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原発事故の起きるのは仕方がない?
- 原発事故の原因と無関係に起こる可能性があると思う
- 原発の廃止や制御の問題について議論が分かれている
- 原発事故に対する国民の意識と政府の姿勢について考えるべき
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片や、原発施設立地地域住民たちは、さりとて決して、犠牲的精神などから、損な役割を引き受けたわけではありますまい。すでに、「この範囲内で」という、あくまで一応の想定があって、そのもとに、「安全神話」による裏打ちを信じ、低いリスクと引き換えの高い供与を得られるつもりで受け入れてきたであろうと思います。 同じ原発立地域内でも、こまかく見ていけば、行政サービスに差が生じているとかいう、現地の人の声もありました。 原発立地域外の国民としては、、実際、自分ちの近所なら猛反対するとして、しかし、かなり離れた立地で、自分に直接の不利益はないとなれば、そこまで しない。傍観する。なんと言っても、現地住民が受け入れるというのなら。せいぜい、そんなところだったのでは。 >なぜ、原発の危険性にも拘らず、こうした大企業に頼った利便性に国民は執着するのだろうか、という点 このたび東京都知事選で4選となった石原氏は、私は、基本的に疑問を感じる人物ではありますが、例の「天罰」発言での「我欲」に関する意見は、頷ける面もあるかと受け止めています。 >電力消費減衰のため、たとえば最低温度20度のエアコンが発売されたとしても、最低温度12度の外国製品を買うのではないでしょうか。 これも、そう単純なことではないということを、自身の日常生活のなかで実感しています。 単に数値だけで「20度」と言っても、体感的に全然違うことが多いということに気づいています。 そういうレベルのこととは別に、 火力などのエネルギー供給によって引き起こされる環境汚染、それを避けるためという側面もが原発には負わされていますから、その点でも頭の痛いところです。 >リスクなしに恩恵だけ受けようという人間 それにしても、大企業の提供する恩恵を受けたいのは一般大衆の本音、しかし、その一般大衆あっての企業であり、その企業人も また、個々には大衆の一人なのですよね。 >>慎ましくてもいいから、安全に、平和に これも、一筋縄の話でないようです。現に、避難勧告に猛反発して、高度被爆の危険をも辞さず、現地で、これまでどおりの日常生活(地方農民としての慎ましい生活?)を続けることを宣言している人々もいるようですね。 >「あるいは生きることすら諦めなければならない」という緊迫した事態が想定されることを強く認識するためには、「仕方がない」が最も強力で有効な思考の形態 それは どうでしょうか。 私は、むしろ、楽観性の力のほうが大きいのではと思います。しかし、この問題は、なかなか難しい根本問題です。 楽観性というものは、ほとんど宗教的と呼ぶべきほどの無根拠なものですが、それなくしては、のうのうと生きてこれなかったであろうほどのことだと思います。 「欺瞞」というよりは、「信じる」のであると思います。 いつだって、自分は見逃され、災厄は他人のもとへ。なのでしょう。ですから、「傍観」側になるのですかね。 >>・オーナーや幹部はプラントの近くに住居をかまえなくてはならない。(リスク管理の向上の為) >:これは私なんかもよく考えます。 こういった御意見、時々見かけるのですが、まあ、大責任ある立場の者が、他人事感覚であるということへの皮肉なのかという程度に受けとっていますけれど、 人生が人並以上の結構であった者ほど、他人事感覚でいられることを強化されてしまうのでしょうか。 「しゃあない」のうちに、おのれを入れているか?ということです。 あくまで、他者なら「しゃあない」が許せるのか?ということです。 でも、原発の問題ともなると、それでは済まないレベルなのですからね。 そういえば、先日、どなたかの御質問で、私も回答の一端として、『灰とダイヤモンド』で知られるアンジェイ・ワイダ監督が、日本人の、まさに その楽観性のことを称えていた記事があったのを紹介したのでした。 それにしても、今回の原発事故を めぐって、個人的に大変驚いてしまったことの一つが、 専門領域内に立場を持つ人ならびに、いわゆる「専門家」と称される人たちの見解のバラつきやアヤフヤさです。正直、こんな人々に任せていたわけか、と、今更ながら思いました。 もはや、「震度〇以上の地震や高さ△m以上の津波の場合には」という明確な基準を設けてさえ、実のところ信用していいのだろうかとすら思いました。 「人事を尽くして」原発を受け入れる、ならびに、一定の想定以上が起きた事態に臨んでは諦めることと、対して、思い切って原発自体を諦めることの、どちらが、コストのことも含めて、現実的なのか。。。
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- noname002
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お返事、拝読いたしました。 長文連続回答で、かえって お手数おかけしているでしょうに、申し訳ない、今回も同じくなのです(笑) >>原子力安全委員長である班目氏の「割り切らなければ原発は設計できないが、割り切り方が正しくなかった」 : >なかなか正直でいいことを言うんですね。 >作る前にこういうことを大々的に知らしめると、もっと良かったはずです。 >次回からでも、遅すぎることはない!と思いますよ。 >安全保安院よりはマシなのかな。 そう お感じになりましたか(笑) 「正直」と言いましょうか(笑)実は斑目氏は、他のことでも、軽率ゆえの失言になりかねない発言があったようなのですけども。 保安院よりは どうなのだか、先日など、その安全委は保安院に責任擦りつけ的発言を かましてましたが(笑)ここでも「押し付け」合戦ですね。 >原典である論語に忠実に「よらしむべし しらしむべからず」 そうでした!これは私の単純な間違いです。失礼しました。 まあ しかし、為政者側にとって、こんにちでも確かに有効かと思わせるだけのものがありますね。 大昔、文字というものを、特権階級が独占し、民衆には学ばせなかったということにも通じます。近頃、大いに問題視されている「情報の隠蔽」に繋がるものですね。 >NIMBY(ニンビー)とは、Not In My Back Yard(自分の裏庭にはあって欲しくない)の略で、施設の必要性は認識するが自らの居住地域には建設して欲しくないとする住民たちや、その態度を指す言葉 この御指摘で思い出したのが、ある地方の一般住宅地における、犯罪者更生施設の建設で、地域住民からの根強い反発があったという。。。原発施設とは比べものにならないレベルの話ですが。。。 (※すみません、「蝉雪さん」とは、たぶん、他の回答者さまだろうかと思いますが、どのかたか分かりませんでした。) >>「人事を尽くせている」か どうか、専門領域を、一般人がチェックする。それって、現実的なレベルの話にできるのか : >この点に関してはマスコミの力に期待しています。 >他律的 それがですね…一言で「マスコミ」と言いましても、いろんな媒体があるわけですが、総じて言ってしまえば、マスコミ代表たる報道新聞と言えども、各社のカラーを持ち、「商売」としての側面も大いに持っていますので、なかなか、簡単でないことと思います。 「御用学者」などというコトバが ありますが、マスコミだって同様なことで、たとえば、「御用記者」と呼びたくなるような存在もあるというのが実態らしいです。政府筋(官僚)から、予算として堂々と計上された「お手当て」(接待費)を もらってやっているという仕組みも築かれているとか。 記者クラブの問題としては、 先日、あるブロガーさんが紹介しておられたyoutubeの動画を見たのですが、これは、政府筋の何かの重大発表会場にて記者会見の開始前、さる大手の通信社所属記者(つまり、この業界での「エリート」側ですね)が、フリーランスのジャーナリストたちを、会場から締め出しに かかっているという場面の記録でした。 私は聴障者ですので、そのときの会話自体は、残念ながら殆ど聞きとれませんでしたが、ま、なかなか お上品ぶったと言うか、どこか気取った風貌のエリート然とした大手通信社記者が、それこそ、一匹狼の風情ただようフリーランス記者の食い下がりを、表面だけは もの分かり良さげに頷きながらも、結局、体よく追っ払う図、といった感じでした。 