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ハロウィンとケルト人の新年
- ハロウィーンは、カトリックの諸聖人の日(万聖節)の前晩(10月31日)に行われる。
- ケルト人の行う収穫感謝祭が、カトリックを信仰する他民族の間にも行事として浸透していったものとされている。
- ケルト人の1年の終りは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていた。これらから身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた。
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10月に小麦の収穫が終わり、11月から冬になるから。 ローマ暦では3月1日が新年 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%9A%A6 春めいてきた日に王が新年を宣言する
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- SPS700
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#1です。補足です。 >>それなのになぜケルト人は11月を選択したのだろう、と思ってしまうんです。文字がなかったから大雑把だったんでしょうか。ここで疑問がわくんですが、文字がなければ大雑把になるというのは本当でしょうか。農業をする人にとって天体観測や気象の観測はかかせないものであったのではないか、したがって文字はなくとも細かく観察されていたのではないかと思うんですが おっしゃる通りです。 僕が言いたいのは世界の一年の終わり、新年の初めは秋分から冬至の間の3ヶ月間に多い,という事。これが三段階をへて現在の事態に至る事です。 (1)天体観測によるサイクルの決定、(2)その結果を宗教者(あるいは宗教団体)が変える、(3)その結果をさらに政治家(政府)が変える、ということです。 (3)など日本で太陰暦から太陽暦に変えた過程でも分かるように2世紀足らずで定着します。 ケルトは、ローマに征服されて2000年、これが(2)。(1)はそれ以前です。(2)はケルト文化がキリスト教化される時、繰り返されます、ということは、(2)は宗教が代わる度に(3)は政府が代わる度に複数回繰り返される性質のものだと分かります。 ですから、11月1日と現在の太陽暦で切りのいい日が選ばれているまでに何回も記録されていないケルトの新年があった、と僕は思います。 感謝祭は17世紀から祝われていますが、アメリカ合衆国で、11月の第4木曜日に決めた(3)のは1941年です。 秋の収穫を祝う(1)農休期のはじまりは、飛鳥時代の皇極天皇から始まったとされる新嘗祭(2)ですが、太陰暦11月の二番目の卯の日だったのが、1873年太陽暦の11月の決まった日に変わり、さらに(3)1948年に今の勤労感謝の日、と変わります。 収穫と一年の終わりはいずれも太陽暦の第四4半期に起こるのは偶然ではないと思います。日本のように宗教の変遷や占領の歴史が少ない文化でもこうですから、ケルトの今の新年が古来不変とは僕には思えません。
お礼
何度もありがとうございます。 なるほど、私は勘違いをしていたのですね。 農業をする人にとって天体観測や気象の観測はかかせないものであった。 したがって文字はなくとも細かく観察されていた。 そのように回答者様もお考えであると。 言葉の意味をよみとれず失礼いたしました。 >世界の一年の終わり、新年の初めは秋分から冬至の間に多い, 私は多くの暦を知らないのですが、秋分から冬至の間を正月とする暦にはどのようなものがありますでしょうか。 また、それぞれいつを正月としているんでしょうか。 >(1)天体観測によるサイクルの決定、 >(2)その結果を宗教者(あるいは宗教団体)が変える、 >(3)その結果をさらに政治家(政府)が変える、ということです。 この区分けはわかりやすいですね。 今のグレゴリオ暦が冬至を正月としていないのは、(2)または(3)の結果だといえますね。 冬至の三日後{12月25日)、太陽が上昇をはじめる日をキリストの誕生日とし{聖書にはキリストの誕生日の記述はない。クリスマスミトラ教の冬至祭に便乗した)のですから。 >11月1日と現在の太陽暦で切りのいい日が選ばれているまでに何回も記録されていないケルトの新年があった、と僕は思います。 たしかに回答者様がおっしゃるように11月1日というのはきりがいいですね。 しかし、日にちはともかく、11月というのはケルト人にとって何らかの意味があったのではないでしょうか。 なるほど、日本でも新嘗祭は11月ですね。 これは収穫祭ですからケルト人の新年を考える上で興味深いですね。 東と西の間にも類似性はあると思いますので。 大変参考になりました。心より感謝申し上げます。
- SPS700
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#1です。補足です。 >>でも、11月1日というのは太陽の動きから見た場合、とても中途半端な感じがしませんか? カエサルの侵攻などのため文字を書く伝統が多少広まったのは文字化を進めるというよりは、ケルトを宗教的に支配した ドゥルイド などの伝統を破るためだったようですが、詳しい事は、文字に書き残さない習慣があったため、多分に大雑把なものになったようです。 秋分を過ぎれば、生の世界(日)が負け、死の世界(夜)が勝ち始め、一年は終わりに入り、生きた人間の心臓を捧げなければ太陽は死んでしまう、などという宗教も出来る騒ぎです。 そのため、今の太陽歴の九月末頃から新年があちこちで渇望されるようになったのは当然かと思われます。
お礼
何度もありがとうございます。 ケルト人は文字をもたない民族であったわけですね。 勉強になりました。 秋分から日照時間は減少していきますが、秋分って9月ですよね。 ケルト人の新年である11月1日は秋分と冬至の中間くらいですので、やはり中途半端な感じがします。 9月から12月まで3か月もありますでしょう。 新年は9月でも10月でも12月でもよかったはずです。 それなのになぜケルト人は11月を選択したのだろう、と思ってしまうんです。 文字がなかったから大雑把だったんでしょうか。 ここで疑問がわくんですが、文字がなければ大雑把になるというのは本当でしょうか。 農業をする人にとって天体観測や気象の観測はかかせないものであったのではないか、 したがって文字はなくとも細かく観察されていたのではないかと思うんですが (根拠はありません。私の推測です。)
- SPS700
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>>ケルト人はなぜ11月1日を新年にしていたのでしょうか。 下記によりますと、ケルトの祭日(正確には祭夜でしょうね)Samhain は十月三十一日で一年が終わり、 Samonios で新年が始まり、年の終わりは「自然が死ぬ」ためだそうです。 http://www.livingmyths.com/Celticyear.htm やはり秋に Rosh Hashanah の新年があるユダヤ教でも祭りは日暮れに始まります。 http://en.wikipedia.org/wiki/Rosh_Hashanah 1年の終わりを日が短くなる時、1年の始まりを日が長くなる時、と決める文化は多く、クリスマスが冬至に近いのもその所為で、色んな宗教が独自の暦を使って分化したので今の状態になったものと思われます。
お礼
回答ありがとうございます。 せっかく貼っていただいたサイトですが英語はからきしだめでして。 すいませーん。 >1年の終わりを日が短くなる時、1年の始まりを日が長くなる時、と決める文化は多く、クリスマスが冬至に近いのもその所為で、 そうですね。 クリスマスが冬至の3日後なのは、太陽が冬至の3日後から上昇を始めるためでしょうね。 キリストが死後3日目に復活したとされるのは、キリストとは太陽を比喩したものだとする説もあります。 でも、11月1日というのは太陽の動きから見た場合、とても中途半端な感じがしませんか? 冬至は12月22日なので、11月1日からまだ二か月近く太陽は南中高度を下げていきます。
お礼
回答ありがとうございます。 収穫が終わると小麦畑には何もない状態になりますので 始点にふさわしいように思えますね。