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物理数学の恩恵をこうむることはありますか?
小生、物理大好き数学は嫌い人間です。大学入学直後に教わる、てか特訓にも似た勉強をさせられる物理数学についての質問です。 これが威力を発揮して来るのは、てかこの恩恵にあずかることができるのはどれくらい後のことなのでしょうか?「ああ、勉強しておいてよかった」と心から思えるような時は来るのでしょうか? 物理と比べるとどうも“軽い”ような気がしてならないのですが。「便利だなー」と感じる時も確かにあるにはあります。しかし、数学に振り回されるのは嫌です。学びたいのはあくまでも物理です。 やはり数学嫌いだからこんなことを考えるのでしょうか?最先端の物理学においても、一流の物理学者の間でその物理学的意味に関する論争が続いている数学上の問題があるという痛ましい教訓(?)についても少し知っています。 学ばないと先へ進めないという簡単な理由からでしょうか?ならば余計に将来必ずその恩恵をこうむりたいものです。難しい質問かとは思いますが、必ず恩恵を被ることができるという保証のようなものを提示して頂けませんか?数は少なくてもいいですから確信がもてるような具体例を挙げて僕を納得させて頂けませんか? 数学嫌いと申しましたが、自然界の法則や現象が見事に数学的に表現されている場合には、それが理解できた時には、この上ない芸術的感動も覚えはします。どうぞよろしくお願い致します。
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#11です。 物理学の目的は自然界の基本法則を探ることです。そして、その基本法則は全て微分方程式で表される。したがって、基本法則を探るとは、微分方程式を解くという数学的な問題に帰着します。微分方程式を解く、とは積分する、と言うことです。ところが、積分は微分とは違って、ただ機械的に公式を当てはめれば出来ると言うものではない。理論物理学者が頭を痛める圧倒的な部分が、この積分をする行為にあります。そして、たとえ積分に現れてくる数や関数を実数でだけであっても、積分を実数空間の中だけで実行しようとすると、殆ど絶望的です。ところが、それに関して,複素関数論ではコーシーの定理という、滅茶苦茶に素晴らしい定理があるのです。それを駆使して、実関数積分でも、いったん実数空間から複素数空間にはみ出して積分を実行すると言う神業が出来るようになります。物理屋のやる積分はほとんどの場合、この神業を使って実行するのです。 また、この複素数空間へのはみ出しから、数学の他の分野のテクニックも自在に使えるようになると言う御利益もあります。
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#9です。余談ですが、「~~屋」という言い方は、屋号といわれる江戸時代から続く慣習です。 江戸時代には武士以外の農工商は、苗字を許されなったので、ただの矢七や八平が、そんじょそこらに、ごろごろしてた訳です。それでは村の寄り合いなんかで、どこの八平だかわからないので、丸山屋の八平とか言ってたそうです。「~~屋」は、一族郎党や住んでる所や、出自を表しました。 またこの時代の商取引でも、野菜屋の八平とか、風車屋の矢七とか言いました。物理屋は、これに近いですね。 現在の商法では、屋号は商号の事(まぁ~、店のあだ名ですね)と定義されていて、登録義務はありません。 ところで自分の専門は土木屋です。でも現在IT会社に勤めています。ときどき「土木屋の俺が、現場を見ないそんな戯言を聞いてられっかっ!」と怒鳴る事があります(嘘です。もっと丁寧に言います^^)。 このとき少しだけですが、自分の専門や職業に対する誇りが混じります。俺も「物理屋」って言ってみたいなぁ~^^。
お礼
そんな歴史的な謂われがあったのですか?全然知りませんでした。いやどうも気になって仕方がなかったもんですから。 それではこれで回答を締め切らさせて頂きます。皆さん本当にありがとうございました。この場をお借りしましてご親切かつご丁寧な回答を頂いたすべての皆様にお礼を申し上げます。
- cyototu
