持ちよくなって、いろいろ話し出すと思うので、 「へぇ~~、すごいね」だけでも、相手の話を聞けて、面白いと思います。 飲み会なんか大勢いると、何も話さないで座ってるだけの人、珍しくないので、 話せないなら、聞き役に周るのもいいかも。 人って、表面だけ見てると、つまらないというか、興味は沸かないと思います。 興味がない、というより、そこまでいっていないのでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 お礼が遅れてしまい、申し訳ございません。 確かに、こうなってしまった原因として、 子供の頃の親の接し方が一因としてあると思います。 僕の場合、失敗した場合の激しい叱咤と、 そもそも家庭内で会話する習慣がなかったことが、 他人の評価を重視し、会話下手な原因かなと思っています。 また対策として、 感情をそのまま吐露しそれが相手に受け入れられる経験は、 信頼関係の構築に重要ですよね。 僕は、感情を吐露する前の段階、 自分がどう思っているのかも時々分からなくなる始末なので、 その点を直さないとダメですね。 お教えいただいた技術的な面を身につける前に、 まず土台としてその点をどうにかしないといけないかもしれません。
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
お礼ありがとうございます。 何か気に入らなかったようですね? まずは、気楽に気楽に。 さきほどかいたように、大事なのは自分の幸福です。 人は謙虚で素直で明るい人を好みます。その好みを変えようとしても無理ですし、 あなたご自身、そうだと思います。 謙虚になりたくなければ、別にいいと思います。ただ、人は離れて行くでしょう。 その結果を受け取るのは自分自身です。自分で結果に責任をもてるなら、別に何してもいいと思います。 あなた次第で、どちらでもいいのではないかと思います。 むしろ一人でいる方が楽しいという人もいますし、幸福ならそれでいいのではないかと思います。 人には、それぞれの幸福の道がありますから。 話が苦手ならば、せめて謙虚に接する事をおすすめしたのは、 あなたが人に愛され、可愛がられるための処世術としてです。 別に他人のためというわけではなく、結果的に他人も喜ぶだけのことです。 自分が幸せになるためには、他人を巻き込んで一緒に幸せになることが一番確実です。 よい人間関係では、片方だけ得をするようなことはありませんから。 まあ、謙虚に接してもけなすような人には、別にそうしなくてもいいんじゃないかとは思いますが。 私もたまに人に嫌われますけど、別に嫌われてもかまわないですし。 自分がよく考えてしたいようにした結果、それを相手が気に入らなかったというだけのことですから。 ただ、考えなしの行動で後悔した場合は、反省します。 もし、心を閉じている人に対して、心を開いて接してくれる人がいれば、 それは正当な扱いでも、当たり前でもなく、感謝に値することです。 そのことを忘れないで感謝することが大事だと思います。 それが、人に好かれ、かわいがってもらうのに必要な謙虚さです。 世の中には、面倒見のいい人がいます。そういう人を大切にすれば恩恵を受けられます。 また、よく感謝する人、よく謝る人は、それだけでも好かれます。 相手の優しさを当たり前と思ったり、 「ようやく自分は正当な扱いを受けた」などと勘違いしていると、 貴重な人も、やがて離れて行ってしまい、自分が悲しい思いをするのではないかと思います。 >結局強くなければ正当な扱いを望むのは無理なんだろうと思っています。 自分がどう振る舞えば、他人がどう評価するかという予想は、 だいたいでしかなく、その時の相手次第というところが大きいですよ。 たとえば、真っ平らな壁に向かってボールをなげれば、予測可能な方向へ跳ね返りますよね。 これが多分、あなたの言う正当な評価かな、と思います。 でも人間の心というのは、ゆがみやデコボコのある壁ですし、デコボコも日々変動します。 だからあなたの投げたボールの跳ね返る方向はわかりません。 人間の心に真っ平らな壁を期待するのは、無理と言うものです。 ご自身も、素直になる、謙虚になるということが、難しく感じておられるからわかると思います。 真っ平らな壁を当然と思うことが、この世では苦しみとなります。 そんなことはまず起きないからです。 起きれば、奇跡と思って感謝した方がいいです。