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死後の世界についての心配と対策
- 先週23才を迎えた者が死後の世界についての心配を語ります。
- 恐怖や不安の原因は、成仏できないのではないかということです。
- 生きている間に魂の修業をすることが重要だと思っています。
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葬祭業に携わる予定だとの事ですが、でしたらとりあえずは仏教各宗派の勉強をしてみましょう。同時に歴史も垣間見てみましょう。 そうすれば、過去の宗派を起こした名僧たちのこの世への思いや使命感がわかってくると思います。 私は中学洗礼でカトリック信者になり、色々と考えました。そして事実と思われることと教えの差異についても考えました。 確かに地縛霊とか悪霊といわれる物はあると考えますが、私は世間で言われているほど簡単に悪霊になったり地獄に堕ちたりはしないと考えています。 一般的に仏教では輪廻を考えますが、キリスト教では輪廻を考えては居ません。でも世間ではこれらが混同されているようです。 仏教で言う地獄は最下層であって、その上には餓鬼道や畜生道などがあります。その上には修羅道があり、漸く人間道となります。 逆に考えれば、そう簡単に最下層である地獄に堕ちる事などありえないのです。 人は何故懺悔するのでしょう、何故悔いるのでしょう? その悔いるという苦行の基に罪が軽くなるからです。 悔いる苦行があるから、観音行があるのでしょう。地獄からでも救われるのでしょう。 考えてみてください。 畜生道を生きる犬や猫、牛馬が辛いと考えますか? 彼らも人の為になる事によって一歩一歩天道界へ近づくのです。 むしろ思考力という邪心が無いだけ、彼らの目には近づいてくる天道界が見えているのかもしれません。 私達も普通に生きていれば、そして犯した罪から目をそむけずにいれば、普通に天道界に入れるのです。 地縛霊にしても悪霊にしてもかなり強い無念が無ければ、なれるものではありません。通常はきちんとお迎えがやって来て諭してくれますから大丈夫です。 一般に、人の嫌がる仕事は陰徳が高いと言います。 この世を全うした人や思いを遺した人を送り出す、僧侶や葬儀に携わる人は、無事の旅たちだけを思って尽くすことで陰徳が積めるのです。 そういう人が何で地獄や地縛霊になることを心配する必要がるのでしょう。 若いうちは、死に対して恐怖するのはいいことです。 死を恐怖しなければ用心が出来ません。若いうちは未来があり、やるべき事が多いからしを恐怖し、慎重さを養うのです。貴方の不安は自然な事なのです。 高齢になり死が間近になれば、自然に死に対する恐怖がなくなります。恐怖無く受容する事が出来るようになるのです。 だから心配する必要などありません。 心置きなく悲しめる事、遺族にとってこれほどの幸せはありません。 私の菩提寺の前住職はとても厳しい人でした。父の葬儀では葬儀屋が「あの住職だけはどうも上手くいかないので」と私達で打ち合わせをして、葬儀屋に指示するという妙な事になってしまいました。 組合で10年厚生部委員をやっていた関係で、組合員の葬儀には遺族と葬儀社の間に入って色々と補佐していましたから、そんな気安さもあったのかもしれません。 でも、結局私は父の葬儀で悲しむ事が出来ませんでした。 それは8年経つ今でも妙な気持ちです。 どうか、故人や遺族の為にも、きちんと送って差し上げられるように頑張ってください。
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- chupaku
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事故で死んだことに気がつかないと、浮遊してしまいますね。 気が付いてもやり残した事が多いと上がりたくないから、そのまま残ってしまったり。 だいたい自分の葬式の場面で自分が死んだのはわかるはずです。 わからないと「シックスセンス」や「アザーズothers」みたいになりますね。 自殺は無念の思いですると、成仏できません。 でも自分が悪いやり直したいと思えば成仏できます。 当然ペナルティはありますけど。 地獄界にはよっぽどの事をしないと、行かないと思いますけど。 もし、地獄があると言う考えなのなら、行かない様に日々の生活を努力しましょう。「蜘蛛の糸」状態です。 生きている時に何が必要かがわかれば生きる意味や生まれてくる意味も わかります。 それを自分自身でさがすのも生きる意味にあるはずです。 人はそれぞれ生まれる前に自分の今世のテーマや寿命を決めてきます。 毎回同じではないはずです。生まれ変わる度に変わりますし、難度も高くなるはずです。でも根本にあるのは同じかもしれません。 人は一人では生きていけない。だから、どうするべきか。 人にもまれて、悩み考えて、生きぬかないといけない。 自殺は修行の放棄ですから、一番いけないんです。また1からやり直しです。 誰かにどんな形にせよ死を弔ってもらわないと、浮遊してしまう事が多いです。 なので、簡単に言うと、葬式をした場合、いかに自分の死をみんなに悲しんでもらえるか、です。 「もっと一緒に話をしたかった。」などと思ってくれる人が多いほどすんなりと上がれる。と言う事です。 そのためには、「人にそう思ってもらえるような生活を日々送るようにする。」と言うのが結論です。 自分は人に生かされている。などなどもっといろいろと書くべきことはあるのでしょうが、長くなるので、、、、、 人生勉強して自分の回答を見つけましょう。
死んだらどうなるか分かりませんが、生きているうちにするべきとこは、 自分が実現したいと思うことを目標として、可能な限りの努力を行うこと。 誰が見ても文句を言われない程度に悪いことをせず、いいことをすること。 自分の心に言い訳せず、後悔の無い選択をすること。 家族や知り合いは大事にすること。 やりたいことが残ったとしても、精一杯やったと思えるように行動すること。 まあ、これくらいだと思います。
お礼
仏教や宗派の勉強は大切ですね! ありがたいコメントを下さりありがとうごさいます。 でももし、交通事故に遭ってしまったら、中々自分の死に気付かずに、幽現界をさ迷ってしまいますよね?それが怖いんです