組織的なものの排他性と腐敗は免れないという摂理でもあるのだろうかと思います。 一昨日あたりも、私は自分が参加しているサイトの報道記事を執筆した記者に向けて、原発事故関連のことで、少し辛口にモノ申しましたが、私みたいな、何事につけても疎い者ですら、うまいことキレイごとに、イイほうへまわり、一般読者を まるめ込もうとしているのか、と感じさせるような記事も、それなりの心構えで見ていると、けっこう多いのです。 いわゆる「木鐸」とも称されますけれど、それこそ「欺瞞」を潜めた新聞記事が、少なからず あるということだと思います。戦前の朝日新聞の話なんかは有名らしいですが、こういう方面でも警戒は必要なんですね。 これからの「マスコミ」界を、インターネットが席巻するかのように持て囃される時代を迎えておりますけれど、あの「ウィキリークス」の内部事情を みても、やはり、旧来勢力の持っている力は根本的に大きいです。 ネットの主役であるはずの一般大衆にしても、相変わらず「愚民」としての側面をも保持している現実なわけですし。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >長文連続回答で、かえって お手数おかけしているでしょうに、申し訳ない、今回も同じくなのです(笑) : いえいえ。^^ こちらこそ拙い質問にもかかわらず真摯にご回答いただき恐縮しております。 >「正直」と言いましょうか(笑)実は斑目氏は、他のことでも、軽率ゆえの失言になりかねない発言があったようなのですけども。 : 実はあまり見る機会が無かったですが、ああいったひょうひょうとした人柄は嫌いじゃありません。 この場合、感覚的な好き嫌いを言ってちゃだめなんでしょうが。 軽はずみというのは本音を言う正直さでもあるし腹でなに考えてるかわからないより案外マシかもしれませんよ。腹は立ってもですね。 >近頃、大いに問題視されている「情報の隠蔽」に繋がるものですね。 : そうですね。 この重要性を開示させる側が本当に重視しなければならないと思います。 重視する心理状態にする(なる)にはどうすべきか、とういことでもあるんですよね。 >地域住民からの根強い反発があったという。。。原発施設とは比べものにならないレベルの話ですが。。。 : ありましたね、そういう話。 というか、今でもどこかでありそうな話かもですね。 >(※すみません、「蝉雪さん」とは、たぶん、他の回答者さまだろうかと思いますが、どのかたか分かりませんでした。) : 他のスレで大御所と衝突したのが原因と思いますが、速攻で退会された#8さんです。^^ ああいう素直な方にはまた来て欲しいで寸ね。 >一言で「マスコミ」と言いましても、いろんな媒体があるわけですが、総じて言ってしまえば、マスコミ代表たる報道新聞と言えども、各社のカラーを持ち、「商売」としての側面も大いに持っていますので、なかなか、簡単でないことと思います。 >記者クラブの問題としては、 >政府筋(官僚)から、予算として堂々と計上された「お手当て」(接待費)を もらってやっているという仕組みも築かれているとか。 >組織的なものの排他性と腐敗は免れないという摂理でもあるのだろうかと思います。 : たしかにそういった側面(主面というべきか)はあるでしょうね。 ただ、ウィキリークスという団体が存在可能になるような昨今、マスコミの体質も変わらざるを得ないような期待もしています。 今の NHK もなかなか骨太になってきましたよ。 ほんの部分的でしょうが。 水野解説委員というのがよく原発で登場していたのですが、なかなかはっきり物を言う人でした。 危険性を否定しないんですね。 公然とその根拠を述べる。 以前のNHK であれば完全抹殺というほどの勢いでしたよ。 で、しばらくしてチェックが入ったらしくて、出演頻度がガクンと落ちた。 というか殆んど出なくなった。 後日の記者連中の談話番組でも、最初に概要を述べた後、その場から退出しました。 しかし、結局、他の解説がつまらないのでたぶん苦情が殺到したせいだと思うのですが、前ほどではないにしろ出演頻度がまた戻ったように思います。 このへんに時代を感じます。 最近は前ほどニュースを見ないのでどうなっているかわかりませんが。 個人的には田原総一郎に期待しています。 以前は筑紫哲也にも期待していたのですが、お亡くなりになりましたしね。 あまりそういうことはしないのですが、弔意メールも送信しました。 >これからの「マスコミ」界を、インターネットが席巻するかのように持て囃される時代を迎えておりますけれど、あの「ウィキリークス」の内部事情を みても、やはり、旧来勢力の持っている力は根本的に大きいです。 : あ、やはりウィキリークスが出てきましたね。^^ たしかに旧来勢力の力はまだまだ強いでしょうね。 ただ、ネット情報から一国が覆る、いや一国どころではないですよね。 そういう時代に変節しつつあるのは確かなようです。 >ネットの主役であるはずの一般大衆にしても、相変わらず「愚民」としての側面をも保持している現実なわけですし。 : まあ、そうなんですが。 清濁併せ呑みつつ、海のようになにかを生み出していくんじゃないでしょうかね、いずれ。 めしを作る時間ですので、他欄へのお礼はまた後ほど。
今までたくさんの方が意見を述べているのに、あえて空気を読まずに回答します。的外れでしたらごめんなさい。 文明の高度に発達した日本ですから、もうそろそろ、社会的に高度な細分化が起きてもいいと思います。つまり、志のある人が、あれこれ試してみてもいいということです。 今回の原子力発電所の事故をきっかけにして、市民運動が生まれる可能性はありましょうか。 社会主義あるいは全体主義の国ではないので、国に頼らずに、若い人たちのグループで、スポンサーを捜して、自分達が正しいと思ったことを試してみたらどうでしょう。 例えば、環境問題に非常に真剣に取り組んでいるワシントン州やオレゴン州では、コミュニティハウスを建設しています。 そこではトイレも普通の三分の一しか水を使わない機種を選び、電力を節約する機種の電気製品を使い、家の建て方も、節電を意識して、二重窓や断熱材で補強してあります。コミュニティの真ん中には共通の庭があって、その片隅には自給自足できるような菜園があり、雨水をためて、水遣りができるようになっています。夜の食事は食堂でまとめて用意して、余り物がでないようにし、でてしまったら、菜園の肥料に出来る仕組みができています。夜の食事を一緒にするので、そこでコミュニティの問題を解決してゆく話し合いも出来ます。 こうしてみると、昔の日本の長屋生活のようですね。こうした生活では、孤独死も無くなるでしょう。 これで、環境問題が根本的に解決できるのかどうか、アメリカ全土で採用する日が来るかどうか、きわめて疑問ですが、問題を提起するだけでなく、解決の糸口を模索する姿勢は素晴らしいと思います。 建築家志望の学生さんなどで、大学の構内を借りて、建設会社をスポンサーにして、こんなことが出来れば理想的だと思います。職人気質が世界に誇れる日本人ですから、方向さえ決まれば、たくさんのアイデアが出ると思います。 今回の事故を踏み台にして、未来を作ってゆかれる若い方がいらっしゃることを祈っております。
お礼
ご回答ありがとうございます。 有意義なご提案や事例など大変参考になります。特に、 >そこではトイレも普通の三分の一しか水を使わない機種を選び、電力を節約する機種の電気製品を使い、家の建て方も、節電を意識して、二重窓や断熱材で補強してあります。コミュニティの真ん中には共通の庭があって、その片隅には自給自足できるような菜園があり、雨水をためて、水遣りができるようになっています。夜の食事は食堂でまとめて用意して、余り物がでないようにし、でてしまったら、菜園の肥料に出来る仕組みができています。 : という件は興味深く拝見いたしました。 ところで、今回の質問の趣旨は、 1.原発事故が起きるのは仕方がない と考えることが今、最も必要とされているのではないか 2.東電も嘘つきですが、それを受け入れている国民の欺瞞性のほうこそ問題にされるべきではないでしょうか。 ということなのですが、この点についてはどう思われるでしょうか。 よろしければご見解を。 ここで言う欺瞞性とは、事故の起きる前(=原発稼動時、あるいは建設時) 『その危険性を薄々知っていながら、あるいは感じていながら、それを他者の判断に委ねることによって、「自ら決定する、選択する」という自立した人間としての当然の姿勢から逃れようとしている』 といったような意味です。
