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地球と人間の確率の考え方について
- 宝くじ一等の当たる確率が1千万分の1だと言われる中、地球上で人間が生まれ、生活できるような環境が偶然できる確率を60億分の一だとします。この確率の考え方について混乱しています。人類全体の人口も60億。一人くらいはあたりがでてもいいのかと疑問に感じています。
- 地球の年齢は46億年なので、毎年一回サイコロを振って一回あたりが出る確率と同じくらいの確率で地球上で人間が生まれ、生活できるような環境が偶然できると言われました。しかし、このような確率の考え方について疑問を感じています。宝くじが1千万分の1と言われているのに、なぜ人間の環境成立の確率は60億分の一なのか。この考え方をうまく説明する方法を知りたいです。
- 地球と人間の確率の考え方について疑問を感じています。宝くじの当たる確率が1千万分の1だと言われる一方で、地球上で人間が生まれ、生活できるような環境が偶然できる確率は60億分の一だと言われています。人類全体の人口も60億人であり、一人くらいは環境成立の確率がでてもおかしくないはずです。この確率の考え方についてどうしてなのか、うまく説明できる方法を知りたいです。
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人間が種として生存している。そういうことが起きる確率はどうなのか、ということになりますね。 これは、いきなり「人間が種として継続して存在する」か「人間は種として誕生できなかったか」か、というような、二択を考えていては、結論は出ません。ご友人とも、水掛け論になる確率が高く、おそらくもう一度議論しても並行線を辿るだけでしょう。 人間が種として今はあることは事実です。そうなる確率を考えるには、大雑把にこの問題を分けると、三つになります。太陽系のように、惑星を持つ恒星系が誕生する確率は考えず、考察の大前提としておきます(つまり、暗黙の前提として、確率1=100%)。 (1)地球が炭素系生命の誕生、生存に適した環境になる確率。 (2)上記(1)になったとして、原始的な生命(まず間違いなく単細胞でしょうね)が発生する確率。 (3)上記(2)になったとして、それが進化していき人間まで到達する確率。 確率は、何か事象(事柄)が起きる可能性を数字で表すことで、事象が二つ以上の場合には、二つの事象について、独立と従属というものがあります。 二つのサイコロを振ったとして、各々のサイコロの目がいくつか、というのは二つのサイコロについて独立です。二つのサイコロには関係性がなく、それぞれが独立の事象です。このときは、それぞれの確率を単純に掛け算すればOKです。 従属はちょっと説明が難しいです。例え話になります。私はめったに「畜生!」と叫びません。ものすごく低確率です。私はめったに、足の小指をタンスの角にぶつけません(ちなみに、ぶつけたらすごく痛いです)。これも、ものすごく低確率です。 では、ある日1日を考えて、「畜生!」と叫び、かつ タンスの角に足の小指をぶつけること、両方がおこる確率は、それぞれの確率を単純に掛け算してよいかどうか。 駄目なのです。もし、タンスの角に足の小指をぶつけたら、かなり高い確率で「畜生!」と叫んでしまうからです。 つまり、この二つの事象(事柄)は因果関係があるわけです。こういうのを、従属といいます。これを扱う確率は、「条件付き確率」といいます。「タンスの角に小指をぶつける」が成立すれば、そうでないときと比べて「畜生!」と叫ぶ確率が変化(この場合は、格段と上がる)するわけです。 (1)~(3)では、(1)は前提条件を持たない単独の事象だから悩まなくていいでしょう。太陽の温度とそこからの距離等々、自然科学が結論をだすのを待つだけです(実際、コンピュータシミュレーションなどで、熱心に研究されてますし、盛んに宇宙探査する目的も、こういうことを含んでいます)。 (2)は、(1)に対してどうなのか。独立か従属か。これは、現在分かっていません。火星などの探査で、生命の痕跡を探したりしていますが、これが独立か従属か知りたいからです。火星にも生命が誕生していれば、従属である可能性はぐんと高まります。 (3)も同様です。単細胞生物が発生したとして、それが増えて行き、そして進化していくのは必然か偶然か。進化していくとしたら、人間のような知的に特化した進化は、やはり必然か偶然か。これは、何も分かっていません。 この問題について、いろいろな仮説を考える人は少なくなく、ある人はこのことを表す数式を作り、その式に賛同する人々が、数式に使うたくさんの変数などの値について議論しています。変数などの値をどうするにせよ、生命の発生は非常に低い、奇跡と言っていいような低確率だということは、議論はあるけど、みんな一致した意見のようです。 