当然だと思うとやがて失います。本当に貴重です。 素直で謙虚な人は、わりと平らな壁の人の事です。 やはり人には好かれます。素直な人は、素直な人同士で友達になるのが一番幸福です。 相手の壁がデコボコがひどい場合は、ホントにあらぬ方向へ跳ね返りますから、 不当な扱いを受けていると思うなら別の人を探すといいですよ。 自分と同じくらいのデコボコの人が、お互いに大目に見られてギブ&テイクがつりあい長く平穏に付き合えるでしょう。 自分はデコボコで、相手だけ平らというのは、不公平な関係ですから、 謙虚さや感謝、尊敬を示し続けるなり、他の利益を与えなければ、長くは続きません。 目に見えなくとも、精神的利益をもらっているからです。 片方だけに都合のいい関係、不公平な関係はあまりうまくいかないのがこの世の常です。 人間関係で幸せになる時は、相手と一緒なんです。 真っ平らな壁の人はまずいないと思うこと、 デコボコ壁から跳ね返るボールに、いちいちイライラしないことが、この世で生きる秘訣だと私は思います。 人間なら、デコボコ壁であたりまえです。へんな方向へはねかえるのは、別に自分のせいではないのです。 あなたも、デコボコ壁であたりまえです。お互いさまです。 他者からの評価=自分の価値 という考えが根底にあると、自分が苦しくなりますから、手放すことが肝心です。 ちょっと考えてみてください、あなた自身、他者に対してどれほど正当な評価をさしあげているでしょうか? じっさい、そんなにできるものではなくないでしょうか。 自分の主観や、その時の都合などが大半ではないでしょうか。 単純に言ってしまうと、世界に完璧を期待する前に、自分自身はどうなのかと見れば、 他人についても大なり小なり同じこと、とわかるものです。 なのでいちいち傷つく必要ないと分かると、ずっと楽になると思います。 自分で自分を評価できるようになると、もう他者からの評価・扱いに一喜一憂しなくなって楽になれます。 一番おすすめしたいのはそれです。 正当な評価を、まず自分自身にしっかり与えてあげてください。きっと他人と接するのがとても楽になります。 木がしっかり根っこをはるように安定し、横から少々の衝撃をくらっても倒れません。 じょうぶな根をはることはは、他人のためにもなりますが、なにより自分の幸福のためです。 >最近では、謙虚さも危ういかもしれません。 >昔は、そのように振舞えました。 たぶんですけど、今付き合っている人がよくないんでしょう。傲慢な人や、他人を見下すような人はいませんか。 鉄は鉄によってとがれるように、友はその友によってとがれます。 他人を変えることはできませんから、 自分が変わるか、付き合う人を変えるのが、 あなたにとって幸福への早道ではないかな、と私は思います。たいていは両方です。 あなたの疑問の真意を推しはかったつもりですが、 これで答えになっていますでしょうか。 また何か気に入らなければすみません。別に傷つけるつもりとかではなく、むしろ力になろうとした結果です。 あなたの人生観のヒントにしていただければ幸いと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 お礼が遅れ、年をまたいでしまいすみません。 自分の問題に対し、 他者の評価を気にする価値観から、 自分で判断する価値観に変える。 外部の問題に対し、 処世術を身につけ、無駄な軋轢を生まない。 確かにこれらは生きていく上で重要だと思いました。 ただ、理屈でなく、感情的に素直になれないんです。 その理由は、不公平感だと思います。 会話って、親や生育環境という自分以外の外的な要素が、 多分に影響を及ぼす能力だと思うんです。 でも世間では、会話が出来ないのは本人の努力が足りないという 風潮があるように思います。 今、会話上手な人は、自分自信の努力でなく、 周囲の環境に恵まれそういった能力が育まれ、 自然と会話出来るようになっていただけだろうに、 会話出来ない人間には、そのための努力を強要する。 そこに凄く不公平を感じてしまうんです。 もちろん、人間皆平等でないから、最終的には、 それを自分の責任として負わなければならないと覚悟しなければ ならないのでしょうが、 何故俺がという感情が湧き、受け入れがたいんです。 kanakyu-さんのご回答に沿わないお礼となってしまい、 申し訳ないですが、このように感じています。
- g8r2e7en
- ベストアンサー率25% (240/932)
