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文頭のBut, Andの使い方とは?
- 英語圏の文書で頻繁に見かける「文頭のBut, And」について疑問があります。添削や英語の試験で誤りとされることもあるため、その意味や使い方について知りたいです。
- 「文頭のBut, And」は英語圏の文書でよく見かける表現ですが、なぜ頻繁に使われるのか疑問に思っています。添削や試験では誤りとされるため、その意味や使い方について教えてください。
- 英語圏の文書で「文頭のBut, And」をよく見かけますが、これはなぜなのでしょうか?添削や試験では誤りだとされることもあるため、その意味や使い方について教えてください。
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お礼、ありがとうございます。補足、承りました。 今でも、たとえば学術論文を書くならば、客観性を表現するformal writingの作法に則るべきでしょう。 友人とのメールでformal writingしたら、冗談だと思われるか、場合によっては相手に不快感を与えるだろうと思います。会話そのものの文体が望ましいことも少なくないですね。 ビジネスなんかはどうでしょうか。少なくとも私はformal writingそのもののビジネスレターは見たことがありません(契約書等、法律が絡むものは除く)。会話ほどくだけるのはまずいですが、基本的にplain English的で、もちろんconversational writing寄りです。 SF小説家のラリー・ニーブンが冗談で論文調のエッセイのようなもの(邦題「無常の月」に収められた「スーパーマンの子孫存続に関する考察」などはSFファンには有名)を書いてます。原文を見ると、formal writingの作法を破りつつも、少しいかめしく書いています。子孫存続ですから、当然、その、めしべとおしべみたいなことを書いてるわけですが、読みやすくもいかめしく、真面目口調がギャップで笑えます。 絶対の原則はないと思います。読んでくれる人をきちんと想定して、堅めから柔らかめまで、相手が読みやすく分かりやすい文章を書けばいいと考えます。
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- googoo1956
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「書き言葉」と「話し言葉」の違いだと思います。 「文頭に置くか置かないか」という問題ではありませんが、日本語においても、会話で用いることはあっても文書の中ではあまり用いられない表現があります。 例えば、「~だ、『でも』・・・だ」という言い方は会話で用いられることはよくあるでしょうが、文書の中で用いることは少ないような気がします。しかし、「~です、『しかし』・・・です。」とすることによって、よりあらたまった印象を与えることができます。 もちろん小説などの中では、わざと「でも」を用いることによってある種の雰囲気を醸し出すという効果が生まれることはありますが、論文や公文書において「でも」という表現を用いる人はほとんどいないでしょう。 英語においても、あらたまった印象を与えた方が良い「書き言葉」と親しみを与えた方が良い「話し言葉」において、その表現方法が異なることがあることは自然なことかもしれません。 お尋ねの問題に戻ります。「but」や「and」は接続詞ですから、2つの「節」または「句」(「文」ではないことに注意!)を結びつけるために用いられるのが正式な用法だとされます。書き言葉においては、できるだけ「.」で分けずに「,」で区切るようにした方が良いでしょう。 どうしても「.」を用いて2つの「文」を用いなければならない場合には「however」という接続副詞を用いるという手もあります。「and」に対しては「therefore」という接続副詞があります。 「because」も接続詞ですから、単独の文の中(の文頭)で用いることは(「why ...?」への返答として用いる場合は別にして)避けた方が良いとされます。こちらは「This is because ...」とすれば問題はなくなります。 英語を学ぶ日本人が英文を書く場合には、「論文」などのような公的な文書を前提としていることが多いように思います。そうであれば、「but」や「and」を文頭で用いないようにという指導は当然のものだと思います。(小説の書き方、または日記や手紙の書き方を学んでいるのであれば、話は違ってきますが・・・。) かつて一緒に働いていたネイティブ・スピーカーからは「文頭で『but』や『and』は用いてはいけない。」と何度か「文書」を訂正されたことがあります。ご参考になれば・・・。
なんだか見たようなご質問と思って、過去ログを探したらありました。 http://okwave.jp/qa/q6529394.html です。 私としては、現時点で特に付け足したり、訂正したりする必要はないように思っています。
お礼
リンク先を見ました。その更にリンク先を見ても「butの文頭にくることに対しても寛容になってきているみたいですが、、、。」「書き言葉に文頭にもってくるには勇気があって今のところそういうふうに使ったことがないです。」との回答があり、兎に角、賛否両論がありはっきりしていないということ、そしてその行方は時代に任せ傍観するのが吉だということが分かりました。「会話文以外での使用は有得ない」という賛否両論の「否」ばかりを一方的見聞きしていたこともあり、なんだか心情的には納得できないものがありますが、とは言え非常に丁寧なご説明のお陰で、事情がよく分かりました。有難うございました。
補足
ところで、「会話文以外での使用は有得ない」「堅い文では用いない」等というよくある説明は、一方的どころか、嘘とすら言えるのではないでしょうか? カーター大統領が大統領令を出して以来急速に普及したそうですし、実際、見かけない事のほうが難しいのですが。
お礼
ご回答有難うございました。