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献血やボランティアをなぜしないのか?
偽善者と思われるかもしれませんが、本当に分からないので教えていただけると助かります。 献血を定期的に行ったり、骨髄バンクに登録されている人って意外と少ないと思うのですが、どうしてみなさん行わないのでしょうか? 私にとって、献血も骨髄バンクも大したコストもかからないので、少ないコストで人が助かるのならば提供したいと思っています。もちろん献血マニアだとか、注射が好きだとか、お菓子目当ての食いしん坊だとか、そんなことは全くないです。むしろ注射が大嫌いで、目を一生懸命つぶって献血しています。 多くのみなさんも痛いから行わないと思うのですが、私と献血を行わない人との違いは何なんでしょうか?なぜ私はメリット(人が助かる)という方を、自分の痛みよりも大きく評価しているのでしょうか? 意外に思われるかも知れませんが、私自身は「良いことをしている!」などといった正義感のようなものから、幸せを感じているわけでもなさそうです。 なぜこんなことを考えているかというと、「自分1人が死ぬことで100人助かるならどうする?」という話を友人としていて、死ぬという極端なことまで考えなくても、「自分の犠牲で人が助かることが確かなのに、なぜみんな行動しないのか?」という疑問が浮かんだからです。 やっぱり利他的個人なんてのは、存在しないのでしょうか?しかし私は何故こんなに便益の方を評価しているのでしょうか? 体験談などを含めて、色々な価値観を教えていただきたいです。
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わたしは精神的に疾患があって、一番酷かった時期に病院や知らない人たちにものすごく助けられました。だから、薬の量も減った頃、20才になったのをきっかけに献血に参加しようとしたのですが…薬を服用していることは問題ないように言われましたが、血の量?が少ないことなどを言われ、丁重にお断りされました…。というか貧血を心配されてジュースを、断ったけど半強制的に持たされトボトボ帰った次第です。なんだか無力を知らされたようでした。 友人を二人亡くしていて、祖母が若くで亡くなり、悲しい思いがきっかけとなって、せめてという思いでドナー登録などはしています。両親には反対されたけど、無力な自分が役に立つ証が欲しくて。たくさん説得して分かってもらいました。 昨年、案の定重度の貧血と診断され、治療しても繰り返す可能性を指摘されたので悲しいですが献血はできません。献血カーを見ると切なくなります。ただ、自分を犠牲にして他者が助かる喜びよりも、自分も他者も助かる喜びを探し見つけたいですね。自分が犠牲になることで泣く人がいる優しさは、それは本当の優しさでしょうか? でも、こうやって『したくてもできない、けど違うカタチで人の役に立ちたい』と思って小さな行動を起こしている人は大勢いるのだと思いたいですよ。
- noe03
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献血は年に数回やってますが、400mlしかしていません。 昔は成分献血もしていたのですが、 時間が掛かるのと、血が戻ってくるというのがどうも・・・・。 献血する理由の一番は、 その後数日間は体調が良く、血液の検査結果も無料で貰えるという事ですかね。 体調が良いのは、血を抜くので、その分新しい血が作られるからだと勝手に想像しています。 基本的に検査数値は範囲内で、過去に1度だけ利用されなかった履歴があったようです。 他に献血する理由としては、自分が過去に医療にお世話になったから、 誰かの為に自分の血が足しになればという思いも多少あります。 (事故で手術はしましたが、輸血はしていません。) まぁ、私を良く知っている人には、腹黒い私の血は要らないと言われそうですが(笑) 会社にも献血車が年に2回くらい来るので、 仕事の合間でも献血はOK(勤務時間から差し引かれない)なので、 外出中や寝不足気味でなければ、行っています。 そのためだけに外出して3時間とか時間を使うのは難しいです。 最近では、大型ショッピングセンターでも、 定期的に献血受付しているところもありますね。 骨髄バンクは、さすがに色々痛みも伴うので登録はしないですね。
お礼
ありがとうございます。 私は献血が細く血液を戻すことができないので、成分献血を行ったことがありません。 成分献血は体に負担が少ないといっても、拘束時間が長いですし、予約が必要な場合もあると聞きますので、提供者の方はかなりのコストを払っているんだろうな、という印象はあります。 私も実は死にかけたことがありまして、他の方よりも「誰かに対するお礼&お返し」のような気持ちが強いからなのかもしれません。別に献血することで、私を助けてくれた人に恩返しできるわけではないのですが。
補足
お礼の「献血が細く」は「血管が細く」の間違いです。
- ID10T5