根本的なことになると思います。 たぶん、「相手に興味がない」のでしょうね。 相手に興味があれば、雑談は延々と続きます。 仕事には関心が高いので、事務的な内容は事細かに話し合えるのでしょう。 人もそれと一緒です。 相手の話に相槌をうち、共感し、自分の意見を述べる。 その繰返しを興味深いと思うかどうかです。 たとえば、「僕は最近ゴルフにはまってねえ」という話をふられたら。 興味がなかったら「ふーんそうなんですか」で終わると思います。 そこを、共感し、質問・自分の意見を付け加えることで雑談が続きます。 「ゴルフですか。いやあ、いいご趣味をもたれましたね。もうゴルフクラブは買われたんですか? 僕はまったくしたことがないからなあ」 「ああ、もう、そりゃ何十万といういいやつを買ったよ。ゴルフクラブっていうのは結構するもんなんだねえ」 「そんなに高いんですか。あれって何本くらい入っているものなんですか?」 などなど。 大体質問でつながりますね。 とにかく興味をもって聞き役に徹することです。 頑張ってくださいね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 前の方のご指摘があったように、 相手に対する情報収集を行うにあたり、 そもそも興味自体が薄いのかもしれません。 ただ、相手に興味を持つ前提として、 相手が自分を対等と思ってくれているというか、 そう自分が思える状態が必要だと思うんです。 でも、他人に対しかなり懐疑的な態度が 身についているため、保身に走りすぎ、 相手に興味を持つ余裕がなかったのかなと思いました。 他人に興味をもつための、 スタートラインにも立てていなかったのかもしれません。 まずは変な先入観を持たないようにしたいと思います。
- bekky1
- ベストアンサー率31% (2252/7257)
ビジネストークは上手で問題ないという前提で申し上げますが、 営業などが、会話をするときのパターンとして、相手が返事をするに yes ・ noで応えるように質問してはいけないという原則をご存知ですか? そして、なるべく相手に多くを語らせる、自分がしゃべるのではなく・・・です。 必ず、何故かをかたらせ、どうやってを言わせる・・・です。 それから、アナタにとっての雑談とは、仕事ではないと判断されるから、別物のようにお考えのようですが、コレ、違います。 いわば、アドレス帳にもタダの名前と会社名しかない人ではなく、隠された個人ファイルのようなプロフィールとして 書き込みをなるべく多くしておくような作業にすぎません。 いわば、人物ファイルとしてのファイリングが単調なんでしょう。 裏ファイルを充実させるような作業とでも思えばいいのでは? ただ、アナタにとっては、個人ファイルを充実させることが「仕事」とは無関係だということだと、 仕事としてもかなり一面的でしょうとはわかりますが。 相手を読んで、仕事を進めるのは常套手段ですから、そういうときに、裏ファイルがいわば役に立つわけで。 最初から、情報収集としての価値判断としてアナタが雑談を無意味、無価値とするから、熱心になれないのです。 人は、こんなことをかんがえているんだ・・・で、売れ行き予測を立てられることもあるし、 先読みも出来ますけどね。 【僕は事務的な会話】と同じレベルまで、雑談を記録?記憶?しやすいようにしておけばという提案ですが、 アナタにとっての、事務的な会話とは、かなり限定的なことだけなのでしょうか? 日付、費用、納期とかソレだけ? 何故、ソレなのか、とか、あるいは、別な提案とかはされない? 同じような’作業’だとおもうのですけど。
お礼
ご回答ありがとうございます。 事務的というのは、会議で何か発言したり、 展示会でお客様に物事を説明したり、 プレゼンで発表したりという意味で書きました。 説明足らずですみません。 ただ、これらって自分の考えや知識を発信しているだけで、 他人ありきでないなとご回答を見て思いました。 確かに他人の情報収集を表面的に行い、 深く知るようなことがなく希薄で、 またあまり知りたいとも思ってこなかったように思います。 自分の仕事に対する情報収集と同じような視点で 相手の情報を収集することが必要なのかもしれないですね。 そのためには、自分の中で他人が自分をどう思っているのかとか、 余計な雑念を無くさなければなと思いました。
