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性同一性障害って、障害ですか?
性同一性障害って、障害ですか? この言葉は、もはや珍しくなくなりました。 あえて言えば、「本人の自認する性が身体上の性と一致しない状態」ということだそうです。 最近はカミングアウトする人も増えて、タレントあり議員さんあり、もちろんその世界で活躍する人ありで、そういう状態を「売り」にするような感じもあります。 さてそこで、性同一性障害って、障害ですか? 精神医学的な定義では障害ということですが、皆さんの感覚としてもやっぱり「障害」だと思いますか? 普通の人と違う身体的特徴を持った人は、おしなべて「障害」と言えますか?
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質問に対する回答になるかわかりませんが。 この場合の「障害」は「Gender Identity Disorder」の「Disorder」を「障害」と訳したもので、「パニック障害」などの病名(日本の呼び名)にある「障害」と同じ扱いなんですね。だから、一般的と言うか広義での「障害」とは違ってくるのに、日本ってどうして病名を変な呼び方にするのかなとまず思ってしまいます。 フランスでは「性同一性障害」にあたる言葉は「Troubles de l'identite sexuelle」(アクサンは省きます)で、日本で言われるような「障害」に相当する語は一語もありません。「Troubles」がそれに当たりますが、内面的な不安や動揺や混乱のようなことを指しますから。「障害」と「不安」や「動揺」では全く違う位置付けになりますからね。 英語の「 Disorder」にしても、「不安」や「混乱」、不安を伴う「無秩序」と「病」の意味合いが強く、ちゃんと医学用語としての「Disorder ディスオーダー」が独立して成立しいて、「障り」や「害悪」という意味合いの多い「障害」とはニュアンスが違ってくるんです。 日本では「障害」という曖昧で広範囲な語を用いていますが、これが理解をややこしくさせているように思えてなりません。 ただ、日本という国では当人に取っては生きていくうえでの大きな障害であることは否めない気もしますが。 現在イギリス在住のカナダ系フランス人の友人が、性的アイデンティティに多少の混雑(あえてこう書きますね)があって、そのことで差別的非難やハラスメントを受けたこともあれば、悩んでいたこともあるし、カウンセリングも受けていましたが、なんというか、本人は普通なんです。私も友人として感覚は普通でした。ああ、そういう人か、みたいな。 日本では、多くの人が「健常者」「障害者」(個人的に嫌いな言葉ですが、この後、お国柄を示すために使います)を分つ意識が根底にドーンとあるように思います。多分、日本におけるアイデンティティの問題と思うのですが、だからなのか、時々、というか、結構な割合で障害者に気を遣いすぎてビクビクしてる健常者や、健常者を意識しすぎて卑屈、あるいは開き直り、喧嘩腰な障害者をみかけます。その姿はどちらの側も不自由で束縛されていて哀れです。 「普通の人と違う身体的特徴を持った人」という言い方が普通に(苦笑)成立し意味が受け取れる自体、変な気がしますし、いちいち「障害」を「個性」に変換して思考しなきゃならない頭の中も全く不自由に思います。 私は「障害」という語を人の身体に当てて考えにくいので、こういう関連の質問や回答を見かけると不思議でしかたありません。 単に「性のアイデンティティが不調な性質の人」「不安やパニックに陥りやすい人」「片腕の無い人」「目が視えない人」「耳が聴こえない人」「体が強い人」「体が弱い人」という感覚が近い感じです。 日頃思っていることも混じったので、なんだかとりとめなく長文になってすみません。
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- kita33dr
