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重力・万有引力の存在理由
- 物質に重力がなければ発展がないため、重力の存在は宇宙の意味を持つ
- 物質は重力を通じて発展し、変化する手段を得る
- 重力は物質が持つ意思や欲求を具現化する
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重力=意志 との考えは正解と言えます。 しすし重力が直接意志ではありません。重力が変化転化した形態が意志となります。 つまり、重力=距離=速度=力=熱=電気=・・=生命=心=意志=・・ と転化したものなのです。 「在る、とは、方向性、があること」とは、西洋思想でも言っていますが(カントやサルトル、が言っていた?) 万物の根元としての固定的な物質単位が在った、としても、それだけで、存在、あるいは、有る、ということにはならない。何も起こらないのです。 何かが起こる、ためには、何か変化を起こす、縁、あるいは方向性としての能力が、根元物質と一体として付随、あるいは存在していなければならない。 存在=方向性 存在×方向性=1 というのが 万物の根元単位であり。それは一個ではあり得ない(何も起こらない) そして、方向性=(1/存在) であるとは。方向性は、存在単位に付随する、存在ではない、実体としては、何処にも存在しないが、存在単位に何かを起こす、能力、方向性、である。ということなのです。 万物の根元は存在した(でなければ今の世界は起きていない) そして、その根元単位には、根元的方向性が付随していた。 それは何か。互いに近づこう、とする方向性、しかないはずです。 つまり。万物の根元=集合力 であった。となります。 根元単位mが2個有ることを縁として、距離、r、が起こり。 r=引力 引力=1/r 2箇のmが一体となろうとする力(重力)=引力^2=mm/r^2 となります。 ニュートンは「リンゴが落ちるのを見て万有引力の法則を発見した」と言われますが、リンゴはともかく、 距離と引力が同じもの、である。月の地球に対する落下距離、これが重力である。と気づくなら。 あとは、定数を算出する作業だけとも言えます。遠隔力は逆二乗の法則になる、のは当たり前のことなのです。 人間は、テコを使い、滑車を使い。体験的に知っていながらも。距離=力 であり。 熱も圧力も電気も、人間の精神も、同じ、実体のない、変化を起こす、能力方向性である。ことには気づかず。心なる実体がある、とか、肉体を離れた霊魂がある。などと、空想をするのです。 この世界は、物、と言われるような、固定的に捉えられる対象と。実体としては存在しないが、 物と一体の、物に変化を起こす、能力方向性、によって、起きている。 現在の言葉に当てはめるなら 前者が「空間」=固定的なもの、姿形あるもの であり 後者が「時間」=物の変化であり。変化を起こす能力方向性 なのです 物理学の法則は例外なく、と言えるほど 時間1×時間2=単位=一定 となっている、のです。 ったなら、
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
No.8&9です。 ★ 物質は重力という意思を持っている。 ☆ という命題に直接に答えるものではなかったことを おわびしつつ ことわり書きを添えます。 社会的存在としての人間の振る舞いについて 意志ないし愛は 重力に似ているなどなどと見ると おもしろいかもとだけお伝えしたのでした。
お礼
ありがとうございます。 重力があるのは宇宙に意味があるという考えは 変わらないのですが、意思であると言ってしまったのは 少し後悔しています。 いろいろご回答を頂いて。 少し考えも変わりました。
- ok9608
- ベストアンサー率38% (50/129)
#5です。気になりまして 重力は意思とすると 他の物理法則に従う事象も意思と見做され、 さらに考えを広げると科学法則に従う事象も意思と見做されるとおもうのです。意思をもつということはそこには 思考が発生しているということでしょう。重力に対応する思考は 愛という説明もあったかと思います。近代以前(今も少数ではあるが ある)に世界各地で巨大な岩石とか山とか木とかを不思議な力があるとして信仰の対象になっている現象(animism)があって よく似ているようにおもうのです。信仰は宗教と見做されると思います。宗教は 他人に対して必ずしも布教しなくてもいいと思います。 このような不思議な力の意思を質問者さんは解明することもやぶさかではないと言われます。どのような手段で解明しようと言われるのか お教え頂きたいところです。というのは 宗教の割り切り方とおもうのですが 信仰の対象は 解明する必要はないし 解明できない と思うのです。奇跡であろうが まか不思議であろうがそのまま信じていいわけです。解明などという悩む領域は おさらば にしていいと思うのです。 そこで 質問者さんの重力意思の解明を考えてみます。 仮に科学的手法を用いてするということなら 対応思考がONかOFFで意思は変化するはずです。この対応思考のON OFF をいかにして観測するのでしょうか。