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産業の空洞化対策
輸出企業の円高対策として生産拠点の海外移転が真っ先に挙げられると思います。 しかし、この対策は国内の雇用を縮小・技術伝承機会の消失という産業の空洞化の懸念があげられると思います。 産業の空洞化懸念は30年ほど前から叫ばれていたと思うのですが、何故いまだに解消されないのでしょうか。 日本の産業構造に問題があるといわれていますが、具体的にどのような問題でどのような解決策があげられるのでしょうか。
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世界中の経済政策立案者たちの基本的な立ち位置は自由貿易主義で、比較優位説を受け入れています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%94%E8%BC%83%E5%84%AA%E4%BD%8D 個別の産業の関与者は、個別の産業の空洞化を、国全体の産業の空洞化と言い募っています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%BF%E6%98%93%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%94%B1%E5%8C%96 1960年からずっと、個別の産業では、「これでは○○産業が成立しない」と主張しています。 30年くらい前は、Japan as No1 になったので、産業が成立しないという言い方がおかしい(世界で一番の経済国で産業が成立しないというのは論理的な破綻だ)ということで、空洞化というがキーワードになり、各産業で言うようになりました。 http://sanken.keio.ac.jp/publication/KEO-dp/91/fulltext.pdf 繊維産業では、日本の付加価値力がない川下が海外に、付加価値力のある部分は日本という国際分業にシフトしています。
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- 島崎 信也(@zakky74)
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30年ほど前まで遡る質問者さまの柔らかい観点にあやかりながら、僕も更に遡ってみました。例えば、1000年前でしたらどうでしょうか?この頃には、今在る大半の産業は未だ興っておりません。 ですから、1000年前から30年ほど前を見ました時には、強烈に圧縮された産業であるとイメージ出来るのではないでしょうか?新しく興った産業と、そこに強烈な需要がピッタリ重なっている時には、当然の事ながらそこに産業が圧縮してくる事が理解出来ます。 また、ある程度まで行きますと、超圧縮されている状態は次に分散していく傾向が見られます。それは満員電車をイメージすると理解しやすいかもしれません。 満員電車は、超圧縮状態です。この時に、次の駅に電車が止まった時には、乗客が降りなかったとしましても、外に出たくなったり外の空気を吸いたくなったりするのではないでしょうか?余りに密集している時には、次に散りたくなるものです。 産業や技術の圧縮も似た様なものでございます。 日本は、技術力の高さと言えばそれは相当なものでございました。Made in Japanは、アメリカや西洋を完全に圧倒しながら、アメリカや西洋の製造業を壊滅・撤退にまで追い込み、結果的に金融経済が胎動するキッカケともなったものです。 そうした成功事例があるのが、日本のモノ作り・製造業ですね。 ですが、日本の中での需要市場も次々と満たされ、また金融経済によってモノや商品やお金の循環スピードが更に速くなり、日本を真似しながらアジア諸国が台頭しだしてきますと、モノ作り・製造業は日本の専売特許ではなくなってきます。日本の技術力は、アジア諸国に浸透していき技術力の平均化が起きてきます(人件費の問題や団塊の世代引退後の再就職などによって)。 すると、国内では需要市場は減りますし、技術力には平均化が起きますから当然にして日本の産業だけが依然として居座る事は出来よう筈がございません。 それなのに、日本は未だに日本の中心戦略をモノ作り・製造業に置いています。これこそが、日本の産業構造の問題点ではないでしょうか? 産業の空洞化はおきて然るべきの自然の事です。 「モノ作り・製造業だけで行こうね」とする姿勢が不自然な事です。 モノ作り・製造業だけで行こうとする姿勢を頑なに守り続けている事が、結果的に産業の空洞化を問題視してしまう原因となってしまっているんですね。 まとめます。 日本の産業構造の問題点とは、既に需要市場が30年前とは激変しているにもかかわらず未だにモノ作り・製造業で行こうとする姿勢が問題です。そして、円高や雇用問題に対する最速かつ効果高い取り組みは、新産業の創出に関心を寄せ、新しい経済大陸を見つけ出し、日本国内の需要を活性化させる事です。 その為の解決策とは何でしょうか? 今までの産業にピリオドを打つ事です。モノ作り・製造業は、本当に重要なところだけを残して後は中国やインドに任せれば良いでしょう。日本は次の産業に向かいます。 今までの産業とは、モノを変化・運動・移動させる科学技術でございました。それによってモノ作り・製造業だったのですが、今日本と世界が同時に必要としている需要とは、モノの観方を変化・運動・移動させる認識技術でございましょう。 その認識技術とは、科学技術を生み出した学術に対して観術とも言っています。 観術については参考URLをご参照下さい(Storyとなっております)。 観術は、今まで中々本格的に手をつける事が出来なかった人づくりが可能となります。モノが溢れても人間の心は幸せになりませんでした。お金が溢れても人間の心は幸せになっていません。今は、心が傷つき、夢や理想が破壊されています。 これを立て直すのは、モノを変化・運動・移動させる科学技術や学術では無理です。心を元気にしながら、需要市場を益々育てながら、夢や理想を建て直していく事は、モノの観方、観点を変化・運動・移動する認識技術、観術でなければ不可能です。 日本のこれからの産業は、新しい認識産業を胎動させていき、そこに経済活性と新成長エンジンを見込んでいく事でしょう。モノ作り・製造業を中国やインドに任せて、日本は次なる産業に挑戦する事。それによって、新しい産業の圧縮状態をつくり、円高を活かしながら(内需を活性させるので円高は有利に働きます)、雇用問題まで解決しながら、アジア諸国の技術力向上にまで日本が貢献する。 それが、日本の産業空洞化懸念、そして円高・雇用問題を同時に解決する道です。