仁科です。 ようつべに「源八じいさんとタマ」というのがあり、見てビックリしたんですが、なんとネコが喋るんです。でも、ドラえもんもネコですけれど喋りますし、放射線に強ければ原発で作業できますし、アトムがもしいたら、原発を何かの袋に入れ太陽まで届けてくれたらいいのに、もう21世紀なのに。 本当は、夢って、大人になったら何になりたいのかとか、未来の世界は、どうなるのかどうしたいのかとかって、本当はそこには、何もないはずというか、ビジョンなんていらないはずで、人の子は、大人になったら人の大人に、なればそれでいいはずなんであって、本当は、何かになるだとか、そんな狭い存在じゃなかったろうに、 ひとりひとりを何かの中へいちいち放り込み、そうされない者からは人工的な命綱を、体外に据えられるマネーというチップをとりあげるという不自由な仕組みの、 おおげさな社会という場所も、暮らしも、本当は、もっと地味な、本当は、個々の体質に合わせて各々が微調整すればいいくらいの暮らしで、その程度ぶんの多様性が、あるならあるでよくて、全体的な社会や文明の、変化していくというイメージや、ビジョンなんかは、ないほうがよい、無駄な変化の幅であって、本当の、シンプルな、自然なにんげんの、みる夢と、おくる生活を、ゆりうごかし破壊し、変えて変えて変えすぎるばかりの、ひどく余分なことだろうと思う。 何になりたいかという問いは、大人が子どもに投げかける問いとしては異常な問いで、蝶々はいもむしにそうした問いを投げかけない。人の子は成長すれば人の成体になるのであって、けむしは蝶になるのであって、聞くまでもない問いで。人がいない、分業化されている社会におまえも生きるのだよという、生きようにおける前提の強要が、あらかじめ子どもへの問いに隠されている。 先立つものと言い触らされマネーがいちいち忍び込んできて、服を洗うことは服を洗うことなのに、マネーの必要性が忍び込んで汚れた服を洗いたいのに、わざわざいつの間にか洗濯機や電気が要請されてくる。イメージだのビジョンだのによってマネーや電気や機械がある場合とない場合との比較が、幸せと不幸とのコントラスト、資産持ちと貧乏との差を伴いながら脳内に植え付けられ、洗脳済みの頭から脅しや言葉や金で一方的に、多い側が少ない側へ命じては動かす、そういう世界にされている。これに代替案がなく。文明をなじる梅原たけし。マネー社会を嫌うへんみよう。らの暗いつぶやき。対案がなくアナキストは場末のサイトで文字を溜めるだけ溜めて腐り。 ここから反原発とか脱原発とかをするにしても。反マネーや脱マネーを希求するにしても。日々カネが要るとも確かに詮なく思いながら求人情報を眺めながらも、それでも脱マネーしないとならないと思うと まずニートは正しい。このマネー社会においてニートは正しい。 で、どうしよう。わたしはどうしよう。 はこぶるさんは、面倒くさいことも、ゴミ拾いなんかも率先してやり、それは私もやりたかったのでしたが、わりとやるかんじの人なので、相談にのってくれそう。 実家が腐界に呑み込まれたのでホームレスで、自主避難なのでマネーも支給されず、そんなのはいいのですがもともとマネーに腐敗している家庭や社会に寄生する人生に嫌気がさして、心療内科とかに行っても働きなさいと言われます。 はこぶるさん相手してください。ひとときだけ。 私は脱ヒキして原発ホームレスになり、今後の夢は脱マネー脱ヒエラルキーの集団的時給自足の社会を達成することなのですが、どう目論めばよいのでしょう。脱マネー脱ヒエラルキーのところだけ私的には達成できているものの、関わりたい社会と今の社会とがあまりに異なりすぎて社会参加できず社会性なんか欲しくなく、まっさらな森の状態をまず夢見て森や水の恵みをあらかじめ希望して仲間もなく。 「眠る男」という静かなニート映画に森の乞食みたいな青年が出てきましたが、その実現したい社会のイメージというか、ビジョン(はあ)としては、もののけ姫に描かれるあのカクカクした木霊たちの暮らしをちょっと賢くしたような世界です。さるではなく、ゆりうごかすメッセージとは別の言葉で結ばれている群れがすてきだと思い。眠い。 そういう夢へ向けて歩み出すさいの半歩目は何だと思いますか。とりあえず森を見つけることですか。樹海で自殺しようとする人たちと語らい、仲間になり、暮らしの方法を世界中から盗み、共有して生きて死ぬことですか。どう思いますか。 ちなみにお昼ごはんは食べてません。筋トレしてます。1セット百回ですが体が軽いので平気ですし、避難所なのでわりと自動的に禁オナ中ですが昨日すこし抜きました。 よろしくお願いします。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >でも、ドラえもんもネコですけれど喋りますし、放射線に強ければ原発で作業できますし、アトムがもしいたら、原発を何かの袋に入れ太陽まで届けてくれたらいいのに、もう21世紀なのに。 : なんか、そのうち実際に起こりそうな話ですね。是非は別にして。 ほんとは禁止されているのに不法投棄とかで、東電の偉いさんがアシモ君に逮捕される図が放映され、その側でモヒカン頭のアトムがイエ~イとか言っている。 >大人になったら人の大人に、なればそれでいいはずなんであって、本当は、何かになるだとか、そんな狭い存在じゃなかったろうに、 : なるほどね。 案外忘れていそうな真理かも。 そうさせているのは何なのでしょうか。 >ひとりひとりを何かの中へいちいち放り込み、そうされない者からは人工的な命綱を、体外に据えられるマネーというチップをとりあげるという不自由な仕組みの、 : そういった傾向がいつからか強くなってきたのは確かなようですね。 >本当は、個々の体質に合わせて各々が微調整すればいいくらいの暮らしで、その程度ぶんの多様性が、あるならあるでよくて、全体的な社会や文明の、変化していくというイメージや、ビジョンなんかは、ないほうがよい、 : それは、そうなんですが、動物であれば自然な微調整が可能になっているのだと思います。 腹がいっぱいなのに獲物を襲うことはしませんしね。 しかし、人間は蓄えようとする。 良くも悪くも本能の壊れた生物という人間としての宿命が >その程度ぶんの多様性 : の基準に何らかの変化をもたらしているのでしょう。 >本当の、シンプルな、自然なにんげんの、みる夢と、おくる生活を、ゆりうごかし破壊し、変えて変えて変えすぎるばかりの、ひどく余分なことだろうと思う。 : 同感です。 ただ、人間という種が誕生したのは、動物という種が持つ「シンプル」からの何らかの意味での脱却が意図されていた可能性もあるような気がします。 >何になりたいかという問いは、大人が子どもに投げかける問いとしては異常な問いで、蝶々はいもむしにそうした問いを投げかけない。人の子は成長すれば人の成体になるのであって、けむしは蝶になるのであって、聞くまでもない問いで。人がいない、分業化されている社会におまえも生きるのだよという、生きようにおける前提の強要が、あらかじめ子どもへの問いに隠されている。 : なるほど。 (大人にしては)かなり新鮮な発想だと思うけど、ただ、その考えには二つの関門がありそうな気がします。 ひとつは、「>分業化されている社会」であるか否かに拘らず、 「>生きようにおける前提の強要」らしきものは子供自体が必要としているのではないか、ということ。 強要ではなく「強要らしきもの」ね。 むろん、医者になれとか工場をついで社長になれとか、そういう強要ではなく、たとえば弱いものいじめしたら尻を叩かれるとか、そういう意味での「生きようにおける強要」がないと子供はおそらく不安定な人生を送ることになるという気がします。 ふたつめは、その必要とされている「生きようにおける強要」と言う場合の、「生きる」ということ自体の意味は常に変化しているのかもしれない、ということ。 つまり、時代に流されるままに親は子に強要するわけで、その意図は単純に愛だったりするのかもしれません。 ここで、「親の想定する生きる意味=子に対する愛」と、その子が「独立した人間としての生きる意味」を模索しようとする気概を持ち得るか否か、といったあたりが、自分の人生なのか、他者に乗っかった人生なのか、を生きる境目になるような気がします。 おっさんにしては、やや青臭い考えですが。 >そういう世界にされている。これに代替案がなく。幸せと不幸とのコントラスト、資産持ちと貧乏との差を伴いながら脳内に植え付けられ、洗脳済みの頭から脅しや言葉や金で一方的に、多い側が少ない側へ命じては動かす、そういう世界にされている されてはいるのでしょが、代替案がないとも言えないかも、ですね。 やや乱暴ですが、なぜ他者と同じ世界を生きようとするのか、とか。 補足欄に続きます