別の人は、上記の数式について、事象ごとの考察が独立すぎる扱いだとして、別の式をつくり、同様にして、そのグループでは地球のような環境の星があれば、生命の発生は必然に近いと主張しています。 単細胞生物から、人間のような知的生物までの進化がどうか、も同様です。いろいろ意見があります。 さらに、知的生物が、それが発生・進化した惑星で支配的な種になるかどうか、も同様です。これもいろいろ意見があります。 この件で議論してみるのはいいことですけど、どちらが正しいか論争するのは、どうも建設的ではない感じです。むしろ、どれだけいろいろ可能性があるか、考察し合って、高め合う方向がいいのではないかと思います。
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- thegenus
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(No.7のお礼) >「確率を用いないのが正しい、とのことですが、避けて通るべきでは無いと思います。」 (1)なんで?避けて通るべきではない?どこに向かうの? (2)例えば60億通りの何があるのですか?何について60億通りあるのですか? (3)なんで確率を分らない人が避けて通るべきではないと言うのですか? 確率に支配されている宇宙が生命という当りを出したのではないのですよ。確率は人が作るものですよ。確率は地球に生命が誕生し、その一種である人類が発明したものですよ。 (4)聞きたい事をはっきりさせて下さい。 (5)>「「地球の年齢は46億年なんだから当たりがでてもいいだろ」 という飛躍に納得いかなかった訳ですが」 何が飛躍なのですか? (6)(No.2のお礼)>「科学者の言う人類誕生、存続の確率というのはどのように計算されたのでしょうね。不思議です。」 科学者がそんな事を言っているのですか?引用して下さい。
お礼
回答有難う御座います。 もともとの質問の意図とは離れていってしまっているため、コメントは控えさせて頂きます。 質問に至った過程について多少の説明があったほうが分かりやすいかと考えたのですが、それにより質問の焦点がずれてしまったことをお詫びします。
- thegenus
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ご質問が何なのか分りにくいのですが、ご友人の説明(一般的に否定されない、たとえとして確率を用いた説得)こそ、むしろ逆に科学的(現実的)ではないというご指摘でしょうか。 私もそう思います。その対案として質問者さんは宗教的な宇宙観を支持しているからという訳ではありませんよね。 確率を用いないのが正しい説明です。 どうしても確率論的な表現を用いなければ気がすまないのでしたら、60億面体ではなくて、 手順としては、バタフライ効果やランダムウォーキングを参考にされるのが宜しいのではありませんか。 多次元において、ある目標地点に到達する確率と考える感じになるのでは、と。 繰り返しますが確率論にするのが間違いです。60億面体でも別世界が用意されているのは同じですから。 流布している説明へのご指摘は素晴らしいと思います。
お礼
確率を用いないのが正しい、とのことですが、避けて通るべきでは無いと思います。 バタフライ効果は「風が吹けば桶屋が儲かる」ですよね。科学的でしょうか? また、元来の質問の意図と離れてしまうのが残念ですが、多次元という考え方こそ科学が持ちだしたのに科学的ではないですよね。なぜなら人間には別次元をうかがうことすらできないのですから。 もともとは 「サイコロを60回振ればそのうち10回くらいは6が出る」 ということと 「60億回振ると1回くらいは意図した目が出る」 はまったく同じではないにしても 「地球の年齢は46億年なんだから当たりがでてもいいだろ」 という飛躍に納得いかなかった訳ですが、確率とはなんなのか、もう一度考えてみたいと思います。 ありがとうございました。
- yvfr
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サイコロの例になりますが、6が出る確率は1/6ですよね。6回振れば一度は6が出るということです。 6回毎に一回の割合で6が出るということですよ 6回振っても必ずしも6は出ません 6回振って一度も6が出ない確率は33%。10回振って一度も6が出ない確率は、16%もあります
お礼
言葉遊びのようになるのは避けたいのですが、確かに6回振れば「必ず」一度は意図した目が出るわけではありません。 しかしながら、一度も意図した目が出ない確率が33%というのは驚きました。5/6の6乗ですね。思ったよりも大きい…。 確率ってなんなんでしょう?
