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自我が危うい
自我が幼い頃のままでとまっていて、大人になりきれません 何の経験値もないまま、外郭だけが歳をとってしまってますが、中身が伴いません 何かを始めたいと思うのですが、自分自身と言うものが不明瞭な為、習い事を始めるのも億劫です ここ10年ぐらい人と関わっておらず、ネットや映画や本や自分の空想の世界の中に生きています だからか、日々刻々と自分自身のイメージと言うものが変化し、キャラも変化しますので、転職して2年になる会社でも、誰とも親しくなれない、どころか、業務に支障をきたすこともあります 実際の自分は中身が何にもなく空っぽで、虚ろな目をしています この素の自分でいると、過去からの自分自身の全てを思い出し、その不完全さに愕然とし、何にもエピソードがなかった人生に愕然とし、とてもじゃないが、仕事をするには気持ち的にしんどいです ですので、いつも、こうであったら、という自分をイメージし、それを拠り所として、振舞う様にしているのですが、能力が伴いません 自分の中身が空っぽなので、理想的な人を見つけては、幼い子供のように真似したり、見つめたりしてしまいます そういう人の傍にいたり、思う事によってとても大きな万能感に包まれます 男性に対してしかそういう事はありませんので、傍から見れは恋、と捉えられるのでしょうが、そういう事ではなく、父親のような大きな存在に、子供のようにベッタリ寄りかかり甘え、安心感を、自分の存在の証明を得たいのです 女性として魅力的に思え、かつ、人間として憧れる人にしかそういう事はありません こういうのはただの妄想なんでしょうか? あまりにも孤独過ぎたので、空想と現実の境界があいまいになっているのでしょうか? 誰とも親しくなく、甘えられる人もなく、(家族でさえ)、気持ち的に危機です 自分と言うものが曖昧な気がしてしんどく、ここから抜け出すにはどうしたらいいのでしょうか
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- jayjay_3
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自我というのは、「自分が取り組んでいることを自分で認識していて、なおかつそれを他人も承認していると自分が感じられること」で成り立っています。 つまり、相手との関係性によっても決まるので、自我というのはそもそもとても不安定です。 例えば、サッカーだけで慣らしてきた人間が、急に足を奪われるとアイデンティティが崩壊しやすいです。他の人間がサッカーできなくなった自分のことをどう思っているかわからなくなるからです。 適切な自我が欲しいのであれば、まず何かにひとつ”自分の強み”を手に入れましょう。しばらくすると他人があなたを評価してくれるはずです。その評価をあなたが感じられる時が来れば、必ずあなたは嬉しく思うはずです。その時まではじっと我慢です。 ※強みといっても、実は既に持っていて気づいていないだけかもしれません。他の人にはない自分の魅力を考えてみるのもいいかもしれませんね。
ご質問を拝見する限り、単純に自信が持てないのではなかろうかと思えました。 それは地道な積み重ねを避けてきたからのように思え、精神的な未熟さはさほど感じません。 依存心の強さも地道に積み重ねることを避ける心理から派生したもののように思えます。 ご自身に対する曖昧なイメージは恋人と交際することで解消される可能性を感じます。 もしそうでないとしたら、地道な積み重ねを始めることくらいしか思い浮かびません。