しかし、このような発想では どこまで遡っても解明できないと思います。つまり 宗教(信仰)の対象の解明できない ことと同じと思うのです。 そこで 例えば 今回起きた 東北沖の最大級地震を考えてみます。 甚大な被害を出しました。これは 地球の動きを決めている個々の科学法則のトータルメカニズムの結果でしょうが、地球の重力、地球を構成している個々の重力、太陽、月などの重力が大きく効いていることは確かでしょう。甚大な被害を考えて これは 重力の愛が減少した結果であるとか、あるいは重力以外の他の法則の愛の否定 をする思考が強まった結果である とかで 説明されるのでしょうか。あるいは重力の思考は愛ではなく 欲望とかの説明がされるのでしょうか。いずれの説明にしましても 近代以前の理解と思われます。そのような理解では 自然物理現象の前では 人間は無力そのものでしょう。 結論としては 物質の意思を否定して さらに科学法則をみつけその応用を人類のために考えるべきではないかと思うのです。現在 科学が どれほど 人類のためになっているかは疑問でしょうが 効果は 負ではないでしょう。 勿論いかように考えられても構いませんが 私には物質の意思の考えは 拡張するべき考えとは思われません。
お礼
ありがとうございます。 意思という表現が少々乱暴だったかもしれません。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
No.8よりのつづきです。 最後に 第一の《〈自己〉の社会的な――もしくは公共的な――力》が 重力であり 表現として 万有引力(?)である。 主体の社会的な意味での重さとは 意志のことであり これを同じく 愛(自治・自己経営)と呼ぶのに不都合はないであろう。 男女の関係としては その夫婦一組としての社会的な職務(生活というほどの意)にかかわった力の問題にあたっている。婚姻は 第二の電磁相互作用の場 これが 婚姻関係〔の場〕として新たに確立したときの力の過程である。それは 重力の作用つまり自由意志によるかと思われる。 婚姻に限らず 一般的に人びとの連帯が成立するのは やはり万有引力に比されるべき人間の意志によるのであって 或る主題の科学的知解や 或る問題の解決へ向けての運動として考えられる。 時にこれを階級的な連帯と唯物史観がみたのは この力を基軸とするというわけだ。民族としてのまとまりは微妙であるが それが国家としての統合であるとき それはまさに国家的な電磁場の〔幻想的な〕確立を 一つの経験現実としているのであろう。 けれども 個人の二角関係のうちの 男女の対(つい)関係における結婚という結び付きは 四つの力が統一的にはたらいているかも知れない。接触(弱い相互作用)・自己確認と相手の選択(強い相互作用)・そして意志(重力)にもとづく愛の関係(電磁相互作用)。そうして 私的にして公共的な職務(生活)にあたる(重力)。・・・・・・ 以上 愛嬌でした。
お礼
ありがとうございます。先にお礼だけ言わせてください。 感想については補則入力でいたしますので もうしばらくお待ちください。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。愛嬌でよろしければ。 まづ モノ(質料)のエネルギー・力・運動と 人間の社会的な力・運動とは ちがうと思われる。前者の自然〔科学〕的な運動そのものが そのまま(あるいは勝手に)後者・人間社会における自然史過程的な運動となるわけではない。 もし仮りに 物体の運動と人間の運動とが 同じであったとしても 物体はこれを運動と認識しないばかりか 運動の主体であるとも自己認識しないのであるから 他の物体あるいは人間の 支配者であると考えるわけでもない。 人間の運動・生活が すべて物体の自然運動から成っていると見る場合でも 人間はこれらを選択し加工したり排除したりする。言いかえると 物質の自己運動が そのものとして 人間の手に負えるものだとは考えられないが この運動を人間は 人間的なものとして・社会的なものとして 方向づけないわけではない。 このような社会主体としての人間の 殊に《自己》の力を想定し さらに四つの力を仮想してみる。 1.重力 :《 〈自己〉 の社会的な力》( la puissance du moi ) 2.電磁相互作用 :《 〈自己〉 の超現実》 ないし《〔個体の〕 幻想 〔という意識〕》( l'irréalité du moi ) 3.強い相互作用 :《根源的な 〈自己〉 》( l'inépuisable moi ) 4.弱い相互作用 :《とにかく 〈自己〉 というもの》( le moi quoi que ce soit ) これらの人間の力 つまり 自己の基体である物質の運動についての意識としての人間の力は 物質としては広い意味の《光》が媒介するものである。 いまわかりやすいように そして基本的にもそうであるように 男と女に対する関係を例にとって考えるのがよい。第二の《〈自己〉の超現実》というのは いわゆる光が 視覚などによって起こす電磁相互作用としての力である。