- foomufoomu
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>生活できるような環境が偶然できる確率を60億分の一だとします。 何が60億分の1なのかよく分かりませんが、(地球に生命が生まれる確率? そういう星が存在する確率?) これって、とっても高い確率ですよ。 地球上で物質の分解・合成反応が起きる回数(太陽光線、雷、火山などによる)、宇宙に存在する星の数、どちらをとっても、60億よりはるかに桁違いに大きな数です。 実際、地球に生命ができた痕跡を調べると、地球が冷えて固まってから、それほど時間がかかってないそうです。(星の歴史から見ると、一瞬で誕生しているそうです) また、生命というのは、自己の複製を作ったり、自己修復したりすることができる物質ですから、一度できてしまうと、よほどのことが無い限り、しぶとく生き残ります。 そんなわけで、いま地球に生命があふれているのは、それほど珍しくない現象と考えられます。
お礼
おっしゃることは私の友人と似ているのかも知れません。 星の数だけサイコロを振ってしまっているか、もしくは結果ありきで、どの星を選ぶかでサイコロを降っているような。宇宙誕生から今まで毎秒ごとにサイコロを振っていればどこかで当たりがあるわけで…。天の川の星の数としても同じです。 人類誕生と存続の確率というあいまいな命題そして60億分の1という数字が根拠のないものであることが、混乱の原因になっているのかも知れません。この点、お詫びします。 ただ、生命誕生や進化論などの分野の話には、途方も無い低い確率が提示されるような印象が個人的にあり、その数字の正確性は問題ではないような気がしたので、あいまいなまま質問致しました。 人類の人口が60億であること(全人類がそれぞれ宝くじを買えば誰かは当たるから)、自分にとって大変大きな数字に思えたので持ちだしたまでです。 元々の質問の意図は確率の考え方についてでした。生命の誕生その他についてはこの疑問に至った過程を説明したにすぎません。 ありがとうございました。また、誤解を生んでしまい申し訳ありませんでした。
#1です。 どうも説明が上手くなかったのか、誤解させてしまっているようで、申し訳ありません。 サイコロの喩えを伺うと、やはり観測選択効果の理解が間違っているように思えます。 >広い宇宙の中で「我々人類」が一つのサイコロを一度だけ振ったとしてあたりが出る、が前提だと思います。 そうではなく、 全惑星が生命発生と人類への進化のサイコロをふったのだとお考えください。 その中で大当たりの目を出した惑星の上で人類が登場し、彼らがその惑星を「地球」と呼んだのです(事後同定)。 それと >これを無数の宇宙が複数回(宇宙一つにつき一回)振ったらその時点でその率は変わっていきます。 これは例えば、コインを投げて三回連続で表が出た後に、もう一回投げて表が出る確率、のようなものでしょうか? 答は変わらず1/2です。 これならば「ギャンブラーの誤謬」と呼ばれる勘違いですが、違う意味でしょうか?
