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宇宙の宇宙またその宇宙へとある可能性はありますか?

宇宙の宇宙、またその宇宙へとある可能性はありますか? 知恵袋でも同じ質問がありました。 宇宙の周りには物質があるはず・・・ だったらその宇宙の回りにまた物質があって・・・ それより宇宙が無限と考えたほうがいいのでしょうか? 皆さんにとってはくだらない質問ですが、僕にとっては真面目な質問です。 答えられる人は絶対に答えてください。 「悪口」はやめてください。 教えてGooを荒らすつもりはありません。 気になるので教えてください。 困っています。

みんなの回答

  • SPROCKETER
  • ベストアンサー率26% (2125/7982)
回答No.17

 宇宙は無限ではありません。宇宙が無限だったら、質量も重力も無限大ですから、ビッグバンなんて起こりません。ビッグバンが起こらなければ宇宙の始まりもありません。従って、宇宙は有限であり、無限ではありません。  宇宙の外側に法則が異なる別の宇宙が無数に存在するという多次元宇宙はありえますが、これも有限でないと前記と同じ理由で説明出来なくなります。  四方八方が鏡で出来た万華鏡のような部屋から見える光景と同じで、空間は無限に続くように見え、自分の分身も無限にいるように感じますが、実際には全て錯覚であるようなものです。  本当の宇宙は数千万光年ぐらいしかなくて、その領域の銀河群が周囲の鏡に反射されて万華鏡のように映っているので宇宙が広大に見え、万華鏡が歪んでいるので鏡に映った宇宙が同じに見えないだけなのだという考え方をした学者もいます。  もちろん、宇宙が数千万光年しかなかったら、赤方偏移が証明出来ませんから、この考え方は間違いなのでしょうが、宇宙の外側に宇宙があるという話は地球以外にも生命や文明がある惑星が他の星にもあるという話と同じで、見つからないのに、そう信じられているという範囲のお話です。  系外惑星の観測結果を見ると、恒星1つに木星型惑星1つという例が多いようで、それ以外の太陽系のような惑星系は非常に少ないようです。宇宙の外に宇宙があるとしても、同じような傾向があるのかもしれません。少なくとも、我々の宇宙と類似した生命や文明がある宇宙は少数派だろうと思われます。

  • naigel
  • ベストアンサー率25% (22/87)
回答No.16

「宇宙の外に宇宙があって、その外に宇宙があって、、、、。」と、「宇宙は無限と考えた方が」とは 同じ事ではないでしょうか。どっちも無限ってことですよね。 同じ言い方として、「宇宙に果てがあるのか」 という質問が多いようです。果てがあるとすれば、 果ての外側の世界を認めた事です。それではその外の世界はどこまで続いているのでしょうか。 外の世界に果てがあるのでしょうか。結局は繰り返して行き着くところは無限ですよね。 この考え方の答えは「宇宙は果てがなく無限である」です。 この質問はとても素晴らしい質問です。ですから、もうひとつ別の角度から宇宙の果てを考えてみて ほしいのです。 今年の1月に、ハッブル望遠鏡が最も遠い銀河を発見しました。132億光年という距離です。この事は 132億年前の銀河を見ている事ですよね。この宇宙ができてから約5億年後の星です。 おそらくこれ以上遠くを見ても(時間をさかのぼっても)銀河は無いでしょう。ビッグバンは望遠鏡で 見る事はできないので、光の速さで距離を論じれば、137億光年が宇宙の果てとなります。 ですから 「宇宙は果てがあって、有限である」です。

  • isa-98
  • ベストアンサー率23% (205/859)
回答No.15

また、時刻のすり替えらが見受けられます。 宇宙誕生後の偽の真空を誕生前にすり替える事によって、 宇宙誕生前は量子力学的無であると称しています。 すなわち、 宇宙誕生後の量子力学的無(偽の真空)を宇宙の外へ設置する事によって 宇宙の外を量子力学的無であると説明しています。