補足
>文明をなじる梅原たけし。マネー社会を嫌うへんみよう。らの暗いつぶやき。対案がなくアナキストは場末のサイトで文字を溜めるだけ溜めて腐り。 : 辺見庸は確か中国通。作品を文芸雑誌で2,3読んだことが昔あるような無いような。 アナキストは場末が似合いますね。嫌いじゃありません。 ただ、アナキストという言葉の意味に絡め取られている、あるいは陶酔しているだけ、のような印象も否めません。 かなり相対的な思想ということになるのではないでしょうか。 ただ、一時は憧れたこともありました。 >ここから反原発とか脱原発とかをするにしても。反マネーや脱マネーを希求するにしても。日々カネが要るとも確かに詮なく思いながら求人情報を眺めながらも、それでも脱マネーしないとならないと思うと : 一遍に全部はできません。 まず何をすべきか、だけ考えればいいんじゃないでしょうか。 で、動物ですから食わなきゃならない。 人を騙しても、親の言いなりになっても、体を売っても、ゴミ箱を漁っても、食わなきゃならない。 それが人間でしょう。 難しいこともない反面、特別なこともありません。 ただ、厄介なことに超自我という余分なものが人間の本能にはくっついているので、色々感じたり考えたりしてしまい、そこに葛藤が生じる。 ですから、難しいこともない、と言ったのは嘘で、本当は難しいのです。 しかし、それもまた嘘で、つまり、本当に肝心なことは難しくない、ということは確かです。 目の前の飯以外にも、百年先の飯を想像することが人間にはできてしまう、ということなのでしょう。 マネーが必要とされるのであれば、あくまで脱マネーのためでなければならないし、しかし、脱マネーのためにはまずマネーが必要になる、ということでしょう。 マネーを原発に置き換えてみれば、現在は過渡期と言えるのかもしれません。 脱原発派としては。 >まずニートは正しい。このマネー社会においてニートは正しい。 : ある意味ではそうですね。 否定はしませんよ。 本人が納得できれば完璧なのですが。 >面倒くさいことも、ゴミ拾いなんかも率先してやり、それは私もやりたかったのでしたが、わりとやるかんじの人なので、相談にのってくれそう。 : 面倒なことは嫌いです。 >自主避難なのでマネーも支給されず、 : 福島の30K圏内でしたか? 100万出るんじゃなかったっけ。 単身は75万・・・。 >そんなのはいいのですがもともとマネーに腐敗している家庭や社会に寄生する人生に嫌気がさして、心療内科とかに行っても働きなさいと言われます。 : う~む・・・(-_-;)。 働きたくないのに働けって言われてもね・・・。 それは拷問です。 いいんじゃないかな働かなくても。 マネーに腐敗してても寄生できる家庭があるというのは幸運ですよ。 その恩恵に心ゆくまで浸っていてよろしい! わたしが許可します。 >今後の夢は脱マネー脱ヒエラルキーの集団的時給自足の社会を達成することなのですが、どう目論めばよいのでしょう。 : わたしは案外簡単じゃないかな、と思います。 【第一の方法】 まず、仁科さんは貯金通帳をお持ちでしょうか 無ければすぐに作ってください。 郵貯が理想的です。 上でも述べましたが、脱マネーのためにはまずマネーが必要になる、ということは間違いありません。 ただ、なんのために貯めるのか、という目標が無ければ続きませんし始める気にもなりません。 そこで、図書館かネットで、田舎の物件を探してみてください。 思いきり僻地だと、100万~300万ぐらいで土地と建物が手に入ると思います。 そのために、なりふり構わず働いてください。 永遠に働くわけではありません。 あとは自給自足です。 畑仕事は爺さんばあさんでも可能です。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1416631339 ともかくどんな方法でも良いから(むろん犯罪以外で)金を貯めること。 大事の前の小事と割り切ることです。 一時期だけ貯金通帳を恋人にしてください。 実は、100万ぐらい貯まった段階で他の方法を思いつく可能性も大いにあるような気がします。 【第二の方法】 作家デビューするために、あちこちの新人賞に次々応募する。 その素質はお持ちでしょう。 以上で不満ならさらに投稿してください。 >筋トレしてます。1セット百回ですが体が軽いので平気です : 偉い! >避難所なのでわりと自動的に禁オナ中ですが昨日すこし抜きました。 : う~む・・・(-_-;)。 若いって素晴しい・・・。 後頭部がすっきりするよね。 http://www.youtube.com/watch?v=eatb3UacHTs
- heartmind
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>被害がコミュニティ内では治まらない性質の対象である、 >という点がネックになるかもしれません 確かに、どっかんで、はいそれまでよ、なんだと思いますが 小型化していくほど、いろんなリスクが低くなる気がする んですが、どうなんでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >小型化していくほど、いろんなリスクが低くなる気がする んですが、どうなんでしょうか。 : ある意味では言えそうですね。 ただわたしとしては将来的には日常的電力や核としての原発には食指が動かないので、#19でおっしゃていたところの、 >分散化といったのは、日本の少し閉鎖的なコミュニティの特徴が セキュリティ性に生かすことができれば、コミュニティで運用す ることも可能なのかなとふと思ったのですが。 : という面だけについて考えていました。 リスクは低くなりそうですが、本当に広範な地域における地震の場合は、却って対処に苦慮することになる可能性もあるかもですね。
質問者様へ。 えっと、私は国語力が恐ろしく拙くて語彙に乏しく、 それなのに「欺瞞」という言葉に噛みつきカメとなり。 あと「奴隷根性」とかも、どこかでお見かけしたような。 でも、わかってしまったのですよ。本当に。 あなたの用いる言葉のキツさほどにその本意は、 限りなくヒューマニズムにあふれているのだということを。 たぶん、きっとそう。 だから。 mashumaro3は「優しい方なんですね」「かわいい方ですね」も ひっくり返せばいいんですよね^^な~んだ~。ははは。 ──お願いがございます。 拙文はあまりに悲惨な内容なので、 お礼の代わりにコメントとさらなるご自身の反原発ヴィジョンを賜りたく。 大江健三郎のインタヴュー要旨をご覧になられましたか。 (どたなかの翻訳要旨で中身を確認できず暫定で申し訳ないのですが) スレ汚しの最後の最後の頼みです。 そしてご教示まことに有難うございました! http://blog.livedoor.jp/sabatasamezo/archives/51833013.html
お礼
ご回答ありがとうございます。 >「優しい方なんですね」「かわいい方ですね」も ひっくり返せばいいんですよね^^な~んだ~。ははは。 : いえ違います。 どちらも本心ですよ。 つまり、私の考えに対して真っ向から疑念を呈することを敢えて控えていらっしゃるために、ご自分のお考えを明確に表現しておられるように感じたのです。 これは、他者に対する優しさの現われではないだろうか、と推測した、ということです。 この美徳は美徳として、論点は明確にしていただいたほうが良かろうと思い、色々と質問させていただいたわけです。 mashumaro3さんの優しさはおそらく育ちの良さによるものだろうか、という印象も受けます。 いずれにせよ、優しい方だと感じたのは本心です。 取り急ぎ・・・。 残余は#35欄でお礼申し上げます。
補足
訂正です。 ×つまり、私の考えに対して真っ向から疑念を呈することを敢えて控えていらっしゃるために、ご自分のお考えを明確に表現しておられるように感じたのです。 〇つまり、私の考えに対して真っ向から疑念を呈することを敢えて控えていらっしゃるために、ご自分のお考えを明確に表現することを犠牲にしておられるように感じたのです。 また、実際そうであったということはよくわかります。
