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世界大戦が必要だった理由を教えてください

 学校の歴史の授業で世界大戦の授業を受けても、どうしてその時代に世界大戦が必要だったのかが理解できません。    オーストリアの皇太子が射殺されたのをきっかけに世界大戦が起きた。みたいな感じで授業で習った記憶があるんですが、現代に生きる感覚として、それからどうして世界大戦になっちゃうかね?と思ってしまいます。  結局は、実際の戦争があそこまで地獄絵図になるとは想像できなかったから始めちゃったんでしょうか?    無知な私に教養のある方にわかりやすい解釈の仕方を教えてもらいたいのですが

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  • k16399638
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回答No.8

追記です。 2次大戦は、ナチス・ドイツの経済政策が失敗して始まりました。 ナチスの政策は公共事業と軍拡で失業者をなくす、ですが、これにより個人の所得が増えます。すると、消費財をみな買いはじめるのですが、それらのかなりをドイツは英米からの輸入にたよっていました。コカ・コーラの工場と生産権利を買ったりしています。外貨は流出する一方です。 かといって、軍縮できません。ナチス・ドイツの軍隊は入隊するとき、ヒトラーに個人的忠誠を誓わせる軍隊です。それをヒトラーが解雇したら、実はドイツ史上唯一であるバイエルンを基盤としたナチス政権、倒れてしまいます。ナチスは選挙で、ベルリンのような都市では20パーセント以上の得票ができていません。都市に支持されていない政党だったのです。 ですから、市場と農地(生活空間)を求めてナチスはオーストリア、チェコスロバキアと領土を広げるのですが、結局、東に領土拡大するしかない(フランスがわに攻め込んだら英仏連合軍と戦争になるからいやだ)、となり、ポーランド攻めに至ったのです。で、戦争するはずではなかった英仏に宣戦布告されてしまった。ソ連とはイデオロギーの違いもあるし、東で国境を接しているからやるつもりでしたが、英仏(ということは結局アメリカも)きてしまうとは思っていなかった。ヒトラーは外務大臣のリッベントロップを怒鳴りつけたそうです。 おまけ 戦争になったら、コカ・コーラの工場はどうしたか。当然、コカ・コーラは造れません。なので、ドイツ人はファンタをつくりました。

その他の回答 (7)

  • k16399638
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回答No.7

実はですね…… 当時の欧州列強(英仏独露伊オーストリア・ハンガリー)の間には、ほぼ落ち着いている普仏戦争結果のアルザス・ロレーヌ問題をのぞくと、なんにもトラブルは無かった。これがまず肝心です。ドイツ王室は英国王室と婚姻関係にあり、ドイツはイギリスに投資、ラインラントには各国の観光客がおり、フランスの関心事は首相の妻が殺人事件というスキャンダルを起こしたり、軍部砲兵科でドレフュス事件という度し難い醜聞が起きたことでした。英国はドイツの軍艦造りは苦々しく思っていたものの、オーストリアとの友好関係はドイツとも最終的に友好的足りうると思っていました。 1914年は2次バルカン戦争がおわり欧州の火薬庫が一段落したので、みな平和が来たと思っていたのです。各国はロシアをのぞいて立憲君主制で議会があり(ロシアにもあった)、どの国も王が狂っているとか、ナショナリズムでおかしくなっているということもない、平和な状態だったのです。 そこでサラエボ事件がおこった。サラエボがどこだか? オーストリア帝国の中です。手を下したのはセルビア軍の影響下にあった秘密結社の人間でした。 一応、みんなビックリし、慌てました。 まず、セルビアが政治集会を禁止、英国は国王ジョージ5世が喪に服し、ロシアのニコライ2世もつづきます。ロンドンのメディアはセルビアを非難し、ドイツ大使はオーストリアに過激な行動を控えるよう忠告、で、当のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフは、大公の受難は血筋のちがうものと結婚した故の天罰くらいに思っていました。 大事件ではあったのですが、欧州全部が戦争になるなんて、だれも思っていなかったのです。 事件は、純然にオーストリア・セルビアの間で解決されるべき問題でした。 ここで誤解してはならないのは、強いオーストリアが小国セルビアをいじめている、という図式です。 セルビアは精強な軍としたたかな外交を行う戦上手の国で、1次2次バルカン戦争の両方で、勝っています。 こことモンテネグロが組むと、山がちな地形、そこに慣れている国軍、よい軍事指導者の組み合わせでオーストリアをして深刻に対応しなくてはならない、相当強力な存在がありました。のちにユーゴスラヴィアがナチスに占領されても、パルチザン活動でドイツを困らせた事実をみても、お分かりいただけるでしょう。 しかし、オーストリアは戦争するならする、外交決着つけるならさっさとする、の両方をできなかったのです。これは恐ろしいことですが、当時ドイツ皇帝、ドイツ外相、ドイツ参謀本部長は旅行中。ドイツはオーストリアを支持する、とだけ言ってしまったので、オーストリアはそれを拡大解釈。しかし、オーストリア内のハンガリー勢力はウィーンの対セルビア強硬姿勢に難色を示すという混沌状態。 さちに、おっかないことにオーストリア陸相と参謀総長は休暇、フランス大統領と首相はロシア訪問、ベオグラード駐在ロシア大使が変死、という、トンデモ状態だったことも、看過してはなりません。 いろいろありすぎるので書きませんが、6月28日にサラエボ事件が起きてからロシアが7月29日に主要軍管区の兵力に「動員」、つまり「軍隊を戦闘状態にして必要配置に着けますよ」という最終手段を講じるまで、一月かかっている。この間、外交努力は行われていたのです。 だれも戦争する気ではなかった。これを日本人は勘違いしがちで、ドイツ悪、オーストリア悪、と断罪する傾向があります。 当時最大の恫喝は「動員」です。戦争は列強同士、強いて言うなら「本家同士」では行わないのが暗黙の了解でした。しかし、兵は動かしたのです。 動員を行うと、すべての鉄道・道路の使用は軍事体制に切り替わり、始めたら最後、配置が完了するまでとまりません。簡単に言うと、核ミサイルのスイッチを押すようなものです。 一次世界大戦は、極論に見えるかもしれませんが、すべてが悪い方向に転がった、恐るべき偶然の結果なのです。オーストリアはセルビアと戦争するだけ、で終わりにしたかったのに、なぜかあちこちで同時に大火事になってしまった。 オーストリアは 「オレたちを放っておいてくれ」 ロシア 「動員しちゃったけど、ドイツ強気だよ。ひかないよ……」 ドイツ 「うわあ…動員してきたよロシア。さっさとシュリーフェンプラン実行しないと。まずリヒテンシュタイン通ってベルギー通過して、パリ……って、現実的にできるのか、おい。それに立案者のシュリーフェンが死んでいるのに……」 フランス 「え、ドイツ、ベルギー攻撃したの?」 イギリス 「えっ、ドイツが戦争? アガディールやモロッコで2回サワギ起こしていたけど、とうとうやったのか……」 軍拡ではなく、外交の失敗、計画の暴走、が開戦の真の原因であり、ドイツが最初にリヒテンシュタインとベルギーを攻撃したのがはじまりです。

