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世界とはそこに起こることのすべてである
とはどういう意味か?
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
たぶん 自分が何をするか・何をしたいかで哲学と言えどもその定義がいくぶん変わってくるでしょう。 現実が問題だとする必要があるのではないでしょうか? 現実つまり現実の世界 世界としての現実です。 極端に言えば 自分がしようとしていることとそれにかかわる領域が 世界であると見る場合もあります。ですが その狭い自分の世界も 全体の世界とけっきょくは何らかのかたちでつながっています。そうなります。 と言うことであれば いま《わたし》がいるここが世界であり 《そこに起こることのすべて》が世界であると言おうと思えば言えるはずです。 ですがいづれにしても 《わたし》が何をしようとしているのか これで 世界を――その自分なりに・つまり主観でいいから(ただし その認識をつねに外とのあいだで発受信して 交通していなければなりませんが)――捉えたものが 世界である。こう言っていいのではないでしょうか? どうでしょう? ★ 世界とはそこに起こることのすべてである / とはどういう意味か? ☆ という問いに答えようと思うと 上のようにずらして答えたほうがよいと考えた結果です。認識だけぢゃつまらないというひとつの考え方です。
- mesenfants
- ベストアンサー率31% (43/136)
1 世界とはその場に起こることのすべてである。 2 その場に起こること、すなわち事実とは、諸事態が成立するということである。 3 事実の論理絵とは思考のことである。 4 思考とは有意義な命題のことである。 5 命題は諸要素命題の真理関数である。 6 命題関数の一般形式は次のとおりである。――略―― 7 語りえぬことについては沈黙しなくてはならない。 質問者さまの命題は、名にし負う『論理哲学論考』(ウィトゲンシュタイン)の劈頭の第一命題と考えることもできます。上記は少々古いですが、山元一郎先生の訳を借用してみました。 ここでは「起こる」こととは何かが「世界」の意味を解く鍵です。ウィトゲンシュタインはたしか「論理空間」とも言っていたと思います。 だた「世界の意義は世界の外側になくてはならない」(6・41)という点が大事でしょう。 哲学好きな方でしたら、ハイデガーの世界概念と比べてみるのも興味深いと思います。けっきょくハイデガーが発見したのは「世界」だけだと私は考えています。ハイデガーの「世界」をよくよく理解するには10年はかかるでししょうが、その10年は刺激に満ちた夢のような冒険のような時間になると思います。ただ「浦島太郎」にならないように気をつけてください。それからウィトゲンシュタインの「世界」を理解するのにも10年くらいかかると思います。 具体的な回答でなくてすみません。 何かの参考なればと思い投稿してみました。
- yaki_29_u
- ベストアンサー率25% (63/245)
もともとは世界の定義の仕方にあります。そして、いろんな定義の仕方があります。 人間が認識する定義を度外視し、本質的な物事であらわそうとすると、そのような文面になります。 その場合「その世界」という風に訳すべきです。英語だと、The world is everything happend there.かな。 もともと、日本語の世界の語義と英語でのworldという語義に違いがあるため、混乱をまねていているようです。worldはlocal universeとほぼ同じ意味を持ちます。そこにおこること=local でuniverse=すべてのものごと、という意味を持ってるのです。 哲学というよりは、意味の問題です。
- naoagu
- ベストアンサー率21% (25/116)
自分の中の内部世界(感情・意思・記憶)の中を、外界を流れる時間がもたらす事象が通過せずに、入り込み、積み重なっていくこと では、ないでしょか。。。
自我の感覚。視覚、嗅覚、聴覚、触覚、味覚、想像、創造、コンピュータと言う知識の分身のクエリーが導くニュース、このQ&A、2ちゃん、今から用意するタルタルソースのサンドイッチ、読み止しの聖書、これから読むスターリン秘録、過去、自分の祖先がすごした記憶と、記録の伝承、今、感じ覚えてきた全て、未来、死の未来を越えて実現したい自我、それを不老不死という願望で具現し失敗し続けた専制君主たち、その過去、権力闘争の今、そして皆が己だけに秘める未来。死とともに消える。
- greenspher
- ベストアンサー率27% (8/29)
ようするに この現実世界に起こった事象は 原因に付随した結果でしかないので この世界で起こっている事のすべては 精神的なものも物質的なものも、 原因も結果もすべてひっくるめてると言えるのです。 だからそこに起こることのすべてと言えます。 自分に降りかかる不幸や災い、又は幸福や奇跡 すべて自分の感情や思考が原因で起こっているので 不運も幸運も自分が作り出しているのです。 それは、個人というパラダイムにおけるミクロ的なモノだが マクロ的な世界という大きなパラダイムでさえも 人間全体の集合意識の結果でしかないのだ。 世界で起こっている分裂や闘争、利害思考、愚かな部分もすべて 人間の愚かな集合意識の結果でしかない