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本人の自認する性が、身体上の性と一致しないとして、 その本人の自認がどれほど強いのか。 程度によりますが、 一致しない状態がひどければ、障害だと思います。 肉体でも障害と認定されるのは、ある程度のダメージ以上です。 それ以下のダメージでは障害認定されません。 視力なら一番軽い6級で、 「一眼の視力が0.02以下、他眼の視力が0.6以下のもので、両眼の視力の和が0.2を超えるもの 」 つまりこれより軽いものは障害とはみなされません。 精神の場合、明確に数字で線引きできないのが難しいところですが、 やはり程度が強ければそれは障害になると思います。 肉体は男だけど、自分は女だと思っているとして、 男の身体に何となく違和感がある程度なのか、 存在自体ありえない、消してしまいたいと思うくらい違和感が強いのか。 後者であれば、それはもう重度の障害なのではないかと。 前者を障害でないとみなすか、軽い障害であるとみなすかは判断が難しいです。 性同一性障害であるかないかの線引きは難しいですが、 性同一性障害が障害かどうかと聞かれたら、程度による障害は障害であるという回答します。
お礼
>男の身体に何となく違和感がある程度なのか、存在自体ありえない、消してしまいたいと思うくらい違和感が強いのか 本人の深刻度合いという感じですね。 性同一性障害というものがいつの時代からあるのか全く分かりませんが、今では手術などで違和感はある程度払拭できるようになりました。 身体的な違和感はなくなったとしても、心的な違和感があるうちは障害が残るという感じでしょうか。 心は男性、心は女性に伴って身体も変えたとしても、どこかでわだかまりがあるうちは障害ということなのかも知れませんね。 回答を頂き、ありがとうございました。
詳しいことは何も知りませんが、性同一性障害は障害ではないという考え方は性同一性障害の人にとってはやさしくない考え方なんだろうなと思いますね。 だって、障害ではないとすると、個性とか、性癖の問題ということになるんでしょうけど、そうなると、治療?(カウンセリング?)とかに保険が適用されないだろうし、病気で無いんだから、周りの手助けも少なくなりそうじゃないですか。 結局、性同一性障害が障害という考え方は、性同一性障害というものを社会的に受け入れて手助けしていく(保険とか含む)ということを人々に納得させるための理論構成という側面があるんじゃないかと思いますね。 そういったことも考慮して、障害であると思うに一票。
お礼
>性同一性障害が障害という考え方は、性同一性障害というものを社会的に受け入れて手助けしていく(保険とか含む)ということを人々に納得させるための理論構成という側面 ああ、なるほど、ひとつは従前の障害者の方に対する公的ケアから洩れ落ちることを危惧した考えに基づくということですか。 周りの意識もそれについていけばいいのですが、なかなか難しい側面もあるかも知れませんね。 回答を頂き、ありがとうございました。
- cucumber-y
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>普通の人と違う身体的特徴を持った人は、おしなべて「障害」と言えますか? 生きていく上で差し障りがあるという意味で障害だと思います。 性同一性障害であるという事実を一人で抱え込んで悩み続けるのが楽な生活で無いことは容易に想像できます。 明るく、いい意味で開き直りカミングアウトしても「売りにしている」と不本意な評を下され、辛い思いをされる方もいるでしょう。 人が群れを作り社会生活を築く動物である限り、「少数派」は常に好奇と差別の目に晒されてきた事例はは歴史を振り返れば枚挙に暇がありません。 身体的な障害であれば「移動」、「食事」、「意思疎通」等々、分かり易い部分が取り上げられがちですが実は精神的な障害と同様に生きていく上で本当に「害」となっているのは、圧倒的多数の『善良な健常者達の意識』です。 身体的障害を持っているから、機能重視の衣服、靴で身を固めれば健常者達から「障害者は地味、暗い、ダサい」と蔑まれ、流行の明るい感じのファッションに走れば、ちょっと外に出て買い物をしているだけで「チャラチャラした格好の元気な馬鹿が障害者用施設を利用してケシカラン」と健常者達から非難されてしまう。 このような『正しい』健常者達が少しの知識と想像力を持ち、「他人が得をしていたら自分が損をしている」といった歪んだ僻み思考を捨ててくれれば、生きていく上での差し障りは激減するのですが健常者達に人格を望むのは無理でしょうね。 『多数派は常に正しい』が健常者達の思考の根底に刷り込まれているので。 そんな社会の現状では精神的であろうと身体的であろうと『人と違う』は多くの場合、『障害』であると考えます。 例外として「100mを9秒台で走れる筋構造」や「一枚アバラ」、「美少女隊に入れるくらいの脚線美」等は『人と(大きく)違う』でも障害ではありません。 それらは多くの善良な健常者達が憧れるモノですから。
