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ある程度の年齢になった方へお尋ねです
竹内まりあの人生の扉の歌詞ではありませんが ある程度の年齢になると 「あと何回桜の開花が見られるだろうか」とか 「あと何回正月が迎えられるだろうか」と考えますか? 深く考えずに、軽い気持ちでお聞かせください おねがいします
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49歳のおっさんですが「孫の顔を見られるかどうか」は気になりますね。 結婚が遅かったので、子供はまだ中3と中1です。 子供たちが順調に成長して結婚しても、あと10年は孫は生まれないでしょう。 うちの家系は男が皆早死になので、ほとんど60代で他界しています。ぎりぎりです。 あと、美味しいご飯を食べた時に「こういう美味しいご飯をあと何回食べられるかなぁ」ということはたまに思います。 言われてみれば季節の移ろいは楽しむだけで、カウントしたことはないですね。 自然なことって、自分もその一部だから気にならないのかもしれません。
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ある程度の年齢になった方‥これは、随分高齢の方だけの事ではないですよね? 因みに私は 42歳です‥。 私の歳でも あと何回〇〇出来るか、あと何回〇〇観られるかとか考えますよ。 というのも、私は 常日頃 明日は生きていないかもしれない‥と思って生活しているからです。 去年から20kgくらい体重が減りました。 病気治療の為に副作用で 食事を摂れなくなりました‥。 こんな事を経験すると 殊更に命について、そして死について考えてしまいます。暗く考えてはいませんよ!情感が深くなったというか、流れにとても敏感になりました。 季節の移り変わり、流れ‥ですよね。 人の心の動きや死に際まで 深く追究したい気分になります。 音楽を聴き 涙を流し、人の優しさ、意地悪な行為(笑)、家族の事、庭の木の手入れ‥キリがないくらいあれもこれも 頭によぎって 楽しいです。私ってこんなに考えられる人間だったかな~?と‥。 多分、ある程度の年齢になった方‥とは限定できない事で、小児麻痺をわずらっている子供、白血病に苦しむ子供‥それぞれに 院内から窓越しに 枯れ葉や桜をみて あと何回かな‥と、実は思っていたりします。 それは幸せな心。 思いを馳せる元気がまだある証拠‥。 危篤になったら 窓越しにも 見れないのですから‥。
お礼
お答えを寄せていただいた方=ある程度の年齢と自覚されている方なのでしょう 環境は人それぞれですが人の一生はその人のものなので、ご自身が満足される時を過ごされるのが一番かと思われます お答えいただき、ありがとうございました
こんばんは! 44歳の男性です。 正直に言えば他の回答者様とは違い、 >「あと何回桜の開花が見られるだろうか」とか 「あと何回正月が迎えられるだろうか」と考えますか? はある程度考えます。 でも、考えても『死』は皆に必ず訪れます。 だから毎日悔いが残らないように精一杯がんばろう!って思ってます。
お礼
生まれた瞬間から、死へのカウントダウンが始まってるのですから、これはもう仕方ありません そんな中、前向きに時を過ごしていらっしゃるのですね お答えいただき、ありがとうございました
- kiyo7041
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53歳既婚女性です ほとんど考えません 人生一回こっきり まだまだやりたい事たくさんあるので考えてる余裕がありません 主人と二人でまだまだこれから~
お礼
考えてる余裕が無いですか 人それぞれですね お答えいただき、ありがとうございました
- nainai0725
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こんばんは 61歳 ♂ 多分3分の2は生きたので、ある程度の年齢だと思います。 >「あと何回桜の開花が見られるだろうか」とか >「あと何回正月が迎えられるだろうか」と考えますか? 気持ちは若いから全然考えません。 体力が著しく衰えたら考えるかもしれません。
お礼
恐らく充実された時を過ごしていらっしゃるのでしょうね お答えいただき、ありがとうございました
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お礼
加齢にしたがい好みも変化しますから食事もそうですが 季節の移ろいは80年生きても、たった80回しか出会えないんですね そして自然は80年経っても同じ姿なんです 凄いことです お答えいただき、ありがとうございました