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
再々回答です。 >会話のキャッチボール、難しいですね。 >こちらは投げているつもりでも、全然相手の正面に向かって投げれず、 >相手を右に左に走らせて、相手の捕球力に依存していたんですね。 おお、うまく例えましたね。まさにその通りです。 例のその人と会話していると、私は右へ左へ走らされる上に、 本人はちゃんと投げているつもりで、取れない相手のせいだと思っているようなんですね。 まあ、人間同士ですから、どんなに注意しても多少はキャッチボールが暴投になるのはあります。 ただ、自分が大暴投を連発しているなら、せめて自覚もってくれ~とおもいます。 責められる上に尻拭い状態では、付き合い自体やめたくなります。 「いつも悪いね~ありがとう」ぐらいに思ってくれれば、こちらも理解&応援しやすいですから、それでいいんですけどね。 話上手=価値がある人間、じゃないですよ~ そういう価値観が現代の世間的にまかりとおっているだけです。世間の常識はまったく当てになりませんよ。 あなたが信頼できると思った人の価値観を取り入れましょう。 それよりも、 自分が幸せ感じるかどうか。 それが大事です。それがあなたの、人生の成功ですから。 生きてる間は、 他人の評価ばかり気になったり、こうすべきああすべきとか思いがちですが、 死ぬ時になれば、いやでも本当の事がわかります。 たとえばですけど、 謙虚になって可愛がってもらい、理解ある少数の友人に囲まれて、ワンちゃんとなかよくして、 それであなたは、十分幸せじゃないでしょうか? ルンルンじゃないですか? それに、謙虚に素直にしてれば、口下手でもかわいがってくれる人はいますよ♪ 「あ、こいつ、悪気はないんだな。純粋で不器用なんだな。」て感じで。 私はそういう人には、さりげなく自分がどういう風に人に接しているのか見せます。 そしたら横からそれを盗んで、マネできますからね。その人のプライドも傷つかないし。 もしそういう人が見つかったら、大事にしてあげてください。 でも、口下手&傲慢だと、やっぱ接しにくいですからね~。 優しくしたら勘違いしてつけあがるので・・・。 そういう人の事は、甘やかすのは毒になるので、 世間に放流するのが本人にとっても一番いい修行だと思ってます。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 ご共感頂き、嬉しいです。 ただ、反論ではないですが、僕は下記のように感じました。 せっかくアドバイス頂いているのに、ご気分を害したらすみません。 言葉の上では、頭の中では、 会話上手が決して人間の価値観でないと納得出来るんです。 ただ、眼の前の現実を見れば、 そのような人の方が良い人に恵まれ、 また会話が出来ない人間は、別に馬鹿にしてもいいという 暗黙の了解があるかのごとく接される経験をもつと、 心では納得出来ず、世の中とはそうなんだと感じてしまいます。 最近では、謙虚さも危ういかもしれません。 昔は、そのように振舞えました。 が、それもまた、会話が出来ないのだから、 お前は謙虚に振舞って当たり前だという、 世間からの上記の価値観の押し付けでないかと疑い始めてからは、 素直に接することが出来ません。 最近は、結局強くなければ正当な扱いを望むのは無理なんだろうと思っています。
あなたが雑談を出来ない原因、をいくつか思い当たります。 その一つは、この質問にも表れています。 あなたの立ち位置が、おかしいのです。 《仕事上の事務的な会話を上手く行える》自分を、自分自身の本来の立ち位置だと、あなたは自己認定しています。 ところが、 《ご相談させて下さい。》 《今回ご相談させて頂きました。 》 《前置きが長くなりましたが、僕が知りたいのは以下のことです。》 《分かりづらい点ありましたら申し訳ございません。》 という言葉遣いは、相手に対して十分にへりくだっており、好対照な表現です。 上から眼線で人と交流したいなら、もっと自己表現にこだわり、《前置きが長くなりましたが》《分かりづらい点ありましたら》とかの、マニュアル通りの処世術を、自己表現の中から取り除きましょう。 つまり、上から相手に当たるあなたと、へりくだって下から相手に当たるあなたの、二人の真逆に近い自分がいて、その違いを自分自身が把握できていないから、自己表現が出来ないのでしょう。 雑談が出来ない原因の一つも、相手との関係性を、把握できないから自然な会話が出来ないのでしょう。 