- ベストアンサー率31% (732/2312)
昔はよく献血してました。献血すると血液検査してくれるのでメリットを感じてました。 献血している間は横になれてリラックスできるし。 でも2、3回不愉快な思いをしてから全然しなくなっちゃいました。 一番最初は健康診断の何とかっていう数値が高いという話をしたらNG。 その後ほどなくして別の献血カーで同じ話をしたらOK(????)。何の数値かももう覚えてません。 あとは寒い中献血の行列が出来ていたので、十数分待って献血カーに乗り込み、そこで今朝風邪薬を飲んだという話をしたら、今回はしないほうがいいなーとか。使えない血を提供してもしょうがないのは理解しますが、だったらこういう話って待っている間にしてくれないかなーと思いました。 あとは朝ごはんたまたま食べなかったらNGとか。 ちょっと厳しすぎませんかね。 特に行列作って待っているんだったら、並んでいる最中に適否を判断して欲しいですね。 自分たちは献血カーの中でぬくぬくしているだけで…。 そんな不愉快な思いしてまで献血なんかしたかないやというのが今の心境です。
お礼
ありがとうございます。 別の人の体内に入ることを考慮すると、審査を厳しくなること自体はしょうがないかなと私は思います。 >特に行列作って待っているんだったら、並んでいる最中に適否を判断して欲しいですね。 この点については、色々工夫さえすれば嫌な思いをさせずにすんだのかもしれませんね。 私は献血センターで献血するのですが、逆に何から何までしてくれて(例えば自動販売機の前でボタン押してくれたり、運んでくれたり、ゴミ捨てしてくれたり・・・)、むしろそこまでしてくれなくても良いとさえ思ってしまいました。 場所によるのかもしれませんが、献血カーの待遇の悪さに驚きました!ぜひ気が変わったら献血センターに行ってみてください。印象が変わると思います。
- tururigawa
- ベストアンサー率21% (7/33)
その一回の献血で助かる人が想像できないから、言葉で「血が足りません」と言われてもしないんだと思います。 やらなくても誰からも何にも言われないのに、自分の時間を割いて、針刺されてるんですから。 時間割いて針さされるのと、誰かの足しになるかも、で秤にかけたら前者が勝つ人は多くいるのかもしれませんね。 献血について深く考えていなくて、するきっかけがない人も多くいると思います。 愛する人とまでは言いませんが、家族とかに輸血の血が足りなくて死んだ人とかが周りにいれば多くの人がすると思います。 ちなみに私は強制的に献血する機械がありましたがヘモグロビンという成分が足りなくて献血できませんでした。二回やって二回ともダメだったんでもう一生行かないと思います。(泣)
お礼
ありがとうございます。 条件に合わず献血ができない人は一定数いますね。そういう方はどうしようもないと思います・・・。 回答を読ませていただいていると、「自分が献血することで自分にリターンがあるなら行う」という内容だと理解したのですが、正しいですか? つまり、自分が大切に思っている人の生命に関わるならば、積極的に頑張るけれど、知らない奴のことなど知らないと考える人が大半だと。 私は思いやりって結局のところ想像力かなと思っているのですが、みんなやっぱり一度嫌なことを経験しないと、思いやりなんて持てないものなんでしょうかね。
時間にゆとりがあれば献血をしてもいいですよ。 毎日仕事が忙しく、休日も残った仕事の処理に追われ、やっとのこと捻出して作った自由時間を献血に取られたくないだけです。
お礼
ありがとうございました。 お礼に書くべきだった内容を補足に書いてしまいました。
補足
忙しすぎるというのが原因でしょうか。献血後はパワーが落ちるので、確かに忙し過ぎる人にはキツイかな、と思います。 でも年間に献血できる量は決まっているし、年に1回くらいならしようと思いませんか?(もしかしたら忙しくなかった時期はしてたのでしょうか。)
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お礼
ありがとうございます。 私も死にかけた経験がありますし、また友人も亡くなっているので、お気持ち察します。 No.4の方とNo.5の方の内容を読んでいて、私の持つ「死にかけた経験」と「友人を若くして亡くした」という経験が、私を献血に向かわせていることに気づかされました。 私は骨髄バンクに登録していますが、登録してから数年経っても一向に適合者が現れません。。。多くの必要な人が骨髄を欲していて、私も登録したのに適合しない。。。難しいんだなと思いました。 だからこそ、もしもみなさんに特別嫌な理由がないのならば、登録してもらえたらなとも考えていました。 社会への貢献には色々な形があると思います。もちろんそれは強制されることではないと思います。 私がこちらに質問させていただいたのは、献血しない人々を糾弾するためではなく、どんなことが原因になって足を遠のかせているのかが知りたかったからなのです。