追記です。 こちらをお尋ねしてから質問者様のご質問にお答え致します。 No.34のお礼を拝見して仰天しました。 >mashumaro3さんのような方に是非 >お優しい方なんでしょうね いったいどのようなおつもりで私を形容なさっていらっしゃったのでしょうか。 「臆病」「他者への畏れ」「鬱屈」「精神の均衡」 そして 「気持ちの優しい人」。 さあ、はっきりお尋ねしましょうかね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 いやあ、mashumaro3 さんはかわいいお方ですね。^^ 思わず笑ってしまいましたよ。 #34(#33)の方が言及なさっている 「>現実の社会では周囲に迷惑かけんようにな。」は、 #32での私の発言内容です。 また、なぜわたしがこのような発言をしたのか、ということは、 #32さんの一連の投稿内容をよくご覧いただければおわかりになると思います。 #35のご回答に対するお返事は、明日にでも改めてさせていただきたいと思います。 おやすみなさい。
補足
#37でお示しいただいたサイト拝見いたしました。 やや感傷的な印象を受けましたが、こうした側面から原発を考えることも必要ではないかと共感いたします。 大江さんの作品は読んだことがありませんが、人となりには好感を持っています。 >日本人は原爆投下を体験したのだから、産業効率の観点から核エネルギーを考えてはいけない : という発言もありましたね。 現在は核の傘に守られているわけですが、原発を全廃しようとすれば、 質問文本文にも記していますが、 1-c. (核兵器バランスの点で)世界中が足並みを揃える必要があるため、国家間の調整が難しい。 という問題が浮上するでしょう。 仮に原発の安全性についての世界的合意が為されたとしても、この核兵器の世界同時廃絶という問題が最後のネックになると思います。 中長期的には人工衛星などによる世界規模の原発監視衛星などが必須条件になるでしょう。 遠い遠い将来でしょうが、そのための第一歩はいつから始めても遅すぎることはないでしょうし、まして早すぎるということもないでしょう。
こんばんは。 このたびは拙文が元で質問者様のみならずAXIS様にまでお煩わせしてしまい、本当に申し訳なく思っております。 質問者様の懐深さに甘えて雑感程度に経緯を再度記します。 ご不快の折はどうぞ忌憚なくお願いします。 長くなり、質問者様の関心事ではないと拝察しますが、どうかご理解願います。 また、拙文に別の意味などもございません。 >是非持っていただきたい発想なのです。 はい、もちろん有難く学ばせて頂きます。 私は質問者様のご趣旨に大いに賛同します。 最初に「はい、仰る通りですね。」とふれておけば。 現状のように質問者様は不愉快にお思いにならなかったのでしょうか。 互いの論点が全く異なるのです。 質問者様は今後の日本における原発のヴィジョン1点に、そして私は安全安心信仰と「欺瞞性」一点に。 不思議にお思いでしょう。 直接縁も無い被災者や私達国民の事故前の安全安心信仰と欺瞞性云々の方が、発生すれば恐らく致命的であろう浜岡の現状将来よりも心砕くなどと。 福島も予断を許さず緊張感が続いているせいかもしれません。 でもだからといって、原発の進捗状況と今後につき疎かにするつもりなど毛頭無いのです。 それに今の趨勢は反原発でしょう? 従来の推進路線の勢いを阻止でき代替エネルギー開発に弾みがつけばいいなあとも願っているのです。 来月主人について渡欧します。 どうせスイス人の友達に原発話をふられるから、かの地の原発事情も聞くつもりです。 二十数年前に滞在した山間の家にすら、ご多聞にもれず核シェルターの扉がありました。 地震が皆無ではない、エネルギー資源に乏しいという点では共通点があるにはあるのです。 当時排他性が窺え女性が家に残ることを是とする辺りが日本の田舎と似ていなくもないのです。 きっとおそらく質問者様がご教示の民意のありようとかの地のそれは近しいのかもしれません。 そう、ずっと考えていたのです。 さて、話を戻します。 このたびの事故の私の憤りの対象は何といっても東電政府官僚筋でした。 ですから質問者様の「国民の欺瞞性のほうこそ問題にされるべき」に拘ったのです。 事故前後でどれだけ住民そして私達国民の安心安全信仰に変化が見られたのでしょう。 >国民の精神的風土こそが今回の災害の本質 >求めなくてもなんとかやり過ごせるような気持ちになっているし、させている。 これ、どうでしょうね。 女川原発には避難する地元の人々までいたのですから。 危険だと思うなら逃げないと思います。 地元で見慣れてしまうのかもしれません。 質問者様ならお逃げになりますか。 あるいは原発のお近くにお住まいなのでしょうか。 そして私はどうしたら質問者様を理解できるのだろうと散々考えた末に、質問者様が反原発のスタンスで事故以前から危険性を熟知なさっている、だから住民国民もまた等しく事故以前から十分に原発の危険性を熟知していたとの前提で「欺瞞性のほうこそ問題にされるべき」と仰っているのかしら考えたので、次の投稿で「質問者様は反原発のお立場ですか」とお尋ねしたのです。 一方、私共首都圏では最近まで計画停電を強いられ電力の有難味を実際に痛感しております。 即時全廃/即時停止は大震災の復興に実際いかなる負担をかけるのでしょうか。 また、スイスの友人の話も大切だ、たしか隣国フランスに対する原発停止を先日要求したばかりだから趨勢を確かめねば云々と「かならずしも反原発の立場ではない」と申し上げたのです。 現状有効な代替エネルギーがございますか。 見込めるのなら、反原発派の質問者様に提示していただきたい。 叶うことなら私だってそれを望み願います。 でも、「ましゅまろの本意はほかにあるだろう、これこれこのように~」とあなたはしきりと仰っているので、「違う」と申し上げているのに私は困惑しているのです。 (ただし、拙文の不明瞭さゆえに質問者様を悩ませていることも解しています。申し訳ないです。) 以上、質問者様が「欺瞞性」と仰る理由につき鈍い私は解する時間がかかりましたが、 その間、あまりの私の至らなさにつき、AXIS様が「欺瞞」という言葉に着目なさったのでしょう。 大元は私なのです。 さらにnoname002様のご回答を拝見し、私の申し上げたかったことの数倍も上手に質問者様にお伝えになっていたので、もうそれで私は十分です。 この事故で私たちは多くを学び得られたかと思います。 もうまさに、皆が危険性を嫌というほど実感し自省したと思います。 事故後は大いに欺瞞性と申してもよろしいのではないでしょうか。 でも、事故前を語るに他に言葉が相応しいに違いないと思ったのです。 以上長々とお読みくださり有難うございました。 次に質問者様からのお尋ねにお答えします。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >最初に「はい、仰る通りですね。」とふれておけば。 現状のように質問者様は不愉快にお思いにならなかったのでしょうか。 : いえ違います。 同意を求めたわけではなく、むしろ逆のお考えが提示されますことによって論議が深まることを期待いたしておりました。 また、不愉快になったわけではありません。 ただ、論点を明確にしたかっただけです。 不愉快になったと感じさせてしまったのは一重に私の未熟さゆえと改めてお詫び申し上げます。 >互いの論点が全く異なるのです。 質問者様は今後の日本における原発のヴィジョン1点に、そして私は安全安心信仰と「欺瞞性」一点に。 : わたしの質問の仕方が悪かったのだろうとお詫びしますが、このご見解は違います。 『今後の日本における原発のヴィジョンを良いものにするためには、自らの「欺瞞性」と対峙する必要があるのではないか』 というのが私の趣旨です。 >従来の推進路線の勢いを阻止でき代替エネルギー開発に弾みがつけばいいなあとも願っているのです。 : 一部の狂い無く同感ですね。 そのためにはどうしたら効果的だろうか、ということになりましょうか。 >来月主人について渡欧します。 : いやあ、羨ましいですねえ。^^ スイス、きれいな所なんでしょうね。 http://www.bing.com/images/search?q=%e3%82%b9%e3%82%a4%e3%82%b9+%e8%a6%b3%e5%85%89&qpvt=%e3%82%b9%e3%82%a4%e3%82%b9+%e8%a6%b3%e5%85%89&FORM=IGRE#x0y0 あと思い浮かぶのは永世中立国ということぐらいですかね。 ふと思うのは何語を話すのだろうか、ということだったりします。 >どうせスイス人の友達に原発話をふられるから、かの地の原発事情も聞くつもりです。 二十数年前に滞在した山間の家にすら、ご多聞にもれず核シェルターの扉がありました。 地震が皆無ではない、エネルギー資源に乏しいという点では共通点があるにはあるのです。 : いずれも興味深いお話です。 いずれ機会が生じて、体験内容をご開陳いただけることを楽しみに致しております。 >このたびの事故の私の憤りの対象は何といっても東電政府官僚筋でした。 ですから質問者様の「国民の欺瞞性のほうこそ問題にされるべき」に拘ったのです。 : はい、よくわかりました。 >質問者様ならお逃げになりますか。 あるいは原発のお近くにお住まいなのでしょうか。 : 女川原発に避難された方もおられましたね。 津波という当面の被害を逃れられるということがあったのかもしれないですね。 なにより頑丈そうですしね。 わたしは北海道ですが泊原発があります。 今回の事故を受けて、色々と改善策が講じられ始めているようですが、やはり「こうすれば大丈夫」という思考法から抜け出せないようです。 「その想定を超えたらどうなるのか」という、言ってみれば「具体的な怖さ」をデータとして示すという方向性はまだまだ弱いように感じています。 >、質問者様が反原発のスタンスで事故以前から危険性を熟知なさっている、 : いえ、そんなことはありません。(自慢することじゃありませんが^^;) >だから住民国民もまた等しく事故以前から十分に原発の危険性を熟知していたとの前提で「欺瞞性のほうこそ問題にされるべき」と仰っているのかしら考えたので、次の投稿で「質問者様は反原発のお立場ですか」とお尋ねしたのです。 : なるほど。 たいへんよくわかりました。 少し補足させていただきますと 『原発の危険性を熟知していたとの前提で「欺瞞性のほうこそ問題にされるべき」』ではなく、 『原発の危険性を熟知しなければならないのに、敢えて熟知しようとしていないとの前提で「欺瞞性のほうこそ問題にされるべき」』 のようにお考えいただければと思います。 >一方、私共首都圏では最近まで計画停電を強いられ電力の有難味を実際に痛感しております。 即時全廃/即時停止は大震災の復興に実際いかなる負担をかけるのでしょうか。 >「かならずしも反原発の立場ではない」と申し上げたのです。 : はい、これもよくわかりました。 >でも、「ましゅまろの本意はほかにあるだろう、これこれこのように~」とあなたはしきりと仰っているので、「違う」と申し上げているのに私は困惑しているのです。 : 申し訳なく思っております。 私の不徳の致すところという反省(といっても急には改善できないでしょうが)と共に、言葉のみによる会話の難しさを痛感しております。 今、国会中継をやっていますが、ああやって対面であってもなかなか難しいのですしね。 補足欄へと続きます。
補足
お礼欄からの続きです。 >この事故で私たちは多くを学び得られたかと思います。 もうまさに、皆が危険性を嫌というほど実感し自省したと思います。 : ある程度はそう言えるでしょうね。 しかし、ほぼ間違いなく「喉元過ぎれば」ですよ。 この段階においても、安全性 VS 経済性、どの程度の割合で重要性の比重が設定されているでしょうか・・・。 ガツンと大きな楔を国民それぞれの心に打ち込むべき時でしょう。 「コツンと小さな楔」にならないように、どうすれば良いか、と思った次第です。 >事故後は大いに欺瞞性と申してもよろしいのではないでしょうか。 でも、事故前を語るに他に言葉が相応しいに違いないと思ったのです。 : 欺瞞は、ご承知のように欺く・騙すという意味ですが、わたしが問題にしたかったのは、「自らの姿勢に対する欺瞞」です。 現在は端的に言うと、 事故前には、 「もしかして危険かもしれないが、政府や専門化が大丈夫と言っているのだから大丈夫だろう」 と考えるだけで自らを納得させ、 事故後には、 「話が違うじゃないか」 と怒る。 こういう構図です。 そうではなく、 事故前に、 「政府や専門家が大丈夫と言っているが大丈夫だろうか。津波10Mで大丈夫と言っているが、もし12Mの津波が来たら具体的にどのような被害が発生するのか。避難する時間や場所は具体的にどうなるだろうか。動けない老人などはどうするのか。舟や家の再建はどのように補償されるのか。この地域では何人が亡くなることになるのか。」 他にもきめ細かく問題点について検討すべきではないだろうか、ということなんです。 結果として情報公開が今以上に促進されることにもなるはずです。 そして、 「なるほど。では12Mの津波がきたら仕方ないですね。諦めます」 という宣言を【事前に】行なっておくべきではないか、と思うわけです。 この場合、 「12Mで諦めますなどという宣言はできない」 という心理になりやすいでしょう。 すると、 「では、18M、25Mまでの堤防であれば仕方ないと言いましょう」 という段階に移行できます。(数値や堤防はあくまでひとつの例です) >現状有効な代替エネルギーがございますか。 見込めるのなら、反原発派の質問者様に提示していただきたい。 叶うことなら私だってそれを望み願います。 : そうですよね。 ただ、すぐには無理でしょうね。 それだからこそ、なんらかの方法で危機感を高めていく必要が【今以上に】必要ではないだろうか、という趣旨で質問させていただいたわけです。 代替エネルギーに関しては、個人的には太陽光パネルとバイオマスに期待しています。 実現性や効率性の点でどうなのか、という問題もありそうですが、知識は皆無に近いので声高に論じる立場にはありません。 ただ、こういった代替エネルギーの研究に対する資金量を増やすなどの対策が必要ではないかと思います。 それも原子力に対する危険性をどの程度認知できるのか、という点に掛かってくるでしょう。 現状では、新神奈川県知事の太陽光を積極的に取り入れるという政策に注目しているところです。 国は本腰を入れてバックアップして欲しい、というのが私の感想です。 なんども丁寧にお返事をいただきありがとうございました。 また、一貫して真摯な姿勢でご対応いただき感謝いたします。 http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1103230015/
- noname002
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どうも、あらゆる方面で、「他者に押しつけ」ということの直視が問い直されてきているようにも感じています。 憲法のこと。皇室の存在。。。 戦争に関する問題にも、これまで、マスコミによる弊害ということが大きく指摘されてきていますね。 結局、何事につけ、専門家や、最高責任者に匹敵する、あるいは、それ以上の知識と判断力や見解を、一般国民の、それも大多数が持ち得なければならないということになりますか。 つまり、専門家やら学者やら、その道の「権威」やら、政治を あずかる者たちを信用しない。 「意識改革」と おっしゃいますけれど。。。 「人事を尽くせている」か どうか、専門領域を、一般人がチェックする。それって、現実的なレベルの話にできるのか分かりませんが…。 専門域の人に匹敵するほどの知識がなければ、その分を信じるしかなく、騙されまいためには、一般の人々と言えども、専門領域の知識や高度の理解度が必要になってくる。 しかし、それは、「持てる有利」な側の者に、欺瞞や騙すことを禁じることの不可能さよりも、ずっと合理的かつ現実的なことなのでしょうか。 私が敬愛する三木 清氏の遺した ことばに、社会とは、期待で成り立っているものだという。 ならば、その「期待」が裏切られたとき、人々は どうするだろうか。何が起きるであろうか。 大衆が覚えてしまった快適性・利便性を放棄することは、すべての原発の完璧管理という「妄想」に比べれば、比べものにならないくらい可能の余地はあるのか ないのか。 他に、最近の情報としては、こういったところがあります。↓ 『非常用電源の確保、全原発で対策完了 余震受け実施』 http://www.asahi.com/politics/update/0414/TKY201104140184.html 『汚染水を「冷却」転用へ、近く新施設 着工』 http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20110414-00000050-jnn-soci 『冷却注水に予備ポンプ設置=余震対策でバックアップ―福島第1原発・東電』 http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201104150010.html 参照URLは、毎日新聞社説です。 過去に私の述べてきた考えと概ね近いものです。
お礼