男と女のあいだに 電磁場(電気的・磁力的な作用の場)が形成されるのである。これは 《幻想》的であり 幻想としての現実である。 幻想というのは 相互作用がはたらいてもそれはまだむしろ場の成立であって 何も起こっていないのに何か起こったと錯覚したり さらに何か確かに作用が起こったときそれは 自分に都合のよいように 別の作用が起こったのだと錯覚するか もしくは何もまだ起こっていないのだと強引に主張するか そのような場合が多いからである。 このとき これらは 特に意識しなくとも 第四の《とにかく〈自己〉というもの》をとおして そしてそれは 光の仲間としてのウィークボソンによって媒介されるところの弱い相互作用となって まづは始められていたものであろう。つまり 後でそのような結果として捉えられるものであろう。(何でもないことのほうが 印象や影響が強かったりする場合がある)。 これら二つないし三つの力を要約すると 男と女とは それぞれ《とにかく〈自己〉というもの》をとおして接触し 何らかのかたちで《根源的な〈自己〉》を意識し始め それぞれが《自己の超現実》という場を夢見始めるに到る。 《弱い相互作用――自由な電子が飛び廻ってのように――》において互いに接触し 《強い相互作用》を働かせる。(ただしまだ 事の始まりとして 互いの紹介までである)。そして次に《電磁相互作用》がはたらいたなら 相互認識の場なり付き合いの形なりが 成立する。 第三の《根源的な〈自己〉》というのは 自己の同一性にとどまろうとする――言いかえるとこの場合 相手を選ぼうとする――力であり いわば自己の凝縮というような自己の確認の作用である。 これは 《糊の粒子(グルーオン)》とよばれるものによって媒介される強い相互作用に属する。もちろん人それぞれにであり 単純に人それぞれにである限りにおいて人は 独立主観である。この意味で 根源的なと名づける。 以上これらの三つが 大きくは同じ場で むしろ同じ力の三態としてはたらいているのである。独立主観が孤立しているわけではなく 他の独立主観と接触したり相互依存的であったりして 不都合はない。この力は 三態という範囲において もしくは正負の向きなどを含めたいろんな関係のあり方として それを愛(つまり 愛情と嫌悪)とよぶのにも 不都合はない。 最後に 第一の《〈自己〉の社会的な――もしくは公共的な――力》が 重力であり 表現として万有引力(?)である。 (つづく)
>重力=意志 そうなんですかー。 なんだか理解しにくいです。 単なる意志というものは引力にもなるし、斥力にもなります。 それで貴方の考え方を少しひねらせていただきました。 ここから >よって物質に重量があり引力があるのは この宇宙があることの裏づけである。 これが真理ではないでしょうか。 引力があるから星雲が出来ました。 引力がなかったらすべての物質は早々に霧散してすかすかの宇宙になったでしょう。 >重力があったほうがいろいろ起こる可能性があり なんだか楽しげだ。 >ゆえに物質は重力(引力)という愛の意思を持っている。 どうでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 意思がありそれが発展して愛があると思っていたのですが 逆かもしれませんね 意思は頑張ってる感じですが 愛することのほうがが自然で 意思よりエネルギーを必要としない気がします。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
重力だけをお考えのようですが、同様の遠隔作用は、他にも 電磁力、(核の中で作用する)強い相互作用、弱い相互作用 の4つがあり、いずれが欠けても物質は崩壊します。 まぁ、「力が4つあるなら、意思も4つある」と言ってしまえば良い のですが、それが「意思である」という言明に意味はありません。 なぜなら、その『意思』は、自由意志ではなく、方程式に従った 規則的なものに過ぎないのですから。 その「遠隔作用」自体が、何か超越者の差配であるなら別です が、可能性であるが、そのメカニズムもまた合理的です。 そうした遠隔作用の特徴は、「力」とは言いながら、それを媒介 する素粒子を交換することによって生じる、という点が共通です。 重力は重力子、電磁気力が光子、核力が中間子、といった具合に。 なぜキャッチボールすると力が働くのかというと、このボールは、 不確定的な広がりを持っており、実際に投げる交換というより、 その確率的な交換=2つの場所で同一の媒介粒子が安定しよう とする時、その「2つの場所」が近い方が確率が高くなるので、 引き寄せようとする力が働くのです(というより、その「場所」も 不確定的な広がりを持っていて、近い方が確率的に高くなる)。 要するに、1つの媒介粒子がフタマタをかけて、2ヶ所で実体化し ようとする時、「フタマタ」を引き寄せた方が楽だ、という話で。 超弦理論によると、そうした素粒子の多様性は、1種類の量子に 還元されることが明らかとなっていおり、その相互作用による階層 現象性に基づいて多様な素粒子が生じている時、その原理的 共通性(1つのものである可能性が多少ある)が、相互作用を 発生していると言えます。