回答No.6

簡単に説明しましょう  ユーゴスラビア荘というアパートがありました。このアパートには6家族が住んでいるのですが仲が悪いのです。そんなある日、一階の住人(スロベニア家、クロアチア家、ボスニア・ヘルツェゴビナ家)だけ優遇するオーストリアさんがこのアパートの管理人になりました。  二階に住む大所帯のセルビア家は面白くありません。そんなある日、このアパートを欲しいロシアさんがセルビア家をそそのかしました「オーストリアを追い出しちゃえ」。セルビア家の黒い手君がそれを実行に移したのです。管理人のフェルディナント君を殺したのです。オーストリアさんはカンカンになり、セルビア家を追い出すことにしたのです。だけどオーストリアさんだけでは追い出せそうも無いのでオーストリアはお隣りの親友ドイツさんにお手伝いを頼みました。セルビア家はロシアさんに支援を頼みました。ロシアさんはフランス・イギリスさんにお手伝いを頼みました。 オーストリアさんがセルビア家に突入してみると…  外ではドイツさんとロシア・フランス・イギリスさんがアパートに入ろうとして喧嘩を始めたのです。  イタリアさんは最初は傍観してましたが、オーストリアさんが持っていった南チロルを返してもらいたくなりオーストリアさんに襲いかかりました。  アメリカさんは彼ら全員にお金を貸していました。最初は気にしていなかったのですが、一番お金を貸していたフランスさんとイギリスさんがグロッキーになってきて貸してたお金は回収できそうもない状態になってきたのです。ドイツへの貸付金と英仏への貸付金…ドイツがKOされた方が良いと考えたアメリカさんはフランス・イギリスさんに加担したのです。 長きに亘る喧嘩は ロシアさんが最初にKO。 続いてオーストリア・ドイツさんが風邪(スペイン風邪)をこじらした後にKO。 イギリス・フランス・イタリアはボロボロながら何とか勝ったのです。