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#9さんが良いことを書いてあるので、その補足だけをしておきます。 数学でも物理でも、あるいは他の分野でも、本や特に教科書を読む時には、判ってから先に進んでは駄目です。判らなくてもどんどん先に行く。習うより慣れろです。そして、判らなくても良いから出来るだけ早く全体像を掴んで、それから何度も繰り返して読む。これがコツです。先を読んでから判ることが殆どです。 また、何度読んでも、教科書に出ていない自分の現実の問題に打つかって教科書の言っていることを応用して見る苦しみを味あわないと、絶対に判らないことが幾らでもあります。ですから、教科書だけを何度読み返しても辿り着ける程度は底が知れています。 もう一つは、物理学の本でもその分野の先駆者の書いた物がいつも一番良いです。後からそれを勉強した人が書いた物は、初めて書いた人よりも要領よくエレガントにまとめていることが多いですが、それを発見する過程で一番知りたい、泥臭い苦労だとか、動機の部分がほとんどの場合落されてしまっています。ですから、機械的に覚えるのには都合が良いのですが、まるでオーラが伝わって来ない。実はそれは本ばかりではなく、学術論文を読むときも同じです。それは当たり前で、勉強した人が二番煎じで書く場合には、その人はきちっと完成した、それ故、きちっと定義された物だけしか理解しておらず、始めの人がした創造の苦しみの部分や、未定義だがもやもやした感覚を理解することも表現することもできないからです。そして、そのもやもやした部分を感じ取ることが、何か新しい発見をする場合には一番大事な部分なのです。ランダウやファインマンや、またそれを発見した人のオリジナルな論文が面白いのは、そのオーラだらけだからです。既存の物に対しては明晰に論じることが出来るのに、新しい発見や寄与が出来ない人が意外に多いのは、古いオリジナルな本や論文を読まずに、最新の洗練された二番煎じの教科書や論文ばかりを読んでいる結果である可能性が大いにあります。 私の経験では世の中に出ている教科書の95%以上の本は、オリジナルではなく著者が自分で発見して来たことではなくて、自分が勉強して来た、他の人の発見について書かれているようです。そのような教科書の特徴は、初学者が読んでも全然判らないように書いてある点にあります。そして、実際の研究現場で自分で苦しんで自分の言葉で独学でやっと理解してから、改めてその判らなかった教科書を読んでみると、ちゃんと判るように書いてあります。別な言い方をすると、殆どの教科書は判らない人が読んでも判らないように書いてあり、もう判っている人が読むと判るように書いてあるのです。何か馬鹿馬鹿しいような気がしませんか。でもそう言う教科書は、先ず独学で理解した人が辞書代わりだと思って使うと、大変に役に立ちます。 でも二番煎じではなく、はじめて遣った人の書いた残りの5%ぐらいの本や古い論文を読むと、初めて読んでも判るように書いてある場合にお目に掛かれる可能性がグンと高くなります。 また、全体像が何となく理解できたら、後は細かいところを全て理解する必要はありません。自分の関係している興味ある部分だけを深く理解していれば、創造的な何か新しいことは出来ます。オリジナルな人に意外に、皆が知っていることを知らない人がいるのはそのためです。それを一点突破と言います。面白いことに、自分の決めた専門分野の一点だけをトコトン掘り下げて行くと、それによって物の考え方や創造の仕方を理解できるようになり、その考え方や方法は他の分野でも本質的に同じであることが段々見えてくるようになります。ですから、一度一点突破を経験した人には、どんな新しい、したがってその人が今までに聞いたことがないことでも、一端その新しい分野の基本的なことを理解したら、いきなりその分野で何年も遣って来た人達よりも深い発見をしてしまう例が幾らでもあります。生産的な人が違った分野で次々と新しい発見や寄与をしてみせる例が多いと言う事実、そして、良い仕事が少数の個人に集中してしまう事実は、実はその人が万遍なくいろいろな分野を勉強して来たからではなく、自分の興味ある問題の一点だけにトコトン集中して、それを突き破ることが出来た結果です。