お礼
ありがとうございます
補足
先にお礼だけ言わせて下さい。 ありがとうございます。 私の感想は下のお礼入力にて 書かせていただきますのでもうしばらくお待ちください。
- ok9608
- ベストアンサー率38% (50/129)
重力は意思だと言われる 意思とは 誰の意思なのでしょうか。おそらく アメリカのIDのような神を想定されていると思います。そのような神の存在を信じるとなると 宗教の始まりとおもいます。ニュートン万有引力宗教のようにおもわれます。 問題は 論理的にその宗教の原点以上の解明できないことになると思うのです。論理的に解明する物理学においては 重力は重力子という量子とする仮説が考えられ 更に 強い力、弱い力、電磁気力などの力の統一理論が考えられ その証明に膨大な金が使用されております。なぜ このような物理学研究がされているのか、そこには 物理的な事を論理的に解明しようという 長期にわたる人間の強い意思があった結果とおもうのです。それを是とするから国家予算がつぎ込まれてきたとおもいます。 宗教を否定するつもりはありませんが、ニュートン万有引力宗教はいただけません。
お礼
ありがとうぎざいます。 そうですか。宗教ですか。しいて言うなら私は仏教徒ですが 宗教感を押し付けようとしているわけではないのです。 しかしながらok9608さんのお考えも解らなくはないのです。 私もかつてある人から根源的なことをマシンガンの如く 説かれ同様な感覚になったことがあります。 でもその人は宗教家でもなく 私が見るに常識的で普通に暮らしています。 多少頑固ではありますが。 で仮に宗教であるとしてそれ以上の解明はすべきではない と言っているわけではないのです。 解明をしていく段階で得られる なんというか ドキドキ感やワクワク感(言葉たらずですみません) をかみしめ それすらも解明してみたくなるくらいで ありたいなと思ったりもするのです。
補足
ご回答くださる皆様へ 重複しますが 私は宗教家じゃないし 神様を信じたり信じていなかったりもしていないですよ^^ ただそのようにとられる可能性もありうる 内容だったかもしれません。 実はこのようなご指摘も予想していなかったわけではなく そのときはそのときで説明すればいいと思ってました。 それと今気付いたのですが 質問の文に訂正がありました。下から9行目。 よって物質に重量があり とありますが 重量ではなく 重力の 誤りです。 失礼しました。
その、心の変化も、奥の深いテツガクですね。 では、またいつか。
お礼
ありがとうございます。 根源的な事を掘り下げて考える ということで得られる心の変化を 楽しむくらいの余裕が あれば楽しいなということです。
発想がすばらしいと思います。楽しげなテツガクを展開してほしいですね。 重力自体が意思だと、思いついたんですね。 私は今まで、意思が重力をつくったのだー!と考えていましたが、 あまり、しっくりしていなかったんです。 そっか。。逆だったのかもって、納得してしまいました。 消滅した物質とその周りに記憶された、形状なども 機会があったら、語ってほしいと思いました。
お礼
ありがとうございます。 宇宙について 知ろうとすると なぜ?を繰り返すことになり、 まいっか・・寝よ。 となったりするものですが このような切り口で考えると、 考えることも無駄では無いと思ったり・・思わなかったり・・ その心の変化が私は楽しいのです。
補足
意思が重力をつくったのだー! も男らしくていいと思うのですが 物質の重力という意思を 利用させてもらってまーす。 さんきゅー( ̄▽ ̄) という考えが楽で私は好きですねw
- sheep67
- ベストアンサー率28% (36/128)
そう思います。 力があることは意味の存在に対応してると思います。 意味という主観と、重力という客観をうまく結んだんじゃないでしょうか? ちょっとなるほどと思いました。 僕は主観と客観を対応させるのが好きなので興味あります。
お礼
お褒めの言葉ありがとうございます。 そうですよね。物理法則の根源を考えると 結局自己の意識はなんなのか? ということを 考えずにはいられなくなったりします。 物質君が楽しいから自分も生きてて楽しいのかと。。
補足
物があって さあどうなるか?と問われたとき くっつく! と言う答えが一番単純で明朗で美しく健全(いいすぎ?) だと思うのです。 なので物質同士が引き合うなんてなんだかとても けなげで愛らしいと思ったりするのです。
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お礼
ありがとうございます。 御回答の 万物の根元は存在した(でなければ今の世界は起きていない) そして、その根元単位には、根元的方向性が付随していた。 それは何か。互いに近づこう、とする方向性、しかないはずです。 つまり。万物の根元=集合力 であった。 のところが私の言わんとしているところを上手に説明してくださっていると思いました。
補足
いろいろな方から回答を頂いた結果hanniyagiさんを ベストアンサーにしたいと思います その他の方もありがとうございました。