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 先ほどの方が多いに誤解されていたのですが、おっしゃっている「生きていく上で差し障りがあるという意味で障害」は、本人が自覚する部分と、周りの受け止め方に大きく影響すると思います。 差し障りということでは、いくら本人が頑張っても周りの環境がシャットアウトしてしまえば、本人的には障害を乗り越えようと(障害と感じないように頑張ろうと)思っていても、別の壁があって結果的に差し障りがでてくると思います。 いわゆる健常者の壁をどうするかですが、頑張っている姿を曲解してしまうと、今度は差別的な見方にも結びついてしまいます。 性同一性障害の話に戻りますが、質問の意図としては障害と言えるのか?これは医学的な解釈ではなく皆さんの感覚としてどうなのか?という投げかけでした。 周りが奇異の目で見ているうちは障害なのか、本人がカミングアウトしない限りは障害なのか・・そのあたりの解釈を聞きたい感じでした。 ありがとうございました。
性同一性障害 本人にとってはかなりの苦痛で障害になっているのではないでしょうか だから医療用語にもなっているのでは? 中にはそれを売り物にして生活費を得ている人も居ますが その勇気有る開き直る気持ちは正常な人には判らないと思います。 普通の人と違う身体的特徴を持った人は、おしなべて「障害」と言えますか? 言える人も言えない人もその人の気持ちで変わるのではないでしょうか。正常に生まれた人が口に出すほうが変ですよ(偏見視です) ※質問文全てが障害だと思いますよ※ 質問からして常に他人を偏見の目でしか見れない悲しい心の持ち主と思われますがいかがでしょうか。
お礼
人が生まれ持ったものはどうにもならない、それは仕方がないものだと思います。 それに対して本人がどう対峙して、どう前向きに捉えて生活していくかは、いわゆる健常者と呼ばれる人はいろいろな形で見守っていく、サポートしていくのは当然かと思います。 障害にもいろいろな内容や程度があります。 障害という時に、それは本人が自覚している部分と、周りが見る目、周りの感じ方で大分違うものと思います。 昨今は、タレントの影響もあって性同一性障害の方がクローズアップされてますが、医学的な解釈はともかく、障害という言い方はおかしいのでは、という疑問もあります。 要するに、身体のどこかに物理的な障害を負っている方は、本人の自覚以上に周りの感じ方はビビッドです。 ですが、性同一性障害の場合は本人の自覚の方が大きいのではないか、それを乗り越えれば特段障害と呼ばなくてもいいのではないか、という疑問からの発想です。 ですから、回答者さまが言う、質問文が障害だとか偏見だとかの解釈は見当違いです。 そういう観点での質問ではありません。 回答者さまの感覚で誤解を招いたのであれば、お詫びします。
お礼
おっしゃるように、「障害」でひとくくりにしていますがその実は多様的であるにも関わらず、その上辺のイメージに引きずられていることが疑問に感じるところでもあります。 >普通の人と違う身体的特徴を持った人 こういう言い方は語弊があったかもしれませんが、背景として障害を受け止める時に、社会のある種の目を見越してできるだけ隠すべきなのか、分からないように溶け込むように隠すべきなのか、それとも堂々とカミングアウトして隠さずにいることがいいのか・・ どうするにせよ、本人の意図とは関係なく周りの受け止め方次第でイメージが決まってしまうところに根本的な原因があると思います。 あえて「普通の人と違う」と言ったのは、そういう感覚・先入観で見ることの是非も聞いてみたい気がしました。 そうなると、一体障害って何?ということにも結びつきます。 先ほど「個性」とおっしゃいましたが、人に乱暴を働く粗暴な性格は(それであっても)あくまでも個性であって、普通には障害とは言いません。 ですが、精神的に障害を負っていておとなしい人は(それであっても)障害と呼ばれます。 やっぱり受け止める側の感覚次第で決まってしまう、あいまいなものかという気がします。 回答を頂き、ありがとうございました。