  • isa-98
  • ベストアンサー率23% (205/859)
回答No.14

完璧に錯誤がありますので補足をしておきます。 量子力学とは状態力学の事です。 物質ではないので状態でしか認識出来ないのです。 これを物質として認識している場合は要注意です。 波動関数すら無いような記載には注意が必要であり、 永久に証明出来ない事を自慢げに表明している姿勢には特に注意が必要です。

noname#132723
noname#132723
回答No.13

その答えはビッグバン以前に起きていたとされるインフレーション の始まりにありそうですね。 それは無から始まったとされているけど、無ってなーんだ? 量子力学で言う、無って 何も無いって意味じゃないよ 粒子の海みたいなのがあって、小さな波のようにゆらぎながら 安定してたって事なのさ。 静かに過ごした日には、「今日は何も無い日だね」って言うよね それと同じ意味なんだ。 だから宇宙の周りには粒子がたっぷりとあると思うよ。 まだ物質になる前の状態だよね。 それからね、君だけにおしえて あ げ る。 私たちが住んでいる宇宙の他にも別の宇宙がありそうなんだ! 粒子の海にビーチボールが、いっぱい浮かんでるってかんじ だからこれから、勉強してね。

回答No.12

とても難しいことなので、私が知る限り、できるだけ簡単にお伝えできればと思います。 天文学、物理学、そして形而上学、考古学、神話などなど。 あらゆる専門の方々が異なる見解、あるいは異口同音の意見もあります。 なにしろ、宇宙の隅から隅まで見た人はいないでしょう。 言葉遊びのようですけど「無限」は存在しません。 無限の場を見つけたら、その瞬間にその場は有限になります。 「無」は「何も無い」ということですから、見ることも想像もできません。 一方、従来型の天体望遠鏡(目視、拡大)に加えて、 電波や赤外線、他の最新の探査方法では新発見が相次いでいます。 このような技術の進歩によって発見が続く限り「宇宙は無限大」でしょう。 私たちが認識できる範疇、位置から見れば「宇宙は無限大」です。 認識すればするほどに宇宙は広がっていくからです。 見えない処にも、エネルギーの場、エネルギーの渦があります。 目に見えるその同じ空間に、他の探査方法を用いると全く違う景色が見られます。 すなわち、同じ空間に多くの様相が重なって存在しています。 様相は次元ととらえてもいいし、人間に肉体活動と精神活動があるような感じですね。 宇宙は多次元です。 ちなみに、 ブラック・ホールのように何でも吸いこんでしまう場とは逆に、放出している場も発見されています。 物質的には固定して見える星も、実はその空間ではエネルギーが活発に活動しています。 宇宙を物質としてとらえるのでは無くて、 エネルギーの場、循環、変換、活動の場としてみれば、宇宙は無限です。 ちょうど地球を歩いて一周して戻っても、また回るようなものです。 その間に天気も気分も変わるし、地殻も動いているし、戻ってきた場所は出発した時とは全く異なる場に変わっています。 最近では星以外の空間に宇宙が隠されていると言われています。 星は宇宙の数%しか占めておらず、空間(エネルギーとか波動)こそが無限の探究の場らしいです。 人と人が出会うと「何か」を感じます。 人と人の間に、それぞれのオーラが作用しあっているからです。 また、ある場所、喫茶店でもどこでもいいのですけど、やはりその場独特の気を感じます。 その空間を占めている空気にエネルギーが存在して活動しているからです。 人はミクロコスモ(小宇宙)と言われますし、 シャーマンや独特の視野を持つ方々、物理学者は、 元素、原子、分子、細胞の一個一個にも大宇宙と同じ営み(エネルギー活動)があるとしています。 そしてそれらは互いに連動し合い、大宇宙にも繋がっているそうです。 こちらは、 地球から現在分かっている宇宙の果て(1370億光年)までの動画です。 リアルな動画に仕上がっていて、 大宇宙を旅したようで、とても興味深く、楽しいです。 ☆既知の宇宙~壮大なる宇宙のスケール☆ http://www.youtube.com/watch?v=9FlIzgotFAs

