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 東京の地下鉄路線のネーミングに方針はあるのでしょうか。 

 東京の地下鉄路線のネーミングに方針はあるのでしょうか。   東京メトロ「千代田線」と「丸の内線」。どちらも併走している区間があり、千代田(区)と丸の内という親和性のある名前です。Wikipediaで調べても今ひとつ明快な説明になっていません。「半蔵門線」も大手町-半蔵門-渋谷を通過しますが、なぜ「半蔵門」という名前がついたのでしょう。  一方、「東西線」「南北線」というべたなネーミングもあり、方針が混在しているように思えます。  ちなみに、都営地下鉄の「大江戸線」は石原知事の鶴の一声で決定されたと聞いています。 

みんなの回答

回答No.5

私の記憶では半蔵門線は一般から公募した結果一番票数が多かったからだったと思います。さらに社内でも駅の中で他線と乗換がないのは半蔵門だけ、細かい地域から名称を考案しようという意向が当時あったようです。

mgh01127
質問者

お礼

 ご指摘があった、「細かい地域から名称を考案しようという意向」については他の方の回答に記載させていただいております「千代田線(二重橋駅)」にもそのようなこだわりがあると思われます。  関東地方JRを例にとると、総武線:上総・下総~武蔵や、常磐線:常陸~磐城、といった大局的なネーミングとは逆をいくセンスですね。ご回答ありがとうございました。 

  • EF8195
  • ベストアンサー率44% (100/223)
回答No.4

都営地下鉄は、路線名を後から命名した場合が多いんです。1号線(現「浅草線」)・6号線(現「三田線」)は、開業後も暫くは「都営1号線」「都営6号線」のままでした。そして路線名を付けたのは、10号線を開業(1978年12月)に先立ち「新宿線」と命名した頃とほぼ同じです。 なお、この時の新宿線は部分開業(岩本町・東大島間)であり、(半蔵門線と同様に)最初の時点では路線名の由来となった駅(新宿)へはまだ到達していません(新宿まで開通するのは1980年3月)。これは、都心部の工事が難航したのと、車両基地(江東区大島)の確保が先決だったからです。 大江戸線にしても、放射状の区間で部分開業した時点では「都営12号線」のままでした。大江戸線を名乗ったのは、環状部分のうち新宿・国立競技場間を先に開業させた時点(2000年4月)です。 都営地下鉄の場合も、明確な基準こそ無いんでしょうが、 ●営団地下鉄(当時)を含め、他の路線と区別できるようにする ●どこを走る路線か覚え易い方がいい ●沿線の有名な地名・地域名で差し支えなければ、それを最優先 という発想はあったと思います。 「本郷も かねやす(注)までは 江戸のうち」 という江戸時代の川柳があるように、12号線の環状部分は概ね「(町奉行が管轄した)江戸」の外周部に当たります。今から思うと、「大江戸線」以上に適当な路線名はあり得ないんじゃないでしょうか? (注)かねやす:文京区本郷3丁目で現在も営業する小間物屋。

mgh01127
質問者

お礼

本来、お礼に書くべき文章を補足に記載しました。申し訳ありません。大変参考になるご回答、ありがとうございました。

mgh01127
質問者

補足

 葛西駅の地下鉄博物館で開催されている、『東京周辺における地下鉄ネットワーク変遷展』~相互直通運転の歴史~ に行ってきました。  営団地下鉄の場合も、1945年1号線から5号線として計画されて、路線名が後からつけられているようですね。面白かったのは、皇居を中心として東京湾から時計回りに番号が振られていったということ。銀座線の正式名称(鉄道要覧)は3号銀座線とのことですが、この事実を知っていると非常に納得出来ます。  ちなみに、東京メトロの路線図の右下にある路線名説明は銀座線から始まり、千代田線を経て、副都心線で終わります。これは、計画された3番線の銀座線から昇順に記載されていることに初めて気がつきました。ちなみに都営地下鉄の浅草線から大江戸線の記載も開通順になっていますね。  

