※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本の死体や殺人現場の報道規制について)
日本の死体や殺人現場の報道規制について
私は下のような死体報道を推奨するような記事を見てゾッとしました。
http://www.hodaka-kenich.com/Journalist/2011/05/10044401.php
日本は言論の自由があるので、この記事を個人の意見として冷静に受け止めてはいるのですが、海外のTV報道のように、容易に死体の画像や動画を流して“危機感を煽るような報道は決して日本に存在してはいけない”と強く、強力に思っています。
何故なら、死体報道は公共レベルではなく個人レベルで恐怖や危機意識を煽り、死体画像を記憶してしまった人間は友人の顔でさえその死体の顔と合成して見る習慣がついてしまいます。
つまりは、人間をより冷静に存在としてではなく“生きている物質”として認識するようになるのです。目の前にいるのは温かい人間ではなく、“単なる生きている物にしかすぎない”というような冷めた人間観を植え付け、自己の死を恐れさせ、少しの事件が起きるだけでパニックを起こしやすくなり、自分の身の安全を確保しようと他人を蹴落とすような人間が増えて行くのです。
そのような人間は、“私はあのようには死にたくない”などといった自己中心的、保身主義的な思想が蔓延した結果に起こる行動です。このような自己中心的な考え方を増やすのは死体報道以外にありえません。
さらに夕食時の家族団欒の時間に死体報道や、最近ではカダフィ大佐の血まみれの映像、私は海外のサイトから詳しく見ましたが、死にゆく過去の独裁者(一人の人間、一つの生命)の周りを銃を手に「アッラーフアクバァアル!、アッラーフアクバァアル!!!」と喚く人間の姿。
私はあの喚き散らす人間達の姿がどう捉えたら正義の姿なのかが分かりません。しかし、海外の放送では独裁者を倒して自由を手にした人々、という称賛の声があちこちで上げられています。こんな報道の仕方で世の中の思想が安定へと向かうと思いますか?。海外のデモと全く同じような事が正義として扱われて、正義の為なら人をも殺しても良いという思想を蔓延させているだけじゃないですか!。
私は平和ボケでも良いと思うんです。人間を最も戦争に駆り立てるのは無知じゃないです。“血”です。“死体”です。
上のURLの記事に書いていたように、外国の侵略者が自国の国民兵士と戦い、自国民の血や死体の映像を見せられて戦争を止めよう!という人がいますか?。アメリカの場合は侵略者だったからベトナム戦争の時に戦争を止めようと言えたんです。自分の兵士が死んでほしくないから。別に向こうが本土に上陸作戦を考えているわけでもないから。
しかし戦争中の日本で自国民の戦死者の写真が新聞で報道されたらどう思うでしょうか?、“今度は自分が殺される”としか考えないでしょ?。日本中大パニックになって戦争どころじゃなかったと思いますよ。むしろ殺されるくらいなら本土決戦しかありえない!と国民が政府に言うか、将来を悲観して集団自決が自発的に起きた可能性もあります。そして何より肝心な視点が、“玉音放送で国民達が冷静に泣いて終戦を受け入れられたのは、皆が勇敢に散っていった、と考えていたのと、もうこんな“悲しい事”(壮絶な悲劇ではなく)は二度と起きてほしくない”という様に捉えられていたからだと思うんです。
そうです。最近の津波の報道でも海外から称賛されていましたが、日本の災害時の秩序は死体報道がほとんどないという日本のメディアシステムのおかげなんですよ。真実を報道していないとか、嘘ばかり報道しているという間違った考え方の人が多いですが、そんなのはネットでいくらでも見れるでしょ?という事になんで気がつかないんでしょうか?。日本は海外にはない“見ない自由”が確保されている国なんです。そして、ネットひとつでいつでも“知る自由”が実現出来る国なのです。中国みたいに隠蔽大国でもなければ、欧米のように“見せる権利”を強行している国でもない、曖昧ですが、非常に“国民全体としては知る自由が最も平和的に実現されている国”なのではないかと、強く思っているのです。
皆さまはこの私の意見にどのような意見を出すでしょうか?。
批判でも賛成でもかまいません。感じた事を述べてもらえたら嬉しいです。
お礼
殴り書きの性格が強いので、すみませんね。