把握できなくても自分で決めてしまえば良いだけのことです。 一年間ごとに、上から、と、下から、を交互にやってみて、自分に合うやり方を身につけましょう。 簡単に言えば、能力も無いのに、プライドが高い人の多くは、あなたのような状態です。 あなたの良い所は、自分に対してごまかそうとしないことです。 自己認識や自己認定は、非常に難しいでしょうが、修正する見込みがあるようには思いました。 把握できなくても、修正できなくても、実はあまり気にすることではありません。 けっこう時間が解決してくれるものです。 蠢いているうちに、気がついたら、いつも雑談の中心にいた、なんてことになる程度の、小さな問題です。 雑談は上手いのに、仕事ができなかったら、どんな人生になるのでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうござます。 文章で上から目線に捉えられる箇所が確かにありました。 申し訳ございません。 ただ決してそういった意図で書いた訳でないです。 相手との関係性を正確に測れず、 変に上から話したようなことはありませんが、 へりくだり過ぎて親しみやすさにはかけたかもしれません。
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
#3です。お礼ありがとうございます。 >そして傷つきやすいというのも自覚しています。 >これは、受け止め方の問題なのでしょうか。 >それとも、過剰に相手を誇大化しすぎているのでしょうか。 わたしの知っている人の場合、他人の言葉や態度は、他人の都合だということがわからず、 自分への絶対評価?のように受け取っている印象です。 だから、文句言われたりすると耐えられないようです。 他人は、腹が減っていたり、他に嫌な事のあった日は、やさしくできないでしょう。 逆に機嫌のいい日には、優しくされたりほめられたりするでしょう。 でも、何もかも自分への評価だと思い、風に舞う木の葉のように一喜一憂している印象です。 つまり、自分で自分を評価できていないし、 現実がみえていないから、他人からの評価にひどく依存しているんだと思います。 他人が自分のことをすっかり良く知っているという誤解?もあるような気がします。 良く知らないで言っているとか、思わないようです。 言葉足らずで、一言で相手に自分の思いすべて伝わるだろうという甘い憶測もあるように見受けられます。 なのでこちらは、頭を総動員して、相手が何を言わんとしているのかいつも推測しなければならず、 つかれますし、自分の推測の責任を負わされるのが不快です。 逆に自分がそんな風に扱われたら、どう思うか、考えた事もないのかもしれません。 たぶん、一番の問題は、相手と自分を入れ替えて、相手の気持ちを想像とかが、できないんだと思います。 自分の視点からしか物事を見ておらず、俯瞰的視野がほとんどないというか。 情報伝達はできてもコミュニケーションに問題ありの人なので、 本人が自分を知って開き直れることが一番だいじですね。 別にできないならできないで、己の欠点を知る事はよいと思います。 みとめなければ先にすすめませんし、他人の応援や理解ももらえません。 あと迷惑かけた人にはちゃんと謝って、相手のせいにしないこと、かな・・。 もちろん、改善できればそれに越した事はないと思いますが。 あなたの場合とは違うかもしれませんが、ご参考になればと思います。 >話をコミュニケーションとして楽しむというのが、 >感覚的にピンとこないんです。 たぶん感情にフタがされてますね。 まあ簡単に言えば、キャッチボールのようなものです。 お互いに投げあって、受け止めあって。愛情の循環が起こります。そうすると人間は幸せを感じます。 「あなたを大切に思っていますよ」という心を、いろんな表現に乗せて相手に伝えることです。 要は、愛情表現です。 これできないと、結婚した後ヤバイですよ。 たとえば会社の人に朝あったらあいさつしたり天気の話をしたり、 「風邪の具合はどうですか?」と相手をきにかけている様子をみせることもそうです。 人間相手ではだめでも、犬猫相手なら愛情表現や雑談ができる人もいるので、 もしそれでしたら、やはり傷つくのが怖いからなんでしょう。
お礼