引き続き。 >「人事を尽くせている」か どうか、専門領域を、一般人がチェックする。それって、現実的なレベルの話にできるのか分かりませんが…。 : そうですね。 この点に関してはマスコミの力に期待しています。 ジャーナリストも骨のあるのがもう少し増えてくるような淡い期待もあります。 他律的ですかね。^^; 月並みですが世論のうねりというのは、宝くじは買ってみないと当たらないという理屈に近いような気もします。 >しかし、それは、「持てる有利」な側の者に、欺瞞や騙すことを禁じることの不可能さよりも、ずっと合理的かつ現実的なことなのでしょうか。 : 『>「持てる有利」な側の者』に対しては罰則規定で制御するしかないでしょうね、当面は。 当面というのは、もう少し人類が進歩するまでは、という意味ですが。 彼らは妄想者となりやすい体質を備えていますが、その妄想を裏付けているのはその妄想に媚びる一般人であって、あるいは、媚びざるを得ない社会システムでもあるでしょう。 むしろ、普通の一般人が自らの欺瞞性に気づくことによって、彼らの欺瞞が何の意味も為さないという状況が自然と醸成されるという形が望ましいのではないか、と私は考えています。 毎日新聞社説には大変共感を覚えますね。
- noname002
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申し訳ないですが、長文にて分割投稿となりそうです。お返事は一ヵ所にまとめてくださって結構です。 まずは、自動車にせよ飛行機にせよ、それらが大事故を起こしても、ある程度、局所的で済むけれども、放射線の問題は、及ぼす範囲が比べものにならないほど広範囲であるということですね。 原子力安全委員長である班目氏の 「割り切らなければ原発は設計できないが、割り切り方が正しくなかった」との発言がありました。 私は、ここ最近になって、世界レベルで最も原発に依存しているというフランスの動向にも関心を持っています。 さて、どこぞの県では、役所の施設と原発施設が、ご近所なのだそうで。 わざわざ、大地震と大津波の多いことが知られている地域のみならず、活断層の上に原発施設を つくってしまってあるとか。 保安院が経産省の外局であるとか。 >作ることを否定しない政府を選挙で結果的に選んでしまったのは私たちでしょう。 >元々わたしは反対だった、という方も当然おられるでしょうが、その場合は、原発不要の政権をなぜ誕生させられないのか、という問題 この「私たち」に、私自身は入れないでもらいたいと、ひとりごちたいところですが、それは ともかく、これぞ、という人材が見当たらない、そもそも、これまでに育成してきていないのかは さて置いて、ここでも、「力としての数量」の問題は明らかです。最も政治的な問題ですね。 >川崎のニュースも見ましたが、これも同様ですね。 >誤報だったとはいえ、現時点での市民を愚民とは思わないのです。彼らがそのような行動を取るのも、事前の心構えをさせてもらえなかったからでしょう。 いわゆる「説明責任」の問題ということになりますか。その川崎での騒ぎは さて置き、 >一般人に理解できるように説明するのが政府・電力会社の責任 「しらしむべし よらしむべからず」というコトバがあるそうですね。 質問者さまも問いを発しておられるように、いまほど、「談合体質」とか「隠蔽体質」というものが糾弾されている時代は、かつてなかったのではと思えるほどです。 この問題は、すでに、尖閣諸島を めぐる事件などでも紛糾していたのが思い起こされますが、今回の原発事故をも大なる切っ掛けにして、経済から外交から教育から、あらゆる方面での共通点を剥き出しにしたのではないでしょうか。 >「震度〇以上の地震や高さ△m以上の津波の場合には皆さん諦めましょう。しかし、確率は低いようですし都市部への電力供給のためにも建設を認めましょう。補助金を十分にもらえばいいじゃないですか」 >といって選挙民を納得させる必要があります。 現状、すでに一応は そうであったはずと思うのですけれど。。。しかし、いかに「スーパー」級の堤防にしたところで、縦横何十メートル堤防だったから助かった、といっても、その高さを越えてしまったら、たちまち無意味ですよね。 それどころか、いまや、「震度〇以上の地震や高さ△m以上の津波の場合には」という設定基準を設けることにすら、疑念が湧き起こっているのではないでしょうか。 いわく「想定」と申して、どれだけの過去データなどを考慮していたのかにも、怪しい点があったようです。 千年に一度という、ほとんど「架空の可能性」に過ぎないリスクだった頃と、それが現実のことになってしまった今とでは、恐怖心の強さも緊迫感も警戒心も断然、異なることになりました。受け取るメリットなど完全に消し飛んでしまうほどの苦難を背負ってしまったわけで。 >端的に言うと、「不利なことを細部に亘って国民全員に対して明確にする」というセオリーを確立 これは、営利第一、利便第一であるかぎり、基本的に相容れないと思います。 (中国への、いまだに莫大なODAの問題などにも、底には、大企業や経済人らの思惑が絡んでいるようですね。) 原発施設受け入れ地域住民のエゴの問題も多かれ少なかれあるでしょう。 (こういった問題には、たとえば、沖縄の米軍基地問題とも共通した点が窺えるように思っています。) 原発を めぐっても、専門領域に身を置く人たちと、それ以外の一般の人々とでは、前者は、知っていることによって、欺瞞性においてさえ圧倒的に有利な立場です。 いわく「安全神話」なるものを つくりあげ、差し出してみせたのが、どちらの側かは明らかなことでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >まずは、自動車にせよ飛行機にせよ、それらが大事故を起こしても、ある程度、局所的で済むけれども、放射線の問題は、及ぼす範囲が比べものにならないほど広範囲であるということですね。 : 「最悪のことが起きたら仕方がない」という発想がない(封印している)ために「何が最悪なのか」に対する対策が曖昧なままに推移し、結果として大事故につながる、という構造は同じです。 原発にしても車にしてもまた列車にしても、そのもの自体よりもそれによって恩恵を受ける人間の側の心構えが本質的な問題だろうと思います。 >原子力安全委員長である班目氏の 「割り切らなければ原発は設計できないが、割り切り方が正しくなかった」との発言がありました。 : そうなんですか。 なかなか正直でいいことを言うんですね。 作る前にこういうことを大々的に知らしめると、もっと良かったはずです。 次回からでも、遅すぎることはない!と思いますよ。 安全保安院よりはマシなのかな。 >私は、ここ最近になって、世界レベルで最も原発に依存しているというフランスの動向にも関心を持っています。 : わたしも8割近くを依存していることを初めて知りました。 サルコジさんがすっ飛んできたのも、さもありなんと笑っちゃいましたが。 >この「私たち」に、私自身は入れないでもらいたいと、ひとりごちたいところですが、 : 了解しました。^^; わたしも本当は入りたくないのですが、あくまで結果ということで。 >それは ともかく、これぞ、という人材が見当たらない、そもそも、これまでに育成してきていないのかは さて置いて、ここでも、「力としての数量」の問題は明らかです。最も政治的な問題ですね。 : よくも悪くもですね。 >(川崎の騒ぎについては)いわゆる「説明責任」の問題ということになりますか。 : はい。 その説明を元にしてどこまでの心構えができたか、ということが最も重要なのですが、材料が乏しいままそこを突くのはちょっと、というわけです。 >「しらしむべし よらしむべからず」というコトバがあるそうですね。 >今回の原発事故をも大なる切っ掛けにして、経済から外交から教育から、あらゆる方面での共通点を剥き出しにしたのではないでしょうか。 : 言えそうですね。 この点に関しては塞翁が馬と捉えています。 現状は、原典である論語に忠実に「よらしむべし しらしむべからず」ですが、これが成立する土台には「よらしむべし しらしむべからず」をむしろ望む(無意識的な)奴隷根性が国民にはあるのではないか、と思います。 >しかし、いかに「スーパー」級の堤防にしたところで、縦横何十メートル堤防だったから助かった、といっても、その高さを越えてしまったら、たちまち無意味ですよね。 : 現状では、「今までの最大の津波は10mだから15mもあれば安全」という説明で納得してしまう傾向があったのではないでしょうか。 たしかに15m以上であれば危険なのは自明のことなのですが、表現の仕方の問題でしょうね。 「15mもあれば安全」ではダメだと思うわけです。 なぜ「15m以上なら危険」と言わないのか、ということです。 これを反対派が言っても殆んど意味はありません。 原発を建設・稼動する側が、このように(声を大にして)公言することを義務付けると、かなり違ってくるような気がします。 それが無いために「世界一の防波堤です」てな表現にころっと騙される(安心してしまう)のではないでしょうか。 >>端的に言うと、「不利なことを細部に亘って国民全員に対して明確にする」というセオリーを確立 これは、営利第一、利便第一であるかぎり、基本的に相容れないと思います。 : 「営利第一、利便第一」を通用させてしまうのが、「危険性に対する認識の甘さ」であり、それは危険性を身に引き寄せて想像できないからなのでしょう。 想像せざるを得ないためには「仕方がない」が最も効果的と考えたわけです。 >いわく「安全神話」なるものを つくりあげ、差し出してみせたのが、どちらの側かは明らかなことでしょう。 : それを丸呑みしちゃうんですから、ほんと従順なものだという気がします。
