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イギリスの植民地だったマレーシアについて

今学校でマレーシアがイギリスの植民地だった時代について勉強しています。マレーシアは複数の国に植民地にされていたせいでウィキペディアなどで調べてもいろいろあって分かりづらいです。イギリスの植民地だった時代だけで、簡単に説明してもらってもいいですか?おねがいします。あと、よければなぜイギリスが植民地にし始めたかも教えてください。

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  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.4

まず基本的なところからいえば、元々インドネシア、フィリピン、マレーシアなどという国は存在しません。現代基準に考えようとするから、いくら調べても分からない。それは倒錯した発想であり、問題解決のアプローチが逆なんです。 帝国主義時代にオランダが今のインドネシアと呼ばれることになる地域を一帯として植民地化した。 同様にアメリカはフィリピンと呼ばれることになる地域を一帯として植民地化した。 同様にイギリスはマレーシアと呼ばれることになる地域を一帯として植民地化した。 それらの地域が戦後、それぞれオランダ・アメリカ・イギリスから独立してインドネシア、フィリピン、マレーシアになった。 それだけの話です。何も難しいことなどない。単純極まりない。 欧米列強はそれぞれライバル国と対抗する為に東南アジアに進出した。欧米列強はそれぞれ妥協して縄張りを決めた。それだけの話です。欧米列強の都合で、国境が決められただけであって現地人の都合など全く関係ない。だからマレーシアだけを切り取って理解しようとするアプローチにも意味がありません。 帝国主義時代の列強の利害調整の結果が今のインドネシア、フィリピン、マレーシアだというまで。

その他の回答 (3)

  • tanuki4u
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回答No.3

http://www.ouj.ac.jp/hp/kamoku/H19/kyouyou/ningen/s_1550705.html マレーシアということではないが、東南アジアのざっくりした歴史は上記のシラバス

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

東南アジアの政治体制 内陸部の農業生産を中心にした勢力 沿岸部の貿易通商を中心にした勢力 これがお互いに攻め合ったり共存したりというのが大きな流れ。 大航海時代以降、欧州勢力が入ってくると、彼ら欧州勢力の目的は、貿易通商なので沿岸部の勢力に取って代わる。 だから、世界規模で海上帝国を構築した欧州勢力が、マラッカも抑えた。 マラッカ王国(イスラム勢力)→ポルトガル→オランダ→イギリス というマラッカの支配者の変移は、そのまま東南アジアにおける交易の主体者となります。 イギリスがマラッカを押させたのは、1795年 つまりナポレオン戦争でフランスとイギリスが対峙していたとき http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%BF%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A2%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD この時代です。 さて、19世紀に入ると産業革命が進み、海外植民地は、移民対象や貿易通商から資源の獲得、商品の販売地へと目的が変わります。 資源や商品の購買者は、沿岸部ではなく内陸部にいますので、イギリスは順次内陸部を支配下に入れていきます。 http://history.husigi.com/VHv2/koneta59.htm 錫が欲しくて内陸支配へ http://www.kusamado.com/contents/sc_baio17.html 天然ゴムのマレーシアへの移植

  • SPS700
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回答No.1

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%A2 上記の「歴史」の項で、イギリスが現在のマレーシアを獲得した1795年から、日本が占領した1942年までを読めば、簡単に分かります。  イギリスが植民地にした理由は、東洋と西洋を結ぶ、重要な地理的な場所だからです。今でも(例えば、石油産出量の少ない日本に向かうオイルタンカーは、全部マラッカ海峡を通ります)海賊が根拠地としています。

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