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私の先生

先日で、数作文がここで質問しました。みんなのまじめな添削文を見て、すごく感動しました。みなさんのご指導と熱心なことを心から感謝してます。。(日本語が大変苦手で、ここの文章も問題もあるかもしれない。。。間違っていたらすみません。。。。) わたしは外国人です。下に 私の先生 を書きました。 読んでいただいた皆さんに心より御礼申し上げます。 ここから初めです。 ーーーーーーーーー―ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私の先生 というテーマで文章を書きましょう。 注意点:字数を800字以内に収めること。「である」体を使うこと。 私の先生 大学二年生の時、国際関係の学課が開設されていた。その学科は専攻科目ではなく、自分も国政関係に関して、特別の夢中ではいない。でも、その学科は大学のとき最も好きな学科である。その原因は、私はこの学科の先生が好きである。 この学科の受け持ちの教師には二十歳代末ないし三十歳代初めぐらい(実際の年齢が分からない。)みたいになっていられた方であったが、私たちとに世代間のギャップが存在していないと思う。そして、はじめの授業で(第一回の授業で )、先生は「この授業は専攻ではない。君たちは(そこで「君たち」と書いて、失礼ですか。「あなたたち」と書いたら、いいですか?)この学科が好きなら聞きでも言いし、好きじゃないなら、聞かないでも非難させではない。ほかの学科を勉強するでもいいし、自分が好きなこのをするあるいはゲームをやるでもいいです。でも、君たちがひとつのことを自分でよく考えすべきだ。それは、ある学生が大学四年間勉強していますが、ある学生がさまざまなことを遊びしています。皆も四年間に過ごしていますが、ある学生が勉強した後なんにもやっていない。ある学生が勉強のおかげて、いい仕事といい進路になる。そして、遊びでも、一人前の事業をしている人もいる。何もやっていない人もいる。どうやっているか。君たちはよく考え決まりましょう。」こうい話を言った。そんな意外な話を言って、そんな先生はこれまでまだいないだと思う。 毎回の授業は45分の間に、15分ぐらいは国際関係の内容ですが、残たの時間は米国ドラマを私たちに放映くれた。その原因で15分の授業の中で、私は一心に聞いている。後で、米国のドラマを楽しいに見ている。先生は教科書にもとって授業することではなく、自分の理解のうえに私たちに授業した。内容も面白いし、概念も理解難解ではない。よりよく活用された。先生も時々私たちに自分の経験を教えた。その中で、今まで心で印象深い話は「チャンスが君たちに作ったものだ。勇気に基づいて、やってみろう。」である。 でもこの学課は大学三年生のときでない。 この学課を終わた後、私はそれきりお逢いしたことがない、いまでは卒業になっていられることであろう。私はこの先生にだけは逢いたいと思っている。

みんなの回答

noname#194996
noname#194996
回答No.1

添削させていただきます。 私が大学に入って二年目に国際関係の学課が開設された。その学科は専攻科目ではなく、私自身国際関係に関して特に興味があったわけではない。しかし、その学科は大学生活において私の最も好きな学科になった。そのわけをいうと、私はこの学課を担当した先生が好きだったからである。 この学課の受け持ちの教師は二十歳代末から三十歳代初めぐらい(実際の年齢は分からない。)の方であったが、私たちとの間には世代間のギャップは存在していなかったと思われるのである。 初回の授業で先生は「この授業は専攻ではない。君たちはこの学課が好きなら聞くだけでも良いし、好きじゃなかったら聞かないでも非難はしない。ほかの学課を勉強してもいいし、自分が好きなことをしても、ゲームをやっていてもいい。しかし、君たちはひとつのことを自分でよく考え、するべきだ。それはこういうことだ。ある学生は大学四年間勉強しているが、ある学生はさまざまな遊びをしている。皆も四年間を過ごすだろうが、ある学生はそのあと何の勉強もやっていない。ある学生が勉強したおかげて、いい仕事といい進路を取れるようになる。そして、遊んだひとでも、一人前の事業をしている人もいる。何もやっていない人もいる。どうやっていくか。君たちはよく考えて自分で決めよう。」このような話をした。こんな意外な話をした先生はこれまでいなかったと思うのである。 毎回の授業は45分の間に、15分ぐらいは国際関係の内容だったが、残りの時間は米国のドラマを私たちに見せてくれた。そのおかげで私は15分の授業に集中することが出来た。後で米国のドラマを見ることを楽しみにすることで授業もよく出来るということである。先生は教科書にもとづいて授業することはなく、自分の理解のうえに私たちに授業をした。内容も面白いし、概念も難解ではない。よりよく実際の生活に活用出来ることだった。先生は時々私たちに自分の経験を教えた。その中で印象深かった話は「チャンスは君たちが作ったものだ。勇気をだしてやってみろう。」である。 しかし、この学課は大学三年生のときにはなくなったのである。 この学課を終えた後、私は先生とはそれきりお逢いしたことがない、いまは学内にはおられないであろう。私はこの先生とだけはお逢いしたいと思っているのである。 である調 と、ですます調とは語尾だけでなく、中の接続詞なども使い分ける必要があります。 でも でなく、しかし、の方が である調には調和します。そんな、こんな、でなくそのような、このような と書く方がいいと思います。会話調でなく、文章的に書くということです。「」で書く実際の会話はもちろん会話として書いていいのですが。 学科と学課はどちらがいいのか私はわかりません。ともかく最初に出た学課に統一しました。 日本の大学は高校以下の言葉使いと異なっているところがあります。 大学二年生→大学二回生、 先生、教師→講師、教授 授業→講義 などですが、特に直しませんでした。 学課 というのも、たとえば ゼミナール とかいうものだったのかもしれません。 このままでも悪くはないと思います。 ご参考になれば。

kelakelaha1988
質問者

お礼

毎回のご丁寧な添削、大変ありがとうございました。 なるほど。接続詞も使い分けるですか。以前が知らなかった。今回が分かりました。 でも でなく、しかし、の方 そんな、こんな、でなくそのような、このような などがである体調に調和することも覚えました。 そして、日本の大学の言葉使いもちょっと普通と違うですよね。わかりました。 komaas88さんもいい先生ですよね。(^_^) 再び、有難うございました。

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