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気持ちや感情を理解する方法とは?
- 傾聴とは、相手の気持ちや感情を理解するための技法です。
- 傾聴には自分の過去の感情や似た感情を引き出してしまうという課題があります。
- 気持ちや感情を理解するためには、心の部分を鍛えることや意識の向け方が重要です。
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こんにちは。 「傾聴」といいますのは、相手の気持ちや感情を理解するのではなく、これを引き出すのがその目的です。ですから、それが全て聞き出せるまで、聞き手は自分の判断や結論を出してはいけないと思います。 傾聴といいますのは、ただひたすら相手の話を聞き続けるというのがその基本的な姿勢です。これは、聞き手が自分の意見や感情を述べることによって相手の考えに影響を及ぼしてしまうからです。ですから、相手の本心を聞き出すためにはこちらの意見を言ってはならないわけですよね。 相手はこちらが意見を述べるならばそれに対して感情が動き、ついそれを取り繕うような発言をしてしまいます。では、これは聞き手にとっても全く同じことであり、聞き手も相手の話を聞いているうちに自分の考えが働き、それを纏めようとします。ですが、相手の心理を読み取るというのは必要なことですが、聞き手はそれに対して自分の考えを持ってはいけないと思います。ましてや、頭の中に相手と違う意見を持ってしまったならば、下手をすれば反論したくなってしまいます。これでは傾聴になりません。 >(これは同情にあたるとして、傾聴ができていないです。) 私は実際に勉強したわけはないのですが、果たして、テキストにはそう書いてありましたでしょうか? 傾聴といいますのは相手の意見を全て肯定するのが基本です。相手と同じ感情を持たずに相手の気持ちを肯定することができるでしょうか。ある程度の冷静さは必要なのかも知れませんが、相手と同じ目線に立つというのはむしろ重要なことではないかと思います。 では、「同情」といいますのは相手に情けを掛けることです。肯定していることに間違いはありませんが、これは即ち、聞き手が自分の立場に立ち、自分の考えを持ってしまったということです。決して言葉の彩ではないのですが、この辺りを区別して考えておけば良いのではないでしょうか。 傾聴といいますのは目的を持った作業です。では、どうやったらその状態を保ち続けられるかということですよね。 まず、 「自分の考えを持たない」 「相手の意見を肯定する」 「相手の話に興味を持つ」 究極のテクニックとしましては、 「自分は相手から教えてもらっている」 といった意識操作も考えられます。 臨床心理士が患者の話を聞けるのは、病気の原因が何であるかに集中できるからです。傾聴ボランティアがお年寄りを励ましてあげられるのは、若いひとが自分の話に興味を持ってくれるからです。 取り敢えず、「話し手が主役、聞き手は脇役」というのがポイントではないでしょうか。口で言うのは簡単ですが、「傾聴の目的」というものを頭に入れて整理してみて下さい。傾聴とは、相手を理解することではなく、考えを聞き出すのがその目的です。結論を出すのは、それが分ってからで良いと思います。 傾聴というのは今社会が必要とする技術ですよね。ぜひ頑張って習得して下さい。
その他の回答 (1)
傾聴について学んだことはありませんが、これまでに自分が人に傾聴して貰う立場を望んだことがありますので、その時の気持ちを思い起こしながら、回答を進めたいと思います。 また、No.1さんと被っている部分もありますが、少しでも参考になればと思い、敢えて投稿させていただきました。 私自身は傾聴が上手く出来ない人間なので、そのようなことを人に望むこと自体身勝手なのですが、そういう心理状態になってしまうのは、大概が酷く落ち込んでいたり、ショックなとき、考えが上手く纏まらないときです。 だからといって、必ずしも人に答えを出して貰いたいのではなく、そういう状況が現実にあること、そういった状況に翻弄される人間もいるということを知って欲しい、ただそれだけであったりすることが多いのです。 叱咤激励が欲しいのでも、意見を求めているのでもないのですね。 結局は、自分で乗り越えなければいけないと感じているからこその落ち込みなので、エールが欲しいのとも、また違うのです。 心療内科方面も二回だけですが、行ったことがあります。 カウンセリングも受けましたが、確かに医師と臨床心理士が私にしていたことは傾聴でした。 話の途中で相づちを打ったり、話を掘り下げるようなこともしていましたが、決して否定的な発言や無理強いはしませんでした。 話を掘り下げると言っても、必要最低限といった感じでしたね。 