回答No.11

最近私は宇宙の考えかたが少し変わった。天文学、物理学はそれはそれで宇宙を探求することはよろしいのだが。 われら生命にとって宇宙とはせいぜい太陽圏内が現実である。 私はこう思う、宇宙とは幻想。ましてや入れ物でもない。あなたが生きている間宇宙は存在するし、あなたが死ねば宇宙が終わり、無に帰すわけだ。個々の生命体が幻想によって宇宙を認識していると考えられないか。。 蜃気楼を見ていると、そこにあるように見えている景色は、ほんとは何もないということに気づく。同じく夜空に輝く星々もまた幻想である。無の投影(ビッグバン起源)とでもいっていいかも知れない。宇宙は無の投影。なぜなら、決して近づけないし、近づこうとすると遠ざかる蜃気楼と似ている。 夜空に輝く星々一個一個にもそこの生命体が認識する宇宙があり、こちらへ近づこうとしても決して近づけないわけだ。 あちらの生命にとってもこちらは幻想でしかない。“あちら”も“こちら”も同じ“ここ”なのだ。 同じ“ここ”も実は不確定に入れ替わっているとしたら、最近のマルチバース論もあながち捨てたものではない。

回答No.10

#7の者です。前提として、日常的な「平坦な空間」や「一定に 流れる時間」を前提としてはならない、という事を追記します。 「その先にまた先がある」というのは、空間的、エネルギー 的に小さな領域に暮す我々の、近似的な錯覚(空間は平坦 に延長される=ユークリッド空間)であり、実際の時空は、 物質の存在と運動によって、非ユークリッド的なのです。 つまり、質量密度が高ければ空間は閉ざされ、ちょうど球の 表面のように“端がない有限な広がり”のものになります。 「宇宙がビッグバンで広がる」と簡単に言っていますが、 そうした重力閉鎖したブラックホール状態から、どのように 拡大できるかは問題であり、量子トンネル効果やインフレー ション理論など、様々な提案がなされています。 ただ、膨張すれば密度が低下し、重力閉鎖も大きくなるので、 「膨張すれば膨張する」ので、現状に矛盾はありません。 しかし、本来、重力によって膨張速度が(端における初期の 光速膨張が)低下すれば、137億年経った時に137億光年先 には到達できず、背景輻射は消えるはずなのに、いまだに 観察される事実を説明すべく、「斥力がある」とか「初期に 超光速で広がった」といった諸説が唱えられています。 しかし量子論的に考えると、認識によって宇宙が生じる= 自己(現在/感受/光速)から過去(記憶/時間/超光速) と未来(予測/空間/光速下)が対発生していると考えれば、 その基底としての時空が広がる(時間経過=空間膨張)のは 当然のことです。 全ての存在は量子的な不確定性(確率波動)に基づいており、 無限に詰め込むと存在確率の山が平らになって、無と等しく なります。 この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に、 認識体の仮定断面の運動(プランク定数hの収束の時系列化)を 想定すれば相対的に無の風は光になり、認識体はその光の向う に、自我仮説の補完としての時空仮説=宇宙を認識します。 我々は「過去は既に終わっている」「未来はまだ来ていない」 ので、「存在するのは現在」と考えますが、真の『現在』とは、 認識体の感受表面での量子相互作用(光速)のみであり、その 経験(過去=超光速)による予測(未来=光速下)として時空的 広がりは発生しているのです。 即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の相補 として生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」という 無の射影として、存在は生じていると言えます。 無いとは分からない事が有なのです(元々無なら「その外」も無意味)。

回答No.9

気になっているのでしたら、極力は双方向で交流を図りたいと思うのですが、如何ですか?donaldmanさんにお伺いしたい事が2つほどございます。 一つ目は、主題『宇宙の宇宙またその宇宙へとある可能性はありますか?』という時の、宇宙とは一体何であるとお考えなのでしょうか?二つ目は、僕も宇宙の事は興味・関心があったのですが、donaldmanさんは一体どうして宇宙の事がそんなに気になっているのでしょうか? ぜひお聞かせ下さいませ。よろしくお願い致します。

  • miyachi
  • ベストアンサー率27% (219/804)
回答No.8

宇宙は無限ということは確かなことですから普通的に考えれば あなたの言われることが正解と思います 要するに無限ということは宇宙の宇宙、またその宇宙があるという意味なのです この宇宙の大きさは137億光年と言われてますが、それは確認できた範囲と思います 無限ということは137億光年の向こうに137億光年がありさらに137億光年があるという ことです 残念ながら無限の宇宙とは量子論も相対性理論も理論では通用しない解明できない規模の大きさと思います

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