回答No.3

こんばんは。 他社では有りますが首都圏の鉄道会社で電車運転士をしております。 実は時代の変化と、会社での会議の流れによってネーミングの方針は変化しています。 ○○線とつける様になったのは、丸の内線が開業してから。 それ以前(銀座線だけの時代)は、単に「地下鉄」と呼んでいました。 エリアや、覚えやすさが第一になります。 会議で幾つもの候補を挙げ、その中で決定しています。 適当な名称が無い場合は、東西や南北といった方角で(東西線・南北線)で付けたのですが、千代田線や有楽町線が出来た時期ぐらいで、 ●似たような名称。 ●沿線を指し示す範囲が広すぎる。 ・・・という意見が確かに出たようです。(鉄道ピクトリアルの特集より) 質問者様が感じたことと同じ意見が、 営団地下鉄内部でも上がっていたようです。 半蔵門線では、最初に渋谷~蛎殻町(水天宮前)を一気に開業させる計画だったのですが、永田町や半蔵門付近での用地確保が失敗し、建設が進んでいた渋谷~青山一丁目で先ずは開業させました。 本音では、一気に蛎殻町まで開業させるつもりだったようです。 その命名過程で渋谷~蛎殻町(水天宮前)の間で、他の路線と被らない地名として出てきたのが「半蔵門」。 その為、最初の開業区間に半蔵門駅が無いにもかかわらず、「半蔵門線」と命名されたのです。

mgh01127
質問者

お礼

 本来、お礼に書くべき文章を補足に記載しました。申し訳ありません。繰り返しになりますがご回答ありがとうございました。

mgh01127
質問者

補足

 先輩格に当たる丸の内線の後から出来た6号線を当時の営団社員の公募で「千代田線」とするネーミングセンスはいまいちの気がしましたが、千代田線はよく見ると「二重橋(皇居を連想=江戸城=千代田)」を通る唯一の線ですね。  このあたり、ご回答いただいた「他の路線と被らない地名」ということがキーワードですね。ご回答ありがとうございました。

回答No.2

千代田線の場合は、『千代田のお城(江戸城/現在の皇居)』が ネーミングの元ですけどね・・・。今はよほどの江戸っ子でないと 『千代田のお城』という言い方はしないと思いますけど。 半蔵門線は開業当初の起点が半蔵門だったからです。中途半端だというので 東側にも伸ばして箱崎(水天宮前)や現在の押上(東武線乗り入れ) などに発展していきました。 基本的には、特徴になりそうなものを宛てているといって良いでしょう。 路線計画(工事)中などの会議で決まったものがほとんどです。 メトロ(旧帝都交通営団)の場合は公募をしても最終的にはそれを 『参考に』して内部の会議で決まることが多かったようです。 ある意味、その会議の時の『ノリ』でもありました。 あまり(名称が)長すぎないこと、それなりに雰囲気が伝わることと いう2点以外にはあまり堅苦しい『方針』はなかったというのが 現実ですね。

mgh01127
質問者

お礼

 関西に住んでいたので「千代田」という意味がよく理解出来ませんでした。  「二重橋駅」があることが、千代田線の大きなポイントですね。しかし、よく見ないと見落とすような点に着目したネーミングセンスと思います。  ご回答ありがとうございました。

mgh01127
質問者

補足

半蔵門線の歴史を調べてみると  1972年 渋谷-三越間で着工  1978年 渋谷-青山1丁目で半蔵門線として開業  1979年 青山1丁目-永田町が開通  1982年 永田町-半蔵門が開通  という歴史をたどり、半蔵門が起点でもないのに、なぜか「半蔵門線」というネーミングは  不思議に思います。

  • ucok
  • ベストアンサー率37% (4288/11421)
回答No.1

例えば丸ノ内線ができたのが1954年で、千代田線は1969年。千代田線ができた時点では既に「丸の内」線があったから「千代田」にすることにした、と想定すれば、そうわかりにくいことでもないような。その他も同様。 東京メトロのウェブサイトにアクセスして、東京メトロこども大学なんかも見て、わからなければ東京メトロに問い合わせてみると面白いんじゃないでしょうか。

参考URL:
http://kids.tokyometro.jp/dataContents/index.html

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