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人間の魂(本質)が神の分霊であるならば、始めから完璧な存在であるはずな
人間の魂(本質)が神の分霊であるならば、始めから完璧な存在であるはずなのに、 なぜ魂(本質)を鍛えるため、磨くため、進歩向上させるために、3次元宇宙(この世)に生まれてこなければならないのでしょうか。
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こんにちは。 理由は ふたつ思い浮かびます。 《神の分霊》ないし《神の霊の分有》の意味するところが――けっきょく次の二つ目の事柄とつながって――理由のひとつです。もうひとつは 人間の《魂(本質)》と呼んでおられるそのおそらく人間の自然本性というもの これは その中軸としては自由意志なのですが その自由も 相対的な能力ですから あやまち得る行為主体であるからというものです。 《分有》ということは けっきょく人間は神の聖霊のことが分かっていないという意味です。こころに窓があって そこが心の明けとして・また心の伸びとして 神のこころと あたかもつながっていて 時として霊感を受けるということなのかもしれないのですが つまるところ 表象しうるかたちではっきりと分かったという状態には成り得ない。これが 人間の存在にとっての条件であるようです。 ★ 人間の魂(本質)が神の分霊であるならば、始めから完璧な存在であるはず ☆ この《始めから完璧な存在であるはず》は ひとつに潜在性としてそうであるということ。もうひとつにおのれが自由意志によって神の聖霊に一致して生きるときにという条件がついているということです。 要するに 聖霊を分有すると言っても その神の奴隷であるのではありませんから 自由意志が与えられています。神のこころに従うことも自由 さからうのも自由というのが 人間の条件です。 経験的で朽ちるべき存在で 能力に限りのある相対的な知性において生きる存在です。かんたんに言えば誰もが へそを曲げることがあるというものです。よからぬことを企むことさえすることがあります。 潜在性として《初めから完璧な存在である》ということは これの顕在化がおこなわれていくということになります。しかもそのとき 人によっては 天の邪鬼もいますから わざとその完璧さをこわしながら生きる場合もあるというところでしょう。 余分な話ですが。 潜在的な分霊として生きるちからを途中で全部使い果たしてしまったという輩もいることでしょう。 ひとに寄生して しかもその人間の悪口ばかり言いながら甘えようとする人間もいます。これは すでに死んでいます。分霊を使い果たし自殺行為を敢行した模様です。
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日本語の読解能力は、 理解の際 非常に大事です。 魂 と分霊という言葉をよく観察しましょう・・・ 「分霊」が完璧なわけがないwww 分霊は、分けられた霊であり、不完全な霊です。 Privationという言葉をご検索ください。 日本語を読み取ることの出来ない人間が、 霊辞を読み取ることは、とうてい出来ないでしょう。 わしの言葉こそ完璧 というまえに 自分が学ぶべきであるというこころが大事です。 学ぶことをやめた人 生きている人を死んだ人であるとのべ 屁理屈をこねる態度が問題です。