- heartmind
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>役立っても自分だけはリスクを負いたくないという風潮がない >でしょうか。 人間に役立てる為の技術といっても、それには勿論リスク回避技術 というソフト面の技術も含まれるはずだと思います。 しかし、これは日本人の特徴だと思いますが、あらゆる物質には もって生まれた物質の特徴がありその特徴を最大限に生かすこと にかたよってしまうところがあるようです。 つまり鉄職人は鉄を愛しすぎてしまい、石職人は石を愛しすぎて しまう。 例えば30メートル上に炉をおけば、冷却水をポンプアップする エネルギーが余計にいる、そうなったら折角の原子力システム ちゃんの全体の高効率エネルギー性がアピールできないっていう 具合に。 ただ、ものを愛したり充分にものの特徴を理解するがゆえに 人間の道具にいかせるという面もまたわすれてはならない側面 で、日本人の得意とするところでもあるとも思います。 逆にやみくもなオープンシステムにして、物の本質を考えずに ただ人間のサービスに特化していくと、切ってくっつけて貼り 付けたようなものになり、まったく無駄な資源や無駄なサービス がごてごてと膨らむばかりになってしまいます。 分散化コミュニティで、街の暮らしやデザインも考慮に入れた ミニマム運用というのが方向じゃないのかなと思っているの ですが違うのかなあ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >しかし、これは日本人の特徴だと思いますが、あらゆる物質には もって生まれた物質の特徴がありその特徴を最大限に生かすこと にかたよってしまうところがあるようです。 : 同感です。 当質問文の 1-a. すでに覚えてしまった快適性・利便性を放棄することはおそらくできない。 に含めたつもりでしたが、大事な要素として明確にしていただいたと思います。 端的に言うと好奇心には勝てないということでしょうね。 原発全廃が全世界的合意を必要とする所以のひとつでもありましょう。 >例えば30メートル上に炉をおけば、冷却水をポンプアップする エネルギーが余計にいる、そうなったら折角の原子力システム ちゃんの全体の高効率エネルギー性がアピールできないっていう 具合に。 : う~む・・・(-_-;) ここまでいっちゃってますかね。^^; いや、そうなんでしょうね。 こういった連中に対するチェックの甘さというか、「頭の良い人・偉い人」に対するいかにも奴隷的な従順さがそれを促進していそうです。 因みに「頭が良い」というのは「賢い」という意味ではありません。 一種の「とっちゃん坊や」といった感じということで。 >ただ、ものを愛したり充分にものの特徴を理解するがゆえに 人間の道具にいかせるという面もまたわすれてはならない側面 で、日本人の得意とするところでもあるとも思います。 : よくわかります。 いずれにしても、放射線なり放射能を制御可能にする方策も同時進行させなければなりませんね。 人体実験しようというのでなければ。 あるいは人体実験を容認しようとするのでなければ。 >分散化コミュニティで、街の暮らしやデザインも考慮に入れた ミニマム運用というのが方向じゃないのかなと思っているの ですが違うのかなあ。 : 「>少し閉鎖的なコミュニティの特徴(#19)」をセキュリティに生かすとしても、被害がコミュニティ内では治まらない性質の対象である、という点がネックになるかもしれません。 しかし、基本的発想としては面白いですね。 少なくとも欺瞞性の入り込む余地は多少なりとも減少するでしょうから。
お礼
引き続きご回答ありがとうございます。 >すでに、「この範囲内で」という、あくまで一応の想定があって、そのもとに、「安全神話」による裏打ちを信じ、低いリスクと引き換えの高い供与を得られるつもりで受け入れてきたであろうと思います。 : おっしゃるとおりでしょうね。 「低いリスク」と思わせられている、あるいは思いたがる、この構図を崩す必要があると思います。 >原発立地域外の国民としては、、実際、自分ちの近所なら猛反対するとして、しかし、かなり離れた立地で、自分に直接の不利益はないとなれば、そこまで しない。傍観する。なんと言っても、現地住民が受け入れるというのなら。せいぜい、そんなところだったのでは。 : そうでしょうね。ご存知と思いますが、 NIMBY(ニンビー)とは、Not In My Back Yard(自分の裏庭にはあって欲しくない)の略で、施設の必要性は認識するが自らの居住地域には建設して欲しくないとする住民たちや、その態度を指す言葉である。(ウィキ) という記事もあります。 事故の可能性を共有し、事故が起きた際の補償も共有する、という具体的な宣言が必要になると思うのです。 災害復興税などどかっと徴収すべきじゃないでしょうか。 こういったケースも含めた「仕方がない」ですね。 >火力などのエネルギー供給によって引き起こされる環境汚染、それを避けるためという側面もが原発には負わされていますから、その点でも頭の痛いところです。 : あまりに原子力に頼り過ぎていて、他の代替エネルギーに対する開発努力や資金がおざなりになっている部分もあるんじゃないでしょうかね。 >>>慎ましくてもいいから、安全に、平和に これも、一筋縄の話でないようです。現に、避難勧告に猛反発して、高度被爆の危険をも辞さず、現地で、これまでどおりの日常生活(地方農民としての慎ましい生活?)を続けることを宣言している人々もいるようですね。 : おそらくnoname002 さんもそうだと思うのですが、わたしもこの蝉雪さんと全く同じ感覚なのです。 ただ、経済=命という側面もあるでしょうし、おっしゃるように難しい問題ではあります。 >楽観性というものは、ほとんど宗教的と呼ぶべきほどの無根拠なものですが、それなくしては、のうのうと生きてこれなかったであろうほどのことだと思います。 「欺瞞」というよりは、「信じる」のであると思います。 いつだって、自分は見逃され、災厄は他人のもとへ。なのでしょう。ですから、「傍観」側になるのですかね。 : なるほど、そういうことも言えますか。 真実と向き合うのが面倒というか怖いというところかな、と思っていましたが。 そのことも含めて、他律的な面が払拭しきれないというところはあるのかもしれません。 >人生が人並以上の結構であった者ほど、他人事感覚でいられることを強化されてしまうのでしょうか。 ; 今、サンデルが司会するテレビを見ていたのですが、コミュニティの矮小化というか、非グローバル性というところが関係しているのかもしれませんね。 先に挙げたNIMBY(ニンビー)の概念の延長線上にあるような気がします。 >いわゆる「専門家」と称される人たちの見解のバラつきやアヤフヤさです。正直、こんな人々に任せていたわけか、と、今更ながら思いました。 : いや、全く辟易します。 >「人事を尽くして」原発を受け入れる、ならびに、一定の想定以上が起きた事態に臨んでは諦めることと、対して、思い切って原発自体を諦めることの、どちらが、コストのことも含めて、現実的なのか。。。 : 短期的には前者しかないでしょうね。 ただ、新規建設は中止です。 そして現有原発稼動の際の「一定の想定」基準を厳しく設定し続け、長期的には後者の実現を目指す、といった感じでしょうか。