私はそのようにして次々と素晴らしい結果を出して来たノーベル賞クラスの著名な物理学者を何人か個人的に知っています。そう言う方に、一生に一発だけ素晴らしい仕事ができたという方は皆無です。皆、いろいろな分野で幾つも一流な仕事をしており、その中で運良くたまたま時流に叶った仕事でノーベル賞を貰ったり、著名な賞をもらったりしているようです。先日ノーベル賞を貰った益川さんも、自分にはノーベル賞を貰った仕事よりももっと好きな仕事があると言っておりました。 私の良く知っている超一流の先生は、「I am not a man of knowledge. (私は特別に知識が抜きん出ているわけではないよ)」と言っておりました。あれだけいろいろな分野で一流な仕事をした人が言ったのですから驚きでした。これは所謂一流な人達に共通したことのようです。 #9さんが落した数学の分野で、 複素関数と複素積分 は、物理屋さんには絶対必要ですね。グリーン関数も、フーリエ解析も、ラプラス変換も、デルタ関数などの超関数も、皆、複素積分の文脈で理解しておくと全体が見えて来ますから。
お礼
読書の仕方までご丁寧にありがとうございます。 まず全体像を掴むー僕も大賛成です。ただし物理の場合はわからないところがあると次へ進めないことが往々にしてありますよね?数学の場合もそうです。 「二番煎じ」についてですが、高校物理については経験的に知っています。問題でも多くの問題に当っていないと意味不明のことがよくありました。答えがわからないより以前に題意がわからない。そこでおおよその見当を付けて(勉強したことの中で当てはまりそうなものを探し出して来て)回答する。これでは真の実力はつきませんよね? 大学物理について述べられていることはですから感覚的にわかるような気がします。 例えば「マクスウェルの応力」(ニュートン力学が大好きなのでマクスウェルの方程式よりもこちらの方により惹かれます)「どうやってこんなことを思いついたのだろう?」と不思議に思うと同時に感心もします。尤も数学にある程度精通していないと出来ない芸当だとは思いますが。これに限らず物理学の先駆者たちが天才的かつ芸術的に数学を適用するーその仕方に深い感動と尊敬の念を覚えます。 言われているように、その後の執筆者はただそれらを機械的に理解し載せているだけだと思います。 下にも書きましたが、これからもこの「コミュニティ」を大いに活用させて頂くつもりですので、ご指導・ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。
補足
複素関数・複素積分が有益なのは、複素数が実数と虚数、つまり数全体を含んでいるということに起因しているからなのですか?全然違う意味に受けっとっていますか?なにしろ教養の低い初学者ですから。(笑)
No7です。 そうですか、独学の方でしたか。 >すべて上意下達の盲目的な授業・学習 そういう言い方もできるかもしれませんが、大学の授業はまたちょっと違うような気もするんですけどね。 その道のプロの研究者が直々に講義してくれるのですから、自然科学でも人文科学でも、おおいに知的好奇心を刺激してくれる先生も多かったように覚えています。 私が、ご質問を見て一番最初に思い出したのは、電磁気学の授業です。 マクスウェルの方程式は普通4つの方程式で書きますが、「これはひとつの方程式でかけるんだ」と2時間くらいかけて、延々と数式を並べていった授業を受けたことがあります。もう、全く思い出せませんが。 あるいは、「回転というのはベクトルでなくて、群なんだぜ」と言った先生がいたのも印象に残っています(回転速度はベクトルだが、回転はベクトルではない・・・・例えば加法で交換できない-ルービックキューブを思い出せば、そうでしょう?)。 それから、ある量子力学の教科書で、ある数学的な話の進め方が、どうしても分からないところがあって、先生に聞きに行ったら、一目見たとたん「あ、これ間違ってる。だって、こうこうこうだから、そんなことはいえないだろう」といわれて、ショックを受けたこともあります。 だから、私はそういう経験をたくさんしているものですから、私には物理と数学にほぼ等しいのです。