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太郎・次郎・三郎
河川の名称(異称)で、 坂東太郎(利根川) 筑紫次郎(筑後川) 四国三郎(吉野川) と並び称せられますが、この言い方はいつ頃どのようにして始まったのでしょうか(出典は誰のなんと言う書物でしょうか)。 事物や人物を並べ称するのは平安時代から三筆・三蹟などがあり、また仏教用語の四天王や六道などはもっと古くから用いられたと考えられます。しかし、本件の場合は ・対象河川の規模や風光の美しさの比較(雄大さなどを比較しどれが太郎か長幼を決めねばならない)が可能 ・実地探査ができるだけの旅行(およびそれを支える街道整備)や経済の発達の必要性 等から判断して江戸時代以降であろうと推測したのですが、目下確認しうるに至っておりません。 Google検索等トライしてみたのですが、各県の観光案内の類しか見当たらず、出典不明です。 碩学の皆様、よろしくご教示ください。 (「歴史」あるいは「地理」カテかとも思いますが、比較的なじみのある「国語」カテとさせていただきました。よろしくお願い申し上げます。)
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「吉野川事典」(とくしま地域政策研究所/編、199.3 農山漁村文化協会=発行)の「四国三郎」の項によると、「本朝俗諺志」(延享3年 1746)が初出とのことです。ただし、この頃は坂東太郎、四国二郎、筑紫三郎と呼ばれていたそうです。その後、「和訓栞」「回国雑記標注」などにもこの記述が引用されていますが、明治7年に文部省が発行した地理の教科書である「日本地誌略」では、吉野川を四国三郎と呼んでいるようです。
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- kokusuda
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千葉県立関宿城博物館で同様の調査をされているみたいです。 メール情報にありましたので参考にしてください。 私としては語源は狂言の太郎冠者、次郎冠者、三郎冠者が 一般的になって庶民になじみのある兄弟の名前、 ということではないか、と思っています。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 お示しいただいたURLからさらに『四神地名録』、「『廻国雑記標柱』、『利根川図志』をキーワードに検索してみましたが、ネットではこれ以上追うのは難しそうです。 >語源は狂言の太郎冠者、次郎冠者、三郎冠者が・・・ もともとは太郎・次郎は氏の 存続を念頭に置いた武家における男子の呼称でしょうが、お説のとおり狂言等を通じて大衆化し、このように河川の呼称などにも用いられるようになったのかも知れませんね。 ありがとうございました。 (可能であれば他の方のご意見も聞いてみたいので、もう少し質問は開けておきたいと思います。ご了解ください)
お礼
ご回答ありがとうございます。 「本朝俗諺志」もいろいろな故事・由来が書かれているようですね。九州の河童伝説や狸の言い伝えなど、検索して楽しめました。 延享3年といえば吉宗から家重へ将軍職が譲られた直後、元禄も今は昔となりかかった頃ですが、このような比較ができるようになり書物に纏まるようになるには江戸開府約150年、この頃が遡りうる上限かもしれませんね。 ♯1の方のご回答と合わせ、「当初は四国が兄貴分だった」というのも興味深いところです。 ありがとうございました。