お礼
度々お付き合い下さりありがとうございます。 「確率がどれだけ低くとも結果論として人類は存在している」ゆえに「人類はとてつもなくラッキーだった」というのが一般の理解ですよね。自分自身も今まで何となくそのように思っていました。 しかし、よくよく考えてみると何億分の一の確率でしか起きないことを「科学的」とするのは「合理的とは言い難い」のでまったくもって科学的ではない、巧妙な偽りに近い、というのが本日得られた結論(当然反論はあると思います)なのですが、 身近な例で考えたいためにサイコロにこだわってしまうことをお許し下さい。 「私が」何億面体のサイコロを一度だけ振って当たる確率が、人類発生・存続の可能性と等しいと考えるのが一番近いと思っています。また、「ギャンブラーの誤謬」については勘違いしやすいところですが、サイコロを振るのは一度だけ、ということに最初からこだわっていましたのでこれとは異なると思います。 本題ですが、全惑星という例えがわかりませんでした。ひとつの個体なのでしょうか?これは生物発生を前提としてどこにしようか、どんな生物にしようかを決めるときにたまたま銀河系の地球が当たった、ということになりませんか?これでは前提が異なってしまうと思います。「ど・れ・に・し・よ・う・か・な」ではないはずです。
宝くじの場合は発行枚数がわかっていて、当たりの枚数もわかっているのですから、確率は当たりの数を全体の枚数で割れば当然簡単に出ます。 ところが、地球に生命が発生する可能性に関しては、全体の数(分母)もわからない、発生する数(分子)もわからないのです。 人類が知る事実は唯一、1つは可能性がある言うだけ…。 これではいくら確率を出したところで推測の域を出ないです。 すでに地球に生物が発生しているのは事実ですから、確率がどんな天文学的に低くても可能性として0ではないとは言えますね。 断言できるのはそれだけでしょう。
お礼
なるほど。 分母分子もよくわからない、というのは気づきませんでした。 科学者の言う人類誕生、存続の確率というのはどのように計算されたのでしょうね。不思議です。 それともそれらの確率うんぬんは、どこかで何度か聞いた気がするが、気のせいでそんなものは誰も言及していないが本当なのでしょうか? 可能性としては0ではない、が無から有の発生、無機から有機の発生、進化の可能性もろもろをひっくるめた科学の取る立場であることは分かりました。ずいぶん危ういんですね。 科学的であるというのは素晴らしいけれど、科学的ではない、というのがなんの意味もないことを考えさせられました。ありがとうございました。
46億回の喩えが悪くて混乱されているだけかと思います。 それで 仰られるように、天文学的に低い確率の当たりを私たちは引いているわけですが、 不思議ですよね? この大当たりを、「創造主」の仕業だと信じている人が少なからずいる(科学者にも)のですが、 現在有力なのは ダーウィニズムの宇宙版、 多宇宙説です。 まさに 「宝くじなら日本人の誰かが当たる」 という直観の宇宙版で、 多宇宙の内のどれかは私たちの宇宙のような物理定数を備えていて、その中の惑星のどれかは生物が発生して人類まで進化した、というものです。 ところで、 宝くじはハズレることがほとんどで、私たちが当たることはほとんど無いわけですが、生物発生にハズレた場合はどうなるのでしょう? 答は簡単、私たちは居ません。 つまり私たちは私たち自身を証拠に、私たちが大当たりを引き当てたことを証明できるわけで、これを「観測選択効果」と言います。 この 多宇宙+観測選択効果 によってようやく、私たちは「創造主」という観念から自由になることができたのです。 ホーキング博士などが「宇宙誕生のシナリオに創造主は必要ない」と言っているのは、そうしたわけなのでした。
お礼
多宇宙説については初めて知りました。調べてみたいと思います。 サイコロの例になりますが、6が出る確率は1/6ですよね。6回振れば一度は6が出るということです。これを無数の宇宙が複数回(宇宙一つにつき一回)振ったらその時点でその率は変わっていきます。自問自答になってしまい申し訳ありませんが、広い宇宙の中で「我々人類」が一つのサイコロを一度だけ振ったとしてあたりが出る、が前提だと思います。 で、原因はどうあれ我々は存在している。それを説明するために人(科学者)は仮説を立て、その証明を試みるわけですが、その結果が天文学的な確率であったとしても、それを一番最もだとするには無理がありませんか?「理にかなっている」というのが科学だと思うのですが、こうしてみると科学なんて大したことがないように思えてきます。こじつけと紙一重?ただ、私たちは科学から多大な恩恵を受けていますよね。素晴らしいです。 ありがとうございました。
お礼
違った角度からの考察、興味深く読ませて頂きました。 確率といっても単純に計算できるものではないのですね。 それと確かに、どちらが正しいか、ということに焦点をあててしまうと険悪になってしまうかもしれません。これも重要なポイントですね。 ありがとうございました。