だから、No9の方が、「ヒルベルトやスミルノフなんて、まるっきり数学じゃないか」とおっしゃるのは、もっともなのです。 そもそも、ヒルベルトもスミルノフも数学者です。 じゃ、数学は物理に等しいかというと、数学の人たちはそうは考えないようです。 数学科の友達に物理の話をしていたら、「ちょっとまった。どうしてそこで微分できるんだ。その関数がそこで微分可能かどうか、ちっとも自明じゃない」といわれたことがあります。微分のはなしだったかどうか、もう覚えていませんが、とにかくそんなようなことを言われたのです。 物理を勉強し始めた方ですか? そういうことなら、私は、岩波書店の「物理入門コース」(全10巻)をお勧めします。10巻が言ってみれば物理数学です。ただ、この物理数学は他の巻に比べてつまらないです。だから、たぶん、こういう感じが「便利だけどつまらない」といおっしゃっているのではないかと想像していました。 このシリーズは、巻末にさらに進んだ教科書のリストがついています。ですから、次にどの教科書を勉強するかという目安にもなって便利です。 No8の方の、フランス語で恋を語るにはフランス語を勉強しなければならない、というのは面白いたとえだと思いました。いや、まさにその通りでね。ABCを練習していてこれが何の役に立つのだろうと思うけど、後になって「あのABCの練習があればこそ、今フランス語で恋を語る自分があるわけだ」と気がつくわけ。 数学もそんなに毛嫌いせずに勉強してみれば、これはこれで面白いんだけどなぁ。
お礼
興味深い体験談をありがとうございました。 物理入門コースは第1巻「力学」第7巻「熱・統計力学」第10巻「物理のための数学」を買っています。そして買っているのはこれだけです。あとは必要に応じて図書館を利用しています。 「便利だけどつまらない」というご想像はピタリ当っています。 数学嫌いではありますが、人一倍負けん気だけは強くて日常見かけるなんでもない自然現象を数学で表現できないと情けない気持ちになります。バネの伸び縮み、小川のちょっとした渦・淀み、川面に浮かんだ落ち葉の運動、コマの運動・・・。挙げるとキリがありません。なんでも数学で表現できるようになりたいです。 学びたいことは山ほどあります。ただ諸事情がそれを許してくれるかどうかです。そのためにも数学の勉強だけは必要最少限に留まるようにしたいのです。いわゆる「最短コース」を進みたいのです。 幸いこの「コミュニティ」を知ったので今後大いに活用させていただくつもりです。今後ともよろしくお願い致します。
#6です。語弊があったかも知れないので、再発言します。 >(物理)数学を「軽い」と思う・・・ 自分は(物理)数学を、特に数学を「軽い」と思った事はありません。十分いっぱいいっぱいです。ただ、#7さんが紹介しているヒルベルト「物理数学の方法」とか、スミルノフ「高等数学教程」を読むと、どうしても数学書に思えてしまって、それが問題にしている物理的内容との落差が大きいと驚きました。言葉は悪いですけど、こんな事を処理するのに、数学的にはこんなに手がかかるの?、といった感想です。 >ランダウですか?・・・ファインマンとか。・・・一度手に取るだけでも取ってみたい・・・ >・・・その本で大学初年級(から)の物理数学も学べますか?もし可能ならば他のゴチャゴチャしたテキストは一切不要となり一石二鳥・・・ 私も数学と物理は、ほぼ独学のようなものですから、後半の気持ちはわかります。しかし手に取るのはいいですが、一石二鳥は「出来ません」。 ランダウやファインマンは、少なくとも専門過程の学部生以上を対象としていて、それらを読むためには、最低限の数学的知識は必要です。さらに基礎的な数学知識の習得は、物理数学の本からでなく、ふつうの数学書から行った方が良いと思います。以下、最低限の数学と思えるものを揚げますが、他の人の意見もきいて下さいね。 (1)線形代数 ここはやり出したら、切りがありませんので、実用面(計算処理)と理論面のバランスの良い本がいいです。残念ながら自分は職業柄、バランスの悪い本しか知りません。自分の独学は、ここから始まりました(職業的必要に迫られて)。 (2)大学初年級の微積(高校は当然) ここもやり出したら、切りがありません。