  • Yelm
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回答No.5

第一次大戦は当初、どこの国もあのような大戦争になるとは思っていませんでした。 それまでの数年間、バルカン戦争など何度も大国同士の全面戦争になりかねない事態はありましたが、いずれも短期間で停戦の運びとなっていました。 つまり「何年も主要国が血みどろの戦争を行う」危険性が深刻に受け止められていなかったのです。 またもう一つの要因は軍の動員体制です。 当時の軍の動員は国民から大量かつ急速に兵員を召集する都合上、精密なタイムスケジュールに則り大規模な計画に基づいて行われていた事から、一度動員をかけてしまうとそれを止める事は極めて困難で、無理に動員を中止すると軍だけでなく国家の大混乱を招く危険性がありました(ちなみに島国の日本やイギリスの動員はそのような急速かつ大規模なものではありません)。 もちろん戦争の危機が迫っているからこそ動員するわけで、そのような状況において国家の大混乱を招くような真似を行える筈も無く、どこか一国が動員をかけてしまうと否応なく周りの国を巻き込んで戦争への歯車が回ってしまう状況にあったのです。 こういった事情から、第一次大戦はどこの国も予想だにしなかった大戦争になってしまったのです。

noname#200370
質問者

お礼

なるほど じゃあ、素人考えの実際の戦争があそこまで地獄絵図になるとは想像できなかったからというのもあながち間違ってはいないんですね しかし第一次世界大戦があったのにもかかわらず、第二次があったというのは理解しがたいですね 一次大戦を経験した国はそこで味わった劣情を晴らしたいというのもあったのかもしれませんが

  • Willyt
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回答No.4

戦争に必要な戦争なんてあるわけはないのです。戦争を始める権力者が勝手にそう思っているだけのことです。孫子は兵法の書ですが、その冒頭で戦争は割りに合わないから金で解決するならそうしろと説いています。日本の軍人はそれを読んでいた筈なのに突っ走ってしまったのが情けないですよね。

noname#200370
質問者

お礼

孫子もそう悟っているんですか 結局は、最後に残るのは割に合わないものということなんですね 勉強になります

  • questman
  • ベストアンサー率30% (111/365)
回答No.3

世界大戦と一言で言っても、参加国によって目的がバラバラです。 「敵の敵は味方」の理論で、同時多発的に戦端が開かれただけです。 もともと仲が悪かった同士が、ささいな(と言っては失礼か)きっかけで戦闘状態になり、お互いの国と友好関係にあった諸国も二手に分かれて大規模な戦闘になった・・・ということです。 そもそも最初から負けるつもりで参戦する国は無いのですが、戦力もまちまちですので前線によっては膠着状態・泥沼になり消耗も激しくなり、場合によっては負け戦・・・ということになります。 第二次大戦もそうです。日本はソ連を牽制したいために、当時善戦していたドイツと同盟しました。お陰で北方面は安心して(後に裏切られますけど)南方面に戦力を集中させることができました。 別にドイツの政治方針や考え方なんて、どうでもよかったのです。その証拠に日本はユダヤ人を弾圧するどころか保護しています。 過去の2回の世界大戦がそれまでの戦争に比べて悲惨だったのは、科学の進歩とあいまって大量殺戮兵器が次々に開発された点です。それまでは刀や弓矢や、せいぜい鉄砲で済んだ犠牲が、爆弾や毒ガスによって飛躍的に上昇してしまいました。果ては原爆という常人には発想すらできない兵器まで。 また、それまでは遠く市街と離れた戦場で兵士同士が戦闘していただけの戦争を、非武装の国民まで全て殺戮するジェノサイド志向に変化させてしまった点も見逃せません。 しかし1945年以降は、地域的な戦争(朝鮮戦争・ベトナム戦争・イラク戦争・・・)でも全て国民全てが被害を受ける戦争になってしまいました。

noname#200370
質問者

お礼

なるほどねエ 科学技術の進歩は明らかにこれまでのものと違う戦争を起こしてしまいましたよね

noname#110920
noname#110920
回答No.2

学校では、実際に史実として記録された中から、さらに教えられる範囲を限定して教えています。 ですから、陰謀史観のような誇大妄想の発生する余地があります。 だから、現代に生きるあなたの感覚として、納得するには、いささか無理があるとは思います。 例えば、日本におきましても、つい何百年か前には、本名を家族や夫・妻にしか教えずにいました。 ですから、歴史上の女性はほとんど本名がわかりません。それは、人間の魂を本名を媒介にして実体化する形で認識し、大事にしていましたが、質問者さんとしては、どう思いますか? また、明治期に、納税の義務の説明に、庶民の血税を納めるという表記があり、そこから暴動が起こりました。 この原因は、学校では教えてくれませんが、迷信とは全く無関係です。 本当のことは、なかなか簡単には見つからないもんですよ。

noname#200370
質問者

お礼

本名を他人にまったく教えないという時代もあったんですか 今では考えられませんが、それだけ「家」という共同体の価値が重かったんですね 当時の人たちも時代・価値観が違えど同じ人間 なぜ、そういった日常での価値観・風習から、戦争ありきの国際情勢の価値観まで成り立ってしまったのかを理解したいんですが、それには学校で教えている範囲だけでは到底理解できなさそうですね

  • ponman
  • ベストアンサー率18% (213/1126)
回答No.1

必要だから始めた訳ではないし、皇太子云々は、きっかけに過ぎない。

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