医師達がしたことは、こちらの状況をより正確に理解するために、必要なときだけ話をする、また、こちらが疑問に思ったことには穏やかに答える、その様な感じでした。 事務的に話すでもなく、情感たっぷりに話すでもなく、同じ目線で静かに語る、その様な感じです。 また、何かを意識的に探ろうとするような素振りは見せませんでした。 仕事上、意識下には、その様な思惑はあったのかもしれませんが、表情はずっと穏やかで、ともかく雑念なく耳を澄まし、先入観なく、こちらの言葉を聞き漏らさないように…終始その様な態度に見えました。 身内だと、どうしても先入観がありますから、こちらの話も相手は過去のデータから取り出すようにして予想し、先回りをするようにして、話を聴かずに言葉を摘み取ってしまうようなところがあります。 私自身も、身内にその様にしてしまうことがあります。 その様になってしまうと、会話が途切れたり、あらぬ方向に流れていってしまうことがあります。 傾聴するということは、自分を押し出すことではなく、相手の中から湧き上がってくる言葉を酌み取るようにすることだと思うのです。 言葉の泉のほとりにいて、その水を汲む人、それが傾聴者と言うことになるのでしょう。 その水には自分の水を混ぜて質を変えてしまったり、涸らしてしまってはいけないのですよね。 勢いよく湧き出させようとして急かしたり、先が見えたと堰き止めてはいけないんですよね。 ここで、回答をしていると、 「ああ、この人は傾聴をして欲しかったのだな」と、思うこともしばしばあります。 そして、私はそういう人に対して、 「自分の意見を押しつけてしまったな…」と、後悔することもあります。 話を一通り聴く、言葉を待つということは、確かに大切なことだと思います。 解った気になってしまうと、相手の言葉を遮ってしまうものです。 また、感情移入しすぎると共感を通り越して、取り込み(同一化)になってしまうので、結局は目線を合わせているのではなく、自分目線、自分語りになってしまいます。 おそらく、質問者さんが悩まれたことは、人を思いやるときにそれが共感を通り越して同調、ひいては同情になってしまってはいないかと言うことだと思います。 共感とは、人間が、もっとも人間らしくあるために必要な感情だと思いますので、共感出来ることそのものは、傾聴する立場の者には必要不可欠な感情だと思います。 けれど、傾聴する立場にある人が感情移入しすぎると、返って要らぬ傷を広げることにも成りかねないと思うのです。 相手の人には、心の中に入って欲しくない部分もあると思うからです。 そして、傾聴する側にある人も、心の奥底を相手に見せるのは危険な部分もあると思うのです。 その行為が、話を聞いて欲しいと望んでいる人に対して心理的な負担となったり、元々どちらが持っていた感情だったのか、混乱が起きかねないと思うからです。 傾聴するとき半歩下がる気持ちは大切でも、話をする人、その話を聴く人、それぞれが同じ重みを持った人間であること、本質的には上も下もないとの意識、個々を尊重する気持ちが大切だと思うのです。 ですから、傾聴といっても「献身的に聞く」というのでは、何か違うのではないかと思うのです。 自分を保ちながらも共感する気持ちを大切に、話し手を尊重しつつも客観性を失わない、話をしているその人のありのままを大切にしながら、真っ白な心で聞く、それが傾聴ではないかと思います。
お礼
こんにちわ、mist_greenさん。 傾聴をしてほしい側の気持ちは、 mist_greenさんと私も同じ気持ちです。 聞いてほしいと思う時がたくさんありますし、 しかし聞いてもらえずそのままになっている(なかなか聞けないですよね) 未完了である感情をたくさん残しがちですね。 >話を聞いて欲しいと望んでいる人に対して心理的な負担となったり、元々どちらが持っていた感情だったのか、混乱が起きかねないと思う わたしにはよくあるんです。 相手と自分を重ね合わせているのでしょうね。 ここをなんとかしないともちません… ただ、なんとなくどうしたらいいのかと見えたような気がするので 傾聴の定義を頭にいれこんで、意識を合わせていってみます。 ありがとうございました。
お礼
こんにちわ、ruehasさん。 傾聴側の心構えは頭ではわかっているつもりで、 人の話の邪魔をせずに相手の流れにそっていく、 という意識は知っているのです(出来ているかは置いておいて) ruehasさんが言葉にしてくださったので、 あらためて考え直すことが出来ました。 >相手の気持ちや感情を理解するのではなく、これを引き出すのがその目的 >相手を理解することではなく、考えを聞き出すのがその目的 なるほど。 今のわたしにとってすごく大きな言葉を頂けたと思います。 ありがとうございました。