実用面と理論面のバランスの取れた本をお奨めします。厳密な実数論の話とか、詳細なε-δの扱いまではいらない気がしますが、ヤコビ行列の意味や扱い,累次積分の計算処理とか重積分の変数変換などは、頻繁に使います。 ・ベクトル解析,森毅,国土社,1966年. ・微積分の意味,森毅,日本評論社,1980年. この2冊は、数学エッセイのような感じですが、もちろん数式も出てきて、大学における微積と線形代数の関係を教えてくれる、めったにない本です。自分はこの2冊を読んで、大学の微積で何をやれば良いか見当がつき(ついたと思って)、後は好き勝手にやって来ました。なので適当な良書を知りません。 (1)と(2)は当然として、以下は物理数学の本に良くまとまっています。 (3)物理数学の本(最初の3つは、偏微分方程式関連が多い) ・フーリエ変換 ・グリーン関数 ・デルタ関数の実用的扱い ・ベクトル解析 (1),(2),(3)は、どんな物理学書を読んでも、当たり前のように使われます。当たり前のように使われる事で引っかかると、本自体が読めなくなる可能性があります(独学読書はリズムが大事)。また最初、演習問題は無視して、本分の理解を優先する事もお奨めします。初見で演習問題は、難しすぎる事が多いです(独学読書はリズムが大事)。最初に、この本を読もうと狙いを定めて、それに必要と思われる数学を、順次習得するのが現実的と思えます。
お礼
ありがとうございます。 やはりいきなりランダウは無理でしたか?残念です。でも分からないものはどうしようもないですね? それからいきなり物理学書を読むようなことはないと思います。やはりテキストになると思います。ただテキストも物理学書の中に入るのであれば別ですが。 森毅さんの著作は面白そうですね?エッセイでありながら数式も出て来るなんて。これこそ手に取ってみようと思います。 いや一度ならずご丁寧にありがとうございました。勿論できるだけ多くの方々の意見も聞くつもりです。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
>小生、物理大好き数学は嫌い人間です。 あんたね、それって、フランス語を勉強するの嫌い、でもフランス語で恋を語りたいって言っているような物ですよ。まるで無理な注文だ。私には2歳になる孫がいますが、同じレベルのだだっ子だ。 ただしね、恋を語るためには人の恋文を暗唱しても仕様がないので、物理数学の教科書に書いてある恋文を丸暗記する必要はありません。所詮そんな物、自分の言葉でも心でもなく、そんな物で彼女を落せるはずがない。片言のフランス語を覚えたら、後は何とか自分の言葉で恋を語って下さい。そんな片言でもってその他大勢の人達を説得することは出来ませんが、結構自然の心髄に迫れるときもあるようですよ。だから、彼女を落す自分の言葉だけは自分の努力で手に入れるようにして下さいね。 蛇足:恋を「語る」には言葉ばかりではありません。彼女の手をぎゅっと握ることで、貴方の万遍の言葉より多くの情報が伝わることもあります。物理学にもそんな面もあります。でも恋をするには、言葉も意外に大切なのですよ。もし、自然界の法則に恋心があるなら、自然を語るための「言語」も理解していた方が、喜びは大きいと思いますよ。
お礼
ありがとうございます。 「駄々っ子」です。(笑) でも「自然の法則への恋心」「自然を語るための言葉」ーいいですねー。全くその通りです。
> 自然界の法則や現象が見事に数学的に表現されている場合には、...芸術的感動も覚えはします。 それで十分じゃないの? >学ばないと先へ進めないという簡単な理由からでしょうか? そうだとおもうね。 下で誰かも書いておられますが、数学の言葉で書いてあるから、数学が分からないと、結局"ブルーバックス物理"みたいな感じになってしまいます(別に悪口を言っているわけではない、私も昔よく読んだ)。 自然の仕組みを漠然と把握するだけならいいでしょうが、それだけです。この板でもときどき"ブルーバックスもどき"を展開して、トンデモ理論を発表している人を見受けますね。このサイトは所詮遊びに来るところだから、本人が楽しいのならそれはそれでいいのですが。 