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大戦後のドイツと日本どちらがうまく社会移行した?
戦後のGHQによる日本の占領下政策はうまくいったということになっていますが、 もう一方の敗戦国ドイツはどのような様子だったのでしょうか? 混乱やインフレは日本と比較してどうだったでしょうか? よろしくお願いします。
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総じてドイツの占領政策もうまくいったとは言えます。 これは「冷戦の最前線」という状況を逆手にとってうまく立ち回ったからと言えますが、その結果として周辺国に対する賠償問題などは放置されていました。 その結果、ドイツがもたらした第二次大戦の被害に関する賠償問題は未だに解決しておらず、2004年にはポーランド議会から「戦争被害賠償請求決議」が行われ(当時の試算ではドイツがポーランドに払うべき賠償額はドイツの国家予算の二年分に相当する6400億ドルという膨大なものです)、2010年にはギリシャのパンガロス副首相がドイツへの賠償請求を発言し、それにドイツ側が反発すると言った事態を招いています。 更にポーランドやチェコが戦後接収したドイツ人財産の返還問題はしばしば外交問題として浮上し、2005年にポーランドで行われた世論調査では61%のポーランド人が「ドイツ政府は将来、ポーランドに対し領土や補償を請求してくる」と考えているという結果が示されたり、2009年にはチェコが「リスボン条約の基本権憲章にある『財産権』はドイツ人財産返還請求の根拠にされる」として条約の批准に難色を示し「基本権憲章はチェコに適用しない」という特別措置が認められて、ようやくチェコは条約を批准するなど、戦後60年を経ても未だに接収ドイツ人財産の返還請求が問題になっています。 またナチスドイツでは多くの女性に売春を強制していましたがそれに関する補償は一切行われていません(参考文献「ナチズムと強制売春」明石書店より)。 「ドイツが誠実に戦後処理を行ってきた」などと言うのはハッキリ言えば「デマ」であって、事実今では日本のマスコミでもそのような主張が取り上げられる事は殆どありません。
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- Tacosan
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ドイツが第二次世界大戦中にしたことは, 対外的には あれはナチスがやったことだから俺たちは知らない って立場を貫いてますけどね>#2. 実際, 外国から裁判を起こされてる.
- nishikasai
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>それに対し日本は、南京大虐殺の関係者遺族や従軍慰安婦問題に対して、何ら補償がなされていない。バブルの頃に慰謝料払っとけば、“反日教育”も続けられないと感じますけど。 異議あり! 南京大虐殺→ほぼウソ。南京大虐殺はなかった。あったのは小規模の虐殺です。多くて200~300人と見ています。その証拠はいくつもあるけどしんどいから省略します。200人でもひどいじゃないか! という声もありますが、なにせ戦争中のことです。それを言うならアメリカの原爆や東京大空襲がよっぽどひどいです。 慰安婦の問題も無理矢理なんてさせていません。日本人女性の慰安婦もいましたし、国籍を問わずちゃんと高給を支払いました。日本人女性は誰一人として補償を要求しないのに韓国からは何度も要求を受けています。当時の高給をもらっといてなにが補償だ。冗談じゃありません。 日本がソウル大学を始め数々の近代国家の基盤を作ってあげたことに対する感謝はないのか? それらのメリットと併合された屈辱と差し引きして五分の分かれと思います。賠償金を払う必要がなかったのにお人好しの日本政府は払ってしまった。 払ってしまったために「もっととれる、もっととれる」とオレオレ詐欺師みたいに際限なくふんだくろうとする連中だ。日本は毅然として請求を拒否せねばなりません。もしそのような慰謝料を払えば天文学的な金額をふんだくられます。それは韓国が一人当たり所得で日本を追い越すまで続くでしょう。絶対に払ってはなりません!
- Marco0123
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初めまして。 うまくいった‥ドイツ。 うまくいってない‥日本。 ドイツはナチスに因るユダヤ人虐殺を犯したが、後に関係者遺族に対して慰謝料を払い切った。 それに対し日本は、南京大虐殺の関係者遺族や従軍慰安婦問題に対して、何ら補償がなされていない。 バブルの頃に慰謝料払っとけば、“反日教育”も続けられないと感じますけど。 もう日本がバブル経済を謳歌する日は来ないでしょうね。 古い政治家は引退してほしいですね。 (-.-;)
- nishikasai
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ドイツは日本と同様に上手く行きました。 ナチスはあまりにもひどいことをしましたので戦後になってドイツ国民が驚きました。 そんなひどいことをやってたのか・・・ と落胆しました。 従って反乱を起こすようなことはありませんでした。 東ドイツは、共産主義下におかれました。 ベルリンは東ドイツの中にありましたが、西ベルリンはアメリカの統治下にあり、自由度が東ベルリンとではかなり違いがあり、西側に逃亡する人が相次ぎましたので壁を作りましたが、壁を乗り越えたり、トンネルを掘ったりしてその後も逃亡が相次ぎました。東西合併の日までそれは続きました。 戦後のインフレはよくわかりませんが、インフレがひどかったのは第二次大戦後ではなく第一次大戦後です。天文学的なインフレとなりました。