度々ご回答ありがとうございます。 回答を読ませて頂き、お知り合いの方と同じ問題が僕にもありそうに感じました。 僕は、普通の会話が出来ている人の方が、 人として価値があると見ている人をたくさん見てきました。 その点さえ出来れば、というかその点が出来ないと、 その他の全てを否定された経験があります。 というか、それが人に対する世間の評価方法の基本だと思っています。 そのような経験から、僕には普通の会話が出来る人の方が、 正しい考えや思考方法をもち、何か自分は誤っているため、 会話できないと、意識ぜずともどこか、考えてきたように思います。 だから、kanakyu-さんの普通に会話ができる相手の態度も、 絶対のものではないという意見は新鮮で、 何か問題の本質を突かれたような気持ちになりました。 また相手の理解に依存し、相手に伝わるような話し方を怠っていたとも思いました。 上記のような価値観の自分ですから、 自分と同じように相手も思うはずだと無意識に勘違いしていたように思います。 感情にフタ、確かに今自分が思っていることを話せばいいと言われ、 自分がどう感じているかわからないことがあります。 会話のキャッチボール、難しいですね。 こちらは投げているつもりでも、全然相手の正面に向かって投げれず、 相手を右に左に走らせて、相手の捕球力に依存していたんですね。 話し方も良くわかりませんから、当然愛情の表現方法もよく分からないです。 正直、結婚はずっと相手を楽しませれる面白い会話を続けれる自信がなく、 また上手く相手に話したいことを喋ってもらうよう誘導も出来ず、無理かなと思っています。 犬は大好きです。 飼っている犬相手には、よく一緒に遊んだり心の中で話しかけたりします。 単純に臆病という問題もありそうですね。
- izumi044
- ベストアンサー率36% (1333/3622)
こんばんは。 なぜ、無理に会話をしようとなさるのでしょうか? 苦手ならば「聞き役」に徹しようとしてもいいと思うのですが。 以前、テレビでホステスさんが聞き役に回るために桃太郎でトレーニングをするといいという話があったなと思い出しましたので、検索してみました。 こちらのブログに細かく書かれていましたので、お時間のある時にでも読んでみてはいかがでしょうか。 http://idea-hoihoi.com/article/181249751.html また、これはバックトラッキングという技法でもあるそうです。 こちらもあわせて読んでみてはいかがでしょうか。 http://cocorosodan.jp/bak/ 他の方の回答で >他人の言葉というか、表現や言い回しを真似して使うことは確かにあります。 >それを他人が使って受けていたため、使えるのではという甘い読みから使うことがあります。 こうおっしゃっておられますし、無理に話そうと努力されるよりも、質問者さんにとっては聞き役に回る方がはるかに楽なのではないでしょうか。 話したいのだというのでしたら、まったくの筋違いな回答になってしまっていますが。 一つの考えとして読んでいただけたらと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ks5518さんのご回答に対するお礼にも書きましたが、 僕は喋れないことを問題としていましたが、 相手から上手く話を聞き出すという能力も低く、 問題はむしろそちらにあるのかもしれません。 載せて頂いたサイトを参考にしたいと思います。 ありがとうございました。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 お礼が遅くなり申し訳ございません。 以前のご回答でご指摘頂いた通り、マニュアル人間である点は 自覚しているのでお気になさらないで下さい。 また、僕のお礼については、 PC上なので考える時間があるというのもありますし、 これこそマニュアル的な対応を行なっているだけです。 現実の人間関係では何も役立ちません。 ukoygwonimが高校で体験したように、 一度でも受け入れられるという経験があれば、 また違ったのかなと思うことがあります。 そういった経験に乏しいと、 集団の中での自分の立ち位置は、 大体どこにいってもこんなもんだと悪い意味で 学習してしまい、自分で自分の動きを縛ってしまいます。 素直に自分の気持ちを伝えたらいいのかもしれませんね。
補足
すみません、お礼にてukoygwonimさんに「さん」をつけるのを 忘れてしまいました。 他意はありませんので気にしないでください。