数学が分からなければ、運動方程式とエネルギー保存の法則がどう関係があるのかさえ分かりません。 最近の回答で、等加速度運動の場合に、微分積分を使わずにエネルギー保存の法則を導く方法を披露している方がいました。私は、不勉強ですので、ちょっと細かいところが分からなかったのですが、大変興味深い話でした。 でも、厳密に言えば、等加速度運動はある特別な場合です。運動方程式が成り立てば、どんな場合にでもエネルギー保存の法則は成り立つ、ということにはなりません。 物理学科とかその種の学科で勉強しているのですか? もし「自然には運動方程式とエネルギー保存の法則というものがある、ということさえ知ることができればそれでいいんだ」ということであるら、、、、、残念ながら、道を間違えましたなぁ。物理学科というのはそういう勉強をするところではありません。 >物理と比べるとどうも“軽い” どうもこのご感想が引っかかるんだなぁ。 物理数学の古くから定評のある教科書というとクーラン-ヒルベルト「物理数学の方法」とか、スミルノフ「高等数学教程」とかといわれるのだが、ここまで進んだ上での感想なんだろうか。
お礼
大変失礼しました。記入漏れがありました。加筆します。 僕はすべて独学です。ですからヒルベルトとかスミルノフとかいった名前は聞いたこともありませんでした。 それからつらつら思いますに、大学物理学科に限らず学校というものは僕にはどうも向いていないように思われます。と言うのは、すべて上意下達の盲目的な授業・学習のように思われるからです。「学校教育の弊害」と一言で片付けてしまえばそれまでですが。生意気・我儘でしょうか?(笑)大学の物理学科はそれほどでもないですか? 最後に、「微積分を使わないでエネルギーの保存則を導く方法を“披露”」したのは僕かも知れません。(笑)
アルセニンの物理数学などの、何冊かの物理数学の成書を読破しました(と思ってるだけかも、ですが)。実際、その数学的しつこさと、物理的内容の薄さの落差に驚いたものです。そこで思ったのは、物理数学って、物理における数学の基礎訓練なんだ、という事です。 ただしこれは、「現時点で物理数学の成書」としてまとめられている部分に対してです。「現時点で物理数学の成書」としてまとめられている部分は、古い物理学を扱っている事が多いです。そのために物理的内容を薄いと感じると思うのですが、その内容が開発された当時は(例えば、フーリエ解析などは3世紀も前)、十分な物理的重みがありました。逆の例として、ランダウの理論物理学教程の「10.物理学的運動学」があります。 自分の意見ではこの本は、間違いなく物理数学の成書なのですが、一級の物理専門書でもあります。そのために物理数学の本とは、言われません。#5さんも仰っているように、 >微分、積分の考え方は力学の誕生において必須でした。というより、力学を数学的に記述するために編み出された考え方・・・ なので、ニュートンも、現在で言うところの物理数学部分を手製でやってのけた、という事になります。それはいつの時代でも同じです。物理数学という分けは、前世紀に入ってからの事で、昔も今も、物理数学は物理の活動過程で常に行われています。ディラックのデルタ関数などは、良い例です。であれば、#1さんの言うように、どこまでやるか?でしょう。 自分は、一般相対性理論に関する物理数学の成書が出れば良いと思っています(努力はされていたのですよ)。しかし最近、物理数学の新刊が出ないので、逆に多少不満です。というのは、一般相対性理論を「手に取るようにわかりたい!」と思ったら、リーマン幾何学やテンソル解析,絶対微分学をやるしかありません。 余談ですが、そういう物理数学の成書って実はあるんですよ。それがランダウの理論物理学教程の「2.場の古典論」です。これは物理数学って言われていないので、その物理的内容は重厚そのものです。しかし数学に関しても基礎訓練への配慮は、十分すぎるくらいです。それだけに、読むのが無茶苦茶大変です。無茶苦茶大変にならないように、物理数学という分野が出来た、と自分は考えています。
お礼
ありがとうございます。 (物理)数学を「軽い」と思う同じ意見の方と初めてお目にかかれました。正直言って嬉しいです。 多数ご意見を伺ってまいりましたが、やはり「どこまでやるか?」ですかねえ?より正確に言うと「何をやりたいか?」というこでしょうかねえ? 例えばの話ですが、大学初年級をやらずにいきなり相対性理論をやろうと思えばリーマン幾何学などから始めてもいい訳でしょ?おそらく苦労はするでしょうが。(笑)でも個人の自由ですよね? ランダウですか?名前だけは聞いたことがあります。あとファインマンとか。そんなに重厚なのであれば一度手に取るだけでも取ってみたいです。ところでその本で大学初年級(から)の物理数学も学べますか?もし可能ならば他のゴチャゴチャしたテキストは一切不要となり一石二鳥なのですが・・・。物理数学のテキストの執筆者も結局はランダウらのテキストを読んでいる訳ですよね?シリーズで出ているようですね?分野ごとに学ぶこともできるのですね?一度手に取ってみます。
- g-space
- ベストアンサー率44% (49/109)
言わずもがなですが、物理学の学徒であれば、数学と物理学が不可分のものであることはご存知のことと思います。 物理学では、実験によって事象を記述する"量"を見出し、これを測定という行為によって数値化し、事象の背後にある法則を定量的に記述します。これは突き詰めれば数と数との関係を明らかにし、記述するということです。数と数との関係を明らかにし記述するということだけに着目すれば、これは数学そのものです。 具体例をということですので、いくつか。 微分、積分の考え方は力学の誕生において必須でした。というより、力学を数学的に記述するために編み出された考え方であって、数学の発展に影響を及ぼしたということは、当然のことながらご存知だと思います。微分、積分が理解できなかったら、物理学そのものの理解ができません。 リーマン幾何学やテンソル解析は純粋数学で地味に発展しましたが、一般相対性理論の記述に不可欠なものとして脚光を浴びました。 量子力学におけるシュレーディンガーとハイゼンベルクの記述法の違いは、ミクロの現象の理解を深めることとなりました。 まだまだありますが、数学が使えなければ物理学を学問的に記述できないし理解できないということは確かです。 数学嫌いの一学徒に今でも数学嫌いの私が言うとすれば、「学ばないと絶対に先へ進めないよ」の一言でしょうね。「恩恵」は学んだ直後からあります。そしてはっきり言えるのは、四の五の言っていて数学使用の訓練を怠れば「ああ、勉強しておけばよかった」と心の底からつぶやく日が、遠からずやってくるということです。 私が言えることはこの程度です。
お礼
ありがとうございます。 ああやはりそうですか!「絶・対・に先へ進めない」「勉強しておけばよかった」ですか? ただ性格上意味もわからずに突き進むということが嫌いなものですから。ただ「そんな人間の方が却って物理には向いている」ということはどこかで聞いたことはあるのですが。(笑)そしてこの「意味もわからずに突き進むことが嫌い」というのは「不安」と表裏一体をなすものだと自己分析してもいるのですが。「何が不安なのだ?」「何を恐れているのだ?」と自問してみますに、具体的に言えば、答えはやはり「物理を離れて、現実の自然界を離れて数学が独り歩きすること」のようです。 しかしこのような性格の自分でも結構合理的な面もありますから、とにかく我慢をして「数学使用の訓練」をした方が結局は得策であることがはっきりとわかれば、大好きな物理のこと、そうするかも知れません。まして一歩も「先へ進めない」のであればそうするよりほか仕方がありませんね?それにしてもやはり日々楽しく学びたいものです。(笑)
- hitokotonusi
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物理数学の内容にもよると思いますが、 具体的内容は、何を指しているのでしょう? たとえばテーラー展開なら数学でも習わないうちから力学でつかったりします。 常微分方程式の解放は、力学の強制振動を扱うときに必要になります。これまた数学で習うより早かったりします。 行列の対角化は、剛体の運動を扱うにはすぐにでも必要です。 また、あとになって光学で複屈折を扱うのにも必要でしょう。 フーリエ変換は、その概念を使うことは日常茶飯事で、ありとあらゆる場面で出てきます。直接フーリエ変換を使わなくても、固体物理の逆格子を理解するためにも必要です。 ベクトル解析なら、使えないと電磁気も流体もできません。
お礼
ありがとうございます。 一つ頭に来たことをお話します。「コマの運動」に関することです。ラグランジュの方程式(?)と呼ばれるものだったでしょうか?方程式を立てる所まで何とか頑張って読みました。力学は大好きですから。ところが、「この解き方についてはもう少し後で教わる」と書かれてありました。「解き方を教えないのであれば最初からやるな!」とひどく頭に来たことがあります。時間の無駄です。何事も系統だった勉強が大事なのではないでしょうか?次に解き方を勉強する時にはまた最初から、方程式の立て方からやらなければなりません。教養課程(昔の呼び名です)のテキストだったからでしょうか? それから「強制振動」なども似たようなことが言えます。これは解き方も書いてありました。しかしそれで終わりです。学年が進んで行けばその「強制振動」そのものを別の分野へ応用するのでしょうか?とにかく盲目的な勉強は嫌です。 ベクトル解析は比較的面白いのですが、例えばローテーションVなどの場合、「速度の回転」?-ここで考え込んでしまいます。流体の中の渦ですから感覚的には「なるほど」とは思うのですが、「速度の回転とはどういうことだろうか?」と。ローテーションだけでなくダイヴァージェンスにしても同じです。比較的よく分るのはグラディエントくらいなものでしょうか?これは訳すと読んで字のごとしで分かりやすいです。 個別的なことを言っているとキリがありません。これらはすべて僕が良い(?)テキストにめぐり会わなかったことに起因しているのでしょうか?
- koutarou-h
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物理の本を読んだことがあるでしょうか? 数学の知識なしに読めるのでしょうか? 物理の教科書を読んでいて、「ヤベえ!数学のことわかってないと理解できねえ!」と思ったことはないですか? 「大学入学直後に教わる、てか特訓にも似た勉強をさせられる物理数学」 というのは、どういうもののことでしょうか。 微分方程式を解かされたり、行列式を求めさせられたり、でしょうか。 かなり大雑把な言い方ですが、物理学は数学というものを使って何かしら表現しようとするものです。 物理を学んで、数学は嫌、というのは、日本語の勉強はしたくないしそんなものに振り回されたくない、私がやりたいのは日本の文化を知ることだ!と言ってるようなもんではないでしょうか。 もう少しあなたの疑問や不安をきかせてもらえると、あなたの求める回答に近いものを出せるかもしれません。
お礼
ありがとうございます。 テキストを読む分には問題はありません。と言うのもテキストには数学についての説明も書かれてありますから。でなければそれはテキストとは言えませんよね?問題はテキストの中の問題と問題集です。「特訓」と言うのは特に問題集の方です。分厚い本に物理数学の問題ばかりぎっしり書かれてあります。微分方程式もすべてひっくるめてです。あれだけやる必・要・が・あ・るのでしょうか?尤も化学なんかよりはずっと好きですから、暇つぶしに数学の勉強をやっていると思ってやる分にはいいのですが。 「日本の文化」の例はよく分ります。納得です。
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お礼
「滅茶苦茶素晴らしい定理がある」とか「一旦複素数空間にはみ出す」とか、また「神業」とか「ご利益がある」とか胸がワクワクして来ます。 でも「コーシーの定理」にしても「複素関数論」にしてもそれが分かるようになるまでにかなり厳しい数学の修行を積まなければならないのでしょうねえ?まあ好きな物理のためですから努力はしてみますが。 それから教えをこいていながら誠に恐縮するのですが、「物理屋」という言葉がどうも気になって仕方がないのですが。「数学屋」ならば他の諸科学のために利用されるのでまだ話はわかるのですが。テキストでもよく見かけますが、言わば「業界用語」なのですか?